年譜(その1)から続く

我々団 年譜(その2)
“3人党”時代
この時点で党員は、入党順に外山恒一・山本桜子・東野大地・眞壁良輔・嶋明の5名となっているが、“来る者は拒まず”の方針の結果として、そもそもファシストを自称してよいだけの内実を獲得しえていないのに党員として遇された、具体的には眞壁と嶋は、以後も一切、活動において積極的役割を果たさない(何か役割を担わせようと外山が命じた「我々団TV」の運営・司会の任務も眞壁には荷が重すぎて、やればやるほど党の評価を下げるだけだったことは、奇特にも視聴していた諸君には改めて説明するまでもなかろう)。嶋は2015年8月に、眞壁は2017年12月に、それぞれ党を除名となるが、実質的には最初から“3人党”の時代である。
2012年
5月 熊本で2月におこなわれた山本太郎講演会の打ち上げ交流会で知り合った右翼青年の仲介で、元々はその青年が所有していたというワゴン車タイプの街宣車を、熊本の右翼団体から格安で譲ってもらい、「日教組を撃滅しましょう」などと書かれていたイカニモ右翼なそれを早速「反原発右派」街宣車に改変する。
6月 全国13ヶ所(鳥取・岡山・大阪・京都・群馬・富山・新潟・仙台・札幌・松本・水戸・静岡・名古屋)で「外山恒一を囲んで飲む会」を開催してまわる“全国ツアー”を翌7月にかけて敢行。入手したばかりの「反原発右派」街宣車での外山の一人旅。
「外山恒一を囲んで飲む会in新潟」の参加者に“2次会”として連れて行かれた「大衆酒場ソクラテス」に仰天。探せば各地にこういうヘンな飲み屋はあるんじゃないか、そういう場所を開拓しまくれば各地に活動の足がかりを作れるのではないか、と以後さんざん展開される外山の“飲み歩き”開始の契機となる。
首相官邸前での反原発行動の参加者が万単位になり始めたタイミングで、外山はたまたま「劇団どくんご東京公演」を全ステ観るために東京滞在中だったので、抗議行動の時間に合わせて官邸周辺をピストルズとブルーハーツを大音量で流しながら街宣車ドライブし、人民の喝采を浴びる。
山本・東野が『メインストリーム』2.5号を刊行。ほぼ何も掲載されていない冊子。
7月 山本・東野が福岡市主催の公募展「まちなかアートギャラリー」に介入した顛末をまとめた『メインストリーム』別冊『l'art pour l'art』を刊行。
外山が全国ツアーの合間に始めた“各地の怪しい飲み屋”探訪の延長で、元連合赤軍兵士・植垣康博氏が静岡市内でやってるスナック「バロン」を初めて恐る恐る訪ねてみる。以後、静岡に寄るたびになるべく訪ねるようになる。
8月 全国ツアーの次は全九州ツアーを、全国ツアーとは違いきちんと会場を設定した上で敢行しようと、まず会場探し、続いて事前情宣のために、本番と設定した10月半ばまで、九州各地のサブカル的・アングラ的な飲み屋や喫茶店を、外山自身が九州じゅうを何周もしながら訪ね歩く。
山本・東野が福岡市主催の公募展「まちなかアートギャラリー」介入の試みを断念し、「敗北宣言」を発する。
10月 動画中継「我々団TV」をまずは試験的に月1回、第一月曜の夜にニコニコ生中継で開始。
「外山恒一トークライブin九州8都市」敢行。
11月 前年に引き続き我々団とBARラジカルを事実上の現地実行委員会として「劇団どくんご」福岡公演。
12月 衆院選にて原発推進派候補の選挙カーを街宣車で追い回す、一種の落選運動「原発推進派懲罰遠征」を外山・山本・東野の3名で敢行。
外山のかつてのストリート・ミュージシャン仲間がやってる福岡市東区のライブ・バーで、やはり初期のストリートミュージシャン仲間である林吾郎氏のユニット「パプリカ」主催のライブに、日本破壊党時代の同志・藤田進也氏と共に外山出演。以後、「パプリカ」主催のライブ出演を翌年9月まで計4回。
東京・高円寺「素人の乱12号店」にて「原発推進派懲罰遠征・凱旋トークライブ」。
2013年
