“反原発・長渕派”誕生秘話
(未完)

14年4月執筆・15年7月公開

 “反原発・長渕派”はすでに放棄した私の“恐ろしいインボー”である。
 以下に掲載するのは、2014年3月、インボーの開始と並行して記録のために書き始め、おそらくこのインボーが大成功して川内原発再稼働の敵のインボーが完膚なきまでに粉砕された後に刊行されることになるはずだった、単行本用原稿の冒頭部分である。
 結局インボーは頓挫し、2014年9月、“すでに放棄したインボー”として東京の“反原発右派”の面々に報告した結果、むしろ東京の面々が「じゃあこっちでやろう!」と盛り上がって、同10月から翌2015年2月までの間に計3回おこなわれたのが浅草→上野・西郷銅像前の“長渕デモ”である。  ……日刊SPA! 2014年10月19日配信「長渕ファンたちがデモ! 川内原発再稼働反対を訴えた」
 東京の面々も運動の継続を断念したのを承けて、私はこのインボーの概要をこのブログで公表した。  ……我々少数派「長渕剛がその気になれば川内原発再稼働ぐらい簡単に阻止できる」2015年3月9日
 川内原発はいよいよ再稼働してしまいそうである。どうせ反原発派は負けるのだろうし、せめて「こんなことを考えてた奴らがいたのだ」という記録として、以下を公開・掲載する。なお執筆したのはこれで全部で、もしかたらこの続き、つまりインボーが頓挫に至る経緯をいずれ執筆することもあるかもしれない。

          ※          ※          ※

 日本の反原発運動は3・11以降もたいして盛り上がってはいない。あれだけの事故を起こしながら、日本の原発は、反対運動によってではなく法で義務づけられた定期点検のために各原発が順次停止していった結果として、事故から1年以上を経てやっと全停止した。原発を続けたい政府は全停止を回避しようと、最後の1基となっていた北海道泊原発が定期点検入りする前に佐賀県玄海原発を再稼働しようとしたが、これまた強力な反対運動によってというよりも「やらせメール」問題の発覚という敵失によって、結果的に阻止できたにすぎなかった。全停止の状況はわずか2ヶ月ほどしか続かず、福井県大飯原発は簡単に再稼働された。他の原発の再稼働は実現せず、法定上限期間まで運転した大飯原発が再び定期点検入りして、2013年9月、2度目の原発全停止状況となった。たしかに、あっちもこっちも次々と再稼働させることまではまだできずにいるのは、反対運動の成果かもしれない。だが、繰り返すように3・11をすでに経験したという“有利”な状況下で、いったんは全停止した原発を1基でも再稼働させてしまった事実は、反原発運動は少しも勝利してはいないし、少なくとも政府の判断を決定的に左右するほどには盛り上がってはいないことを示している。
 2014年3月13日、(再)再稼働の第1弾に鹿児島県川内原発が選ばれたと報道された。政府が本気で再稼働させる気である以上、今回も何なく再稼働してしまうだろう。
 私が何もやらなければ。

 3・11以来、私はあまり積極的には反原発運動に参加してこなかった。
 運動現場で私のようなキャラクターが警戒され、場合によっては忌み嫌われ、やがて排除されるだろうことは、長い経験から私には充分以上によく自覚されていたからである。地元福岡でおこなわれるデモに時折、独自のプラカードを持参して参加したが、(出発前、終着後の集会の場で発言を求めるようなことは一切せず)ただ一参加者として歩く以上のことはしないよう心がけていた。それでもとくにデモの主催者に近い部分からは私(たち数人の“外山一派”)の現場での一挙一動が警戒の目で見られていることがひしひしと感じられたほどだ。
 3・11以後、私はただ、反原発運動の現場に姿だけをさらし、必要以上に介入して主催側との間に決定的対立を引き起こして退場させられないように、ということだけを考えていた。
