第一回全国高校生会議の報告 1989年4月頃執筆

※現在は社民党議員である保坂展人が当時主宰していた反管理教育グループ・青生舎のミニコミ『KIDS』に寄せたレポート

 十一年続いた高校生新聞編集者会議を母体として生まれた全国高校生会議の主旨は、@あらゆる既成の枠をとり払い、本当に話しあいたいことを話しあう、Aあらゆる圧力に屈しない、B会議から何かを生み出す会議にする、の三つであった。
 学校の現状を見ると、とても「言いたいことが言える」とは言いがたい。
 頭髪規制に反発して、頭髪検査中に、坊主刈りはイヤだ、と言ったらボカスカぶん殴られるかもしれない。学校の中で唯一<言う自由>が形式的に保障されているはずの生徒総会においても、妙なことを言うと教師にチェックを入れられる可能性がある。生徒総会が、単に生徒会役員から全校生徒への注意事項伝達集会に成り下がっていることも多いし、生徒総会を主宰する生徒会自体が教師の意のままにあやつられているのはザラだ。ひどいところになると、生徒会役員選挙で、学校側がマルコス政権時代のフィリピンのように不正に介入したり、また生徒総会や、それこそ生徒会自体さえ存在しない学校もある。
 これらは「生徒対教師」の間での事例であるが、同じことは「生徒対生徒」においても言える。
 多くの生徒が体罰や内申書をタテに、おとなしく飼い慣らされている現状では、下手に学校に反発すると周囲から浮いた存在になったり、自衛隊や原発や天皇制の話をすると「危険人物」のレッテルを貼られ、よそよそしく扱われたりする。
 また、高校生たちは、偏差値によって、性別によって、進路によって、住所によって、うまいぐあいに分断されている。学生運動がはげしかったころ文部省が出した、三校以上の生徒組織の交流禁止(三校禁)の通達も、いまだに効力があり、適用しようと思えばいつでも適用できる。
 江戸幕府は、民衆が団結して抵抗しないように、「士農工商」の身分制度を敷いたが、偏差値選別の現状も、それをもじって「普工商農」(学校の偏差値のランキング。普通高校、工業高校、商業高校、農業高校のこと)などとヤユされる。
 こうした現状を打破していくためには、全国高校生会議のような存在が重要になってくるだろう。
 今回の高校生会議には、北海道から沖縄まで、部分参加も含めて八十人以上の参加があった。参加資格も、高校生かその年齢に相当する者、および将来高校生になる年齢の者すべてにあるから、高校生はもちろん、中退生、中学生、小学生(六年、最年少参加)も参加した。

  初日、三月二十七日

 午後一時半、会場の東京大学駒場寮に約六十名の参加者が集まった。
 開会の全体会のあと、八つのグループに分かれ、自己紹介が行われた。
 五十名以上の人間の顔や名前や考え方を、とてもいっぺんには理解できないので、とりあえず六、七名のグループに分けて、二時間ほどのフリートークの時間を設けたわけだ。
 それぞれのグループの中で、一人ひとりが出身地、通っている学校の状況、この会議の存在を知ったいきさつなどを順々に語った。一人ひとりの自己紹介が終わると、それぞれのグループがそれぞれに、さまざまな話を広げた。今の学校のひどさについて話しあったところもあった。原発や天皇制の話も出た。各地の方言についておもしろおかしく話したグループもあった。そのうち、いくつかのグループが合体してさらに話を広げた。

  宿舎での語らい

 高校生会議の一番の醍醐味は、なんといっても宿舎である。
 広い宿泊所(東大駒場寮の食堂)のあちらこちらで、自然に話の輪が広がる。
 学校問題はもちろん、差別の話や沖縄の話も出る。三里塚闘争(成田空港建設反対)や革命の話が飛び出すところもあれば、人間と人間は本当に信頼できるのか、“純愛”なんて本当にあるのか、といった話をしているところもある。単にワイ談をしている者があるかと思えば、ギター伴奏でいきなり合唱を始めるグループもあったりする。
 いろいろな人が参加している。
 天皇制に絶対反対だという人も、日本人がもしもの時に団結する柱として必要だという人もいる。原発についても賛否両論。校則についても、そんなものはいらないという声もあれば、誓約書にハンを押した以上、守らなくてはいけないという声もある。さまざまな市民運動に深く関わっている者も、“運動をやってる連中”なんて絶対嫌いだという者もいる。
 ぼくらはふだん、友人関係が同じような考え方を持つ者同士にかたよりがちだ。
 しかし高校生会議では、じつにさまざまな同年代の仲間たちと、おたがいかなり腹を割って話しあえる。だから高校生会議はおもしろいのだ。

  二日目、三月二十八日

 全体会で伝達事項、アピールを終えたあと、テーマごとの分科会に入る。
 テーマは、@コミュニケーションについて、A管理教育を崩壊させる方法、B差別について、C“内なる天皇制”って何、Dシステムにおける幻想、Eオゾン層破壊について、F原発ってあんたの何なのさ、G同じく原発パート、H不器用について。
 世相を反映してか、とくに原発パートは大所帯になった。

  三日目、三月二十九日

 この日は公式の日程は組まれない「中日」となった。つまり自由行動である。
 東京見物や買物に繰り出す者もあった。分科会のテーマを引き続いて話しあう者や初日の自己紹介会や二日目の分科会の中間報告書作成に追われる者もあった。中には、高校生会議の母体で、まったく同じ日程で開催されている高校生新間編集者全国会議の宿舎を訪ねた者もいたようだ。

  最終日、三月三十日

 全体会を終えると、全体討論に入った。これは、二日目の分科会のパートリーダーが各自のパートの報告を行い、それぞれの質疑応答の形でさらに議論を深めようというものである。
 しかし、結果的にはどのパートも時間切れであまり深くつっこめなかったのは残念だった。
 午後はフリーディスカッションだ。それこそテーマなしで全体討論しようというものである。
 三時間の話しあいのうち、前半は参加者のうち二人の女性が、おたがいのコミュニケーションのとりかたについて、激しい議論をし、周囲が圧倒されるほどの“一触即発”の危機だった。
 後半は、今回限りで参加資格の切れる高校中退生が、こんな会議を絶対つぶさないようにしようと提案し、今後の会議の方向についてなごやかに話しあわれた。
 新聞編集者会議以来、最終日の全体討論は険悪なムードになってしまうというジンクスがあったので、常連にとっては“異様なノリ”に映った。
 こうして第一回全国高校生会議は幕を閉じた。

 高校生会議の前途には、問題が山積している。初参加と“常連”の間の溝をどう埋めるか。実行委員の中での“東京一極集中”の問題をどうするか。新たな参加者をどう募るか。その際、大人の力を借りるのかどうか。マスコミへの対応をどうするか。そして、“サロン化”をいかに防ぐか。
 しかし何にしろ、生徒たちが“言う自由”を保障されている“場”は貴重である。高校生会議の“今後”に期待しよう。