1月 80年代末に富山の若者たちが出してた謎の社会派ミニコミ『へそ』の中心人物・野上明人氏を、外山が東京からの帰途、急遽訪ねる。この時のインタビュー記録は、のち『デルクイ02』に掲載。
反原発活動家の“ざらすとろ”こと大門裕氏が熊本県宇城市長選への出馬を画策するも告示日当日に断念、出てないのに選挙期間中に選挙カー状の街宣車を使用し選挙運動ふうの振る舞いに及ぶことに。街宣車を貸し出し、東野が運転手として協力。またこれに先立って熊本市内で山本太郎氏・大門氏・外山の鼎談イベントが開催された(内容的には失敗)。
関西大学の政治思想ゼミの合宿に外山がゲスト参加。
2月 Ustreamにて毎週月曜夜「我々団TV」を放送開始。司会・眞壁良輔。
素人の乱の二木信氏がヒップホップ批評家として『しくじるなよ、ルーディー』を刊行し、その福岡での販促活動の1つとして現代美術系ギャラリーで二木氏と外山の対談イベント。
4月 『デルクイ』のライバル誌?『イチゼロ』第3号刊行記念トーク・イベントが京都で開催され、同誌編集長・早見慶子氏、統一戦線義勇軍・議長で東京での「右からの脱原発デモ」主催でもある針谷大輔氏と共に外山も壇上に。併せて開催された「右からの脱原発デモin京都」にも参加。
5月 いつかきっと名誉ある第3回外山恒一賞を、数年来“向かうところ敵なし”の破竹の快進撃を続けてきた在特会に初めてまともに対峙しえた東京の「レイシストをしばき隊」に授与通告。
6月 福岡の音楽シーンの重鎮・ボギー氏が主催するイベントに、外山が間接的に(面識もないまま人づてに紹介されたのを)紹介する形で飛び入り出演した伊藤優雅なる東京のクズ野郎が不義理を働き、激怒した外山が自らこのクズ野郎の徹底弾圧に乗り出して(伊藤のユニット名「イルゼとマーゴット」で検索するとこの騒動が上位に表示され、例えば初めてライブの打診を受けた店のスタッフが伊藤のことをちょっと調べればお断りすることになるだろうような環境をととのえて)、“芸術弾圧機構”を標榜する党員の山本・東野に党首としての範を示す。同じ福岡で長きにわたって特異な活動をそれぞれ続けてきた外山とボギー氏は当然、互いにその存在を認識しつつ、実は互いにあまりいい印象を持っておらず、このイベントの打ち上げで初めて対面したのだが、怒りの対象をいきなり共有したことであっというまに意気投合し、以後近しい関係となる。
前年に引き続き“外山恒一・全国ツアー”を敢行。まずは“夏の部”として翌月にかけて京都・群馬・松本・富山・新潟・仙台・札幌・青森の8ヶ所を前年同様、街宣車での一人旅で回る。合間をぬって前年8月以来九州各地で展開している「サブカル的・アングラ的な飲み屋や喫茶店の開拓」を全国規模に拡大実践。
外山が重要文書「学生運動入門」を発表。
山本・東野が福岡で開催された文学フリマ「ポエイチ」に参加。
ハートピア京都で「外山恒一トークライブin京都」開催。
マック赤坂氏を主人公とし、外山も脇役出演しているドキュメンタリー映画『立候補』が公開されるが、この作品をまったく評価していない外山は、やがてプロデューサー氏の熱心な勧誘に屈して仕方なく観るまでの約1年間にわたって完全黙殺。
7月 関西大学の政治学の授業に外山がゲスト出演。
全国ツアーの途中で参院選が始まったため、外山もツアーの合間をぬって、前年末の「原発推進派懲罰遠征」とはまた角度を変えた“異端的反原発運動”の実践として、「こんな国はもう原発で滅ぼしましょう。自民党の皆さん、原発推進これからも頑張ってください」と勝手に応援街宣して回る「自民党ほめご…いや大絶賛キャンペーン」を、ツアー行程の北陸から東北・北海道にかけて展開。『朝日新聞』がこれを面白がり、7/29付朝刊のオピニオン欄で紙面の上半分をさいて外山インタビューを掲載した。
北海道クリスチャンセンターで「外山恒一トークライブin札幌」開催。
