獄中短歌「百回休み」002
パンクスの誇りのゆえに囚われてこのドブネズミなお美しく

 百八首、煩悩の数だけ収録してある当バージョンが、私の獄中連作短歌「百回休み」の完全版である。
 このうち五十首を選んで、二〇〇五年の角川短歌賞に応募した。『短歌』編集部員による予備選考は通過したから、本選考を担当する四人の歌人たちも私の作品に目をとおしたはずだ。
 もちろん、受賞はしなかった。それはいいのだが、選評座談会でもまったく言及されていなかったのはちょっと心外だった。
 四人の歌人たちには、タイトル(「百回休み」)と作者名しか伝えられない選考のしくみになっていると知って、あっと思った。つまり作者の年齢は伝わっていないのだ。
 この歌集を見せられて、必要な教養のない人の多くは、私を全共闘世代であると誤解するはずだ。全共闘世代の歌人がこれらを詠んだのだとしたら、やはりちょっとつまらない。
 もちろん、作者の年齢を推測するためのヒントはあちこちにバラまかれてはいる。この歌もその一つで、前提にザ・ブルーハーツの代表曲「リンダ リンダ」の冒頭、「ドブネズミみたいに美しくなりたい 写真にはうつらない美しさがあるから」という歌詞がある。この歌が二首目にあることで、教養のある読者はすぐに作者がブルーハーツ世代、つまり八〇年代末に青春時代を送った世代である可能性が極めて高いことに気づく。はずなんだけどなあ。
 異なる世代を結びつけるのが教養だと評論家の坪内裕三氏がどこかで書いていたが、後続世代は先行世代にとっての常識を知らないし、先行世代も後続世代にとっての常識を知らずにいる時代がかれこれ二十年ほど続いている。