ソウルフラワーユニオン・インタビュー

『バンドやろうぜ』1994年たぶん2月号に掲載

※この“失礼”なインタビューに中川氏はいたく立腹されていたようである。そもそもインタビュアーのくせに事前に彼らの過去作品をちゃんと聴いていないことを告げた時点でまずムッとされたようなのだが、私はただのインタビュアーではなく外山恒一なのである。日本を代表する革命家として一介のミュージシャンごときに相対しているのであって、反体制向きのことを云いながら1994年の時点で私を知らず、したがって私の過去の著作を読んでもいない中川氏の方がはるかに“失礼”なのである。まあ、読めば分かるとおり、そもそもたいしたタマではないのだが。

 ニューエスト・モデルとメスカリン・ドライヴが解散、ソウルフラワー・ユニオンなる新バンドとしてスタートした。11月1日にはファースト・アルバム『カムイ・イピリマ』が出る。
 じつはぼくはニューエストとメスカリンの活動をリアルタイムでは知らない。周囲に熱心に聴いている友人は多かったが、85年ごろから活動し89年メジャー・デビューのニューエストをぼくがちゃんと聴き始めたのは何と去年。メスカリンに至ってはほとんど聴いたことがない。
 それでも、友人からの情報や雑誌のインタビューから、少なくともニューエストに関しては、反原発に代表される80年代後半の新しい反体制運動の高揚期を同時代人として生きているバンドというイメージを持っていた。
 90年代に入り、反体制運動が後退局面を迎えてから、ぼくはかっての「同志」たちの「その後」に、自分が今選択し進んでいる道を検証する意味もあって注目していた。ロックの世界では、ブルーハーツ、エコーズ、RCサクセション(あるいはタイマーズ)などと並んで、ニューエストも、ぼくが「その後」に注目していたバンドの一つだった。

 ――どういう理由で新バンドを?
中川「どうしてもニューエスト・モデル的な構造ができあがってたり、メスカリン・ドライヴ的な構造ができあがってたりで、もうどうにもならへんわっていうようなところはそれぞれ抱えてたとこあったからね。これは説明すると長くなんねんけど、簡単に云うと、非常にワンマン的に周りからも見えたやろうし、実際も結構そうやったところが強い。ニューエスト・モデル進めるにあたっては俺がやってて、楽曲・アレンジに関してとか相談するいうたらメンバーじゃなしに、この人(伊丹)やったりしてんねん。メスカリン・ドライヴも逆のことが結構起こってて。一回ちょっと曲作ったりしてやってみようかっていうのが今回のアルバムで、やってみたらバッチリみたいな。これは新しいバンド作った方がええんちゃう――簡単に云い過ぎやけどね」

 さて、今回『カムイ・イピリマ』は北海道の先住民族・アイヌをめぐる問題が中心的なテーマとして扱われている。日本はよく云われるような「単一民族国家」ではない。アイヌや沖縄人はもともと日本(大和)民族とはまったく違う独自の文化を待った民族である。沖縄人やアイヌは、とくに明治以降、日本が本格的に近代国家への道を歩きだす中で徹底的に侵略され、植民地化された歴史を持ち、アイヌに関しては今でも「旧土人法」なる差別的な法律が存在している。『カムイ・イピリマ』の1曲目「おまえの村の踊りを踊れ」では、そうしたアイヌの歴史が英語のラップで紹介される。なぜ、今、アイヌ問題なのか?

