野間易通 徹底批判

2015年7月執筆


     はじめに

 野間易通は2015年現在の日本の社会運動シーンにおける最重要の人物の1人である。
 一時は首相官邸を毎週数万人で包囲した「首都圏反原発連合」の中心メンバーの1人であり、2013年1月に野間を代表として発足した「レイシストをしばき隊」(現「C.R.A.C.」)の活動は、それまで数年にわたって全国各地の路上をいわゆるヘイトスピーチで制圧していたと云っても過言ではない在特会(「在日特権を許さない市民の会」)と初めて互角以上に渡り合った。
 野間のリベラル派としての立場は、ラジカル派である私のそれとは最終的には相容れないものだし、細々した部分から根本的な部分まで多くの批判を持ちつつも、それを全面的に展開することは控え、たまに言及する際にはむしろなるべく好意的であるよう心がけてきたつもりだ。
 ある時期から、野間が突然、ツイッターなどで私に対する揶揄的やがて批判的言及を断続的・間歇的に繰り返すようになり、かつそれらはまったく的外れなものばかりであったが、何度目かの、やたらボルテージの上がった集中的な言及があった際、初めて最小限の反論をおこなった上で、「直接議論すれば意気投合しないまでも問題意識の擦り合わせは可能だろう」し、「ネット上のやりとりで決裂するのはバカバカしいので、いずれ直接」と私の側から“論争”化を打ち切った(2014年10月4日のツイート)。
 その後も野間はやはり時折思い出したかのように私への批判や当てこすり(らしきもの)を繰り返しおこない、私も引き続き“激突”は慎重に回避しつつ、この約9ヶ月間で計数ツイートだけ、野間を牽制する批判的言及をした。
 が、ここにきて私はもう、野間批判を自制することをやめる。反原連やしばき隊の時期と比べて野間が明らかに変質し、日に日に偏狭の度を増しているらしいことを私はずっと残念に思ってきたが、もはやそれはこのまま放置しえないレベルに達している。私は今回、初めて本格的に、野間易通を徹底批判する決意を固めた。
 本稿で私は、野間が(かつてはともかく現在は)在特会やいわゆるヘサヨと“どっちもどっち”であること、野間は(私を含め)批判対象と見なした相手に好んで「サブカル」なるレッテルを投げつけるが、実は他ならぬ野間自身が最も典型的で悪質な「サブカル」であること、2013年以来の在特会vsカウンターの抗争は(一見そうは見えなくとも、また仮に在特会そのものは今後例えば解体されたとしても)本質的には在特会側の勝利に終わりつつあること、などを疑問の余地なく論証することになるだろう。

    第一章 佐藤悟志問題

     佐藤問題の経緯

 私が今回、いよいよ野間に対して堪忍袋の緒を切らしたきっかけは、約1ヶ月前、2015年6月初めに起きた“佐藤悟志問題”である。
 野間およびC.R.A.C.は佐藤をかねてから「レイシスト」規定している。実質的に野間の別アカウントであるC.R.A.C.の、したがってC.R.A.C.名義での野間の2014年5月24日のツイート中にある「これからは佐藤悟志/青狼会@seiroukai も行動保守扱いでいいね」がその始まりと思われる。佐藤の呼びかけで、「『返さなければ戦争だ!』総連大会糾弾!国民大抗議」なる行動が朝鮮高校前で展開されたことを承けての“「レイシスト」規定”である。拉致問題をめぐっては、もともと在特会への批判的な発言も多かった佐藤だが、この前年の2013年あたりから、在特会周辺との連帯を模索しての「『返さなければ戦争だ!』デモ」をたびたび敢行していたというし、C.R.A.C.側にはとうに在特会の“密接交際者”と見なされてもいたのだろう。
 今年2015年5月31日にも、やはり佐藤は朝鮮高校周辺での「『総連結成60周年在日同胞大祝祭』開催を許すな!返さなければ戦争だ!!拉致被害者全員奪還国民大抗議」を呼びかけ、これはC.R.A.C.を主体とするいわゆるカウンター行動の標的となり、当日のはるか以前から、両者の間でネット上での罵倒合戦が白熱していたようだ。もちろん、1年以上前にすでに野間によってレイシスト規定すなわち攻撃対象として公認された、佐藤悟志のツイッターのこの時期のタイムラインも、“アンチファ”(アンチ・ファシスト)勢の集中砲火に対応を迫られてかなり荒れている。C.R.A.C.名義での野間のツイートにも佐藤の名は何度か登場して、佐藤がかつての同志であるカウンター側の山本夜羽音に「タコ殴りにされる」ことを暗に期待するようなことを(つまりあえてわざわざ「暴力反対です」とわざとらしく書き添えるという手法で)書いている。

 もちろん、その程度のことで私は堪忍袋の緒を切らしたりはしない。
 国交がない北朝鮮にはもちろん在日本大使館がなく、総連本部が準大使館の役割を担っているのだから、日本人拉致問題への抗議行動がその事実上の北朝鮮大使館の前で大々的におこなわれること自体には、何の問題もないばかりかむしろ正当でさえある。「朝鮮高校に押しかけて関係ない子供たちまで巻き込むな」的な声が上がるのも気持ちは理解できなくもないが、あくまで佐藤らは朝鮮高校を会場としてこの日におこなわれる総連の大会を抗議対象としているのである(今回は総連結成60周年祝賀を兼ねた「在日同胞大祝祭」)。総連幹部が集う機会であり、この日に限っては朝鮮高校内の大会会場が総連の云わば“1日出張所”となっているのであり、北朝鮮政府のさまざまの蛮行に憤る人々がこれを抗議行動の標的に選ぶことがとくに間違っているとは私には思えない(さらに云えば、祖国の独裁体制を賛美する教育を日常的におこなっている朝鮮高校に日常的に抗議に押しかけることが仮におこなわれたとしても、それも何ら問題ではない。例えば『新しい歴史教科書』とかを採用している中学校の前でしょっちゅう抗議行動をおこなう左派系の団体があったとして、別に何の問題もないのと一緒である。私は反管理教育運動時代、しょっちゅうあちこちの高校前で生徒に反乱を呼びかけるビラをまいていたが、今もし朝鮮高校の前でその教育方針への反乱を呼びかけるビラを生徒たちに日常的にまく団体があれば、素晴らしいことだと思うし、「子どもたちを巻き込むな」とか云う奴がいればそいつは“学校当局の手先”であるに決まっている)。
 一方で、“事実上の北朝鮮大使館”やその“1日出張所”への抗議行動それ自体は問題ではないにせよ、佐藤はすでに在特会との共闘関係を築き始めてから長く、その呼びかけには在特会界隈も呼応して結集するだろうし、これまで在特会が各地で捲き散らしてきたヘイトスピーチの数々を想起すれば、どうせ今回も同じようなものになるだろうから、形式的には正当性を持っているかに見えてもこれは潰さなきゃいかん、という立場も理解できる。
 かつて野間に「ある種の“どっちもどっち”論者」という非難も浴びたとおり、私は、野間が「“どっちもどっち”論者」なる造語で批判したような主に「ガラの悪さは“どっちもどっち”でいずれも支持できない」という立場とは別種の、「どっちにもそれなりの正当性はあるんだから、どっちも部分的には支持する。ただし双方に対してそれぞれ異論もたくさんあるからどっちにも肩入れはしない。まあせいぜいお互い頑張って、どんどん衝突して切磋琢磨し合ってほしい」という、たしかに「ある種の“どっちもどっち”論者」であり、今でも基本的にはそうである。今回のことも、お互いどんどんやればいいと基本的には思う。

 許し難い問題は九州で起きた。
 佐藤悟志はこの「国民大抗議」の直後の6月上旬、とても公言が憚られるような後ろ暗い目的で(ここは私も佐藤を弁護しがたい点なので佐藤の名誉なんか気にせず人民に情報公開してしまうと、AKB総選挙にうつつを抜かすために)福岡に数日滞在することになっており、佐藤はもともと反原発の立場で(野間と違って最近になって急に目覚めたのではなく、88年以来の反原発派である)、東京で2011年7月以来現在まで毎月おこなわれている“右から考える脱原発”デモの立ち上げからの参加者でもあり、しかも数年来かなり深い付き合いのある福岡の右翼活動家・藤村修を代表としてこの2年ほど毎週おこなわれている「右から九電前抗議」グループの反原発街宣に、ごくごく自然な流れとして1日参加することを表明していた。
 するとどういうアタマの構造をしているのか、たまにこの「右から九電前抗議」にも参加してさえいるC.R.A.C.の九州支部の面々が、佐藤のような「レイシスト」を反原発運動に参加させてはならない、などと騒ぎ始めたのである。
 おいおい。反原発運動だぞ。在日朝鮮人へのヘイトスピーチもレイシズムも関係ないだろ。