9月 翌月にかけて“外山恒一・全国ツアー”の“秋の部”を敢行。東京・松本・宇都宮・甲府・静岡・浜松・長野・名古屋・奈良・大阪・神戸・岡山・松江・広島の14ヶ所。
文京区民センターで「外山恒一トークライブin東京」開催。
法政大学で外山恒一講演会を開催。
長野県松本市で開催された野外フェス「りんご音楽祭」に外山が2曲の弾き語りとトークで出演。それなりに大規模なイベントで、「UAと共演」と強弁できなくもない。
外山が自身のtwitterフォロワーの学生たちに「実体の有無に関わらず『○○大学アナキズム研究会』のアカウントを立ち上げ、全国各地のたくさんの大学に“アナ研”が存在してる(かのような)状況を作り出して革命ムードを醸成せよ」と呼びかけたところ、本当に数十もの大学でアナキズム研究会が結成された(かのようである)。
10月 Facebook内に、左右の学生活動家の交流を図るグループ「両極学生戦線」と、外山恒一の存在と主張を“布教”するための全国ネットワーク「我々少数派」とを立ち上げる。
11月 外山・山本・東野ら我々団メンバーを現地実行委員会の主力とする3回目の(我々団が主力でなかった初回から数えると5回目)の「劇団どくんご」福岡公演。
前年に引き続き鹿児島大学の憲法学の授業に外山がゲスト出演。
外山が事実上の編集長を務める反体制右翼マガジン『デルクイ』第2号が、左右混淆反体制マガジンと副題?を変え、創刊号から2年半ぶりに刊行。
山本が福岡憂国忌(三島由紀夫忌)に参加。
12月 九州8都市(各県庁所在地+小倉)で、スガ秀実氏の時評エッセイを外山の解説つきで講読する学習会を開催。
東京で『デルクイ02』刊行記念イベント。外山の司会で、第1部の“座右そしてファシズムの未来を担う若手活動家たち”鼎談には東野、第2部の『デルクイ』執筆陣大放談会には山本も登壇。
朝日新聞社系のニュース・サイト「ハフィントン・ポスト」に外山へのインタビュー記事掲載。
東京で毎月おこなわれている「右からの脱原発」デモに外山・山本・東野が参加。
2014年
1月 北九州大学の政治学の授業に外山がゲスト出演。
翌月にかけての東京都知事選で、外山と山本が、前年の参院選に引き続き、原発推進派候補である舛添要一氏と田母神俊雄氏を対象とした「ほめご…いや大絶賛キャンペーン」を展開。一般からも街宣車に乗り込んで「ほめご…」を“体験学習”したい者を募った結果、連日数名の若者たちが代わる代わる参戦しては“大喜利大会”を繰り広げた。
前年に引き続き関西大学の政治思想ゼミの合宿に外山がゲスト参加。
2月 都知事選での「ほめご…」街宣の合間に、『美術手帖』誌と『ユリイカ』誌の編集部が入っているビルの前で、「現代日本を代表する前衛美術家・外山恒一を特集せよ!」と“独りシュプレヒコール”をやる「現代美術懲罰遠征」街宣(別名“威力営業”)を試験的に敢行。
ダンス批評家で群馬女子大教員の武藤大祐氏が主催した福岡でのアート・イベント?「野良」に外山が出演し、敢行したばかりの都知事選での「ほめご…」キャンペーンについて報告トーク。
『デルクイ』執筆陣の1人でもあるファシスト“東の総統”佐藤悟志氏が我々団本部を訪れ、佐藤氏を囲む交流会を開催。
3月 前々年来の、九州各地のサブカル的・アングラ的なBARを探訪して回る活動の過程で知り合った宮崎在住の無名の天才ボーカリスト・水永康貴氏の存在を少しでも広めようと、外山が福岡でのライブを企画主催。
九州電力本社前で反原発行動を日々展開している右派グループの数名と外山が謀議した結果、「川内原発再稼働を阻止するための恐ろしいインボー」が生まれる。
4月 山本太郎氏が立ち上げた反原発政党「新党ひとりひとり」から衆院・鹿児島2区補選に立候補した有川美子候補の選挙運動に外山・山本が献身。むろん「選挙全否定」の立場を放棄したのではなく、「川内原発再稼働阻止の恐ろしいインボー」の同志発掘のための行動である。
外山が会場交渉を担当し、水永康貴氏の鹿児島でのライブ開催。
