市議誕生  野口英一郎・鹿児島市議選挙戦従軍日記
未発表原稿(2000年4月執筆)

 野口どんが市議選に立つという。
 野口どんは鹿児島生まれの鹿児島育ち、大学はなぜか北海道の札幌大学に進み、そこで社会的に目覚めて95年、鹿児島に帰ってきた。
 鹿児島に戻った野口どんは、タウン誌の仲間募集欄などを使い、さっそく仲間集めを始めた。ぼくはこのかなり早い時期に、タウン誌で野口どんの名前を発見し、手紙を出して交流が始まった。だから、5年来の付き合いということになる。 この5年間の間に、野口どんは鹿児島で急速にネットワークを広げた。
 鹿児島若者文化の横断的なネットワークを主宰し、ドキュメンタリー『サワダ』や映画『ブラス』の自主上映会から、テント芝居の制作、ダンスパーティの開催、フランス核実験反対の座り込みまで、鹿児島を活性化すべくさまざまなイベントを仕掛けた。彼の周囲にはあっというまに50名以上の若者たちが結集し、鹿児島の人口(50数万)を考えるならば、単純に換算すると東京で1000人のネットワークを作ったようなものであり、その桁外れの行動力で、あれよあれよといううちに鹿児島オルタナティヴ・シーンの最重要人物となった。ここ2、3年は、鹿児島の市民運動シーンへの食い込みもあったようだ。鹿児島湾への人工島建設反対運動やメンズリブ、反原発運動などである。
 この野口どんが、「鹿児島をもっと面白くするために」、市議選に打って出るのだという。これは、応援しないわけにはいかない。ふだんは、棄権こそがもっともラジカルな投票行動だとうそぶいて、昨年など福岡県知事選に際して「投票率ダウン・キャンペーン」まで展開したぼくだが、今回ばかりはマジメに選挙運動を手伝わなければなるまい。
 4月始め、「そろそろ選挙じゃなかったっけ? 人手が必要ならすぐにでも応援にかけつけるよ」というメールを出したら、「すぐにでも来てくれ」という返事だった。


   4月9日(日)