     佐藤悟志とはどのような人物なのか

 そもそも佐藤悟志ははたして「レイシスト」なのか?
 C.R.A.C.界隈からの佐藤への罵倒には「レイシストに居場所はない」などの文言も見られたが、要するに「社会的に抹殺してもよい」なんてすごいことを云ってしまうからには、それを云う前に当該人物についてそれなりに入念に調べあげるぐらいのことは必要だろう。でなければ、デタラメな情報を真に受けてまるで日本社会が“チョーセンジン”によって実効支配されているかのように思い込んで「チョーセンジンは日本から出て行け」などとわめき散らす手合いとまさに“どっちもどっち”である。
 佐藤の経歴は異色である。
 高校時代に新左翼党派(戦旗・荒派)に加盟し、三里塚闘争で最初の逮捕を経験している。大学時代に党派を離脱し、88年から90年にかけての“日本版・89年革命”の最左派部分を担った首都圏の若者グループ「反天皇制全国個人共闘〈秋の嵐〉」の一員となった。89年に秋の嵐が一時停滞していた時期に、鹿島拾市(在特会批判のモチーフで関東大震災での朝鮮人虐殺を捉え直した『九月、東京の路上で』の著者である、あの加藤直樹だ)や山本夜羽音(先述の、やがて90年代半ばに1度ブレイクしかけた“社会派エロマンガ家”)が秋の嵐の周辺で結成した「馬の骨」の活動にも積極的に関わっている。「馬の骨」は反原発や反管理教育もテーマとし、またまさにその時期に天安門広場を埋め尽くしやがて弾圧された、民主化を求める中国の若者たちとの連帯も志向して、佐藤は、亡命を求めてハイジャックで日本入りした天安門の活動家を中国に強制送還することを決めた法務省への抗議行動で逮捕されたりもしている。
 私が「秋の嵐」の界隈と親しくなったのは90年秋で、佐藤は当時すでに「ファシスト」を自称していた。私自身がファシズム転向した現在では、佐藤は「ファシスト」を自称しているだけで、実際にはファシストでもなんでもないと断言できる(もちろん「佐藤はファシストではない」というのは弁護して云っているのではなく、私はファシストなんだから当然これは批判的に云っているのである)。実際、佐藤自身が、ファシズム思想の何たるかを勉強した上で「ファシスト」を自称し始めたのではなく、左翼に疑問を持ち、さりとて右翼にも同調できず、“右でも左でもない過激派”の意味をこめて、当時も今もあまり自ら標榜する者は稀な「ファシスト」を“消極的に選択した”と時折漏らしている。
 では佐藤は「ファシスト」でなく何なのかと云えば、要は“ネオコン”なのである。野蛮な後進国に欧米流の“人権”の理念を押しつけるためなら暴力も戦争も辞さず、という立場である。たしかにそれは一般的な左翼の立場とも右翼の立場とも違う。その独特のスタンスを表現するために、佐藤は、当時まだあまり知られてはいなかった「ネオコン」という言葉を使用して正確を期すことができず、間違って「ファシスト」を自称してしまったのであるが、何とかその本来の志向を表現しようと「自由主義ファシスト」だの「人権ファシスト」だの「軍国主義フェミニスト」だのと工夫しており、苦労の跡がうかがわれる。人種差別・民族差別など、佐藤のごとき“過激な人権派”からすれば許しがたい“人権侵害”であるに決まっており、佐藤が「レイシスト」などであるはずがないのである。
 佐藤は「秋の嵐」の末期(90年12月)にも逮捕されているが、それは、当時の拠点スペースで集団でザコ寝している時に起きた女性メンバーへの痴漢行為に関して、加害者の男性メンバーに対しておこなった厳しい糾弾が「監禁・脅迫」として立件されたものである。また、佐藤は「馬の骨」時代にその中心的な活動家の1人だった幸渕史というフェミニストに強く影響され、93年には“売春婦の人権”擁護を訴えるパンフレットを発行して、少なくとも当時はまだ単に売春そのものを否定するだけで“売春婦の人権”などまったく眼中になかった上野千鶴子など主流派のフェミニストを徹底批判する活動も展開していた。反差別の糾弾闘争で逮捕され、反差別のエライ学者先生をより徹底した反差別の立場から批判する活動を四半世紀も前から開始していた佐藤に対して、たかだかここ1、2年で差別問題に取り組み始めたC.R.A.C.のヒヨッコ活動家ごときが「レイシスト」呼ばわりとは、おまえら小林よしのりにでも影響されてゴーマンかましてんのか?
 佐藤が在特会と共闘しているのは、あくまで北朝鮮批判(民主化要求と拉致糾弾)の文脈である。
 そもそも北朝鮮民主化を要求する運動は、日本で、93年に、右派ではなく異端的な極左派の運動として始まったものである。93年にRENK(救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク)を結成した李英和(現在は関西大学経済学部教授)はそもそも生粋の極左活動家であり、学生運動経験を経て、在日外国人への参政権付与を要求する運動の中心人物の1人となった。91年に日本からの留学生第1号として北朝鮮政府の承認のもと北朝鮮へ渡ったことからも、その“極左”ぶりは折紙つきであったことが知れよう。だが李は約9ヶ月間の初めての“祖国”訪問によって、もちろん北朝鮮が“地上の楽園”であろうなどとはそもそも考えてもおらず、実態はかなり悲惨なものであろうと覚悟していたとはいえ、いざ行ってみるとその暗黒社会ぶりは想像を遥かに上回って(下回って?)いたことに衝撃を受け、日本に帰国していよいよ「祖国民主化」の旗を公然と掲げることになったのである。
 李の活動は、少なくとも左派やリベラル派であれば誰だって素直に共感しうるはずのレベルの、ごくごく素朴な“人権”や“民主化”を要求するものであったにも関わらず、左派やリベラル派の多くはこれに冷淡だった。冷淡どころか、「あれはKCIA(韓国の秘密警察)の手先だ」「アメリカの手先だ」「スパイだ」「反革命だ」とさまざまなデマや罵詈雑言を浴びせかけられることも稀ではなかったのである。RENKを支持し、李の周囲に結集したのは、関西のブント系のたぶん総勢数名の弱小党派や鹿島拾市らの“異端的極左”の一部や、三浦小太郎などの“良心的?(リベラル?)右派”、そして佐藤のようなキワモノ活動家たちだけだった。
 佐藤はその後も「北朝鮮民主化」を「売春婦の人権擁護」などと共に自身の主要な活動テーマの1つとし、発言や行動を続けてきた。
 日本人拉致が“疑惑”ではなく事実となった02年、もともと左派の中から出てきた運動なのに左派の大多数がこれに冷淡さらには敵対的であったためにすでに右派が主導するものになってしまっていた北朝鮮批判の諸運動に対し、左派は一瞬沈黙したが、ホトボリが冷めるとまたぞろ「北朝鮮にもいろいろ問題はあるが、かつての侵略戦争の件もあるし、過剰な批判は自制すべきだ」、やがて「北朝鮮ばかり批判する連中は日本帝国主義の擁護者・加担者だ」と橋下徹などと“どっちもどっち”な鉄面皮ぶりを露わにして現在に至る。
 佐藤が在特会との共闘も厭わないことを批判する前に、佐藤がそうせざるをえないほど「北朝鮮民主化」というテーマに徹底的に冷淡であり敵対的であり続けてきた左派・リベラル派の問題点を自覚し、反省すべきではないのか? なぜ「北朝鮮民主化」(要するに金日成の血統による非道な独裁政権を倒せ)という真のリベラル派であれば誰でも支持しなければならないはずの要求を掲げる運動に、リベラル派はまったくと云ってよいほど結集せず(佐藤のような“キワモノ”がやってるからだというのは云い訳にならない。李英和はもっとフツーの人だし、もちろん李や佐藤とは一定の距離を置きながら別個の運動体を立ち上げたっていいはずだ)、佐藤のような単にちょっと過激なだけの人権派に、よりにもよって在特会とさえ連帯しなければならなくなるほど孤独な闘いを強いてきたのか、もっと深刻に自らが身を置く“リベラル勢力”とやらを見つめ直すべきだ。
 もし、左派の北朝鮮民主化運動が存在すれば佐藤はそれにも積極的にコミットするだろう。もちろんそうなったとしても、佐藤はそれこそ純粋な“シングル・イシュー”派だから、「北朝鮮批判」の一点で在特会との連帯も引き続き追求するかもしれないが、もともと佐藤は例えば「救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)」などの運動現場にヘイトスピーチを持ち込んで世論の反発を生じさせかねない在特会に対して、批判的なスタンスを表明していた時期も長かったのだ。
 あるいは今回C.R.A.C.が標的とした「国民大抗議」の呼びかけ文は、「日朝両国国民共通の敵、金王朝の走狗、朝鮮総連」と冒頭で明記し、「朝鮮学校生徒を含む一般在日や韓国を敵視したプラカード持ち込み、コールは厳禁、朝鮮学校生徒並びに、父兄に対し、総連、朝校、なかんずく金王朝からの離脱、決別を呼び掛けます(金王朝、総連、朝鮮学校運営者が糾弾の対象です)」との注記もある。もちろん本当にこれがこのとおり守られているかどうかを監視することも重要だろうが、カウンター側が“レイシスト”と見なす者どもですらこのような文言を、たとえそれがタテマエの類であったとしても、明記せざるをえなくなっているのかもしれないことにも注意を払うべきではないか? 例えば在特会は自らの明白なヘイトスピーチの数々を「ヘイトスピーチではない」と前々から強弁してはいるが、おそらく佐藤の手になる今回の注記では明確に、“北朝鮮の人民ではなく政府や政府機関のみを攻撃せよ”という方針が打ち出されており、もし在特会界隈からの参加者も(たとえこの日限りであっても)この方針に従うとすれば、そのこと自体はカウンター側も一定の評価をすべきではないのか? そして在特会界隈にこのような“正しい変質”が、佐藤のような、アクロバティックな立ち回りも辞さない異端的活動家が在特会と連帯しつつ対峙することによって少しずつでももたらされていくとすれば、それはそれで素晴らしいことではないか。
 “在特会と仲良くしている、よってコイツは「レイシスト」確定!”みたいな単純な見方しかできない連中に、本当に在特会的なものと対峙するために有効なことは何1つできないだろう。それどころか、そうした“単純な思考”こそが実は“さまざまな差別の温床”なのであり、人種や民族を根拠にしてはいないから「レイシズム」ではないにせよ、本質的には在特会などと“どっちもどっち”と見なされても、こうなってしまってはもはや自業自得である。