5月 引き続き外山が頻繁に鹿児島入りし、「川内原発再稼働を阻止するための恐ろしいインボー」を推進。
そのうちグラミー賞より権威ある予定の第4回外山恒一賞を、グラミー賞受賞予定の宮崎の無名の天才ボーカリスト・水永康貴氏に授与通告。
山本・東野が朝日新聞の“右傾化する若者たち”特集に関連して取材を受けるが、紙面登場には至らず。
前月から外山が会場確保と宣伝に奔走し、「劇団どくんご」の大分市での初公演が実現。
6月 我々団本部にて“3昼夜ぶっ通し交流会”開催。のべ30数名が参加。
東野が、真壁らが運営する福岡市内のシェアハウス「BUMBO福岡」にて、「現代美術入門講座」を開催。
外山・山本と、西南大アナキズム研究会主宰の学生の計3名で、原発立地自治体である鹿児島県川内市にて「原発は覚醒剤と一緒です。生活が苦しいから早く原発を動かしてほしいというのは典型的なシャブ中の禁断症状です」という“説教街宣”、および周辺市町の田園地帯にて「川内原発で何かあれば、鹿児島の野菜は食うな、米は食うなと云いふらして回るつもりです」という“恫喝街宣”を敢行。
引き続き「川内原発再稼働阻止のための恐ろしいインボー」のために奔走しているため前々年・前年から大幅に規模縮小して「外山恒一・全国ツアー2014」を翌月はじめにかけて敢行。大阪・群馬・東京・京都の4ヶ所で“トークライブ”や“飲み会”を開催。
文京区民センターで「外山恒一トークライブin東京」開催。
東京・美學校が外山をゲストに迎えてトーク・イベントを開催。「ヨーゼフ・ボイス ナイト」と題して、現代美術の文脈で外山の活動に光を当てる、ありそうで全然なかったイベント。
7月 京都・同志社大学にて「外山恒一トークライブ」。アナキズム研究会の学生らが宣伝に奔走し、約170名の来場。
外山、4月以来の「川内原発再稼働を阻止するための恐ろしいインボー」から、“笛吹けど踊らず”で“空回り気味”だと敗北宣言して事実上の撤退。
千坂恭二氏が大阪で毎月開催している学習会、および近畿大学での千坂氏とスガ秀実氏の対談イベントに、外山・東野が参加。
8月 東野が福岡市内のシェアハウス「BUMBO福岡」にて、第2回の「現代美術入門講座」を開催。
翌月からロンドンへ居を移す水永康貴氏の“最後のライブ・ツアー”を外山がセッティングし、熊本・福岡・鹿児島の3都市4会場でライブ開催。
党本部にて“現役学生限定”の第1回「“夏休みで差をつけろ!”教養強化合宿」開催。毎日“9時5時”の詰め込みキョーイクによる、一言(?)で云えば“マルクス主義をふまえた新左翼運動史をふまえたポストモダン思想の入門”の7泊8日の講義。日大2、高千穂大、総合研究大学院大、京大、関大、阪大、西南学院大、浪人生など11名が参加。西南大アナキズム研究会・議長のムッツリーニ君は以後ますます活躍、日大のS君もやがて東京での「男たちの脱原発デモ」でコーラーを務めるなど、初回から優秀な人材を輩出。
9月 東野が福岡市内のシェアハウス「BUMBO福岡」にて、第3回の「現代美術入門講座」を開催。
宮崎市で16年ぶりに復刊された、宮崎なんぞで作られてるとは思えない超ハイ・レベルなサブカルチャー系ミニコミ誌『サルママ』第5号に、外山が「反原発運動はカッコ悪い」を寄稿。
外山が鹿児島での“川内原発再稼働阻止”の反原発集会に参加。
10月 外山が、定期カンパで活動を支えてくれる人向け限定の月刊の活動報告誌『人民の敵』を創刊。創刊号のコンテンツは、佐藤悟志・大石規雄・山本和幸の3氏との“極右座談会”と、笠井潔・スガ秀実・千坂恭二の各氏との対談という、超豪華なもの。
