年譜(その2)から続く

我々団 年譜(その3)
(承前) “3人党”時代
2017年
2月 党本部にて不定期に地道な読書会を開始。主に千坂恭二・スガ秀実・笠井潔の文章を熟読するマジメな研究会を基調としていたが、次第に東浩紀をはじめ昨今の“軟弱ヘナチョコ文化人”の軟弱ヘナチョコぶりを挙げつらって嘲笑する「“検閲”読書会」へとシフトしていく。
3月 党本部にて、学生限定の第6回「“春休みで差をつけろ!”教養強化合宿」開催。聖学院大・高崎経済大・早大2・京都産業大・京都精華大・京都造形芸術大・大阪芸術大・西南学院大2・九州大、そして高校生1名の計12名参加。この回から合宿期間を9泊10日とする。西南大アナキズム研究会・副議長だったホリ君は、この後まもなく卒業して上京し「早稲田アナキズム研究会」を創設。
複数アカウントの使用を咎められて、外山のツイッターのアカウントが凍結される。複数といっても個人名義と我々団名義の2つだが、いずれも実名でやっているから摘発されやすかったのだろう。
4月 山本・東野らが東京・高円寺の「HowHightheMoon」で「ダダ101周年記念展」開催。3日間の期間中に外山と、前年のスイス大使館主催“ダダ100周年”コンペ優勝者の某誌編集者・織田曜一郎氏との対談イベントも。
党本部にて「千坂恭二氏を囲んで飲む会」開催。
5月 福岡のパンキッシュな弾き語りミュージシャン“オクムラユウスケ”氏と、“大宮市最独立”を掲げたり、山本・東野が日々攻撃しているような“街おこし”的アート・イベントの1つである“さいたまトリエンナーレ”の開催に反対して実際に予算を大幅に削減させるなど、パンキッシュな市議会議員・吉田一郎氏に、第7回外山賞を授与。
6月 外山が東京・銀座のツイッター社にアポなしで押しかけ、アカウント凍結について抗議。あっというまに凍結解除される。
翌月にかけて、都議選の選挙カーだらけの東京都内で連日街宣。外山の主要な上京目的は劇団どくんご首都圏数ヶ所公演であり、街宣はその“ついで”。とくに都議選に照準を合わせず、ふだん福岡でやっている“日常街宣”をルーティンに展開する。
金友隆幸氏、山本和幸氏ら維新政党新風・東京支部の若手活動家数名が、“上京歓迎会”的な“外山恒一を囲んで飲む会”開催。
7月 文京区民センターで「外山恒一トークライブin東京」開催。
劇団どくんご群馬公演の現地スタッフ代表である群馬県立女子大の准教授・武藤大祐氏のダンス論(!?)の講義の一環として、外山と“反体制派の玉村町議”石川真男氏との対談イベント。
学生限定の「外山恒一を囲んで飲む会in東京」を開催し、スガ秀実氏・花咲政之輔氏・中川文人氏を特別ゲストとして首都圏学生運動シーンのラジカル化と活性化を図る。
翌月にかけて、党本部にて学生限定の第7回「“夏休みで差をつけろ!”教養強化合宿」開催。早大・中大2・京大5、さらに高校生とフリーター1名ずつの計10名が参加。京大周辺を徘徊していた10代のフリーター・高瀬萌(生まれた時にはすでに故人となっていたというが、京大の伝説的活動家の孫娘でもある)の強烈なキャラが触媒となり、合宿史上最大の盛り上がりに。最終日には札幌の反原発活動家でエスペランチストの宮沢直人氏が特別参加。初日は地球が丸いことすらあまりよく理解していなかった元不登校児の高瀬萌は10日間で驚異的な成長を遂げ、合宿後は京大生でもないくせに吉田寮廃寮反対闘争の先頭に立つなど大活躍中。強い吃音を持つ京大の八木智大君はNHKの「バリバラ」出演などを経て障害者運動に進み、早大の住本麻子さんは新進批評家として文芸誌にも進出している。また高瀬萌と中大の“文化系クルス”君を主軸として、まずこの7期生の結束が固まり、歴代の合宿参加者にも呼びかけて、それまで一過性のイベントとして終わりがちだった合宿の“OB・OG会”のようなものが形成され、さらに以後の合宿のたびに最終日に乗り込んで新参加者たちもそのネットワークに組み込んでいくなど、“外山合宿”界隈が一気に活性化した。