     野間の恐るべき誤読能力

 この“佐藤悟志問題”に関連して、私は「“レイシストに居場所はない!”とか云っていいのは我々ファシストだけなんだよ」とツイートした(6月7日)。すると案の定これに対して野間易通が「サブカルどうしようもねーなー。だったら飲み屋に来た佐藤に『おまえの席ないから』って言えよ」とツッコミ?を入れてきた(6月16日)。
 それまで野間に対して私は、「コイツちょっとバカだな」と思うことは多々あったし、しかしラジカル派の私から見ればリベラル派はもともと全員バカなのであって、リベラル派の野間が“ちょっとバカ”なのも仕方がないことでしかなかった。しかし、このツイートに接して私は、もしかすると野間は“ちょっとバカ”なのではなく“ものすごくバカ”なんじゃないかと初めて思ったのである。
 野間のツイートは、今回の佐藤来福に合わせて我が九州ファシスト党〈我々団〉本部にて、「佐藤悟志を囲んで飲む会」を開催したことをふまえてのものであろう(「飲み屋」でやってると誤解しているようではあるが)。ファシストだけが「レイシストに居場所はない」と云う資格があると云うのなら「レイシスト」を囲んで飲むとかナンセンスだろ、「レイシストに居場所はない」とか口先だけで、言行不一致じゃないか、の意であろう。
 だが野間の誤読は明らかである。そもそも私は佐藤を「レイシスト」だとは考えていないことはこれまでに述べてきたとおりだが、それ以上に野間がバカなのは、私のツイートの趣旨を全然理解できていないところにある。私は「(“レイシスト”であれ何であれ)思想信条を理由に他人に“オマエの居場所はない”=“存在そのものを認めない”なんて対応をすることが許されるのは、反民主主義を公然と掲げ、“言論の自由”を誰にでもひとしなみに保障することに公然と反対している我々ファシストだけだ」と云ったのだ。つまり民主主義や平等な人権保障を肯定する立場で活動する者は、意見や立場を異にする者と論争し、時には物理的に衝突してしまうことがあったとしても、それらはあくまで対等な立場での論争や衝突であり、相手の存在そのものを否定するようなものであってはならないはずである。通常はそうだがレイシストだけは例外だということだろうが、そんな例外が恣意的に設けられてよいはずがない。もしレイシストは例外だ、と云うのなら堂々と民主主義を否定し、「言論の自由」はすべての者に平等に保障されるべきではないと公言すべきである。そして民主主義や平等な人権保障の否定を堂々と掲げることができる政治的立場は近代思想の枠内ではファシズムだけなのだから、そんなことを云うのならファシストを標榜しろ、さもなくばそんなことを云うのはやめろ、と私は云ったにすぎない。
 この含意はとくに解説しなければならないほどのものではなく、先のツイートを一読すればこのような含意以外ではありえないことは一目瞭然であって、説明されなきゃ分からないという人があれば、たぶん例えばセンター試験の現国の問題で8割も得点できないのだろう、そんな人は稀にここぞという場面以外では“言葉”こそが命である政治的運動に関わるべきではない、と(私は、シンプルな生存権や「教育を受ける権利」とか以外の、「言論の自由」や参政権などの諸権利には能力に応じた制限が設けられるべきだと考えているファシストなので)思うだけだ。私のツイートへの野間の反応は、明らかに野間が、政治的活動に関わる者が最低限有しておかなければならないこの能力を欠いていることを端的に示している。

     野間あるいは「しばき隊」の変質

 野間が意外と本格的にバカであるらしいことは措いても、残念でならないのは、「しばき隊」を結成した当初と比較しての野間の反在特会運動の明らかな変質である。
 結成当初の「しばき隊」は、在特会の「言論の自由」を認めていた。「しばき隊」はもともと、在特会がコリアン・タウンでデモをおこなった後、デモ到着地点での集会も終えて“解散”した後に、“お散歩”と称して徒党を組み、在日が経営する商店にイヤがらせをして回るのが恒例化していたので、これを阻止するために結成されたものである。「しばき隊」は在特会のデモの解散地点付近のコリアン商店街のあちこちに人員を配置し、在特会メンバーのデモ解散後の行動を監視し、そうしたイヤがらせを察知すれば駆けつけて、取り囲んで威圧し、商店街から立ち退かせていた。あくまで解散後の“狼藉”を問題にしていたもので、デモそのものは放置していたし、野間ら自身が、在特会にも「デモをする権利」があることは認める発言を当時は何度もおこなっていたと記憶する。
 それ以上に、私が初期の「しばき隊」を高く評価したのは、彼らが“拉致”と称して(警察の目も光っているのだし字義どおりに“拉致”していたはずがなく、これは「しばき隊」特有のワルぶったレトリックにすぎない)、そのようにして遭遇した在特会メンバーらをそのまま居酒屋に連れ込み、長時間議論するなどの試みを繰り返していたからである。この点は、今でも偉いと思っている。
 初期の「しばき隊」は、表面的にどれほど物騒なイメージを演出していようと、また言葉遣いなどはどれほど乱暴であろうと、在特会の活動に参加する人々を、向き合って議論を闘わせるべき対等な存在として遇していたのである。バカは暴力的に黙らせてもいいのだと確信している我々ファシストとは違って、民主主義の価値を信じるリベラル派はこうでなくてはならないと私は感動した。
 が、もちろんこのようなことは現在ではもうおこなわれていないだろうことは、今回の佐藤の一件からも容易に推測しうる。「しばき隊」ならぬC.R.A.C.は、もはや“レイシストども”を対話の相手とは想定していまいし、佐藤のように、かつての「しばき隊」とは別の方法によってであれ在特会とのある種の対話を試みているには違いないような人間は、レイシストの“密接交際者”すなわち“ほとんどレイシスト”であり“つまりレイシスト”として社会的に抹殺してもかまわない、というところにまで後退してしまっているのだろう。