 ――中川さん自身にとってアイヌ間題とはどういうものですか?
中川「きっかけは文献で。あ、そういうことが起こってんのか、そら最悪やなって。そんな感じで入ってんねんけどね。例えば文化的な側面ね、アイヌの。母系社会のね。ああいいな、そういう社会があって、今もあんねんなっていうような部分もあるし、もっと政治的な意味あいで、例えば先住民の問題っていったって、インディアン――アメリカ先住民のこととかイヌイットのこととかアボリジニーのこととかは新聞に載るのに、なぜかアイヌのことは載らない。そのタブーは政治的なもんだろうし。もともとニューエストもメスカリンも主流・非主流ってことを考えてきたわけなんで、当然そこにブチ当たらざるを得ないし」
 ――「主流・非主流」ってのはどういう意味ですか?
中川「まあ在日朝鮮人のことでもいいし、身障者のことでもいいし、男と女がいるなら女性のことでもいいし。アイヌがいるってことだけじゃなくて、いかに日本にアイヌ的なものが多いかってことやね。スポイルされて見えヘんようにされてるものがいかに多いか」
 ――中川さん自身は主流ってことになるわけですか?
中川「今の云い方の中では主流側に立ってることになるやろうね。ただ、それをもっと身近な問題に置き換えてもいいと思うけどね。例えばクラスメートの中でやっぱり一人か二人ヘンなんおるわけや。俺もどっちかっていうとヘンな方やったからね(笑)。そういう意味でも非主流ってとらえ方はできると思うし」
 ――アイヌ以外の人間がアイヌについて語ることになるわけでしょう?
中川「そこは当然深い問題はあるわな。例えば今回英語でアイヌ民族の歴史をラップする。ヒデ坊は俺より先にそのことに関して気になってたから、ウタリ協会に電話してこういう詞なんですけどどうでしょうかって訊いてみたりね。ある程度はそういうことは必要になってくるからね。あんまりノー天気にやれる問題じゃないから」
伊丹「曲書いた時点から一番引っかかってたのはそこやから。アイヌ民族でない私がその問題について書くって時に、結局隣人として書きたいっていうのが一番あったから。でも隣人やから隣人としての意見や思いだけでええのや、とかそういう軽い問題ではないから、やっぱりウタリ協会に電話した」

 ぼくが彼らに、「アイヌでない者がアイヌを語ることをどう思うか?」と訊いたのは、彼らの言葉で云うところの「主流」が「非主流」について、つまり抑圧側が被抑圧側について安易に語っていいものか、という理由からではなかった。
 ぼくは、人間を2つあるいはいくつかの階層に分けて社会システムを把握する発想がもはや無効であると考えるのだ。たとえば、人間をブルジョアジー(資本家階級)とプロレタリアート(労働者階級)に分けてプロレタリアの解放を云うマルクス主義、男と女に分けて女の解放を云うフェミニズム、被差別部落や在日朝鮮人、障害者、アイヌ・沖縄民族などの被差別階層の立場からモノを云うさまざまの反差別運動……。こうした運動にかかわる人々は、自分の抱えている不全感をいつも「わたしたち女は」「わたしたち在日朝鮮人は」という語り方で表明してしまう。しかし実際には、彼らと同じ目にあっても差別・抑圧と受け止めない「女」や「障害者」もいるのだ。
 ぼくは80年代後半、反体制運動を続ける中で、同じ「反体制」のはずのそんな連中と戦うハメになったのだが、ソウルフラワー・ユニオンの2人の語り方も、そうした連中とまったく同じなのだ。

 ――何かの本でちらっと中川さんの発言を読んだんですが、アイヌに対して大和民族が何をしてきたかとか、あるいは日本人がかつて中国で何をしたかとか、そういうことを知るべきだって云ってますよね。
中川「その本でどういう云い方をしたかわからヘんけど、でも俺は知るべきやと思うけどね」
 ――それはどうして?
中川「隠そうとしてるから、誰かが」
 ――アイヌ問題とか、たとえばPKOのことだとか、そういうものは大文字の社会問題だという気がして。大状況の問題というか。で、個人的生活の範囲内での問題からそういう社会問題にいくまでに、知識のステップがあるでしょう?
中川「そらあるやろうね」
――例えばアイヌのことを歌ってしまうことによって聴いてる人に言葉を与えてしまうわけですよね。
中川「何の問題を取り扱ってもそうやろうね。ラブソングであろうがね」
 ――僕も自分でモノを書いてて思うことなんだけど、その読者が自分の日常的な違和感や不満から出発して行動する過程でいろんなことを知るっていうのはあり得ると思うけど、先に言葉を与えてしまうことに対して何か読者を教育しているような気がしてイヤになってきたりするんですよね。
中川「だって僕はあなたほど啓蒙観念がないもん。あなたは啓蒙しようとしてるもん。俺らも今までやってくる中でいろんな成長過程踏んできたけどね。今はもはやそういうもんないもん」
伊丹「非主流的なものに目を向けるきっかけはすごく少ないと思うねんね。だから今回のアルバムの歌詞とかが視線をそこにやるきっかけであればいいと思うだけで、その人が同じ考えをしろっていうのはまったくない。知るべきか知らヘんでいいのかっていう話にしても、差別ってのは無知っていうものから起こるっていうふうに私は思ってる。あなたの話は、知らなくてもいいって云ってるように聞こえんねんね」

