“68年”論・読書ガイド

2018年6月 熊本の劇団「転回社」の機関紙に寄稿

 日本のいわゆる“全共闘”運動を含む、世界中の若者たちが同時多発的に大暴れした60年代末の出来事は、最近では“68年”という年号で象徴するのが国際的な習わしとなっており、したがって今年はその50周年ということになる。当時10代半ばから20代半ばだった“全共闘世代”は、もはや60代後半から70代前半の老人である。
 日本ではこの世代はとにかく評判が悪い。私も彼らの大半、とくに今でも主観的にはココロザシを持続しているつもりの老人活動家たちは醜悪だと思う。が、私は全共闘運動そのものについては全面肯定派である。問題は、それを体験した上で今なお活動家であり続けている者たちのほとんどが実は無自覚に転向しており、その結果、世間一般の全共闘運動に対する印象をますます悪くし、正しい理解を阻む煙幕のような役割を果たしていることだ。

 50年前の若者たちが“愛と平和”を求めて闘った、というのは大嘘である。そういうのは日本の学生運動史でいえば敗戦後すぐから60年代半ばぐらいまでの話だ。“68年”の全共闘運動はむしろ、その種の“ラブ&ピース”なノリのウサン臭さ、欺瞞性に牙を剥いて襲いかかった運動で、だからこそ画期的であり、革命的だったのである。そういう欺瞞に敏感な者は普通は個人主義的なメンタリティを持っているものだから、“ラブ&ピース”粉砕なんてものはまず“運動”化しない。それがどういうわけか、そもそも“一匹狼”的なメンタリティの若者たちが群れをなし徒党を組んで、“ラブ&ピース”とか云ってんじゃねーよ、と大暴れしたのが本当は全共闘運動というものなのだ。
 表面的には“ベトナム戦争反対”とか掲げていて、実はそれをとことん真面目にやってるうちに素朴な“ラブ&ピース”ノリの欺瞞性に自分で気づき、次第にほとんど無目的に、あれもこれも全部気に入らねえとひたすら暴れ始める展開になるのだが、70年代に入って運動の退潮期になると、“68年”にいったん気づいてしまった欺瞞性にはやっぱり気づかなかったことにして、素朴な“ラブ&ピース”ノリに回帰し、オレたちは一貫して“愛と平和”を求めて闘ってきたんだ、と自分をごまかしているのが、主観的にはココロザシを持続しているつもりの老人活動家たちで、やはり醜悪と云うしかない。
 そういうごまかしをしていない、本当に“非転向”の全共闘運動体験者など、まず滅多にいない。存命で、かつ評論活動などで大なり小なり知られている“名のある”元・全共闘活動家に限って云えば、私が知るかぎりそんな者は4人しかいない。