     4年前の針谷大輔問題を思い出せ

 自分にはよく理解できないがどうやら敵っぽく見える者をとりあえず“在日認定”してしまうネトウヨのように、C.R.A.C.が佐藤を“レイシスト認定”し、福岡の反原発右派の九電前抗議に参加することを認めないと騒ぎ始めたことを承けて、佐藤は自分のせいで現地の運動が混乱するのは偲びないとして、九電前抗議への参加を辞退した(C.R.A.C.九州支部は、今回のことは九州の独自判断でやったことだし、そもそもC.R.A.C.の各地の支部と野間ら東京C.R.A.C.との間に指揮命令系統のようなものはないのだからと野間を擁護するが、佐藤への「レイシスト」規定や、佐藤をカウンター行動の対象としてよいという認識は東京・九州の別を問わずC.R.A.C.界隈で共有されているはずであり、かつ今回の展開は佐藤らの「国民大抗議」への東京C.R.A.C.の対応から連続して起きたものである。また、野間は今回のC.R.A.C.九州の対応を少なくとも追認している)。
 ここ数年の野間の活動の変遷、あるいはやはりここ数年の“若い”(40代以下!)社会運動シーン全般の変遷を一定よく知る者に、今回の佐藤の一件はどうしようもなく、ある既視感を呼び起こすはずである。それは、現在ではすでにそのシーンにおいて独特のニュアンスを帯びて定着してしまったかに見える、“ヘサヨ”なる罵倒用語の誕生にも関わる。
 語感と相まって“ヘタレ左翼”、“ヘナチョコ左翼”、“ヘボい左翼”、“屁のような左翼”……といったニュアンスを急速に帯びてきた“ヘサヨ”の本来の意味は、“「ヘイトスピーチに反対する会」のような左翼”である(以下「ヘイスピ会」と略す)。そういうグループが、当時存在したのである(今も存在するかもしれない)。当時というのは、3・11のあった2011年の、6月のことである。元東大ノンセクトで、00年代末にそこそこ盛り上がったフリーター労働運動、“プレカリアート”運動の中心組織「フリーター全般労組」の山口素明を実質的なリーダーとする、20代から40代の、幾人かの正統派つまり凡庸な新左翼ノンセクト活動家のグループである。
 3・11を経てなお、盛り上がりそこねていた反原発運動が、約1ヶ月目の4月10日、初めて1万人規模のデモを実現する。場所は高円寺、呼びかけたのは「素人の乱」である。素人の乱は、90年代後半の「法政大学の貧乏くささを守る会」での八面六臂の活躍以来、知る人ぞ知る首都圏の名物活動家としてさまざまな騒動を巻き起こしてきた、松本哉が主宰する高円寺の面白左翼グループである。とくに07年の杉並区議選への出馬以降、一定の注目を集め始めていた松本そして素人の乱だが、それでも生真面目でオーソドックスな社会運動シーンにおいてはやはり異端あるいはキワモノ的な扱いであったのが、この4月のデモの成功によって、一気に首都圏の反原発運動の中心に祭り上げられることになった。
 そして6月11日の“あの事件”である。
 4月をさらに上回る規模が予想されたこの6月のデモの準備過程で、素人の乱と“共催”の立場にあった新宿のトークライブハウス「ロフトプラスワン」代表の平野悠から、デモ出発前の集会でのスピーチを、統一戦線義勇軍の議長・針谷大輔にも依頼してはどうか、との提案がなされた。オソロシゲな組織名称からも想像されるとおり、針谷は正真正銘の右翼活動家である。統一戦線義勇軍は、元々は鈴木邦男の一水会の関連組織で(現在は一水会からは完全に独立した組織である)、一水会は88年の第1次反原発ムーブメントに際してすでに反原発の姿勢を鮮明にしていた。当然というべきか、針谷も反原発派であるらしい。左翼ではあるが思想的には度量の広い素人の乱は、平野のこの提案をとくに反発もなく受け入れた。
 これを知って騒ぎ始めたのが「ヘイスピ会」である。右翼を登壇させるとは何事か、もしそんなことをするなら我々はデモに参加しないし、そればかりか当日やってきて出発前集会で針谷登壇阻止の実力行使に出る、などと(ネットで)盛んに云い出した。
 ヘイスピ会の主張がメチャクチャであることは云うまでもない。デモの主催は素人の乱とロフトプラスワンであって、出発前集会での発言者の人選にヘイスピ会が口を出す権利はない。もちろん「右翼とは何があっても同席すべきではない」という政治的立場はありうる。ならば単に自分たちが参加しなければいいだけの話である。
 あるいは、もう少しヘイスピ会に理解を示してやってもよい。私だって実は90年代初頭、ろくでもない左翼の集会に押しかけては“粉砕”する活動にことさらに精を出していた人間である。他人の主催する集会であっても、それが自分たちの志す社会変革にとって有害だと思えば“粉砕”してよい。私は、「子供の権利条約」の批准を目指す運動に反管理教育運動が収斂させられ、数少ない“目覚めた生徒”たちもそれに動員されていることが、学校現場での生徒たちの具体的な決起の芽を摘んでいると判断して、同条約の関連集会を“粉砕”して回った。原発問題と同等かそれ以上に近年のナショナリズムの高まりを危惧しているのだろうヘイスピ会が、集会での右翼の登壇を、今回の反原発運動もナショナリスティックな“国民運動”に回収されていく危険な萌芽と見なして、なんとしてもこれを潰さなければならぬと危機感を抱いたことも、私には実は理解できなくもない(もちろん左右の反体制派の連帯こそファシズム運動の基盤と考え、これを積極的に推進したいファシストとして賛同はできないが)。
 だから本当は、ヘイスピ会の“不当”な要求を頑として突っぱねなかった素人の乱が一番悪いのである。妨害に来るなら来い、スピーチを依頼した以上は身を挺してでも登壇する針谷を守る、と素人の乱は云わなければならない場面だった。しかし素人の乱はただオロオロするばかりで、結局は、自分のせいで混乱が起きては申し訳ないから、と針谷が自ら身を引いて集会不参加を表明することでまずは騒動に幕が引かれた。ちなみにこの一件を機に、左翼が主導する反原発運動に受け入れてもらえないのなら独自にやるしかない、と針谷が翌7月に開始し、現在まで毎月続けられているのが東京での「右から考える脱原発」デモだ。
 既視感、である。この時の針谷=今回の佐藤、である。「混乱を招くのは本意ではないから」と当該が自ら身を引くところまで全部一緒である。
 言葉尻を捉えて自分に都合のいいように相手の云いぶんをねじ曲げることの多い野間だから、先の私のある種のエクスキュースを捉えて、「じゃあ悪いのは佐藤を守りきれなかった福岡の反原発右派だろ。オレらが文句云われる筋合いはない」などと開き直るかもしれない。波に乗ってた上にもともと何十人もの仲間がいる素人の乱だからこそ云えることを、反原発運動そのものが停滞している状況下で実質たった2人でシコシコ地道にやってる福岡の反原発右派に対して云うのは酷な気もするし、今回は佐藤の参加を福岡側から依頼したわけでもないが、原理的にはそのとおりだと云ってもよい。だがそうだとしても、私が問題にしているのは、要するにC.R.A.C.の今回の“佐藤事件”での役回りは、“針谷事件”の際のヘイスピ会のそれと寸分変わるところがない、という点である。素人の乱や福岡の反原発右派の責任問題は、“また別の話”だ。
 “針谷事件”は、針谷が身を引くことによっては終わらなかった。6月11日のデモ当日、もちろん針谷は現場に現れなかったが、経緯を知って怒った一部の“右翼が登壇したっていいじゃないか”派の左翼活動家らが、針谷排除への抗議の意味で日の丸を持って登壇してヘイスピ会批判のスピーチをおこない、これを実力で引きずり下ろそうとするヘイスピ会と何度か小競り合いが起きたのである。
 唐突に大きな運動の中心に祭り上げられた矢先に、このような展開に直面して疲弊しきった素人の乱は、次第に反原発運動から撤退していく。
 一連の“運動史”について知っている諸君や、何より野間自身によく思い起こしてほしいのは、野間らはこの“針谷事件”を教訓として、反原連(首都圏反原発連合)の“ヘサヨ排除”の方針を打ち出したという脈絡である。
 ヘサヨ排除は当然である(何事も絶対的に正しいということはない。ヘサヨやヘサヨ支持者にとっては間違っていよう)。野間ら反原連はとにかく原発を止めるために、徹底して“シングル・イシュー”の路線を守り抜こうとした。「右翼の参加は許容して、一部の左翼は参加お断りとは何事だ」とヘサヨは喚いたが、野間らが排除したのは、(原発問題とは直接関係がないように少なくとも世間からは印象されるだろう組合旗や全学連旗などを持ち込んでシングル・イシューをぼやかしかねない人々と)「これこれの連中は参加させるな」と主催者でもないくせに主催者に傲慢な要求をしてくる手合いであり、右翼はべつに「ヘサヨを排除しろ」などとは云わないから排除されず、ヘサヨは「右翼を排除しろ」と云うから排除されただけの話である。
 反原連の正しい方針は、素人の乱の疲弊によっていったん低迷期に入りかけていた反原発運動を持ち直させ、2012年6月末から少なくとも数ヶ月間、首相官邸を毎週数万人が包囲する、素人の乱の主導期以上の量的高揚を実現した。
 もちろん私は反原連を全面的に支持するものではない。警察への迎合過剰、それと関連する参加者の暴徒化への過剰な警戒、当時の野田首相と会ってしまったこと(あれで失速した)など、批判したい点はたくさんある。が、彼らは3・11以後か、せいぜいその数年前あたりから六ヶ所村の問題などをきっかけに反原発運動に参入した、素人の乱の面々以上の素人さんたちであり、それらの誤りはいかにも素人さんにありがちな誤りだし、そうした失敗を繰り返す中で自ら誤りに気づいて自らを鍛えていくしかないのだから、と思いながら私は私で、現時点では彼らには歓迎されなかろうラジカル派として、圧倒的少数派であっても可能な独自の反原発運動を彼らとは別個にいろいろ模索してきたことはこの場でクドクド云うまでもない。
 ともあれ反原連は“シングル・イシュー”の反原発運動を、少なくとも当時はよく担いきっていたと思う。そう注視し続けてるわけではないので事実誤認なら申し訳ないが、印象としては、いつしか“護憲”だの“秘密保護法反対”だの、なし崩し的に“マルチ・イシュー”化が進んでしまっているように感じる。
 反原連がその後どうなったのかは措いて、この“シングル・イシュー”と“マルチ・イシュー”は重要な論点だ。
 ヘイスピ会が間違っていたのは、シングル・イシューの運動現場にマルチ・イシューを(戦術的な慎重さを欠いてただストレートに)持ち込んだからである。持ち込んでもよいが、よほど上手く事を運ばないと、単に自分たちが嫌われるだけの結果に終わる。ヘイスピ会の面々は原発問題にかぎらずさまざまの社会問題に関して広く認識を共有しているのだろうが、3・11で初めて目覚めて社会運動の現場に足を運んだような人間が大半であることが容易に予想される場で、それが他人にも当然共有されているべきであるかのように行動してはならないに決まっている。例えば原発と差別の問題は、関係あると云えば関係あるし、原発と“かつての侵略戦争”の問題だって、関係あると云えば関係あるのかもしれない。が、まずそれらさまざまの問題に関してすべて認識を共有しなければ一緒に運動できない、などと云うならそれはまず党派を作ろうと云っているのと同じである。
 マルチ・イシューで団結するのは党派にのみ可能なことだ。シングル・イシュー(あるいはせいぜい限定されたいくつかのイシュー)でしか団結しえないからこそ“無党派”の運動なのだ。党派であってさえ、党外の者と共闘する場合にはシングル・イシューにおいてでしかありえない(マルチ・イシューで組めるのなら別々の党派である理由がない)。マルチ・イシューの共有を要求できるのは、党派がそのメンバーに対してだけである。
 ヘイスピ会は党派ですらないくせに党派が内部に対してのみ要求しうることを“党外”の者にまで要求したから失敗した(“針谷事件”では要求そのものは実現したかもしれないが、嫌われて反原連からは自らの側が排除された)のである。おそらくそのようなトンチンカンは、自らが実質的には党派である(マルチ・イシューで団結している)のに、その自覚がないことに由来する。党派としての自覚がないから、“党内”と“党外”の区別がつかなくなるのである。“無自覚な党派”は、場合によっては悪質な党派よりもタチが悪い。自らが党派であることの自覚がない党派は、「カルト」とでも呼ぶのが一番しっくりくるだろう。
 “針谷事件”から4年を経て生起した“佐藤事件”において、C.R.A.C.は、かつて自らが否定したヘイスピ会とまったく同じ振るまいをした。
 在特会が(佐藤が今回の「国民大抗議」で在特会界隈からの参加者にも要求した、北朝鮮政府とその出先機関のみを攻撃対象とする方針に、今後どんどん影響を受けてくれれば別だが)レイシスト集団であることは間違いない。だが佐藤は在特会とは別個の主体として活動しており、少なくとも佐藤自身は“朝鮮人一般”を貶める発言などとうていしそうにないことは、ちょっと調べれば誰にでも分かることだ。しかしたしかに、佐藤個人はレイシストでないとしても、北朝鮮の現体制批判というそれこそ“シングル・イシュー”で佐藤は在特会というレイシスト集団と時に共闘してはいる。
 C.R.A.C.がかつての「しばき隊」とは異なり、在特会メンバーを居酒屋に“拉致”して対話するような“模範的リベラル”の姿勢をかなぐり捨てたのは、残念ではあるがまだ許容できる。だが、レイシストを攻撃するだけでなく、レイシズムではない個別課題で(北朝鮮の非道な独裁政権を批判したり拉致を糾弾することはレイシズムではない)レイシストと共闘する者をも攻撃対象とすることについては、私は許容しがたいし、反レイシズムの熱心な活動家の中にも異論はあるはずだ。さらには、その者がレイシズムとはまったく関係のない場(単なる反原発運動)に参加することをさえ攻撃対象とすることは徹頭徹尾間違っており、そんなことまで許容しうる者が集団として存在するとすれば、それはもはや「反レイシズム」団体などではなく、(何だか知らないが)外部からは窺い知れない何らかのコジれた病的で特殊なイデオロギーを共有するカルト集団だと見なす他ない。
 C.R.A.C.はもはや山口素明カルトのヘイスピ会と“どっちもどっち”の野間カルトである。