 当初は事態を楽観視していたという事情もある。反原発派の思想的水準や運動力量にまったく期待も共感もできなかったが、それでもあれだけの大事故を“追い風”にしうるのだから、(1988年の反原発運動は敗北したが)今度こそは最終的に原発をやめさせることぐらいはいくらなんでもできるだろうとタカをくくっていたのである。

 だが、反原発運動は現在、もはや負けている。
 理由は明白で、反原発運動が冷戦下・55年体制下の左右対立、保革対立の構図を一歩も出ず、しかもそのことを自覚してさえいないからである。現在の反原発運動は完全に左翼運動であり、しかも当人たちはそのことを自覚していない。原発に反対している者はTPPにも特定秘密法案にも消費税にも、そして何より改憲にも反対しており、55年体制下の左翼・革新陣営が整備した「問題意識のワンセット」をそのまま継承している。ただそのことを自覚していないところだけがかつてと違っているにすぎない。彼らは多くの場合、自分たちがかつての左派の「古臭い」運動と一線を画しているとさえ信じ込んでいる。
 反原発運動はすでに世間一般の目から、(左翼運動から理屈をマイナスしたにすぎないヒッピーやレゲエ系を含めた)一部の左翼的で特殊な人たちがやっているものと印象されている。「またアノ人たちが」と思われているのである。実際、反原発派はそもそもリベラル層に属さない人々に届く言葉を持っていないし(何しろ二言目には「平和憲法が」などと云い出す手合いばかりなのだ)、しかもリベラル層をすら大同団結させることができていない。
 まして政府が再稼働の第1弾として狙いを定めた川内原発のある鹿児島県は保守勢力の牙城である。いや、そもそも原発が建てられてしまう地域は、鹿児島に限らず、すべてそういう地域でしかありえない。リベラル派は少数派、それも圧倒的な少数派であるような地域ばかりなのである。リベラル派をすらまとめきれずにいる反原発運動が、再稼働を阻止できるはずがない。
 リベラル派が主導してきたこれまでの反原発運動とは何かまったく違う反原発運動を創出しないかぎりは、せいぜい「減原発」しか実現しえないだろう。

 私は本気で原発に反対している。3・11以降の反原発運動の展開を冷めた目で見ていたが、原発を即時全廃に追い込みたいという気持ちに嘘はない。
 しかも今回は私が活動の基盤をおいている九州の原発が狙われている。何とかならないのか。
 3月21日の夜、福岡市中央区渡辺通りにある九州電力本社前に行ってみた。毎週金曜の夕方から、左派と無自覚な左派による抗議行動がおこなわれ、それが終わると今度は反原発派の中の少数派である右派の反原発派による抗議行動がおこなわれていることを知っていたからである。左派が17時から19時まで、右派が19時から21時までやっている。左派はここ最近は10数名、右派は数名で、いずれにせよ何ら明るい期待を持てるような規模ではない。むろん私が訪ねたのは右派の抗議行動である。本気度は右派の方が上で、左派主導のこれまでの運動では原発は止められないという私と同じ問題意識から彼らは独自に別個の運動を始めたわけだし、ただ規模がお話にならない。この日は彼らはたった2人で声を張り上げていた。
 1人は、私も本名は把握していない通称“ザイタクさん”。3・11の直後から、福岡でおこなわれた大小のさまざまな反原発集会、デモにほぼ皆勤賞で参加し続けてきた、私が思うに“おそらく福岡で最も熱心な反原発活動家”である。
 が、ザイタクさんは右翼なのでいつも日の丸を持参する。愛国心から原発に反対しているのである。当然、福岡の反原発運動を主導する左派活動家にはこれが気に入らない。「日の丸を降ろせ、降ろさないなら出て行け」と毎回云われる。
 むろん「原発に反対してるんなら右翼だっていいじゃないか、大目に見てやろうよ」と思っている左派活動家もいるし、たまには口に出してそう云ってくれる左派活動家もいるらしい。だが「日の丸は良くない」という前提が共有されている以上、原理原則に忠実な教条派の声のほうが常に力を持つ。教条派は左派のごく一部であっても、その主張の“正しさ”を、多くの穏健な左派活動家たちも最終的には認めざるをえないからだ。