 告示の日、4月9日(日)に、ぼくはヒッチハイクで鹿児島入りした。現在、鹿児島の近郊住宅地・隼人町に実家があるので、まずそっちへ寄った。原チャリを借り、機動力を確保するためだ。
 隼人町の実家を午後7時ごろ出発し、一路鹿児島へ。1時間ほどで繁華街・天文館に到着。そこへいきなり、「野口、野口英一郎でございます」と連呼する街宣車に出くわす。お、やってるやってる。後をついていこうかとしたが、信号に引っかかり、断念。
 8時、鹿児島市加冶屋町の中央高校前でスタッフの石地さんと待ち合わせ、すぐ近くの野口どんの事務所へ。
 石地さんの他に2人の女性と1人の男性がいる。2人の女性は、電話での投票依頼をおこなっている。野口どんの地元・玉里団地の住民に、集中的に電話攻勢しているらしい。「〇〇様のおたくでしょうか。こちらは3丁目から立候補いたしました野口英一郎の後援会でございます。もう投票する方はお決まりでしょうか? 野口英一郎は無所属・新人で28歳。若い力で市政を変えてまいりますので何卒〇〇様のお力をお貸しいただけないでしょうか?」。とにかく同じセリフを延々くりかえしている。
 石地さんが、どうやらチーフ役らしい。事務連絡的な電話のやりとりをしている。男性は、コンピュータに向かっている。
 30畳くらいあるんじゃなかろうか、かなり広い事務所である。壁に、スケジュール表や、「TEL反応基準」という表や、「作業進行状況」といった貼り紙がいっぱいある。
 ぼく一人、やることがないので、机の上の野口どんの名刺やビラを読んで時間を潰す。本格的だなあ、さすが野口どん、ぼくらみたいなダメ系左翼とは違うなあと感心しつつ。
 8時半ごろ、街宣車部隊の女性2人と男性運転手が戻ってくる。スピーカーを使った選挙運動、つまり街宣車を走らせていいのは8時までらしい。電話勧誘は8時半まで、これも法律で決まっているらしい。街宣車部隊と入れ替わりに、電話部隊の女性2人は帰る。さっきコンピュータに向かっていた男性が、街宣車部隊の女性の一人に、票読み分析をこんこんと語り聞かせている。かなりの選挙通、プロと見える。「自分の時は……」などと云っているところを見ると、県議か何かなのだろうかと考えた。中川(仮名)という名前らしい。街宣車部隊も、9時ごろ帰った。
 街宣車部隊と入れ替わりに、今度は自転車部隊の野口どん、沓掛さん、桑畑さんの3人が戻ってくる。野口どんらは、自転車で、辻演説をしながら街を走り回っている。電気式のスピーカーは、1台しか使えないとこれもまた法律で決まっているらしく、自転車部隊は野球の応援で使うようなメガホンを持っている。中川氏が説教口調で、野口どんに戦術アドバイスをする。現在、事務所には電話作戦のための回線が2つあるのだが、それでは絶対に足りないと云う。10回線を至急確保せよとのこと。
 9時半ごろ、電気を使わなければ、8時半以降も選挙運動可能という中川氏のアドバイスで、自転車部隊、甲突川河川敷の花見客へ情宣に出かける。ぼくも、3人についていって旗持ちをやる。
 花見の輪のひとつひとつに、野口どんは、「お楽しみのところ失礼します。私は今回の市議選に立候補いたしました野口英一郎と申します。よろしかったら、1、2分、簡単に自己紹介などさせていただけないでしょうか」と割って入る。意外に、断られることは一度もなく、逆に案外ちゃんと話を聞いてくれる。「よーし、やれー!」という感じ。
 「自分は高校時代から、政治はおかしいと思っていました。政治家に頼らず、自分たち自身が行動しようということで環境保護や福祉ボランティアなどに関わってきました。しかし肝心なことになると議会で通らなかったりして、悔しい思いを続けてきました。今、錦江湾に莫大な借金をして人工島が建設されようとしています。今28歳の私が、60過ぎるまで税金で返しつづけなければならないという莫大な借金です。そんな借金をしてまで環境を破壊する事業はおかしいと思い、市民運動で裁判を起こしましたが、裁判には気の遠くなるような時間がかかり、その間に工事は進んでいきます。そこで、住民投票をやってほしいという運動に関わり、4万5千人の署名を集めて市長に渡したのですが、相手にされない。業を煮やして、自分が議会の内側に入って、状況を変えていかなければと思い、立候補した次第です。人工島だけが鹿児島の問題だとは思いませんが、ものごとの決められ方、進め方、情報公開などに関して、開かれた市政をめざします。一人でできることはタカが知れているかもしれませんが、まずは一人からでも全力を尽くします。このお話に賛同していただけるなら、今回の選挙では是非とも私、野口英一郎にご支援のほど、よろしくお願いします」云々……。
 相手はなにせ酔っ払いだ。からむのもいるが、野口どん、終始誠実に対応する。ヤンキー風の若者も、最初はからかい半分なのが、演説を始めると結構マジメに聞いているのがオカしい。女子2名はセクハラされまくりだったが。
 いやーキビシー。
 たしかに、7、8ケ所回って10票ぐらいは入ったろうとは思うが、こんな酔っぱらってワケわかんなくなってる連中を相手に頭を下げてあくまでも誠実に対応するなんてこと、とてもじゃないがぼくにはできない。やっぱ、ぼくが立候補すれば、もっとメチャクチャをやるだろうなーと思いつつ、あくまでマジメに当選する気でいる野口どんを見守る。
 11時くらいに事務所に戻った時には、セクハラされまくりの女子2名はさすがにクタクタの様子。また中川プロのアドバイス。握手の仕方、電話のかけ方などなど、とにかく細かい。しかし実に説得力がある。
 11時半、石地さんを残し、みな帰る。石地さんに聞いたところ、中川プロは、野口が去年、東京で手伝った中村敦夫の選挙の時に知り合った東京の議員で、今回、アドバイスのために急遽、かけつけてくれたらしい。
 12時、石地さんも帰る。
 ぼくは一人で、明日からの「仕事」に備えて長渕のテープなど学習しつつ、これを書いている。壁に貼ってあるいろんな書類や表に目を通す。中川氏とのやりとりらしいFAXで、「当選できそうだ、とはたとえ本当でも絶対に口にしないこと」などとアドバイスされている。すごい世界だなあと感心する。
 夜中、街宣車用の演説原稿でも書いてみる。


    4月10日(月)