    第二章 野間こそサブカル野郎である

     野間の「外山=サブカル」論

 野間は論敵(というか、気に入らない相手)に対して馬鹿の一つ覚えのように「サブカル」のレッテルを貼る。私も繰り返し「サブカル」呼ばわりされている(以下面倒なのでしばらくカギカッコは外す)。
 私は自分がサブカルでないことを自分でよく分かっているし、また野間がとにかく他人をサブカル呼ばわりしたがるのは、野間自身が少なくとも過去にはサブカルであったこと(私はサブカルではないから名前を聞いたこともなかったが「花電車」というサブカル方面ではそれなりに知られていたらしいバンドをやってた、あるいはやってるというし、何より『ミュージック・マガジン』なんて典型的なサブカル誌の副編集長を務めていたというのだから!)への負い目から心理学で云う“否認”の症状的に、あるいは自身がようやく克服した(と自分では思っている)サブカル性を今なお脱却していないように見える他人に過去の恥ずかしい自分の姿を見るように感じて、過剰に攻撃的になってしまうのだろう、急に政治に目覚めたサブカルってのも大変だな、とかなり同情的に見ていたので、せいぜいたまに揶揄的に「サブカルはおまえの方だよ」とまぜっ返す以上の本質的な反論はしてこなかったが、今回いい機会なので、“野間こそサブカル”もきちんと論証しておこう。
 まあ、わざわざ論証などせずとも、仮に典型的なサブカル誌である『クイック・ジャパン』が性懲りもなくまた久々に“政治特集”とか組んだとして、私は取り上げられず野間は大きく取り上げられるに決まってることを容易に想像できる時点で、どっちがサブカルなのかは明白だと思うのだが……。私なんか、たしかに『クイック・ジャパン』にも宝島社の『音楽誌が書かないJポップ批評』シリーズにも今は亡き『噂の真相』誌の永江朗によるインタビュー連載にも、典型的なサブカルの“華の舞台”の数々にその初期にのみ(あるいは『シティロード九州版』とか『スタジオボイス』とかの終刊間際にのみ編集部のヤケによって?)登場しちゃいるが、つまりたしかに一見サブカルとまぎらわしいからそういうのが真っ先に寄ってはくるのだが、すぐに「コイツはどうも違う」と察知され放逐されてきたのである。私が決してサブカルでないことをさすが重々承知の上で何とか飼い馴らせないものかとムダな努力を比較的長期にわたって続けたのは唯一、サブカル界の“黒幕”中森明夫だけだった。