 「聞こえる」だけじゃなかったりして。寝た子を起こそうとしても、起きた子を寝かそうとしても、起きるやつは起きるし寝るやつは寝ると思うのだ。

 ――たとえばPKOの問題があった時に何か感じました?
中川「そら感じるよ」
 ――どんなふうに感じたのかな。ぼくは「関係ない話」のような気がして。
中川「関係してくるて、そのうち。心配せんでも(笑)」
 ――以前はいろんな社会問題に対してぼくも責任があるような気がして活動したんだけど、意志とか責任とか主体性とかって理性的なことでしょう? 理性中心主義のような気がして。でも社会がバッと変わっちゃうのは、変えようとしていた個人の意志とか責任とかそういうものとは無関係に起こっちゃうんじゃないか……。
中川「それはなんか運命論みたいやけど。人類はここへいくやろうみたいな運命論は俺はすごく嫌いでね。例えばホンマにある特定の人間がういうふうにしたいからこういうふうになってるんなら、しかも被害が自分にかかってきたら絶対に腹たつと思うねんや。例えばGHQの時に反共部隊を児玉に作らせたというような具体的な話を挙げていったらね、実はすごく特定の人間の希望によってこの国がこういう方向に向かってたりすんねんね。そういうようなことに関して腹たたヘん?」
 ――特定層とか権力者って云い方はあるけれども、誰が権力者なのかっていうのをたどっていってもゴールがないんですよね。戻ってきたりとかするし。自分が支えていたりとか。
中川「じゃあたどり方もう一回変えてみるべきやがな。結論がすごく早すぎるような気がする。あなたが何をやってきたんか俺は知らんけどね。簡単にあきらめてるなっていうふうにしか聞こえへんな」
 ――いろんな問題を考える時に大状況からおりてくるのか、それとも個人的な問題をやっていく中で大状況に出会うのかということです。
中川「そうや。そっち(後者)やと思うで。初め文献でいろんなことを知っていくと。ところが取材を重ねていくうちにますます自分の考えが確固たるものになっていくんが多いからね」
 ――文献とかじゃなくて、日常生活を送っていく中での生活実感なのか……。
中川「いや、生活実感で感じることが多くなってくんねん、やっぱり」
 ――ぼくがいろんな社会運動に対して感じるのは、さまざまな個々の違和感とか不満かあるんだけど、それに「社会システムかこうだからおかしいんだ」みたいな言葉を与えちゃって、それが逆に個々の感性を縛っていく……。
中川「わかるよ。云うてることはわかる。目標が一緒かどうかやねん、そんなら。もしそれで目標が一緒なんてあれば方法論が間違っているよっていう議論ができるよ、そこで」

 「目標」の違いなんだろうか?
 ぼくは、「問題のたて方」の違いのような気がする。
 80年代後半に行動をともにした同志たちのあいだには、いわば「大状況左翼」的要素と個人のあり方を重視する「実存左翼」的要素が混在していたように思う。両者が妥協しながら行動を共にしていたというのではなく、ぼく自身の中にも両方の要素が未分化に存在していたように思うのだ。おそらくニューエストの中でも。それが、90年代の後退局面に入ってから、それぞれがどちらかの要素を純化する形でたもとを分かち始めたような気がする。

 今回のインタビューの限りでは、ソウルフラワー・ユニオンは「大状況左翼」の道を選択したように思える。ぼくは「実存左翼」の道を選んだ。どちらの選択が正しいのかは、あと数年のうちに明らかになってくると思う。