 ザイタクさんは怒られながら踏ん張ったり、時には妥協して日の丸を降ろしたり、あるいはその場を離脱したりしながら、それでも毎回、持参する日の丸のサイズを少しずつ小さくしながら、福岡の反原発運動の現場に顔を出し続けてきた。ザイタクさんの日の丸はすでにお子様ランチ級となっているが、それでも「その日の丸を降ろせ」と食ってかかる教条派左翼と毎回モメることになるという。
 やがて左派主導の反原発運動に嫌気がさした30歳前後から40歳前後のロック系、パンク系の参加者たちが左派に見切りをつけて、別個に活動しはじめた。左派がおこなう毎週金曜の九電前抗議行動とは別個に、火曜の夜に自分たちだけで抗議行動をおこなうようになったのである。それが2012年の末頃。彼らはザイタクさんらごく少数の“反原発右派”を排除しなかったし、むしろ右派を排除する左派の姿勢に怒りを覚えていたぐらいだから、ザイタクさんも次第に左派主導の場からは足が遠のき、主にこのロック派の“火曜抗議”の常連となった。かくいう私自身、金曜抗議には一度も参加したことがないが、火曜抗議という新展開が耳に入った2013年2月以来、たまに顔を出すようにしてきた。
 が、ロック系の人たちの運動展開にも曲折があり、当初は「毎週火曜」だったのがやがて「隔週火曜」となり、参加人数も一時は平均10数名にまで拡大していたのがまたどんどん少なくなって、2013年末には火曜抗議はおこなわれなくなった。ザイタクさんは、隔週火曜となってからは、火曜抗議のおこなわれていない火曜日に1人で巨大な日の丸を掲げて九電前の路上に無言で立つという奇行(?)を開始し、これに感動して行動を共にし始める者も数名あり、やがて曜日を変えて、金曜夕方の左派の抗議行動と入れ替わりに右派が九電前に登場するという現在の形に至る。
 “金曜第2部・右派抗議”の常連参加者、というよりもはや主導者となっているのが私と同い年の藤村修氏である。
 藤村氏とはかれこれ20年来の付き合いである。私がまだ“異端的極左活動家”として暴れまわっていた1990年代の前半に、福岡で開催された哲学者・竹田青嗣氏の講演会後の懇親会で初めて知り合った。藤村氏は当時すでに右翼を自称し、実際に右翼だったが、右翼には珍しい正統派のインテリだった。以来かなり頻繁に会うようになり、政治的立場は両極であるのに、現状の何がどう問題であるかについては同世代で一番話が合ってしまうという不思議な関係が続いた。2003年に私が右転向したこと(正確にはファシズム転向なので右翼になったわけではないが)を、藤村氏はあまり歓迎していない素振りだった。
 右翼とは云っても藤村氏の思想的ルーツは鈴木邦男氏の一水会なので、原発にはもともと否定的な立場だった。一水会は88年の段階ですでに原発反対を掲げていた。現在、首都圏で「右から考える脱原発ネットワーク」を主催している針谷大輔氏の統一戦線義勇軍も、もともとは一水会の関連組織である。
 人物紹介に字数を割いてしまったが、ともかく私は2014年3月21日の夜、九電本社前の“反原発右派”を訪ね、たまたまその日は2人きりでやっていた“おそらく福岡で最も熱心な反原発活動家”ザイタクさんと“同世代で一番話が合ってしまう”藤村修氏をそのまま飲みに誘い、何とかして本当に川内原発の再稼働を阻止する方法はないものかと相談を持ちかけたのである。

 妙案はなかなか出なかった。
 私は一応、2012年4月に一度ブログで呼びかけてはみたがほとんど反応がなかった“電気代大規模滞納作戦”のアイデアを蒸し返して持参していた。悪いアイデアではないのだが、いまひとつパッとしない。他に何も思いつかなければ仕方ないからそれを追求してみることになるかもしれないが、とにかく他に何かないのか。
 3人で互いに「うーん」「うーん」と唸り合う時間もたくさんあった。
 やがて誰かが、まあ安易と云えば安易なことを云った。
 「この人が『再稼働反対』と云えば再稼働なんかできなくなるってぐらい影響力のある人はいないのかなあ」