 午前10時半に目を事務所にはすでにたくさん人がいて、動き出している。
 ぼくも、午前中は宛て名書きなど手伝う。
 昼から、街宣車に乗り込む。
 一緒に車に乗り込んだのは中川氏と、うぐいす嬢の松井さん、それに運転手の桑蔓くん。
 「たいへんお騒がせしております。こちらは、市議会議員候補の野口、野口、野口英一郎でございます。無所属、新人、28歳。若い力で市政を変えて参ります。野口、野口英一郎、28歳に、どうかみなさんの暖かいご支援をおねがいします。野口英一郎は、若い力で市政を変えてまいります。街づくり活動人、頼れる若者、野口、野口、野口英一郎をどうかよろしくお願いいたします」云々……。
 ぼくも、交代で時々マイクを握った。
 いいフレーズが頭に浮かばず、結局似たような「連呼」パターンになってしまう。中川氏も、「別にそれでいいんじゃない?」って感じだ。
 午後2時半、事務所にいったん戻り、運転手を尾立くんに交代。
 また、街宣しながら、市役所へ。前回の市議選や国政選挙の投票所ごとの投票率などの資料を、中川氏の指示でもらってくる。
 ぼくは、街頭ライブで配るためのオリジナル・ビラを作る。「鹿児島カウンター・カルチャーの強い味方」とのキャッチフレーズで、野口どんの名刺をコピーして入れ込んだ。
 6時すぎから8時まで、また松井さんと街宣車に乗り込む。
 この過激派の外山恒一が「野口、野口英一郎にみなさまの清きご一票を」なんてやってるんだから、考えてみれば珍妙な光景だ。
 スピーカーを使った街宣が許されているのは8時までなので、8時でやめて、8時半には事務所に戻る。
 9時から、天文館の文化通りで街頭ライブ。5年前、初めてやった時には、「ライバル」もおらず、一晩3万、4万が「当たり前」だったのが、1時間半ねばってもわずか4百円! 「同業者」が増えすぎたのが原因だろう。このあたりの事情は福岡と同じだ。10時半であきらめてすごすごと事務所へ帰る。
 夜中、昼間に市役所でもらってきた資料を分析。国政選挙と地方選挙の投票率の差から、どの地域に狙える「浮動票」が存在するのか分かるのだと中川氏は云う。さすが選挙のプロ、いちいち解説がもっともだと頷ける。朝5時までえんえん中川氏の演説が続く。


    4月11日(火)

 また午前10時起きで、すでに事務所は動き出している。
 この日は、諌早から市議の岩永氏、延岡からやはり市議の大西氏が応援にかけつけている。岩永氏は、諌早湾干拓事業反対の顔ともいうべき市民派市議、大西氏も、バックとなる組織票いっさいナシで当選した環境派の市民派市議である。中川氏とはまた違ったタイプの議員だ。
 岩永氏は街宣車に乗り込み、大西氏は野口どんの自転車部隊に随行した。大西氏自身、自分の選挙の時には自転車で回っているのだそうで、折りたたみ式のマイ自転車を延岡から持参していた。岩永氏の街宣演説は、一緒に乗り込んだ人たちには圧倒的に好評だった。「何の束縛もなく行政をチェックできる市議が一人でもいれば、市政は確実に変わっていきます」のフレーズは、この後、街宣車部隊に何度も流用された。もっとも、岩永氏は、野口どんよりもむしろ、もう一人の市民運動系候補・小川美沙子氏の応援に鹿児島入りしたという印象が強かった。大西氏の方が、戦術が似ているためか、野口どんの応援には熱心だったと思う。
 ぼくの提案で、街宣のバックにBGMのテープを流そうということになった。選曲はぼくに一任された。
 電話かけのバイトをやってた中に、近くのレンタル屋の会員証を持ってた人がいたので、それを借用して、CDを10枚ほど借り、ダビングの機材のある野口どんの実家へ原チャリで一人、移動。3時までかけてテープを完成させる。
 ぼくの作ったテープの内容。
 まずA面。ブルーハーツ「未来は僕等の手の中」、ドラゴン・アッシュ「レット・ユアセルフ・ゴー、レット・マイセルフ・ゴー」、奥田民生「さすらい」、ハイロウズ「千年メダル」、コーネリアス「ホワット・ユー・ウォント」、筋肉少女帯「日本印度化計画」、スピッツ「旅人」、ジョン・レノン「イマジン」、コーネリアス「ファースト・クエッション・アワードのテーマ」。B面。セックス・ピストルズ「アナーキー・イン・ザ・UK」、ブルーハーツ「青空」、ドラゴン・アッシュ「陽はのぼりまたくりかえす」、ジョン・レノン「平和を我等に」、奥田民生「イージュー・ライダー」、ブルーハーツ「NO,NO,NO」、ジョン・レノン「パワー・トゥ・ザ・ピープル」、ブルーハーツ「終わらない歌」、
 午後4時から、そのテープを使って街宣。住宅地だったので、反応はどうなのかいまいちつかめない。
 5時ごろ、自転車部隊の野口どんたちと合流し、いったん事務所へ戻り、また6時半から8時まで、西鹿児島駅周辺へ街宣に出る。おんなじセリフをルーティンに繰り返すことにいささかウンザリしはじめる。
 8時、野口どんに頼まれ、西鹿児島駅前のダイエーで、「迷子になった」野口どんを呼び出す店内放送をかけてもらう。「玉里団地からお越しの野口英一郎様、お連れ様がお待ちです」というわけだ。意味なくこういう呼び出しをするのもいくらか効果があるのだと、ある「選挙のプロ」から聞いたという話だ。
 8時半、事務所に戻る。
 アルバイトの数名が電話勧誘をやっているが、まだ野口どんと実際に会った事もないただのバイトばかりで、いまひとつ熱意が感じられない。
 選挙の戦術をめぐって、中川氏と大西氏との間で論争が起きる。あくまでオーソドックスな戦術にこだわる中川氏と、自転車部隊という「手作り」色の強い戦術に重点を置こうという大西氏の立場の違いが表面化したのだ。これに、フェミ系の市民運動から野口どんの応援に来ている西村女史や、石地チーフも加わる。西村さんや石地さんは、電話アルバイトの士気の低さを問題にしていた。
 ぼくも議論に加わる。
 「この選挙にはさまざまの人がかかわっています。みんな、当初イメージしていた選挙運動と、今じっさいに展開されている中川さん型のオーソドックスな選挙運動との間にギャップを感じていると思う。ぼくももともとアナーキーなタイプの人間だし、街宣をやっていても今ひとつ燃えない。もっと、みんながやりたいようにやればいいんじゃないか。あと、一度、野口くん本人が事務所に顔を出して、アルバイトの人たちを前に演説をぶつ必要があると思う。そうすれば士気も上がるだろう」
 そうぼくは提案した。ぼくの提案は受け入れられて、明日、電話作戦の終わる8時半に必ず野口どんが事務所に顔を出し、一席ぶつという線で一致した。
 みんな、鬱憤がたまっていたのだ。聞いたところによれば、それまでだらだらやっていた選挙事務所が、中川氏の登場で一変し、大袈裟ではなく一夜にして一気に本格的な選挙事務所っぽくなったのだという。ぼくが到着した時にはすでにそうなっていた。「こんなことやりたかったんじゃないんだけど……」というとまどいが、スタッフの間に充満していたのだ。この夜、中心スタッフ数名が、こうしてディープに話し合ったことは、良いことだったと思う。ぼくも、街頭ライブをサボったかいがあったというものだ。
 夜中1時すぎ、スタッフの橋村というオッサン、山之内という若者(大学生)を残してみんな帰る。ぼくらは3人で延々ダベる。


