青生舎との出会い DPクラブの結成

 高校をやめた直後に、2冊の本に出会った。
 一冊は、後に角川映画にもなった宗田理の『ぼくらの七日間戦争』である。教師や親など身近な大人たちへの中学生の反乱を描いた小説で、まったくの絵空事と云えばそれまでだが、「こんなふうに学校と闘いたかったなあ」と思った。実際、映画と違って小説の方は全共闘なんかをふまえたりしてるところがあって、比較的ちゃんとしてる。
 もう一冊は『元気印大作戦』という、やはり角川の文庫本だ。著者は、「青生舎」というグループである。「学校解放文庫」というサブタイトルがついた、中高生が学校と闘うためのハウツー本だ。
 青生舎についてちょっと説明しておこう。
 まだ学生運動が盛んだった1970年、「麹町中学全共闘」を名乗って「ベトナム反戦」などの政治活動をしていた当時15歳の保坂展人少年は、そのことで内申書を悪く書かれ、志望したすべての高校に入学できなかった。この保坂少年が原告となって、内申書をちらつかせて生徒を従わせようとする学校教育のあり方に異議を唱える通称「内申書裁判」の訴訟を起こす。この裁判闘争の中から、76年に青生舎が生まれた。単に法廷で争うだけでなく、現実の学校現場でさまざまなアクションを作っていかなければ、学校状況を変えることはできないと考えた、保坂展人本人の提案によってである。青生舎は次第に盛り上がり、80年代に入る頃には「反管理教育運動」の総本山として全国レベルの影響力を持つまでになった。最盛期の80年代半ば、青生舎が毎月発行する『学校解放新聞』は、普通の本屋には置かれない、いわゆるミニコミなのに1万部も売れていた。その青生舎に結集した、現役の中高生も含めた若者たちが、自分たちの学校現場での試行錯誤をふまえて編集したのが『元気印大作戦』である。85年に刊行されている。
 ぼくが『元気印大作戦』に出会った88年には、すでに青生舎の活動は後退局面に入り勢いをなくしていたのだが、それまで九州の片隅で孤独に学校当局と闘っていたぼくがそんなことを知る由もない。これだ! と飛びついた。
 中退して間もない時期だから、気分はまだ高校生である。『元気印大作戦』に結晶している青生舎路線の反管理教育運動を、この福岡でやろうと思った。そのためには学校に不満を持つ高校生の仲間をいっぱい集めなくてはならない。
 根が単純だから、思い立ったら行動が早い。
 88年5月、一人で「反管理教育中高生ネットワーク・DPクラブ」を名乗って、仲間を募るビラまきを開始した。まだワープロもそれほど普及していない時期だったから、キッタナい手書き文字のビラだ。駅前や高校の校門前などで、生徒たちに配りまくった。
 当時のことを他人に話すと、17歳やそこらで一人でビラまきを始めるなんて勇気あるなあ、という声が返ってくることがある。しかしぼくとしては、ちっとも悩んだり特別な決意をしたりした覚えはない。前述したとおり、「反管理教育運動やるんだから、高校生を集めなくっちゃ」という単純明快な発想で始めたビラまきだ。
 ちなみにグループ名の「DP」は、「不良品」という意味の英熟語の頭文字である。管理教育で「規格品」にされるのはゴメンだという、恥ずかしいほど真っすぐなネーミングである。
 ビラを見て手紙をくれる高校生もいくらかいたし、このビラまき活動が新聞で紹介されたためにその記事を読んで連絡をとってくる人もいた。一人で始めた「反管理教育運動」だったが、半年もすると10人前後のグループになった。