長渕剛を運動の先頭に立たせようという、外山が鹿児島で可能性を追求して挫折した「川内原発再稼働を阻止するための恐ろしいインボー」が東京に飛び火して、大石規雄氏を中心に、佐藤悟志氏、中川文人氏らが主軸となって、先頭に日の丸を掲げた“長渕オンリーのサウンドデモ”である「男たちの脱原発デモ」が敢行される。庶民の街・浅草を出発し、鹿児島のもう1人の“反体制右派”の英雄・西郷隆盛像前(上野)をゴールとする。もともと外山のアイデアであることを隠すためにも外山は参加せず、ストリート・ミュージシャンとしての経験を活かした選曲でのみ関与。かの高名な“長渕系アナキスト”栗原康氏も参加していたことが、のちに判明。
前々年・前年に引き続き鹿児島大学の「政策学特殊講義」に外山がゲスト出演。
11月 我々団を現地実行委員会の主力とする4回目の(我々団が主力でなかった初回から数えると6回目)の「劇団どくんご」福岡公演。ようやくの“ほぼ満員”を達成。
12月 東京で第2回「男たちの脱原発」デモ。外山が先導の街宣車の提供と運転を担当。“長渕系アナキスト”の栗原康氏もデモ隊の一員として1回目に引き続き参加。
文京区民センターで「外山恒一トークライブin東京」開催。
演劇研究者の寺尾恵仁氏が主催した、慶應大学三田キャンパスでのシンポジウム「越境者の身振り 政治と演技」に外山がパネリストとして登壇。パネリストは他に高橋宏幸氏と日置貴之氏。
津田大介氏が運営する政治情報サイト「ポリタス」の総選挙特集に外山が「『良識ある不良市民』は議会政治の枠外で『横議・横行・横結』せよ!」を寄稿。
外山が石川県金沢市の「メロメロポッチ」でのイベント「表現と政治」に出演。
飲み屋「たこ焼きマーガレット」で「外山恒一を囲んで飲む会in大阪」開催。
九州電力本社前で毎週おこなわれていた「右から九電前抗議」に、東京から「右から考える脱原発ネットワーク」の針谷大輔氏が参加。我々団を含め福岡の“反原発右派”が総結集。
2015年
2月 東京で第3回「男たちの脱原発」デモ。前回に続いて外山が先導の街宣車の提供と運転を担当。
高円寺で「外山恒一を囲んで飲む会in東京」開催。
3月 あまりにもストレートな政治ソングばかり自分で作詞して歌うようになっている沢田研二氏の反原発ソングに、小学生時代からの熱烈なジュリー・ファンである外山が、“もっとちゃんとした歌詞”を勝手につけ直して、弾き語り動画形式で発表。
党本部にて第2回「“春休みで差をつけろ!”教養強化合宿」開催。告知が遅れたため参加者わずか3名ながら、内訳は東大・京大・早大という超高学歴合宿となる(講師の外山は当然もっと圧倒的に高学歴で、高校中退)。参加者の1人で「サークルクラッシュ同好会」の主宰として有名な京大のホリィセン氏が、以後毎回のように自身の周辺の京大生を送り込んでくるようになる。
4月 「ニセ選挙運動」を展開。福岡市議選で大量の選挙カーが街を走り回る中、「九州ファシスト党公認候補 外山恒一」と大書した街宣車で、もちろん正式の立候補などはしないまま、「外山、外山でございます」などと“いかにも”な選挙口調で棄権を呼びかける。スローガンは「目指せ投票率ゼロ%!」。我々団の党員たちはもちろん、志願して参加した非党員たちもマイクを代わる代わる握って街宣車内は連日の“ニセ選挙大喜利”状態に。当初想定していた以上の盛り上がりに、統一地方選後半も九州各地に遠征して続行。
産経新聞のwebサイト「iRONNA」の統一地方選特集に外山が「“選挙に強い泡沫候補”はすべて計算ずくのことである」を寄稿(外山の提示した原題は「“選挙に強い泡沫候補”として」)。
首相官邸の屋上に“放射性物質”(単に福島で採取した砂)を搭載したドローンが放置されていた事件にインスパイアされた外山が、政府が安全だと云ってる福島の砂や水を官邸や自民党本部の周辺や原発立地自治体の農地などに、「再稼働諦めますと奴らが降参するまで」大勢で少しずつバラまき続ける作戦を人民に提起。
5月 第5回外山恒一賞を、宮崎の超ハイ・レベルなミニコミ誌『サルママ』編集部に授与通告。