    4月12日(水)

 午前10時半起き。掃除など、雑用を手伝って過ごす。
 午後2時半から4時まで、ぼくの作ったBGMテープをがんがんにかけながら、繁華街・天文館周辺をぐるぐると街宣する。反応はすこぶるよい。とくに、ドラゴン・アッシュ、ハイロウズ、奥田民生、ブルーハーツなど流れている時には、こちらから手をふるまでもなく、若者たちが自らこっちに手を振ってくる。これはイケる、と手応えを感じた。
 事務所に戻ってくると、中川氏のアドバイスで、電話は10回線に増設され、時給千円で緊急にかき集められたアルバイトたちが電話攻勢をかけている。
 西村さんから、ロック系、若者向けのBGMだけでなく、住宅地の年輩主婦層に的を絞ったBGMテープを別に作ってほしいと依頼される。そういうことならぼくにお任せ、大得意だ。リベラルなオジサン、オバサンがどんな曲にグッとくるかは、日頃の街頭ライブで充分に知りつくしている。
 6時、またバイトの子にレンタルの会員証を借り、野口どんの実家へ行って早速テープ編集。ぼくの作った住宅地用、年輩リベラル層狙いのBGMテープのラインナップは以下のとおり。
 A面。ジョン・レノン「イマジン」、サイモン&ガーファンクル「スカボロー・フェア」、井上陽水「最後のニュース」、ボブ・ディラン「風に吹かれて」、ピーター、ポール&マリー「パフ」、カーペンターズ「愛のプレリュード」、尾崎豊「アイラブユー」、サイモン&ガーファンクル「サウンド・オブ・サイレンス」、ジョン・レノン「ウーマン」、ジョン・レノン「平和を我等に」。B面。スピッツ「ロビンソン」、ボブ・ディラン「時代は変わる」、カーペンターズ「トップ・オブ・ザ・ワールド」、尾崎豊「オー・マイ・リトル・ガール」、ピーター、ポール&マリー「花はどこへ行った」、サイモン&ガーファンクル「明日に架ける橋」、井上陽水「少年時代」、ジョン・レノン「パワー・トゥ・ザ・ピープル」、ボブ・ディラン「ミスター・タンブリンマン」。どうだ。年配リベラル層のハートを直撃する絶妙な選曲だろう。これも丸10年におよぶストリート・ミュージシャン生活のたまものだ。尾崎を数曲入れたのは、もう30代に突入しているはずの尾崎リアルタイム世代を狙ったものだ。
 8時半、テープの編集を終えて事務所に戻ると、昨日の打ち合わせどおり、野口どん本人が事務所にやってきて、バイトの諸君を前に一席ぶっている。これがかなり効果があったようで、野口どんの熱っぽさに、みな一様に感銘を受けた様子。単なるバイトが、野口どんの熱心な支持者に一変した。
 9時半、選挙管理委員会から野口どんにクレームの電話。自転車部隊が立てているノボリについてだ。立ち止まって辻演説している時は広げてもいいが、走行中は「野口英一郎」の字が見えないようたたんでほしいと無茶を云う。大西氏が応対し、だいぶ粘ったが、選管はウンと云わない。大西氏が電話で話している間、事務所はシーンと静まり返っている。重い空気がただよう中に、突然戻ってきたスタッフが、ただならぬ気配に、「何かあったの?」と小声で訊く。ぼくが、「選挙管理委員会がつまんないクレームをつけてきてんの」と云うと、別にウケを狙ったわけではなかったのだが、事務所中が爆笑に包まれた。
 それにしてもいちいち細かいうるさいい奴らだ。「ムカつくー」と、ますます野口陣営の士気高まる。
 夜中12時、みんな帰って一人になったので、福岡や東京の友人に電話して現状報告などする。