 「うーん」
 「うーん」
 私以外は2人とも純粋な右翼なので、当然出るべくして出る言葉もある。
 「陛下しかいないでしょう」
 「陛下がおっしゃれば止まります」
 私は右翼ではなくファシストなので、陛下に好意的な立場ではあるが信奉者ではないから冷静である。
 「いやでも実際に陛下は明らかに原発に反対しておられるのに、推進派は云うこときかないじゃん」
 「うーん、国賊安倍め」
 「国賊在特会め」
 「しかも陛下は政治的発言を自粛させられてるから、いつも遠回しにしか云えないし」
 ブレイクスルーの一言が、最初に誰の口から出たのかは覚えていない。たぶん私か藤村氏のどちらかである。というのもおそらくそのきっかけは、この陛下云々の流れでの、
 「中島みゆき先生が一言云ってくだされば……」
 という冗談だったに違いないからである。たぶん私か藤村氏のどちらかがまずそう云ったのだ。私も藤村氏も中島みゆきの敬虔な信者で、藤村氏に至っては「日本は中島みゆきを中心とした神の国である」と公言してはばからない狂信的な中島みゆき教徒なのである。
 話がこうなってくれば、いずれ当然、出る。
 「ナガブチツヨシなら?」
 え? と一瞬の静寂があり、私が云ったのか藤村氏が云ったのかは定かではないのだが、どちらが云い出したにせよ私と藤村氏の2人はやがて「それだ!」と天啓に打たれたような心持ちがし、ザイタクさんが1人、ポカンとしている。
 再稼働第1弾として狙いを定められた川内原発が位置するのは鹿児島県である。鹿児島における長渕剛の存在感は尋常ではない。その人気は、老若男女を問わない。鹿児島において(むろん鹿児島人の多数派においてということである)西郷隆盛と長渕剛は絶対的な存在である。西郷か長渕、どちらかの悪口を大声で叫びながら夜の繁華街を10メートルは無事に歩けないだろうと私は確信して恐怖に震える。
 「いや、それは画期的なアイデアだよ。鹿児島では、長渕がマカリナランと云えば原発なんか絶対に再稼働できないよ」
 「長渕すげー」
 私と藤村氏が盛り上がり、ザイタクさんは引き続きポカンとしている。
 ザイタクさんの反応は無理もない。ザイタクさんは鹿児島というものを知らないのだ。
 だが私は知っている。私はもはや四半世紀にわたっていわゆるストリートミュージシャンを生業とし、鹿児島にも何度も遠征と称して出稼ぎに行った。夜の繁華街で主に酔客のリクエストに応えて弾き語りをするのだが、鹿児島における長渕のリクエスト率は他県のゆうに数倍にのぼる。それも「とんぼ」だ「乾杯」だ「巡恋歌」だといったありふれたリクエストは(むろんないではないが)少なく、通好みの、ファン以外は知らないアルバム収録曲の類を老いも若きもリクエストしてくる。
 いや、それよりもさらに衝撃的な光景を私は目撃した。あれは2012年の夏だったか、2007年の都知事選以来、私の秘書役を務めてくれているスタッフS嬢の日頃の献身を労い、鹿児島の花火大会に連れて行ったことがある。いよいよクライマックスを前に、アナウンスが流れた。「最後は“音楽花火”です」。何が始まるのか、私には想像がついたが、同時に「まさかそんなことはあるまい」とも思った。だが私の恐ろしい想像は当たった。大音量の「桜島」(云うまでもなく長渕剛・作詞作曲の“ご当地ソング”だ)をBGMに、数千発の花火が……。「こんなこと、誰も反対しないんだ!」。私とS嬢は衝撃と恐怖のあまり、そのあいだじゅう笑い転げていた。
 藤村氏は鹿児島に縁はないが、Jポップ・マニアなので、そこらへんの機微はよく心得ている。
 「とにかく尋常じゃないんだよ、鹿児島における長渕の地位は」
 「桜島には銅像が建ってんだよ!」
 私と藤村氏がどうにかしてこのブレイクスルーのブレイクスルーたる所以をザイタクさんに伝えようとするが、そりゃあ常識人には想像も及ぶまいことは私たちにだって最初から分かっちゃいる。
 うっかり申し遅れたが、私と藤村氏の名誉のために申し上げておかなければならない。私も藤村氏も、決して長渕ファンではない!