 そもそも「サブカル」とは何なのか? 野間自身、「サブカル」と「サブカルチャー」とを峻別する考えをたびたび表明しているが、私も両者はまったく違うものと考えている。野間は自身を、サブカルではなくサブカルチャーである、あるいはかつてはサブカルだったが今は反省?してサブカルチャーたらんと志している、ということであるらしいが、私はサブカルでないのはもちろんサブカルチャーですらない。
 まず野間の考えを見てみよう。
 野間のツイート量は膨大なので、とてもそのすべてに短期間で目を通せるものではなく、私をサブカル呼ばわりしたツイートの前後を重点的に再点検してみるに、野間は2014年9月27日深夜から28日未明にかけての一連のツイートで、「サブカル」という言葉を、「一般名詞のsubcultureではなくて、90年代以降の日本の文化的・政治的気分」を指し示すものとして使用していると云う。そして私の言動を「『めちゃくちゃなこと言ってる俺って "文化的に" おもしろいでしょ?』みたいな感じでしかないんだよね。タブーを破ってるでしょ? 奇想天外でしょ?みたいな」と形容し、野間の云うサブカル的な感覚の典型だと主張しているようである。「遊びにうつつを抜かしすぎ」、「単なる露悪趣味の逆張り」などとも云っている。またその数日前(9月24日)のツイートでは、「外山恒一が在特会を『ひどすぎて素晴らしい』みたいにもてはやす、あの感じ」がサブカル的なのだと主張している。さらにその数ヶ月前の6月22日付のツイートには「やっぱ90年代サブカルとの闘いなんだよ。薄っぺらい懐疑主義と知ったかぶりと露悪趣味の」とある。ちょっとビックリするのが、野間自身がサブカルにうつつを抜かしてバンド活動で粋がってたに違いない80年代末に、大量逮捕者を出す過酷な闘争を展開していたまさに野間と同世代の若者たちによる「反天皇制全国個人共闘〈秋の嵐〉」をさえ「90年代初頭のサブカル左翼運動」と小林よしのり顔負けのゴーマンをかまして一刀両断してたりするところである(2015年5月27日の、つまり今回の“佐藤問題”の渦中の時期のC.R.A.C.名義でのツイート)。
 それにしても野間の読解力のなさには改めてゲンナリさせられる。そもそも野間が私に対して批判的なスタンスを明確にし始めたのは、私が2013年5月に「しばき隊」に第3回“外山恒一賞”(その時期もっとも注目すべき活動家や団体に私が独断で一方的に毎年授与する、とっても栄誉ある賞)を授与した際に付した「授賞理由」の一文に違和感を抱いたことがきっかけのようだが、以後もしばらくは「彼はいろんな人の中でも最も私に考えが近いですね。彼の言ってることのほとんどが正しいと思います」(2013年5月14日のツイート)、前記の昨年9月27日深夜からの一連のツイートにおいても最初の方で「外山さんは反原発派だし、しばき隊に外山恒一賞くれたりと好意的で、最も早くから反ヘイトカウンターの内実を外にいながらカンペキに把握していた人なのであんまり悪口っぽいことは言いたくないのだが」と前置きしていたりして、それなりに私の言動に好意的に注目し、私の書くものにもある程度は目を通してくれていたはずなのだが、こうして関連ツイートを読み返してみると、実はまったく誤読されまくっていたに違いないことが分かって悲しくなる。
 例えば私は、在特会を「ひどすぎて素晴らしい」などとは評価しているわけではない。もちろん野間も私が文字どおりそう書いていると云っているわけではなく、そのように読めると云っているのだが、ちゃんとした読解力があればそのようには読めないはずなのである。
 私が在特会を多少は評価するのは、その行動の根底に、私自身が現代社会において他の大半の問題よりも圧倒的に重要だと考えているPC(ポリティカル・コレクトネス)的風潮への反発のメンタリティが存在しているには違いないからである。PCは簡単に反論しがたい“正義”なので、“善良な市民”的“お行儀の良さ”から逸脱しなければ刃を向けることは難しく、PC的風潮への異議申し立てはどうしてもこういう在特会のような“野蛮”な連中が先陣を切っちゃうことになるよなあと、もどかしさを伴いつつ思うし、その意味では在特会の“ヒドすぎ”ぶりを肯定せざるをえないと感じてもいる。
 しかし根底に反PC的メンタリティがあり、それ自体は圧倒的に正しい、という判断を抜きには、単に在特会がどれほど“タブー破り”で“傍若無人”に振るまったとしても私は一切それを評価しないだろうことを野間は読みとれないのである。

     私は一切“奇を衒って”も“フザケて”もいない

 そもそも私はその政治的言動においてミジンも“奇をてら”ったりなどしていない。私の文章には(ちゃんと読めているかどうかはともかく)ある程度は目を通してくれているらしい野間が、この数年間に私が書いたものでは最重要に近い「私と全共闘」を読んでいないとすれば残念だが、あるいは読んだけどやはり理解できなかったのか? 「私と全共闘」で私は、私の課題は10代から一貫して“管理社会への抵抗”であり、その文脈で現在ではPC的風潮を他の大半の問題より(もちろん原発問題より)重視しており、これに対抗しうる唯一の現実的な選択として「ファシズム」を標榜するに至ったのであり、それは“逆張り”でも“露悪趣味”でもなくとことん本気でマジメな結論なのだと、少し成績のいい中学生にでも理解できるぐらい平易に説いたつもりなのだが。
 DV防止法や健康増進法といったPC法の制定に総じて批判的な私が、明らかに新たなPC法となる「ヘイトスピーチ規制法」の制定を求めるような「しばき隊」やC.R.A.C.の運動に、その法の内容がどんなに正しいものであっても(PC法は内容的には正しいに決まってるのだ)全面的には賛同しうるはずがないことにも野間は気づけないのかもしれないが、在特会の反PC的なメンタリティには共感しつつも露骨なヘイトスピーチにはもちろん嫌悪感をもよおし、「しばき隊」のヘイトスピーチ糾弾には共感しつつも新たなPC法を歓迎するような姿勢には批判的であらざるをえない私が、“ある種の「どっちもどっち」論者”になるのは、サブカルだからでも奇を衒った“逆張り”癖を持つからでもなく、単に当たり前ではないか。
 もちろん私は、自分の活動をできるかぎり“面白く”してはいる。主張に耳を傾けてもらうためにまず注目を集める必要があるからでもあるが、何より私自身が楽しめずに消耗し疲弊し潰れてしまうのは避けたいからだ。しかしそれは野間が自分たちのビラやプラカードのデザインをなるべくカッコよくしようと努力するのとまったく同じことで、表現形態を工夫しているだけであって、表現内容の面では自分の本気の主張をいささかもねじ曲げたりなどしていないし、ふざけてもいない。野間は、私の例の政見放送を、笑えるからイコール“ネタ”だとしか認識できない低能どもとさえまさか“どっちもどっち”なのか?
 野間は先日(4月)の統一地方選に際しての九州での私の“ニセ選挙運動”を朝日新聞が取り上げたことについても、「外山恒一のニセ選挙運動をおもしろがるのセンス悪い。彼の言う『民主主義反対』をネタ扱いせず真面目に批判すること、つまりサブカル批判が必要」などと混乱したことを書いているが(5月22日のツイート)、私の民主主義批判は“サブカル的”な“逆張り”狙いの“奇をてらった”“遊び”で、つまり“ネタ”であったはずではないか、野間の認識では。「すべての政治的主張は(引用者註.外山にとっては)価値として等価であり、外山さんの関心はそれらがどのような態様を伴って現出するか、というところにしかないことがわかる。だから彼の言うファシズム再興論や議会制民主主義の否定も、単なる露悪趣味の逆張りでしかないと判断する」(昨年9月27日深夜からの一連のツイート)のなら、私のその「単なる露悪趣味の逆張り」でしかない「議会主義民主主義の否定」は“真面目な批判”の対象にはなりえないはずではないか。もちろん私は実際には“真面目に”やっているのだから、“真面目に批判”していただいて大いに結構だが、足りないアタマでムリに難しげなことを云おうとするものではない。