    4月13日(木)

 午前8時起き。今日は早起きだ。
 寝ぼけまなこで街宣車に乗り込み、ルーティンな支持呼びかけをやる。同乗者は、うぐいすの松井さんと、運転手の山之内くん。もっぱら喋るのは松井さんで、ぼくは助手席から身を乗り出して通行人に手を振る。野口どんとぼくは歳が近いので、ぼくを野口どんと勘違いする人もいるだろうとの計算だ。
 10時にいったん、事務所に戻り、街宣車要員を入れ替える。松井さんの代わりに西村さんが乗る。住宅地へ行き、主に西村さんが喋る。
 10時半ごろ、鹿児島大学へ。休み時間で校舎から出てくる学生へ向けて、ぼくがアジテーション。これはもう、「アジテーション」としか云いようのない内容と口調で、ぼくは若者を前にするとなんだか異様に高揚するのだ。
 「大学生の皆さん、日曜日は選挙です。選挙に行ってください。そして、野口英一郎と書いて投票してください。大学生の皆さん、中学・高校時代を思い出してください。理不尽な校則の押し付け、受験・受験とうるさい教師たち……そんな学校生活に不満はありませんでしたか? 野口英一郎はそんな息苦しい学校状況を変えていきます。人工島建設のやり方・進め方はどこかおかしいと感じませんか。野口英一郎は、人工島の問題、住民投票の問題に、長いこと関わってきました。そして、人工島建設の是非は、住民投票にかけて民意を反映させるべきだと考えるようになりました。人工島建設の今の進め方はおかしいと思っている皆さん、どうか野口英一郎に一票入れてください。若い大学生の皆さん、若い野口英一郎に一票入れてください。頼れる若者、若き行動派、野口英一郎をどうかよろしくお願いします。バンドをやってる皆さん、演劇をやってる皆さん、映画や写真や美術をやってる皆さん、鹿児島にはライブハウス、映画館、劇場、ギャラリーなど、あまりにも少ないと感じませんか。マニアックな映画を、レンタルビデオではなく、映画館で見たいと思いませんか。野口英一郎は鹿児島の文化レベル向上に努めます。先日の茨城県東海村の臨界事故、鹿児島にも川内原発があります。原子力発電の存在に不安を感じている皆さん、どうか野口英一郎に一票入れてください。皆さん、鹿児島は、云っては悪いがはっきり云ってドドドドド田舎です。先の戦争と云えば第二次大戦ではなく西南戦争、いまだ民主主義革命すら起きていない後進地域です。当然、いわゆる男尊女卑の考え方も根強い。野口英一郎は真の男女平等、男女共同参画社会をめざします。野口英一郎を市議にして、鹿児島のドドドド田舎の汚名を返上しようではありませんか。大学生諸君、与えられていない権利は勝ち取らなければなりませんが、与えられている権利はすべて有効に使うべきです。選挙権を使って野口英一郎を市議にし、まだ与えられていない住民投票の権利を勝ちとりましょう! あ、ムズカシイことは分かんないって人は、『顔』で選んでも構わないんですよ。野口英一郎は顔にも充分自信があります。詳細は掲示板のポスターでご確認ください……」
 後に、「マシンガン・トーク」と称されるぼくの演説スタイルが、大学生を前にした街宣で一気に爆発した。
 12時から1時の昼休みにも鹿大前に街宣車を乗りつけ、1時間丸々喋り続けた。なにせドラゴン・アッシュや、ハイロウズ、セックス・ピストルズまでかけながらのアジテーションだ。こんな選挙運動、見たこともないだろう。大学生の反応は一様によかった。
 さすがに喋り疲れて、1時から1時半まで事務所で休憩。
 1時半からまた街宣車に乗り込み、今度は繁華街へ。大学前での演説を機に、ぼくは格段に演説上手になった。とにかく息をつぐ間もなく早口でまくしたてるように演説する。
 「みなさん、鹿児島はこのままでいいのでしょうか! よくないとお考えの皆さん、どうか野口英一郎に一票入れてください。野口英一郎は鹿児島を変えます! 一緒にこの鹿児島を変えていこうじゃありませんか!」
 運転手の清水くんもぼくの演説の激烈さには感心していた。
 3時から、ぼくは撮影担当に回った。
 原チャリで、自転車部隊や街宣車を追いかけ、撮影する。日暮れまで、百枚ぐらい撮りまくった。
 6時、やることもなく、ヒマになったので、鹿児島に来るたびに一度は必ず行くことにしている美味しいトンカツ屋、天文館の「六白」でカツ丼を食べる。
 7時すぎに事務所へ戻り、雑用を手伝う。
 ぼくが今日、演説で喋ったフレーズの中から主だったものを紙に書き出して、壁に貼る。演説フレーズを、皆で「共有」しようというわけだ。
 喋り疲れたのか、この日は10時半ごろ早々と寝てしまう。