 とにかく長渕が一言、「川内原発再稼働反対!」……とまでは云ってくれなくとも、せめて「川内の件は俺も心配している」ぐらいのことを云ってくれれば、それを針小棒大に鹿児島県民に徹底的にアナウンスして回って、鹿児島の保守的なオッサン、オバハンどもさえ動揺させることができる。
 そう。ここが重要なところなのだ。「長渕が再稼働に反対している」という事実は(そんな事実があればだが)、保守王国・鹿児島の保守層にまで届くメッセージなのだ。現在の反原発運動の致命的限界を、この運動は超えられる!
 ただ、問題は肝心の長渕が、原発に関してどういう見解でいるのかだ。
 「たしかコンサートで『原発は許せねえ』とか云ってたよ」
 とこれはザイタクさんが云い始めた。
 「そういえばそうだったような気がする」
 藤村氏も同調し始めた。
 私はべつに長渕ファンではないので、その言動に常に注目してるわけではないから、よく分からない。
 「それ本当?」
 「本当だって。被災地救援ライブとかよくやってるでしょ。そういうので云ってた」
 「マジで?」
 「うん。確かに云ってた」
 今度は私が耳の御不自由な方々座敷に置かれて、ザイタクさんと藤村氏が盛り上がる。
 「しかしそれが本当なら、脈あるじゃん」
 「今でも原発反対なのかな?」
 「どうか知らないけど、少なくとも推進派に転じたってことはないと思うよ」
 「だけど欲を云えば、一般論として原発に反対ってことじゃなくて、今回この川内原発再稼働をまずは何としてでも阻止するって目的のためには、具体的に『川内』ってキーワードへの言及がほしい」
 「むしろこっちから、長渕がそう云ってしまうように仕向けられないかな」
 「川内について何か一言云わなきゃならないような状況に長渕を追い込む」
 「もちろん云うとすれば『再稼働賛成』とは云わないだろうし、やっぱ『やめてくれ』って云うよね」
 話がいよいよインボーめいてくる。
 「鹿児島に長渕ファンだけで作った反原発団体があればいいんじゃないかな。で、長渕に手紙を書くの。“俺たちの力だけでは再稼働を阻止できません、長渕さん”……長渕ファンは“長渕さん”とは云わないな、“ツヨシさん、俺たちに力を貸してください!”」
 「それは長渕は何か云わざるをえないねえ」
 「鹿児島思いの長渕がだよ、故郷・鹿児島の自分を慕う若者たちが、原発を止めるために俺の力を貸してくれと云ってる、って状況に追い込まれたら、云うでしょ、長渕なら。間違いなく」
 「云うね」
 「しかも長渕自身、原発反対ってもともと云ってるわけだしね」
 云うだろう、という気がしてくる。
 「でも仮に手紙を書いたとしても、事務所が長渕本人には渡さずに握り潰すんじゃない?」
 藤村氏が云った。しかしそこはインボーの専門家である私が請け負う。
 「いや、大丈夫。手紙が長渕本人に渡る必要はないんだ。鹿児島で一番シェアがある『南日本新聞』にも反原発運動の取材をしてる記者は絶対いるから、記事にしてもらえばいいんだよ。“長渕ファンの反原発派の若者たちが長渕に手紙を書いた”ってこと自体を。長渕と直接友人関係にある人は鹿児島にはいっぱいいるはずだから、記事が出たら長渕の耳に入ると思う」
 「なるほど、さすが革命家」
 と2人が感心する。
 「じゃあ、ぼくらはまずその長渕に手紙を出す反原発・長渕派の青年組織の形成を意識的に追求すればいいんだ」
 「反原発・長渕派!」と3人でしばらく笑い転げる。
 「いいねいいね。それにやっぱり、いきなり長渕に手紙を出すんじゃなくて、まずは自分たちの力だけでやれるだけのことはやろうとしたんだってアリバイは必要だよ。せめて2回ぐらいはデモとかやっておきたい」
