我々少数派・結成趣旨(2013.10)

外山恒一  


 私は当然、私の選択した路線が唯一正しいと確信している。

 私が何を目指しているのか分からないと云う者は多いが、私は私の路線について繰り返し説明しており、ただそれらを真面目に読もうともせぬ怠惰な者たちがそう云っているにすぎない。

 私が示した路線(要するにアナキズムとナショナリズムとを結合したものとしてのファシズム)の正しさを認める者、またそれが「唯一」正しいとまでは云わぬとしても相対的には(つまりある程度は)正しいことを認める者、さらにはそれが「正しい」か否かはさておき現在の閉塞状況に突破口を開くに際して何らかの役割を果たしうるか、あるいは少なくとも真剣な検討の対象には値すると認める者は、私の言説の流布に協力してほしい。

 六年前の都知事選以来、私はパフォーマーとしての評価を高めるばかりで、書いたものがほとんど読まれないという都知事選以前からの苦境を依然として脱せずにいる。

 あれこれのパフォーマンスは私の“余芸”にすぎず、私の本領は文筆にある。

 たしかに私のパフォーマンスは例えば少なくとも日本の現代美術シーンの水準においてさえ突出して優れてはいるが、それらも結局は私の文筆の才に裏打ちされたものにすぎないことを、私がこれまでに書いたものをある程度は読んでいる者に改めて説明するまでもあるまい。

 私を「パフォーマーとしては評価している」などと知ったかぶる者をよく見かけるが、彼らは単に私の文章を一度も読んだことがないことを告白しているにすぎない。

 とにもかくにも私の文章がもっと読まれなくてはならず、私はパフォーマンスの享受者ではなく読者をもっと獲得しなければならない。

 すでに私の読者である者は、なぜそれらがもっと読まれないのかと苛立っているはずである。

 長期的にはファシズム革命政権の樹立が、中期的にはその主体となるファシスト党の拡大が、そして短期的にはファシズム路線の正しさを喧伝する言説の流布すなわち読者の獲得が、私の目標である。

 この短期的目標に対応するものとして、「我々少数派」というネットワークを組織する。

 全国ネットワーク「我々少数派」に参画する者に課せられる任務はただ一つ、私の文章がもっと広く読まれるように努力することのみである。

 まだ私を知らない者に私の存在を教え、すでに私の存在は知っている者にはさらに進んで私の文章を読むように強く促すことのみであり、それなりの覚悟と決意を必要とする具体的なファシズム運動へのコミットまでは求めない。

 ファシズム運動ではなく、私個人の言動に関する“布教活動”に従事するのだと考えてくれればよい(もちろん私と日本ファシズム運動は一心同体であるから、ファシズム運動に貢献するのだと考えてくれても結局は同じである)。

 私自身が、「これをもっと多くの人に見せなければならない」と感じて、可能な限りで身銭を切って「劇団どくんご」を宣伝しまくっているように、私の文章について「これをもっと多くの人に読ませなければ」と思う者に可能な限りでそのようにしてほしいということである。

 “布教”のためのネットワーク「我々少数派」はまずFacebook上のグループとして立ち上げるので、参加する意志のある者はメンバー登録してほしい。

 私の文章がもっと読まれれば、革命情勢に一歩近づく。

 少なくとも諸々の運動シーンを活性化させる。

 その程度には私の書くものを評価してくれている者は一定いるものと信じる。