    4月14日(金)

 昨夜寝たのが早かったため、朝6時には目を覚ます。
 さあ今日も演説だ。気合とテンションを入れようとビールを買ってきて2本ぐらい飲む。
 が、朝の住宅地街宣は別のメンツで行くということでガッカリ。雑用をしばらく手伝う。
 10時半、ようやくぼくの出番。鹿児島大学の休憩時間だ。例のマシンガン・トークで大学生を惹き付ける。
 昼休みにまた来ようということで、それまで市内をぐるぐる回る。高校生や中学生を見つけると、「こちらは野口、野口英一郎でございます。無所属、新人、28歳、野口、野口、野口英一郎でございます。頼れる若者、若き行動派、野口英一郎をどうかよろしくお願いいたします――とご両親にお伝えください」とやって笑いをとった。
 いったん事務所へ戻り、バイトの電話かけをしていた国添さんという女の子を街宣車に乗せる。手を振る役だ。
 12時。野口どんたち自転車部隊と打ち合わせて、ふたたび今度は合同で大学生へアピールする。この時、自転車部隊の桑畑さんが、ぼくの演説を「マシンガン・トーク」と命名した。
 大学生の反応はとにかくよい。最後の方には、向こうから手を振ってくる学生もぐんと増えた。ぼくの「マシンガン・トーク」が効いているらしい。中には、ぼくを野口どんと勘違いしている学生もいたようだが、それはそれでいい。
 夕方、天文館周辺を街宣する。どうやら、住宅街は女性陣によるオーソドックスな街宣、繁華街や大学周辺ではぼくの「マシンガン・トーク」というのが定番になってきた。
 夜8時半から、アヴニール・ホールというところで野口どんの個人演説会。演説会といっても、野口どんは簡単な挨拶をするだけで、集まった数十人の聴衆が輪になって、互いに自己紹介するという形式だ。野口どんの友人らしいDJまで来ていて、会場の隅でターン・テーブルを回している。演説会というにはあまりにもオシャレ、こんな候補、他にいないだろう。最後に、しめくくりの10分くらいの演説を野口どんがやった。「自由になりたい」を連発する野口どん。「極端な話、自分は重力からさえ自由になりたいと思っているんです」というフレーズがぼくの耳には残った。なんだかサルトルかニーチェの演説を聞いてるみたいだ。実存系というか……。この日の野口どんは異様に冴えていて、集まった聴衆はみな興奮した。友人の友人とか、単なる電話バイトの人とか、つまり「動員」されてきた人たちも、野口どんの熱っぽい語りに心を動かされて、やはり一夜にして熱心な野口支持者に変貌した。
 個人演説会は10時半まで続いた。
 11時すぎに事務所に帰ってきて、ぼくは12時くらいには寝た。