 まず笠井潔である。ミステリ作家として有名だが、思想的な著作もたくさんある。48年生まれで、“68年”にはちょうど20歳。中核派とか赤軍派とかに比べたらだいぶマイナーだが当時はそれなりの存在感があった、プロレタリア学生同盟という過激派組織の指導者だった。当時はもちろん共産主義者だったが、70年代に左翼活動家同士が殺しあう“内ゲバ”事件が頻発したことにショックを受け、“真理の体系”を独占する共産主義思想に基づいて革命運動をやれば必然的にそういうことになるのだと結論づけて、かといって他の多くの全共闘活動家のように穏健リベラル派に先祖返りすることもなく、“共産主義ではない革命思想”を以来ずっと模索し続けてきた偉大な人物だ。後述のスガ秀実が参入してくる00年代初頭まで、ほとんど唯一の“非転向”全共闘論客として、批評界で孤高かつ異端の地位を保っていた。主著は84年の『テロルの現象学』だが、とんでもなく難解な本で、同じテーマを推理小説形式で追求した“名探偵”矢吹駆シリーズなら多少は読みやすいかもしれない。思想書では、90年の『ユートピアの冒険』が“博士と少年”的な対話形式で、例外的に読みやすい。
 それからスガ秀実である。今やほとんど日本を代表する批評家と云ってよかろう。49年生まれで、“68年”には19歳。組織に属さない個人的過激派の集団“ノンセクト・ラジカル”の一員として、学習院大の学生だったのに早大全共闘に参加して活動していた。やはり80年代前半から、主に“文芸批評家”として活躍するようになったが、90年代に入ると『「超」言葉狩り宣言』や『小ブル急進主義批評宣言』などで“68年”についてチラホラ発言し始め、03年の『革命的な、あまりに革命的な』以降はもう、『1968年』や『吉本隆明の時代』など、ひたすら“68年”モノを連発して現在に至る。笠井と違ってもともと批評界の主流の系譜に連なっていたので、影響力もそれなりに大きく、“68年”を軽視してきた日本の三流Fラン批評界をほとんど1人で根底からひっくり返しつつもある。ただしスガの著作もチョー難しい。読みこなすには、思想・哲学のみならず、文学や演劇、映画、美術その他の芸術諸ジャンル、さらにはもちろん左右の反体制運動の歴史に関する膨大な知識が必要で、おそらく文系の大学教員ですら本当に読みこなせている者は極めて稀であるはずだ。
 笠井やスガと比べるとかなりマイナーな存在だが、千坂恭二も数少ない真に非転向の全共闘論客である。50年生まれで、“68年”当時は18歳。“高校全共闘”や“浪人全共闘”を経て、大学へは進まず、関西で結成されたアナキストの組織で活動した。全共闘運動は実質的にはアナキズム運動だったが、その担い手たちの多くは主観的には共産主義者で、したがって当時すでにアナキズムを標榜していた千坂らの組織は最過激派だったと云ってよかろう。71年、つまり21歳で左翼雑誌に評論を書くようになり、“最年少にして最過激”の理論家として知られた。しかし80年代に入るとほとんど左翼メディアにも登場しなくなり、長らく忘れられた存在と化していたのだが、07年頃から突如として再び左翼雑誌などに論文を発表し始め、“隠遁”していた約30年間まったく働かずに自室に引きこもって思索にふけっていたという特異な経歴で、つまり“68年”以来の過激さから転向していないどころか、ほとんどそのままの冷凍保存状態で現代に蘇ってきた怪人物である。72年の『歴史からの黙示』ほどではないが、15年になんと43年ぶりの2冊目の著作として刊行された『思想としてのファシズム』も、“初心者”にはやはり難しかろう。
 最後に呉智英である。46年生まれで、“68年”当時は22歳。60年代半ばから徐々に盛り上がっていく全共闘運動の原型的ないわゆる“プレ全共闘”の典型的な1つとされる66年の早大学費闘争に、やはりノンセクト・ラジカルの一員として参加した。80年前後からサブカル雑誌『宝島』などに思想的・政治的な話題を軽妙に語るポップなエッセイの書き手として頻繁に登場するようになり、人気を博した。主なテーマは左派・リベラル派への揶揄的な批判で、呉の弟子筋の批評家たち(59年生まれの浅羽通明など)に影響を受けた70年前後生まれの世代の一部が90年代半ばからネット論客化しネトウヨの源流となるという、実は呉はいわばネトウヨの祖のような存在なのだが、もともとの呉の左派・リベラル派批判はまさに全共闘・非転向派としての、“ラブ&ピース”とか云ってんじゃねーよ、という苛立ちに立脚しているのだから事情は複雑である。もちろん、笠井、スガ、千坂と違って呉の文章は(真意を読みとれるかどうかはともかく、とりあえずは)非常に読みやすい。代表作は81年の『封建主義者かく語りき』や88年の『バカにつける薬』など。
 とにかく呉以外の3人の著作は難解なので、それらを読みこなすための予備知識を身につけられるような“全共闘入門書”が本当は必要なのだが、今のところそのようなものはない。せいぜい、07年に亡くなった小阪修平の06年の著作『思想としての全共闘世代』が挙げられる程度だ。小阪は47年生まれで、“68年”当時は19歳。東大全共闘にノンセクト・ラジカルの一員として参加し、69年の東大教養部の学園祭での有名な“三島由紀夫vs東大全共闘”という討論企画で、ほとんど唯一マトモな発言をしている学生としても知られる。80年代には笠井と共に“共産主義ではない革命思想”を模索する批評家グループを形成していた。

 とりあえず当時の雰囲気を知るには、やはり全共闘・非転向組の1人と云えないこともなく、この日本社会あるいは世界総体への“ラブ&ピース”的なノリではない叛乱を描く小説(『コインロッカー・ベイビーズ』、『愛と幻想のファシズム』、『五分後の世界』、『希望の国のエクソダス』、『半島を出よ』、『オールド・テロリスト』など)をしつこく数年おきに書き続けている村上龍の『69』が読みやすく、また入手も恐ろしく容易である(ブックオフとかで百円で売っている)。52年生まれで、“68年”当時は16歳。『69』は、その翌69年の“佐世保北高校全共闘”での村上自身の体験をポップな小説に仕立てたものだ。
 当事者による全共闘体験の本格的な回想記としては、牧田吉明の84年の『我が闘争』と橋本克彦の86年の『バリケードを吹き抜けた風』が二大傑作である。
 牧田は47年生まれで、“68年”当時は21歳。やはり当時としては珍しくアナキズムを標榜し、千坂が当時の“最過激の思想家”なら牧田は“最過激の活動家”と云ってよい存在だ。三菱重工業の御曹司という特異な出自を持ちながら、成蹊大学全共闘の中心的活動家となり、やがて威勢のいい過激組織に“やれるもんならやってみろ”と半ば嫌がらせ的に自製の爆弾を配布したことで有名である。10年に死去した。
 橋本は45年生まれで、“68年”当時は23歳。全共闘運動では東大よりも日大のほうがむしろ当時は存在感が大きかったのだが、とくに日大の芸術学部闘争委員会は全共闘運動でも最強の部隊と云われたという。橋本はその日大芸闘委の一員だった、やはりノンセクト・ラジカルの活動家だ。もっとも、この牧田と橋本のそれのような、今でも読む価値のある回想記に限って、揃って入手困難ときているから困ったものだ。

 09年に刊行されてものすごく評判となった小熊英二の『1968』は、小熊自身が62年生まれの非当事者でしかも軟弱リベラル派の学者ときているから、全共闘運動についてまったく本質を理解できておらず、トンチンカンきわまりない著作ではあるのだが、ものすごく分厚い割にはスラスラ読み進むことのできる、しかも他に類書が1冊もない全共闘運動の詳細な“通史”で、とりあえず事実経過を押さえるには便利である。買うと上下巻あわせて1万数千円もするので、図書館で借りるほうがよかろう。ただし偏見も植えつけられるので、続けてスガなどの本を読んで解毒すべきである。