“私小説”冒頭部

05年ごろ執筆
おそらく“獄中でファシズム転向”の経緯を“私小説”として書こうとして、挫折



   1.

 いまどき私小説、しかも転向文学、しかもごていねいに獄中転向ネタなんてのはいかがなものか、というぐらいの恥じらいはさすがのおれにだってある。
 しかしそもそも文学とは、とおれはあえて大上段に構えたいのだ。
 おれが物心ついた頃には──ああもちろんこれは四歳とか五歳とかのことを言っているのではなくて、自我に目覚めた頃、つまり中学生とか高校生とかの頃には、という意味だが──その手の大仰な物言いや振る舞いはとくに同世代の間ではダサいことになっていて、何しろ例のニューアカだポストモダンだのブームもすでに終わっていて、おれもそんなブームの存在は後でさかのぼって勉強して知ったぐらいなんだから仕方ないのだが、とにかくつまり「そもそも文学とは云々」なんてテーマで同世代と熱く語り合った経験なんかないのが、おれの世代では当たり前だろうし、おれだってほぼそうだ。
 もちろんこれは文学に限った話ではなくて、音楽や芝居にしたってそうで、音楽とは芝居とはみたいな熱い話を同世代以下の人間とちゃんとやれたためしがない。もっとも音楽や芝居の世界には多少なりとも熱いキャラも存在しないではないから、これはあくまで「ちゃんとやれたためしがない」だけで、「ちゃんと」でなければたまにはそういう場面もありうる。つまり例えばおれはニーチェやヴィトゲンシュタインの話をしているのに、奴の側は少年ジャンプその他に散見される「男の哲学」の話をしていて、そういうのはやっぱり「ちゃんと」哲学的な議論が成立しているとは言えないわけで、ニュアンスはおおよそ分かってもらえると思うが、そんな感じのちっとも「ちゃんと」してない音楽談義や芝居談義の経験ならいくらでもある。
 二十歳ぐらい離れた、つまりいわゆる全共闘世代以上のオッサンたちとは、たまにそういう議論が成り立ったりする。それはそれでまあおれとしてもいくらか有意義に感じることもあるし、向こうとしてもおれなんかの世代の人間と一応まがりなりにも「ちゃんと」成立する芸術論議などまず他に経験がないのだから、なんかすごく喜ばれてしまったりするのだが、後で一人になってからいつもおれはすごくイヤな気分になる。おれは奴らの世代の経験や問題意識の変遷について、おれのこれまでの人生の成り行きで、下手をすれば奴ら以上によく知っていたりするし、逆に奴らはおれの世代の経験や事情についていくらかでも把握していることはまずほとんどないから、実はこっちが相手のレベルに合わせてやってる場合も多くて、「接待かよ!」と内心ふてくされていたりもする。
 いやそういう愚痴を書くつもりではなかった。なかったけれどもまあそんなふうに全共闘世代以上のオッサンたちと文学論や演劇論で意気投合することがたまにありうるのも、同世代以下の人間とは、現に詩や小説を書いたり芝居をやってたりする相手であってもそういうことがほとんどありえないのも、原因ははっきりしている。
 おれは文学や音楽や芝居なんてものを最初から志していたわけではなくて、そもそもは社会変革とか革命とかってことを志していた、つまり政治活動家なのだ。
 ここで本題である文学の話にひきつけるのだが、政治活動においても言葉というものが占める比重がかなり大きいことは言うまでもないのであって、おれはこれまで政治活動家としてさまざまの言葉の連なりを大量生産しながら、おれのやっていることと、文学方面の連中のやっていることとの間には、一体どれほどの差異があるんだろうか、あるいはないんだろうかとよく考えた。もちろん政治活動では、完全なフィクションの類の文章を書くことはまずないのだが、例えばおれがビラや機関紙なんかに書く状況分析のような文章と、なんか文学的らしい随筆みたいな文章との間には、あるいは要は短いフレーズであるスローガンやビラのキャッチコピーみたいなものと詩との間には、おれの書く活動レポートのような文章といわゆる私小説との間には、何か本質的な差異があるのかないのか。もっと言えば、そもそも政治活動をやる前提として、おれはこの世界のここがこう間違っていると考える、つまりおれにはこの世界がこう見えているということの提示がおこなわれることになるのも言うまでもないだろうが、それは結局おれが放りこまれているこの世界についてのおれの解釈、仮説の提示であって、あくまでおれの解釈、仮説、仮の説明体系であるということは要するにそれは実は一つのフィクション、物語の提示ということで、そうなるともうおれのやっているのはまさに文学以外の何物でもないではないかと思ったりもした。