    4月15日(土)

 朝7時半起き。
 この日も朝から演説だと張り切って抗鬱剤をガブ飲みしたというのに、8時発の街宣車には乗せてもらえず、事務所で雑用を手伝わされた。
 運転手の山之内くんが、ジョン・レノンのCDを持ってきてくれて、中にビートルズの「ヘルプ!」が入っていた。この数日、ずっと「ヘルプ!」を探していたのだ。バイトの女の子たちに訊いても、誰も持っていないという。それが、身近な運転手の山之内くんが持っていたとは……。
 さっそく野口どんの実家へ行き、「ヘルプ!」ばっかりくりかえし入っている街宣用テープを編集した。選挙運動も今日で最後、「助けてください!」というニュアンスを込めている。こんなこと思いつく候補者も他にいるまい。
 午前11時から午後1時、「ヘルプ!」を大音量でかけながら、繁華街を街宣。ビートルズがコーラスで叫ぶ「ヘルプ!」のフレーズにリズムを合わせて連呼するといい感じだ。「ヘルプ! 野口英一郎です。ヘルプ! あともう一歩です。ヘルプ! どうか野口英一郎を助けてください。ヘールプ!」というわけだ。
 午後2時ごろ街宣から戻ってくると、ぼくにはやる仕事がない。仕方がないので6時ごろまでソファで寝ている。
 午後8時半、「人工島・市民投票の会」から、人手が欲しいと声がかかった。住民投票に賛成している議員と反対している議員とを分かりやすく表にまとめたビラを、あちこちの集合住宅に個別配布するのだという。選挙事務所ではなく、あくまでも市民団体の活動だから、選挙関連の法律による束縛を受けず、何時までだって勝手に活動できる。
 夜中の2時半までかけて、7、8人で数千枚のビラ入れをした。とくに、人工島賛成、住民投票反対の意志表示をはっきりさせているクソ議員の地盤地域には重点的に配布した。どこの陣営も、すでに選挙運動を終えているだろうという選挙当日の未明に、結果的には自分に不利に働くビラがお膝下で大量配布されていて、クソ議員どもは腰を抜かすというわけだ。


    4月16日(日)