原発問題をテーマに各地で公演を続けている広島の大槻オサム氏と北九州の谷本仰氏の演劇的パフォーマンス「ホシハ チカニ オドル」の熊本公演で、外山がアフター・トークのゲストに呼ばれる(ただし批判的に論評)。
6月 党本部にて東京のファシズム結社「青狼会」総統の佐藤悟志氏を囲んで飲む会。この佐藤氏来福に際して、福岡の反原発右派の面々と反ヘイトスピーチの面々との間で諍いが生じていたことを知った外山が、この諍いを煽っていたとも云える野間易通氏への徹底批判をおこなう必要を痛感する。
関西大学の政治学の授業に外山がゲスト出演。
7月 「カフェ天Q」で「外山恒一トークライブin京都」開催。
党本部を文芸批評家・鎌田哲哉氏が訪れ、外山・東野・眞壁と交流。
外山が原稿用紙70枚分超の大論文「野間易通 徹底批判」公開。
地元であるはずなのに少しも根づけていない福岡市内で、ときおり街宣車を走らせる“日常街宣”を開始。「あなたの街のテロリスト、会いにくるテロリスト、〈我々団〉です」、「怪しい者ではありません、単なる平凡な過激派です」、「爆破したいぐらい原発が嫌いです」などの傑作フレーズが次々と生まれる。
熊本でおこなわれたシールズ系の“若者デモ”を外山が沿道から視察。
福岡でおこなわれたシールズ系の“若者デモ”を外山が沿道から視察。
8月 党本部にて、学生限定の第3回「“夏休みで差をつけろ!”教養強化合宿」開催。福井県立大、群馬女子大、京大、阪大、熊本大などから計9名参加。もともと熊大エスペラント研究会を率いていた“反韓反日”の韓国人アナキスト学生・準君はのち2年間の兵役を経て以降も軟弱日本人学生を率いて熊大での学生運動再建に情熱を燃やし続け、群馬女子大の通称“エログロさん”はやがてキャンパス至近に一軒家を買って(土地つき計30万円!?)イベント・スペースを開設するなど、引き続き超優秀な人材を輩出。
教養強化合宿の最終日の“課外授業”も兼ねて、「8・15特別企画」と称し、「戦争の記憶を風化させるな!」「今こそ若者たちに語り伝えたいあの戦争」のスローガンを掲げて、68年の世界革命戦争について語り倒してもらう「過激思想家・千坂恭二氏を囲んで飲む会in福岡」を党本部にて開催。合宿参加学生9名を含め総勢30名以上の大盛会。
嶋明を除名処分とする。嶋は「『ファシズム』を信奉してはいるが、氏はまったく自己流の『ファシズム』解釈をしており、それは九州ファシスト党〈我々団〉のそれと9割以上不一致で、氏が党員として(ツイッターなどで)『ファシズム』を云々することがむしろ党への打撃にしかなっておらず、除名やむなしと結論」と外山が対外的に声明。その後、嶋(@project_AS )がツイッターで外山や我々団をどのようにディスっているかを散見するだけで、除名処分は当然と理解されよう。
外聞をはばかり党本部にてごく小規模に「極悪レイシスト・金友隆幸君を囲んで飲む会」を開催。
9月 福岡市議選でのニセ選挙運動にも参加した演劇研究者・寺尾恵仁氏が、留学先のドイツで“外山恒一の選挙パフォーマンスについて”研究発表。
外山の旧くからの同志である宮沢直人氏の招きにより、外山・山本が翌月にかけて街宣車で福岡・札幌間を往復。札幌では宮沢氏の拠点「ロンデタージョ」にて「外山恒一を囲んで飲む会in札幌」開催。宮沢氏が外山を招いた主な目的は、宮沢氏自身が担った80年代後半の札幌の反原発運動の関係者や、北海道のエスペラント運動の老大家らへのインタビュアーを外山に務めさせることで、それらは『人民の敵』誌に順次掲載された。
10月 「大衆酒場ソクラテス」にて「外山恒一を囲んで飲む会in新潟」開催。
石川県金沢市の「メロメロポッチ」にて、「劇団どくんご」金沢公演スタッフで金沢市議の熊野盛夫氏と外山の対談トークショー。
「KOBA」にて「外山恒一トークライブin広島」開催。
宮崎の超ハイ・レベルなサブカルチャー系ミニコミ誌『サルママ』第6号に、4月に全九州で展開したニセ選挙運動のレポートを寄稿。