 「こういう時こそサウンド・デモだ!」
 「長渕オンリーで、大音量で」
 「ぼくの街宣車、貸し出すよ」
 これは云うまでもなく私の発言。
 「サウンド・デモって嫌いだけど、今回のは素晴らしいね」
 「シュプレヒコールなんかなくていい。プラカードと横断幕だけ多少あれば、あとはサウンド・カーの長渕に合わせて、みんなで大合唱しながら歩くだけでいい」
 「絶対、参加者の7割はギター持参とみた」
 うぅ、光景を想像しただけで腹がよじれる。
 「全国のサウンド・デモ系の反原発派から『鹿児島、なんか違う』って云われるね」
 「云われよう云われよう」
 「絶対参加したくねーな、そんなデモ」
 「今回の作戦のキモはそこだね、“自分が参加したくないような運動を盛り上げる”!」
 「カツラかぶって街宣車を運転しよう」
 そしてここからが今回のインボーのインボーたる所以である。
 「とにかくまずは鹿児島現地で、本気で長渕が好きで、反原発派で、すでに行動にも参加してたり、まだ行動してないけど少なくとも行動するにヤブサカでないって奴を見つけなきゃいけない」
 「ぼくらが前面に立つわけにはいかないもんね」
 「とくに外山君なんか、過去のブログやtwitterの発言を遡られたら、ほんとは長渕を心底バカにしてるってバレちゃうもんね」
 「ストリートミュージシャン稼業の報告ツイートでも“今日もたくさん長渕をリクエストされて儲かった”、“さすが長渕は大衆のアヘンだ”とかさんざん書いてるからなあ」
 「ほんとの長渕ファンを前面に立てて、ぼくらはそれを背後から操る形にしなきゃいけない」
 「なんて悪いんだ」
 「これも原発を止めるためだ。仕方がない」
 「いや、ぼくらは運動の形成を援助するだけで、実際には本当の長渕ファンが前面に立つんだから、結果としてはフェイクじゃなくて本気の運動になるんだし、倫理的な問題は一切ないと思うよ」
 「仲間集めの方法だけどさ。やっぱりストリートミュージシャン作戦だと思うんだよ。誰か本気の長渕ファンの反原発青年が見つかったとするでしょ。そいつができるだけ頻繁に中心街・天文館の路上に立って、“川内原発再稼働、やめてください”とかってプラカード1枚出して、ひたすら長渕ばっかり熱唱し続けるの。そしたら長渕ファンがいっぱい寄ってくるから、ビラでも渡しながら、『ツヨシもライブで原発反対を云ってるんだ。俺も反対だし、再稼働を止めるために、ファン同士、一緒に起ち上がろう』って熱く呼びかける。短期間で結構集まるんじゃないかな」
 「熱心な長渕ファンならギター弾けないってことはないと思うが、万が一、弾けないようならぼくが横で伴奏してもいいよ、帽子を目深にかぶって」
 「で、最終的には最低30人ぐらいにまでなってほしいかな。それぐらいになったところで、2回ぐらいサウンド・デモやって、いよいよ長渕に手紙を書く」
 「そして長渕の大御心が顕らかになる」
 「鹿児島県民がひれ伏す」
 と、ここで私がさらに決定的なアイデアを……。
 「さっき云ったみたいにフツーに郵送で出して、そのこと自体を記事にしてもらうのは、それはそれでいいんだけどさ、並行して別ルートでも手紙を届けるってのはどうだろう。つまり、山本太郎に手紙を託すの。そしたら週刊誌やワイドショーは絶対に書き立てるに決まってるよね、『山本太郎、また直訴!』」
 「それは……すごい!」