8月 「8・15在福岡韓国領事館前“ベトナム反戦像”設置」闘争。あまり盛り上がらなかったとはいえ、我々団の党員以外にも、愛国烈士方面と反日極左方面からそれぞれ2、3人ずつ駆けつけてくれるという、左右共闘の可能性を感じさせる素晴らしい試みとなった。
9月 外山の10年ぶりの単著で、内容としては“右傾化した若者のための左翼思想&運動史入門”的な『良いテロリストのための教科書』が、左派・リベラル派方面からは“ヘイト出版社”として悪名高い青林堂から刊行される。上京して連日、販促街宣。
東京・高円寺の「パンディット」にて「新著『良いテロリストのための教科書』刊行記念・外山恒一トークライブ」開催。司会・中川文人氏、飛び入りゲスト・佐藤悟志氏。
北九州市のアナキズム系の“インフォ・ショップ”「大都会門司港」にて「新著『良いテロリストのための教科書』刊行記念・外山恒一トークライブ」開催。
前月の第7回合宿参加者らを中心に、歴代の合宿OB・OGら数名が、「合宿中は超過密スケジュールでせっかく大量にある面白そうな本を読む時間さえなかった」と不満を露わにし、ただひたすら本や映像資料を各自それぞれ享受しまくる“自主合宿”を提起、1ヶ月間ほど代わる代わる党本部に常駐して占拠状態。
10月 我々団を現地実行委員会の主力とする6回目の(我々団が主力でなかった初回から数えると8回目)の劇団どくんご福岡公演。
上智大学新聞に外山が「“ファシスト”が切る民主主義」寄稿。
11月 文京区民センターで「外山恒一トークライブin東京」開催。
12月 名古屋の“政治とセクシュアリティの酒場”「Queer+s」にて「外山恒一を囲んで飲む会」開催。
京大熊野寮にて「外山恒一トークライブ」開催。参加者70名ほど。
2018年
1月 福岡の数名の“反原発右派”の一員である岸塚由将氏が、突如として福岡市近郊の糸島市議選に立候補し、唐突すぎて供託金返還ラインを超えるのも危ういと思われたので、党を挙げて急遽支援に入る。他にポスター貼りのボランティアなどは1人もおらず、選挙戦序盤の3日間、外山・山本・東野のほぼ3人だけで248ヶ所の全掲示板にポスターを貼って回ったのを手始めに、“面白”でいいからとにかく岸塚氏の名前を人民に浸透させようと、藤村修氏ら他の福岡“反原発右派”の面々や、反原発で共闘している福岡の「しばき隊」リーダー・入江亮氏らも誘い、我々団の街宣車で糸島市内を走り回った。選管に登録した選挙カーではないため岸塚氏への投票を呼びかけることができず、当初こそ苦心したが、これまでの「原発推進派ほめご…キャンペーン」や「ニセ選挙運動」で培ってきたアクロバット技法をフル活用して、「原発反対の岸塚由将君を勝手に応援している謎の一団です。勝手に応援しているだけなので法律的に云ってはいけないNGワードがたくさんあります。岸塚君は超真面目な原発反対派です。何かの参考にしてください。何かとは何か、忖度してください」を定番フレーズに、「原発反対の岸塚由将君に何とぞ皆様の清き忖度を!」、「高校生の皆さん、すでに忖度権を持っている人は忖度を、まだ忖度権のない人はご両親に忖度してもらってください!」などとみるみるエスカレート、最下位落選すら回避して、めでたく供託金奪還を勝ち取る。