 しかし、おれが政治活動としておこなってきたさまざまの言葉の生産は、やっぱり決して文学などではなかったのだ。
 なぜならここまで実は少しごまかしつつ書いてきたのだが、政治活動の中でおれが提示するのは、それが政治活動であるかぎり「おれの物語」ではなく「おれたちの物語」でなければならないのであって、複数の人間によって共有されなければならない物語は、どうしたってその共同性を構成する個々の人間の物語の最大公約数になる。「おれたちの物語」は、それぞれの「おれの物語」から必ず何かがマイナスされなければ成立しえない。そしてそのマイナス部分は、おれが身を投じている政治活動がうまくいけばいくほど、つまり同志やシンパの数が増えれば増えるほど大きくなる。これはまったく仕方がないことだし、「おれたちの物語」があくまでおれを含めた同志たちそれぞれの「おれの物語」の最大公約数的なものとして存在する以上、それが「おれの物語」と矛盾するわけではないから、おれは政治活動を続けていくことができる。しかし、矛盾はないが残余はある。「おれたちの物語」には回収されないままとなった「おれの物語」の残余は必ず生じる。
 そしておれは、この放っぽりだされるしかない残余に対する切実なこだわりの有無が、政治の言葉と文学の言葉との間にある差異なのだと思い至ったわけだ。いや、文学のみならず、音楽とか芝居とか絵とか何だとかかんだとか、他のさまざまのジャンル──結局「芸術」なんていう大仰な言葉を使うしかないのだが、政治の表現と芸術の表現との本質的な差異なのだ。
 しかし同時におれは思うのだ。
 そんな切実な「こだわり」は、それが多かれ少なかれ絶対的に切り捨てられざるをえない政治活動の経験を欠いていたとしても生じうるのだろうか。自らが政治活動に身を投じるのでなくとも、例えば身近にそういうものが存在し、あるいは場合によってはそこに身を投じることもあり得たということでもいいが、とにかく直接間接に政治活動を経験することなしに、そんな「こだわり」は生じうるのだろうか。
 あるいはこう言い換えてもいい。
 「おれたちの物語」を切実に希求することなしに、はたして「おれの物語」を全的に回復したいという切実な「こだわり」が生じうるのだろうか。
 この点おれは実は非常に懐疑的なのだ。
 一九七〇年に生まれたおれはもう三十代の半ばに達しているから、さすがに同世代以下の「表現者」なんてのもかなりの数、世に出ている。連中のほとんどすべてが政治活動の経験を徹底的に欠いており、つまり「おれたちの物語」と「おれの物語」との間に生じる深刻な葛藤の経験を欠いており、要するに政治の表現と芸術の表現とを差異化するあの切実な「こだわり」を抱え込む機会を持てず、結局だから持たず、せいぜい上手くいって娯楽としての消費に耐える以上のものは生み出されない。
 おれは今、言い訳をしている。
 つまりおれがこれから書こうとしているものが、はたして「文学」なのかという不安を、おれ自身が抱えている。同世代以下の書き手たちが発表し、世間一般──もちろんいわゆる文壇も含めた世間一般が文学と見なしているらしいそれらの作品と、おれがこれから書こうとしているものとがあまりにも異質であるように思うからだ。
 同時に、そういうものはすべて文学の名に値しないのだ、おれがこれからやろうとしていることこそが真に文学の名に値するのだという確信もある。
 いや嘘だ。
 奴らの書くものはどれもこれも文学ではないという確信はある。しかしおれが書くものが文学であるという確信がない。
 なぜならおれは実は今でもあくまで政治活動家であり続けようとしているからだ。おれは現役の政治活動家として書こうとしている。つまり、おれは「おれの物語」ではなく「おれたちの物語」を書こうとしている。
 いや、おれはただおれにとって切実な物語を書く。それが「おれたちの物語」になりうるのか、結局「おれの物語」にしかなりえないのか、現時点ではおれにも分からない。政治活動家として書くということは、おれ自身はそれが「おれたちの物語」となることを望んでいるということだ。少なくともおれにとって切実であることだけは間違いのないこの物語が、最終的に「おれの物語」にしかなりえないのなら、つまり「文学」としてしか成立しなかったとしたら、それはおれが負けたということだ。