 「原発なんか興味なくても、マスコミは単に面白がって騒ぐよ。最終的に山本太郎が手紙を届けることに成功しても失敗しても、そうなったらもう確実に長渕の耳に入る。陛下に出した手紙と違って、そんなもんマスコミに全文リークしてもいいんだからさ。それが載れば、手紙を渡せなくても長渕は結局それを読むことになる」
 「すごいすごい、天才だ!」
 自分が天才であることは重々承知はしていても、こう口々に天才呼ばわりされると照れくさいものである。
 「とにかく、ぼくはすぐにでも鹿児島に飛んで、現地の反原発運動の現状のリサーチと、それからとりあえず何人か知ってる鹿児島の反原発派にこの話をして反応を見てみるよ。で、できるだけ早く前面に立ってくれる人を探し出して、できれば5月中に30人規模の反原発・長渕派を誕生させたいね。時間がない。6月中に再稼働のゴーサインを出して、7月か8月に運転再開するってのが向こうの目論見でしょ。6月前半にサウンド・デモを2回ぐらい急いでやって、いよいよ長渕に手紙を出す。7月に入るか入らないかのあたりで長渕から“再稼働反対の詔”を引き出せたら、あとはひたすら鹿児島県民にそれを針小棒大にアナウンスして回る!」
 「再稼働が1年後、とかだったらこれは絶対に阻止できるね。でももう4ヶ月ぐらいしかない。ギリギリだ」
 「いや、これは画期的なアイデアだよ。追求する価値はありすぎるぐらいある」
 「やろう!」
 ともかくこうして、突破口は開かれた。

 この謀議の5日後、私は鹿児島入りした。
 鹿児島の繁華街・天文館にあるBAR「コーナー・ポケット」を早速訪ねてみた。鹿児島での私の“行きつけのBAR”だが、鹿児島の若い反原発派の拠点でもある(ただし若いといっても30代・40代がメインである。福岡も含めて地方都市では学生運動以来の志を持続している(つもりの)老人たちと、88年の記憶がうっすらとでもある40歳前後の要はブルーハーツ世代とが、反原発運動の2つの“団塊”世代を形成している)。
 マスターの森智君は71年生まれで私の1つ下。知り合ったのは、私も深く関わっている「劇団どくんご」の鹿児島公演で、「コーナーポケット」は全国各地を毎年旅公演している同劇団の鹿児島スタッフのたまり場でもあり、さらには「どくんご」鹿児島スタッフと「鹿児島の若い反原発派」とはほとんどメンバーが重なっている。しかも森君は、事故直後の約1年間、首都圏の反原発運動の中心となった「素人の乱」のリーダー・松本哉の、法政大時代のサークル(野宿同好会)の先輩だったりする。
 森君らは08年暮れ、つまり3・11よりはるか以前に「天文館アトムズ」なる反原発グループを旗揚げし、当然このグループが3・11以後も「鹿児島の若い反原発派」の中心となっている。
 さっそく森君に“川内原発最稼働阻止の秘策”を打ち明けてみた。
 森君、最初はピンとこなかったようである。そりゃそうだろう。5日前の謀議の場でも、謀議してるうちにだんだん盛り上がって、「これはイケるんじゃないか?」という気になってきたのである。しかし森君は鹿児島人である。大学時代こそ鹿児島を離れていたものの、鹿児島歴は計30数年である。長渕剛が鹿児島でどれほど絶対的存在であるか、熟知している。やがてこのインボーが鹿児島においてはそれなりに現実的かつ強力なものであることにハタと気づく。
 「そういえば、原発反対の歌も出してましたね」
 と森君が衝撃の発言をした。そんな話はザイタクさんからも藤村君からも出なかった。
 「それは初耳だ。コンサートで『原発は許せない』って云ってるらしいとは聞いてたけど……それは間違いないの?」
 「確実です。ぼくも聴いてはいませんけど、アトムズでも話題になって、メーリング・リストで歌詞が回ってきましたもん」