京都の“社会派”劇団「笑の内閣」の『ツレがウヨになりまして』福岡公演でのアフタートーク・イベントに外山が出演(ただしかなり批判的に論評)。
3月 党本部にて、学生限定の第8回「“春休みで差をつけろ!”教養強化合宿」開催。北大4・東北学院大・信州大・上智大・早大2・慶大・成蹊大・中大・岐阜大・立命館2・神戸大・近畿大、そして半ばスタッフ側の群馬女子大OGの計18名の参加でほぼ学級崩壊状態に。合宿後に「北大・鬼の会」を結成する素朴な左派系の北大生らが、正統派の反体制右翼として活動する信大のT君に興味津々で、まるでT君が右翼代表のように毎日深夜まで質問責めに遭う展開となっていた。期間中に突如として来福した佐藤悟志氏を囲んでの緊急交流会も。最終日の歓送会を起点に、高瀬萌ら前回合宿の参加者を中心とするOB・OGらによる“自主合宿”がおこなわれる。
4月 素人の乱の山下陽光氏の兄・大介氏が長崎市で運営する、パンク系の?託児所「菫舎」で開始されたトーク・イベントのシリーズ企画「菫夜講」の第1回ゲストとして外山が呼ばれる。
5月 第8回の外山恒一賞を「受賞者なし」とする。
京大吉田寮で「外山恒一トークライブ」開催。参加者数十名。
6月 「大衆酒場ソクラテス」にて「外山恒一を囲んで飲む会in新潟」開催。
第8回合宿に参加した北大生グループが中心となって企画した、北大構内での「外山恒一トークライブ」に130名以上が参加。
札幌の宮沢直人氏が外山を招聘して参加資格限定なしの「教養強化合宿・出張版」を開催。参加者数名。
北海道からの帰路、「外山恒一を囲んで飲む会in仙台」を急遽呼びかけるも、第8回合宿に参加した東北学院大生を含め参加者2名。
第3回合宿OGの通称“エログロさん”らが運営する「たむろ荘」で「外山恒一トークライブin群馬」開催。
7月 文京区民センターで「外山恒一トークライブin東京」開催。
合宿出身者らが中心となって企画した早稲田大学でのスガ秀実氏と外山の対談イベントが、来場者270名以上の大盛況。
8月 党本部にて学生限定の第9回「“夏休みで差をつけろ!”教養強化合宿」開催。京都工芸繊維大・立命館大・一橋大・聖学院大・亜細亜大・九州大・東京工業大2、さらに高校生1名ずつの計9名が参加。終了と入れ替わりにOB・OGたちの“自主合宿”が始まり、現役参加者もそのまま5名もしばらく居残るなど、みな向学心旺盛。
9月 外山の新著『全共闘以後』刊行。
文京区民センターで、『全共闘以後』刊行記念イベントを兼ねて「外山恒一トークライブin東京」開催。
東京・高円寺の「パンディット」で、『全共闘以後』刊行記念トークライブ開催。外山と中川文人氏・佐藤悟志氏・山本夜羽音氏での座談会形式。
東京・田原町の書店「readin'writin'」にて、菅野完氏と外山の対談形式で『全共闘以後』刊行記念トークライブ開催。
発売後1ヶ月と経たないうちに『全共闘以後』が回収となる。“主人公”格で言及がある90年前後の反天皇制グループ「秋の嵐」の、残党グループからの抗議文に版元が慌てたためだが、“事実誤認が多い”ことを口実にされる
元・連合赤軍兵士の植垣康博氏が経営するスナック「バロン」にて、「外山恒一を囲んで飲む会in静岡」開催。
名古屋の書店「ビブリオマニア」にて、『全共闘以後』刊行記念トークライブ開催。合宿出身者で宗教学者の栗田英彦氏のコーディネートにより、外山のトーク・イベントとしても過去最高水準の内容となる。が、台風直撃の当日で来場者数名。