11月 大阪ダブル選で「ニセ選挙運動」を展開。外山・山本は17日間ぶっ通しで、後半は東野・眞壁も合流し、全党を挙げての一大キャンペーンとなった。また大阪市内の名物ビル「味園ビル」内で民族の意志同盟・関西支部長の小灘精一氏が運営するスペース「トラリー・ナンド」で、「外山恒一を囲んで飲む会in大阪」を数日おきに開催し、大阪在住の世界最過激思想家・千坂恭二氏もほぼ毎回同席してくれた。
2016年
1月 福岡音楽シーンの重鎮・ボギー氏が主催する「新春即興大会」(ボギー氏の界隈のバンドなどからボーカル、ギター、ベース、ドラム、“その他(キーボードとか管楽器とか)”を4人ずつバラバラに引き抜いて、当日その場でクジを引きで即席バンドを4つ結成させ、完全な即興演奏でそれぞれ30分ずつステージを務めさせるという無茶企画)に外山が“ボーカリスト”としてノミネートされ出演。
外山賞歌手の水永康貴氏がロンドンから一時帰国し、外山が東京1ヶ所と九州6ヶ所(熊本・福岡・長崎・小倉・大分・鹿児島)での緊急ライブをお膳立て(ただし長崎ライブは大雪のため移動できず中止)。
前年11月の大阪ダブル選での「ニセ選挙運動」中に遭遇した“投票率アップ・キャンペーン”の若者グループの醜悪さに激怒して、ただ民主主義に反対するだけでなく、一方で“よりマシな民主主義”のための提起もおこなおうと軌道修正して、独自の「選挙制度改革案」を公開。
3月 山本が東京で知り合った劇作家・岸井大輔氏が党本部に1週間ほど居候することになり、ついでに「岸井大輔氏を囲んで飲む会」を開催。
山本・東野が『メインストリーム』第3号を刊行。これまでの“街おこし”アート・イベントなどへの批判的介入の試み(の失敗)の数々を詳細にレポートする内容。
党本部にて、学生限定の第4回「“春休みで差をつけろ!”教養強化合宿」開催。北大・筑波大・東京理科大・ICU・京大2・同志社大・金沢学院大、そして高校生1名に特別参加の愛知学院大の非常勤講師1名の計10名。その特別参加枠の宗教学者・栗田英彦氏は、その後、京大でスガ秀実氏をメインに据えての公開シンポジウム「1968年と宗教」を主催するなど、たいへん活躍中。
キネマ旬報社から刊行された映画評論集『21世紀を生きのびるためのドキュメンタリー』に、外山が自身も出演している映画『立候補』を全否定モードで徹底批判する文章を寄稿。
第3回合宿出身者で群馬女子大の学生・通称“エログロさん”が群馬県玉村町に一軒家を買う。のちイベント・スペース(シェアハウス?)「たむろ荘」となる。
4月 大阪で路上騒音イベントを繰り返している「トラリー・プロジェクト」が福岡に遠征してきたので、我々団の党員たちも頭数の野次馬として参加。
福岡市内にオープンした“アートハウス”「F家」開設初日イベントとして東野のトークライブ。
熊本の大地震の瞬間にまさに震度7のエリアのコインパーキングに街宣車を停めて寝ていた外山が、翌日の予定のため、交通規制など始まらないうちに熊本を脱出するに際して、(はっきり飲酒運転だが)「こんな緊急事態には、事故さえ起こさなきゃ“事故防止”のための法律なんぞアシゲにしてよいのだ」と堂々たる“犯罪予告ツイート”を発し、非常時の振る舞い方について革命家として人民に範を示す。
5月 藤村修氏ら「右から九電前抗議」の面々と、G7エネルギー大臣会合に合わせた「右から考える脱原発デモin北九州」を共催。先頭の街宣車の看板は「外圧歓迎 先進国大臣ご一行様、原発をやめない愚かな地震大国をキツく叱って!!」。
2011年2月以来の世界一周旅行をツイッターで実況し続けている“たかゆき”氏に第6回外山賞を授与。
6月 文京区民センターで「外山恒一トークライブin東京」開催。
外山も出演している、専修大の学生グループによる2015年度の卒業制作「映画『民意。(仮)』」がYouTubeで公開される。
7月 朝日新聞系のwebサイト『withnews』に外山へのインタビュー掲載。