 ついに選挙当日がやってきた。
 午前7時半に起きたもののやることがない。まだ事務所には誰も顔を出していない。そこへ一本の電話。「私は人工島建設に反対なのですが、立場が同じ候補者を教えてください」とのこと。「全員の名前を読みあげましょうか」と云うと、「いえ、野口さんは反対の立場だと聞いたんですが、間違いありませんか」と云う。「間違いありません。はっきりと反対の立場です」。「じゃあ、野口さんに入れることにします」。よし、1票獲得!
 しかし投票日当日というのは一切の選挙運動は禁止されているので、何にもやることがない。
 しょうがないので、実家に帰って、おばあちゃんからお小遣いでもせしめようと思い、原チャリを30キロ離れた加治木町の祖母宅まで飛ばす。そういえばこの1週間、フロにも入っていない。ついでに加治木の温泉につかってくる。お小遣いも1万円もらえた。
 夕方、また「六白」でカツ丼を食う。
 でかい古本屋へ行って、友人のエロマンガ家・山本夜羽の単行本2冊と、保坂展人の初期の傑作『街で発光せよ』、山崎浩一『情報狂時代』を買う。
 しかし投票日当日はほんとにやることがない。有権者たちが、一人でも多く、野口どんの名前を書いてくれていますようにと祈るだけだ。ぼくは福岡市民なので、投票権すらない。
 投票に行ったスタッフたちの話によると、投票所の壁に貼り出された候補者一覧のトップになぜか野口どんの名前があったそうだ。どうしてそんなことになったのか今でも不明なのだが、トップに名前があると、「誰でもいいや」という投げやり系の有権者が野口どんに入れる可能性が高くなる。運気は、確実に野口どんに有利に働いていると確信した。
 投票は、8時で締め切られる。開票は9時過ぎからで、開票速報が出始めるのは11時前後からだ。
 石地さんと清水くんが、開票所へ行き、他のスタッフや支援者は、野口どんの実家近くにある玉里団地の事務所へ移動した。午後11時半ごろのこと。
 玉里の事務所には、TVが用意してあって、ニュースが開票状況を刻々と伝える。開票所にいる石地さんからも逐一情報が入る。当選、あるいは落選の瞬間を撮ろうと、新聞記者も2名、張り付いている。どうやら絶対に通りっこない泡沫候補だと思われているらしく、TVクルーの姿はない。事務所に集まったスタッフ、支援者は20数名か。
 TVでは、早々と「当確」を決めた有力候補たちの「バンザイ三唱」が次々と移し出される。
 12時ごろ、開票所の石地さんより第一報。開票率30数%で、まだたったの200票
 他の有力候補たちは早々と千数百票とか云ってんのに……。あれだけ頑張ったのに、いったいどういうことだ。しかしこの時点ではまだ、他の幾人かの有力候補も似たような得票数だったので安心していた。12時半の第2報。開票率60数%で、まだなんと200票で変わらず。事務所に、重苦しい空気が流れ始める。ライバルと目していた無所属保守系の候補が早々と「当確」を決めて、「あいつが通るんなら、野口くんが通らないわけがないよな」となぐさめ合う。
 そして1時ごろ、3度目の電話。開票率90数%で、なんと3千票! なんで2百から3千に一気に上がっちゃうんだ? 開票のしくみはよく分からん。「3千だよね。3百の間違いじゃないよね」、と何度も石地さんに確かめるスタッフ。
 今回の市議選には74人が立候補している。うち、当選するのは50人。1時過ぎの時点で、うち47人はすでに決まった。あと3人の中に、野口どんが入れるのかどうか……。石地さんの報告によれば、あと3人の枠を、6人が全員3千票で競っているのだと云う。もう少しだ、がんばれ!
 「大丈夫だよね。通るよね」
 自転車部隊の桑畑さんと沓掛さんが祈るように呟く。野口どんは、突っ立ったまま腕組みをして、じっと開票状況を伝えるTV画面を見つめている。ぼくも努めて明るく振る舞う。「大丈夫。あいつが通って野口くんが落ちるなんてことはあり得ない。もうすぐ『当確』が絶対出る!」
 1時半、4度目の石地さんからの報告。端数まで含めた開票状況が発表されたらしい。開票率は97%。48人目につけているのが自民党新人の豊平氏で3180票、49番目に野口どんが3174票で入っている、50番目がやはり自民党新人で野口どんと同い年の若者・川越氏で3154票、わずか20票差だ。落ちることになる51番目の人は共産党現職の竹原氏で3093票。
 事務所の雰囲気が明るくなる。行けそうだ。49位と50位は入れ替わる可能性があるが、51位とは80票ほどの差をつけている。このまま行けば当選だ!
 ところが、「当確」報道がなかなか出ない。期待と緊張と焦りが事務所を包む。「行け! 行け! 行け!」とぼくは声に出して叫ぶ。
 そして午前2時過ぎ。
 ピンポーンと音がして、TV画面に「当確・野口英一郎」の文字。
 わーっと歓声が上がる。
 野口どんは、拳を振り上げたかと思うとその場にへたり込む。そして、「やったあ!」と子供のような声を一度だけ上げて、床をたたいて喜んだ。
 泣きじゃくる支援者たち。これまでの努力が、ついに形になったのだ。
 まもなく、鹿児島市長の代理人が事務所を訪れて、「祝・御当選」と赤で書かれた名刺を置いていった。これで、ほんとに当選したんだという実感が湧いた。
 これだけの接戦、数十票差で当落が分かれるという接戦となれば、スタッフ一人一人が、「自分も当選に寄与した」という実感もともなう。ぼくも涙が出た。鹿児島大学や繁華街でアジった甲斐があったというものだ。
 実は野口どん、周囲からはまったくの泡沫候補と思われていたらしく、マスコミからも、他陣営からもまったくのノーマーク、当確が出た時には、「一体こいつは何者だ!?」と関係者にざわめきが広がったという。当確が出てから1時間も経過してからだろうか、ようやく地元で一番大きなTV局がカメラをかついで事務所に現れた。
 ぼくの提案で、「バンザイ三唱」はやるまいということになった。代わりに、ジョン・レノンの「パワー・トゥ・ザ・ピープル」を大合唱する。さすがにインパクトがあったのだろう、このシーンは、「鹿児島の新しい風」の象徴として、何度もTVで使用された。
 こうして、野口どんの政治家人生がスタートした。
 「新議員を激励する外山福岡県知事」の写真もオフザケで何枚か撮った。
 鹿児島はこれから、どんどん面白くなる。ぼくも、今後も積極的に野口どんを支援していくつもりだ。
 それにしても面白い選挙運動だった。街宣車でピストルズ流して、通っちゃうんだもんなあ。アジ演説も楽しかったし。やりたい放題のことをやって、ハッピーエンドで終わる。これ以上ないというくらいのいい体験だった。
 「次」も、楽しくやろうな!