10月 合宿出身の京大生や同OB・OGらの主催で、京大熊野寮にて、スガ秀実氏と外山の対談形式での『全共闘以後』刊行記念トークライブ開催。
11月 『週刊読書人』に、『全共闘以後』刊行を記念しての外山、スガ秀実氏、若きドキュメンタリー映画監督の佐藤零郎氏の鼎談掲載。
2014年以来、しょっちゅう滞りつつも月刊ペースを維持してきた外山の“活動報告誌”『人民の敵』の刊行が、『全共闘以後』の執筆や校正の作業や刊行後の販促イベントなどの連続で、いよいよ“不定期刊”化の様相を呈する。しばらくのち、すでに一部読者から購読料を受け取っている第53号(本来は2019年3月刊行の号)まで何年かかっても刊行することを約して、終刊を表明。
批評家の東浩紀氏が運営する五反田の「ゲンロンカフェ」にて、外山と白井聡氏の対談トーク・イベント「永続敗戦と全共闘以後」開催。外山のゲンロンカフェ初登場であり、『全共闘以後』の刊行を機としての、著名言論人との“十番勝負”の第1回目という位置づけだったが、直後にゲンロンカフェ運営に内紛が発生し、場の存続自体が一時は危ぶまれるという状況となって、第2弾の計画を立てることができず、そのまま“十番勝負”の企画は流れてしまう。
12月 発売されるや回収となっていた『全共闘以後』が“改訂版”として復刊
福岡音楽シーンの重鎮・ボギー氏が主催する年末恒例イベント「40人(1人1曲)弾き語り忘年会」に外山が3度目の出演。真島昌利「アンダルシアに憧れて」の完全コピーを披露。
2019年
1月 東京・高円寺の「パンディット」にて、劇作家・岸井大輔氏、演出家・羽鳥嘉郎氏、そして外山の鼎談イベント「全共闘以後の運動と演劇史の転回」開催。
2月 現役学生限定で「外山恒一を囲んで飲む会in東京」開催。
名古屋の書店「ビブリオマニア」にて、「名古屋アナキズム研究会」の主催で、『全共闘以後』“改訂版”刊行記念トークライブ「アンティファはなぜダメなのか?」開催。
3月 党本部にて、学生限定の第10回「“春休みで差をつけろ!”教養強化合宿」開催。北大・高崎経済大・早大・同志社大・京大・阪大・九大・熊本大、そして関西の浪人生と高校生の計10名参加。最終日の歓送会を起点に、例によって合宿OB・OGらによる“自主合宿”がおこなわれる。
4月 地元にちっとも根づけない状況を打開せんと第1回「外山恒一トークライブin福岡」開催。ほぼ身内しか集まらず、単なる“外山恒一を囲んでダベる会”となってしまう。
5月 公園のベンチなどの“ホームレスよけ”の仕切りなどを壊してまわっている感心な若者に第9回外山賞を授与。無粋な法律的には器物損壊にあたる行為なので、受賞者の氏名は伏せられた。
『週刊読書人』で、外山がおこなった70年代(全共闘運動終焉後)の東大ノンセクト活動家・森田暁氏への長編インタビューの連載はじまる。
6月 外山が「note」で有料コンテンツの公開を開始。しばらくは紙版『人民の敵』に掲載してきたコンテンツのバラ売りを主とする。
7月 朝日新聞社系の「web論座」に、外山が「私は引き続き、選挙などには一切期待しない」を寄稿。
新左翼論壇誌『情況』夏号に、外山が「選挙じゃ何も変わらない」(外山が提示したタイトルは「人民を黙らせよう」)、山本が「シン・フェイン文学」を寄稿。他に、合宿出身者らが担う「早稲田アナキズム研究会」が、さまざまなグループにインタビューする「謎の団体を解剖する!」の連載開始も。