東京・高円寺のイベント・スペース「パンディット」で、野間易通氏と外山の対談イベント開催。両者は完全なる初対面。司会は元「しばき隊」メンバーで『サッカーと愛国』の著者・清義明氏。
東京都知事選で「ニセ選挙運動」を展開。某誌編集者・織田曜一郎氏による“毎日動画レポート”も敢行される。
外山の新サイト「web版『人民の敵』」開設。ゆくゆくは有料サイトに……という予定だったが、頓挫。
8月 党本部にて、学生限定の第5回「“夏休みで差をつけろ!”教養強化合宿」開催。早大2・東京外語大・日大・滋賀大・阪大・大阪芸大・九州大など計9名が参加。7泊8日は“詰め込みキョーイク”には不充分と考え、“さらに2日延長”の9泊10日コースでの参加も可能とした。
某誌編集者の織田曜一郎氏が、前月の都知事選での「ニセ選挙運動」取材動画を編集し直し、“ダダイズムに触発された作品”として、スイス大使館主催のダダ100周年記念コンペに出品。Facebookに一律掲載された応募作品への「イイネ!」数によって優勝を決めるという安易な企画に、山本と東野が奮起、“投票に行くな!”のニセ選挙運動から一転して“織田作品に投票せよ!”の大キャンペーンを展開し始める。
9月 『週刊SPA!』誌上で外山が“中華主義”を提起し、Yahoo!ニュースなどで大炎上する。
某誌編集者の織田曜一郎氏による、スイス大使館主催“ダダ100周年”記念コンペに出品した動画作品「外山恒一の『ニセ選挙運動』」が、山本と東野が主導した恐ろしいインボーによって優勝してしまう。織田氏は「日本ドイツ文化センター」での表彰式に出席するが、付き添った山本も関係者としてマイクを渡され「我々はファシストで……」を連発、鬼畜米英側に転向した軟弱ドイツ公務員どもを狼狽させる。織田氏は年末に優勝賞品としてのスイス旅行を満喫、山本・東野らは「スイスの政府機関が“ファシズム運動を何ら批判的視点なしに面白がってる作品”を表彰した」ことを国連安保理をはじめ各種国際機関に告げ口して回る、恐ろしいインボーの第2段階に着手。
10月 中国の国慶節に合わせて、外山が中国共産党指導部宛の公開書簡「外山上表文」を発表(中国語版 日本語原文)。
山本・東野が『メインストリーム』第4号を刊行。もはや“党友”ともいうべき某誌編集者・織田曜一郎氏を優勝に導き、山本・東野コンビの“街おこし(国おこし?)”アート・イベントへの批判的介入のほとんど唯一の成功例となった、スイス大使館主催“ダダ100周年”記念コンペをめぐる一連の実践をレポート。
山本・東野が「第2回文学フリマ福岡」に参加し、自身らの『メインストリーム』の他、バッジや、外山のミニコミなどを販売する。
11月 我々団を現地実行委員会の主力とする5回目の(我々団が主力でなかった初回から数えると7回目)の劇団どくんご福岡公演。
山本・東野の『メインストリーム』のサイト開設(創刊以来のサイトはサーバーのサービス停止のため3月に消滅していた)。
山本・東野が、大阪の「トラリー・ナンド」で開催された「反芸術の集い 3DAYS」でトーク・イベント。
ダダイズムを探求している韓国人アーティストのイェン・ノー氏が、氏を招聘した茨城県守谷市の「アーカスプロジェクト」内でのイベントのゲストの1人に外山を指名し、数名の芸術関係者らによるパネル・ディスカッションに外山参加。
12月 劇作家・岸井大輔氏が観光批評家?の陸奥賢氏と共に大阪で何年も続けているという、クリスマス・イヴの21時からクリスマス当日の21時まで24時間ぶっ通しの、なぜか寺でのトーク・イベントで、外山が同イベント史上初めて、24時間ぶっ通しでこれに律儀に付き合ったゲストとなる。
福岡音楽シーンの重鎮・ボギー氏が年末恒例イベントとして何年も続けているらしい「56人(1人1曲)弾き語り大会」に初めて外山が出演し、「青年は仕事をやめる-無職青年社のテーマ-」を披露。

年譜(その3)へ続く