     リベラル・シニシスト=野間こそ典型的なサブカル

 先述のとおり野間自身は自らを「サブカル」ではなく「サブカルチャー」の範疇に属する人間である(ありたい)と考えているらしいことは、昨年9月27日から28日にかけての一連のツイート中にも「私自身はもちろんサブカルチャーに大きな影響を受けて育ち、それを仕事にしてきた(今も)。だからサブカルチャー全般を否定しないし、自分自身が今もその中にいると思っている。その中でカッコつきの『サブカル』の価値観に批判的であろうとしてる」とあることからも読みとれる。
 野間の云う、「サブカル」とは違う「サブカルチャー」とは何なのだろう。先の引用では、「サブカル」を「一般名詞のsubcultureではなくて、90年代以降の日本の文化的・政治的気分」としていたし、野間の云う「サブカルチャー」とは、日本特殊の「サブカル」とは違う「一般名詞」的なそれである、と理解してよいのだろう。だがここで野間がわざわざ「subculture」と横文字で綴っていることからも、野間は諸外国における「subculture」と、「サブカル」とも違うが諸外国の「subculture」とも違う日本独自の文脈を持つ「サブカルチャー」とを区別しえていないことが窺われる。
 私は“ヘサヨ版うたごえ運動”バンド「ソウルフラワー・ユニオン」について、初期ブルーハーツと比較して、ブルーハーツの“異議申し立て”が、学校やバイト先といった極めて日常的な抑圧の場所から発されているのに対して、ソウルフラワーのそれは、日本社会の現実を批判するのにわざわざいったん沖縄やアイヌや在日や第三世界を経由するという、いかにも左翼エリート的な“お勉強”の成果でしかないことを心底からバカにしているが、さすがソウルフラワーの“類友”、野間の「サブカルチャー」理解もしょせんは“お勉強”の成果であるがゆえに日本独自の文脈を捉えきれない浅薄なものであると見える。
 諸外国では「サブカルチャー」と「カウンターカルチャー」は明確に区分されていないはずである。あるいは「カウンターカルチャー」をも包摂するものとして「サブカルチャー」という概念があるはずである。ところが日本では「カウンターカルチャー」と「サブカルチャー」とはまったく別個に、しかもかなり対立的な関係のもとに存在してきた特殊事情がある。「カウンターカルチャー」から自らを切断するために「サブカルチャー」の語が意識的に使用されてきた経緯があるのだ。
 支配的な制度や文化に対して批判的な、したがって反体制的な政治運動・社会運動とも連動したり、自らそのような政治的・社会的モチーフを表現する場合も多い「対抗文化」が要するに「カウンターカルチャー」だが、日本で云えば60年代後半から70年代前半にかけての、例えば唐十郎や寺山修司やのアングラ演劇や、岡林信康などの反戦フォークや、ATG映画や、時期的には少し先行するが初期の石原慎太郎や大江健三郎の文学や、その他諸々がそれに当たろう。
 これに対して、「カウンターカルチャー」と自らを切断する意図であえて「サブカルチャー」を(もちろん試行錯誤の過程でやがて)標榜したのが、70年代後半から80年代前半にかけての非政治的な、というより反政治的な一群の若者文化である。日本の「サブカルチャー」の特質は、この自覚的な非政治性にある。
 そしてその背景にはもちろん、日本の新左翼運動が70年代に辿った悲惨な展開がある。連合赤軍事件というよりも、中核派vs革マル派(および革労協vs革マル派)の内ゲバ戦争である。連合赤軍事件だけなら突発的な特殊事件だし、反日武装戦線のような本格的なテロ組織なら諸外国にも同じように生まれたが、60年代のラジカリズムに由来する政治組織どうしが長期にわたって恒常的に殺し合い、ノンセクトまで含めて新左翼運動全体がその影響圏から自由ではいられなくなるような展開は、日本にのみ起きた異常事態である。
 その結果として日本に生じたのが、“政治を忌避するラジカリズム”とでも云うべき、奇妙な「サブカルチャー」なのだ(その最大の主導者の1人だった糸井重里は元・中核派活動家である)。それは“政治をも否定するほどのラジカリズム”だったと云ってもよい。社会のあるべき姿を追い求める政治運動と並走する「カウンターカルチャー」とは異なって、そのような「正義の運動」こそが今以上の悪を生み出す元凶なのだという認識あるいは直観が、80年前後の日本の「サブカルチャー」にはある。当時のそれらがいかにナンセンスな遊びやオフザケに終始していたように見えようとも、その背後にはそうしたラジカルなニヒリズムが存在し、彼らはあくまでも「マジメにフザケていた」のである。その“相対主義”も、政治的なるものが必ず招き寄せる“絶対的正義”を警戒しての、自覚的な選択である(この日本版サブカルチャー運動に並走し共闘し、理論的な正当化をおこなったのが、欧米での政治的文脈を隠蔽して登場した、当時の奇妙な日本版ポストモダン思想家というか輸入業者たちである)。
 このラジカルなサブカルチャー運動が、対峙すべき敵(政治的なるもの)を失って、その表層的な形態のみを惰性的に継承したのが、つまり「サブカル」ということになる(もちろん語義的には同じ言葉である。たまたまそのような変質が起きる時期と「サブカル」という略称が広がり始める時期とが重なっているので、ちょうどいいから使い分けているだけだ)。80年前後のサブカルチャー運動において、面白いもの、楽しいもの、カッコいいものは、あくまでも「正しいもの」に対置すべきものとして称揚されたのだが、「正しさ」を追求する政治運動が(一見)急速に衰退した80年代半ば以降、それらは単なる差異化競争、弛緩した面白主義、奇の衒い合い、趣味の問題へと堕した。サブカルチャーもサブカルも一見同じように非政治的だが、サブカルチャーが反政治的であったのに対し、サブカルは単に没政治的なのだ。サブカルには、サブカルチャーが抱え込んでいたラジカルなニヒリズムがなく、その相対主義も、ニヒリズム(ニヒル)とは似て非なるシニシズム(シニカル)、抑圧的な絶対的正義への対抗という緊張感を欠落させた、単にマジメなことへの無関心の裏返しでしかない「何でもアリ」的な物分かりのよさにすぎず、つまりリベラルなシニシズムがラジカルなニヒリズムにとって代わる。
 日本的文脈において野間が決して「サブカルチャー」ではあり得ないのは、ラジカリズム、ニヒリズムをまったく持ち合わせていないことからも明らかである。野間は、政治的なるもの総体を過激に否定するところまで追い詰められた日本サブカルチャーの文脈を理解せず、その問題意識を共有せず、サブカルチャーの頽落形態であるサブカルが支配的となった文化シーンで、少なくとも若い時分はカッコよさの差異化競争に明け暮れていたに違いない。
 野間に限らないのだが、サブカルの連中が何かの拍子に(9・11だったり3・11だったり六ヶ所村の問題を何かで知ったり、あるいはもっとサブカルらしく下北沢の再開発問題だったりダンス規制問題だったり)急に政治意識に目覚めると、ほぼ必ずリベラル派になるというケースばかりこの数年マノアタリにさせられて、当初これが私には不思議でならなかった。『完全自殺マニュアル』の鶴見済なんか典型的だし、ローカルだが福岡のいのうえしんじなどもそうだ。それまでああだこうだ語り散らしていた諸外国のラジカルなパンクだのテクノだのヒップホップだの、しょせんは“趣味の問題”でしかなかったのかと怪訝な気がしていたが、案の定やはり“趣味の問題”だったのだ。サブカルチャーの真摯な「正義」批判の結果としての相対主義を腹の底で理解していなかった、サブカルチャーならぬサブカルであったからこそ、連中はふとした拍子に目覚めると「人権」や「民主主義」などの安易な正義に飛びつくリベラル派と化して恥じるところがないのである(さらに云えば雨宮処凛もそうである。初期の雨宮の“右翼パンク”活動はサブカルでしかなく、だから本当に政治的に目覚めた途端にやはりリベラル派になってしまった)。野間と同様、私も80年代半ば以降のサブカルの一形態にすぎないオタク文化には頑固に否定的スタンスを貫いているが、野間や鶴見やいのうえの、しょせん「なんかカッコいい」レベルの理解でしなかったのだろう海外サブカルチャー趣味は、キモヲタの「萌え〜」と“どっちもどっち”であるとしか私には思えない(だからキモヲタの諸君は野間に何か云われたら「おまえだってしょせん『subculture萌え〜』じゃねーか」と云い返してやればいい)。
 サブカルの相対主義をただかけ声的に否定してもダメなのだ。サブカルの弛緩した云わば受動的相対主義に先行して、日本の運動史の展開が必然的に要求したサブカルチャーの能動的相対主義が存在しているのであり、その必然性をまるで「なかったこと」にしうるかのような能天気こそが否定されるべきだ。野間がバカの一つ覚えに云う「サブカルは否定されなければならない」は、この文脈を理解していない以上、能天気なかけ声の類である。
 もっとニヒリズムが必要なのだ。相対主義にただ拝跪して、何をやっても無意味だとすべてを投げ出したり、「じゃあ何をやろうがオレの勝手だろ」と単に開き直るのもシニシズムだが、何をやっても無意味だという事実に気づかなかったフリをして(本当に気づかないのは単にバカである)、典型的には「選挙に行こう!」みたいな活動に何か意味があるかのように強弁するのもシニシズムである。何をやっても無意味なのだと心底から思い知った上で、それを前提として、じゃあ何をやるのかを模索するのがニヒリズムである。
 最初に断ったように、私はサブカルでないのはもちろん、サブカルチャーの範疇に属する人間でもない。政治運動と思想運動と文化運動という3領域があり、私は政治運動の領域で、60年代末の全共闘ラジカリズムを継承することをこの四半世紀ほど模索してきた人間であって、カウンターカルチャー→サブカルチャー→サブカルという文化運動の領域の変遷は外部から眺めているにすぎない。が、70年代の政治運動の悲惨な展開を踏まえて文化運動の領域から突きつけられたサブカルチャー的な問題意識は理解できるし、それに応接しようという努力は続けてきた。その意味では、サブカルチャーにシンパシーを持った政治活動家である。そういう立場から見ると、野間のように、サブカルチャーの問題提起をまともに理解することもなく、能天気なかけ声によってカウンターカルチャーと地続きであるような諸外国同様の「subculture」を再建しうるかに錯覚する姿には、ほんとに「サブカルどうしようもねーなー」と思ってしまうのである。