第2回「外山恒一トークライブin福岡」開催。単なる雑談会となってしまった前回の反省をふまえ、外山が日々おこなっている現代史研究の最新成果を、人が集まろうと集まるまいと、来場者の平均的関心がどのあたりにあろうと、おかまいなしに一方的に発表する場とする。……と決意した途端に誰だか分からない新顔がチラホラ混じった計10名ほどの聴衆を相手に、かまわず、冷戦が第3次大戦であり、現在進行形の反テロ戦争が第4次大戦であって、1914年以来ほぼ一貫して世界は戦時下にあるという認識を滔々と論じる。
8月 党本部にて学生限定の第11回「“夏休みで差をつけろ!”教養強化合宿」開催。筑波大・明海大・早大・東京海洋大・岡山大・山口大、さらに中学生1名の計7名が参加。例によって合宿終了と入れ替わりにOB・OGたちの“自主合宿”が始まる。
外山と関わりが深い「名古屋アナキズム研究会」の界隈で結成され、山本・東野らの反芸術運動や大阪の「トラリー・プロジェクト」などとも連携していた、“超芸術”なる理念を掲げる「なごやトリエンナーレ」による「あいちトリエンナーレ」への介入行動で、「ほめご…」や「ニセ選挙運動」で街宣にも参加した室伏良平氏が逮捕され、我々団の党員たちもそれぞれの方法で救援に関わる。ちょうど「あいトレ」には少女像云々などでバカウヨからの脅迫が相次いでおり、マスゴミは早合点で室伏氏の逮捕もその文脈でデマ報道したため、外山が事件の真相を明らかにする長文の解説をネットに発表したところ、「はてなランキング」のトップ記事となるなどの好評を得る。
「なごやトリエンナーレ」主催のトークイベント「アート・反アート・現在・たぬき」で、山本・東野が千坂恭二氏と共に登壇。
山本・東野が『メインストリーム』第5号を刊行。2016年3月刊行の第3号以降の、スイス大使館主催“ダダ100周年”記念コンペを唯一の例外的な成功事例としつつ、“街おこし”アート・イベントなどへの批判的介入の試みの失敗の数々を詳細にレポート。
9月 劇団どくんごのツアーに役者として参加したことがあるメンバーが複数在籍し、どくんごに感化されて初めてのテント旅公演に挑戦した京都の劇団「ベビー・ピー」の福岡公演と長崎公演に、外山が現地スタッフとして参加。
福岡市天神・親不孝通りのバー「BingoLove」で外山の弾き語りライブ開催。
10月 2009年の劇団どくんごのツアーに参加した役者らが中心となって結成した京都のテント旅劇団「マタヒバチ」の初めての北九州公演に、外山が現地スタッフとして参加。
山本太郎氏の九州遊説ツアーの一環としておこなわれた、熊本市での街頭演説に際して、現地スタッフ団体からの要請で、街宣車の初代所有者でもある当地の反原発派のコワモテの右翼青年と共に、外山が“警備員”として周辺の不審者に目を光らせる。
11月 第3回「外山恒一トークライブin福岡」開催。来場者3名。前回に引き続き、外山が日々おこなっている現代史研究の最新成果を、人が集まろうと集まるまいと、来場者の平均的関心がどのあたりにあろうと、おかまいなしに一方的に発表する場とし、左右の異端派の結集としてのファシズム運動の成立から現在までを滔々と論じる。
我々団を現地実行委員会の主力とする7回目の(我々団が主力でなかった初回から数えると9回目)の劇団どくんご福岡公演。
12月 動かなくなったので街宣車を廃車にする
福岡音楽シーンの重鎮・ボギー氏が主催する年末恒例イベント「40人(1人1曲)弾き語り忘年会」に外山が4度目の出演。マリス・ミゼル「月下の夜想曲」の完全コピーを披露。