     おわりに

 最後に、在特会vsカウンターの抗争は、実は在特会の側の勝利に終わりつつある、というおそらく非常識な見解について述べよう。
 「しばき隊」の登場を機に、それまで我がもの顔で日本じゅうの街頭を制圧していた在特会は一気に守勢に立たされた。「しばき隊」が当初問題にした、あの言語道断な“お散歩”のような振る舞いは、もはや不可能となっていようし、その点1つだけでも、「しばき隊」は偉い、よくやったと今でも私は思う。どこへ行ってもカウンターに量的に凌駕され、秘密裏にゲリラ的に行動を起こそうにもたいてい情報が漏れてやっぱりカウンターをかけられてしまう在特会は、明らかに疲弊してきているし、もしかしたら、団体としては消滅してしまうこともあるかもしれない。
 だが、心ある者なら誰もが日々感じているとおり、在特会的な物云いをする人間、何と云うべきか、“嫌韓・嫌中”的な物云いを驚くほど自然に無邪気にやる人間は、むしろどんどん増えている。各地のロック・バーなど飲み歩いていても、何かの拍子に話題がちょっと政治向きになると、カウンター席で隣り合ったごく普通っぽい若者のネトウヨ発言に「うわ、出た」という場面はやたら多くなった。
 在特会そのものは劣勢でも、在特会的な心性の若者は少しも減っていないどころかむしろ増えているようだし、仮にいったん潰れたとしても復活の芽を残すだろうが、対するにカウンター側はどうか。量的には知らない。しかし質的にはカウンター側が明らかに劣化していることは、今回の“佐藤問題”からも明らかである。在特会の恐ろしさは、在特会と抗争する者をいつしか在特会のレベルに引き下げてしまうところにある。かつて私は、在特会とヘイスピ会とを“どっちもどっち”と評し、野間の被害妄想とは異なって私は実は「しばき隊」を相対的にではあれそれらより圧倒的に高く評価したのだが、「しばき隊」の後身のC.R.A.C.は今や在特会と“どっちもどっち”に成り下がっていると見ていることは前半で述べたとおり。
 しかも、劣勢に立たされている在特会は、このまま潰れる可能性もあるが、一方で「国民大抗議」の呼びかけ文に見られるように、仮にそれが表面的なごまかしにすぎないとしても、誰が聞いてもヘイトスピーチであるような暴言は公の場ではおこなわないように自制するかもしれない(在特会そのものが潰れたとしても、やがて登場するポスト在特会的な新団体はそうするだろう)。劣勢をはね返すためにも明白なヘイトスピーチを避ける方向にシフトするには違いない在特会に対して、在特会と“どっちもどっち”のレベルにまで落ちぶれたカウンター側がこのままの調子で対抗し続けた場合、私ですらカウンター側を非難する他なくなるし、まして世間はそうだろう。在特会はヘイトスピーチ規制法の制定を視野に必ずソフト化を図るに決まっており、ソフト路線の在特会に相変わらず「ヘイト豚死ね」では、今度はカウンター側が劣勢に立たされることになろう。
 何よりも私が「結局は在特会が勝利しつつある」と感じさせられるのは、カウンター側がむしろ敵を団結させている現状を見てのことである。それは今回の“佐藤問題”にも明白に表れている。佐藤はさんざん述べたとおり少しも「レイシスト」などではないにも関わらず、カウンター側は佐藤をレイシスト規定して、佐藤をますます在特会の側に追いやり、敵が陣形を強化することに手を貸している。カウンター側は「維新政党・新風」もとうの昔にレイシスト規定しているはずである。新風にはレイシストもそうでない者もいろいろ混じっているだろうと私は見ているが、なぜそうやって味噌も糞も一緒にして在特会の側に追いやるのか。
 本来、敵は分裂させなければならないのである。敵勢力の中にさまざまの分岐を見いだして、大同小異の小異の部分をことさらに大異であるかに云い立て、敵の内部に無用な対立を引き起こさなければならないはずである。在特会を潰したいなら、在特会と近そうな連中と在特会との違いにもっと注意を向け、例えば在特会と違って新風にはこういう見るべき点がある、在特会は全然ダメだが新風は意外と立派だとか、心にもないお世辞や誇張でいいから云いまくって、対立を煽り、両者が連帯して勢力を拡大することを防止しなければならないはずである。もちろん在特会の幹部連中を1人1人色分けして、代表の桜井誠といくらか距離がありそうな実力者を探り出して重点的にホメまくってもいい。
 もっとも私は、カウンター側のほとんどの人間が、(元)排害社の金友隆幸が在特会とはまったく異質な志向を持っていることをどうやら見抜けないらしいという時点で、カウンター側の負けだと思っている。たしかに金友が排害社の名でおこなった一連の活動はレイシズム以外の何物でもない。その行動に対してはカウンターをかけたっていいとも思う。しかしその行動に反して、思想的には金友はレイシズムをそれほど内面化しておらず、それこそ実はニヒリストであって、日本社会の異様な平穏をまずは排外主義を煽ることで撹乱せしめようというのが金友の真の狙いであることは、その言動を仔細に眺めていれば簡単に分かりそうなものなのだが……。在特会vsカウンターの抗争の激化などはまさに金友が望んだ光景であったに違いないことさえ、カウンター勢のほとんどが思いもよらないのだろう。
 まあ、それこそ私にとっては在特会が少しはマシな方向に変質した上で勢力を拡大するのなら、それはそれでいいのである。カウンターとの対抗やヘイトスピーチ規制法への対策として在特会自身がヘイトスピーチを自制し、ニヒリストの金友や、反米的な傾きを持つ新風や、反原発派でありかつ“反差別の歴戦の闘士”でさえある佐藤までが合流し、多少なりとも在特会に良い影響を及ぼしてくれるのなら、むしろ大歓迎でさえある。
 ひるがえって反在特会の側は、過去の在特会と“どっちもどっち”のレベルに成り下がってきたばかりでなく、そのこととも関連しつつ、在特会との対抗方針をめぐって分裂しまくりである。2013年初頭に「しばき隊」が結成されて以来、一時的には野間と共闘していた者の中にも、カルト化の進行過程で袂を分ったり、あるいは野間らに積極的に排斥された者は大勢いるだろう。この私にしても、さんざんトンチンカンなサブカル呼ばわりの誹謗中傷を受けてもなるべく聞き流し、無用な対立は避けようと自制し続けていたにも関わらず、今回の“佐藤問題”でついに決裂もやむなしと判断するに至った。
 カウンター側は自らへの対応をめぐって敵をますます団結させ、在特会側は自らへの対応をめぐって敵を次々と分断することに成功している。今回、これまで“野間寄りの中立”の立場を守り通してきた私と、野間がこのまま最終的に決裂するに至るとすれば、在特会はまた1つ大きな戦果を勝ち取ったことになる。