 「それは公式に発表した曲なのかな? CDに入ってる?」
 「入ってるはずですよ。『カモメ』って曲で、最近のアルバムに入ってるはずです」
 なんということだ。また一歩、野望に近づいたではないか。
 話しているうちに、森君も次第に乗り気になってくる。だが肝心の点は……。
 「森君は、まさか長渕ファンじゃないよね?」
 「ファンだった時期もありますよ」
 「それは鹿児島なら当然だよね。やっぱり『とんぼ』ぐらいの時期?」
 「そうですね。『JEEP』ってアルバムあたりまでは大ファンでした。『Captain of the Ship』で今に至るマッチョな方向がはっきり始まってからは離れてしまいました」
 「さすがに鹿児島でもそういう人は多いんだろうね」
 「そうだと思います。鴻池も大体そんな感じのはずです」
 鴻池君というのは、コーナーポケットの常連で、天文館アトムズのメンバーで、「どくんご」鹿児島スタッフの一員でもあるから、私もよく知っている。72年生まれで、やはり私や森君と同世代である。
 「周りに現役のファンっていない? 反原発に参加してる人の中に」
 「心当たりがないこともないです。ちょっと当たってみます」
 「もしいなかったら、ここはもう、森君がもう1回、長渕に回帰するしかないね。ぼくは散々これまで長渕を公然とディスってるから、偽装はムリなんで。いずれにせよ、これが軌道に乗ったら、この店にも長渕ファンが大挙して押し寄せることになるよ」
 コーナーポケットはジャズBARである。
 「うーむ困った」
 「ジャズ&長渕BARになる」
 「一応、CDは何枚か置いてますよ」
 「お、さすが。もう覚悟はできてる」
 それからしばらく、さらなるアイデアの出し合い、細部の詰め合いである。
 「せっかくなら西郷さんも絡めたいよね。西郷さんが“原発はダメでごわす”と云えば、逆らう鹿児島人なんかいないでしょう」
 「『西郷隆盛の霊言』でも出しますか」
 「惜しい人を亡くした」
 「『南洲遺訓』に“原発は許さない”ってのを付け加えましょう」
 「あ、長渕サウンドデモの出発点を私学校前にするのはどうだろう」
 私学校とは、西郷が鹿児島に創設した子弟教育施設である。明治政府で西郷と大久保が対立して以降、西郷派の拠点となり、西南戦争の事実上の“挙兵”の地でもある。鹿児島の中心市街地に、今も門と壁が残り、史跡となっている。西郷銅像も近い。
 「私学校跡で“挙兵”して、西郷銅像の前で“川内原発最稼働を絶対に阻止します”って誓いを立てるの」
 「いいですね。となると、解散地点は大久保銅像前ですね」
 「おお、それは素晴らしい」
 「鹿児島人の琴線に触れますよ」
 大久保銅像も、市街中心部にある。
 「大久保に向かって、“原発最稼働を許さないぞー!”と」
 「“全部オマエのせいだ”みたいな感じで」
 「大久保が敷いた欧米を模倣する近代化路線が、やがて鹿児島に原発を生んだと云えなくもない」
 「“麻生はオマエの子孫だろ、何とかしろ”って」
 元総理で現在も安倍内閣の副総理である麻生太郎は大久保の孫の孫、つまり5世、玄孫である。
 なるほどこれは素晴らしいアイデアだ。鹿児島における西郷の圧倒的人気に対し、大久保利通はとても不人気である。客観的には両者ともに明治維新の偉大な功労者だが、鹿児島人にとっては、最後まで鹿児島に寄り添った西郷と、日本全体の国益を考えてのこととはいえ西郷を裏切り、鹿児島を裏切ったかに見える大久保の評価には雲泥の開きがある。
 反原発・長渕派は、西郷の威光を背に“挙兵”、九州電力鹿児島営業所とか完全に無視して大久保を攻撃する。うん。いい。
 「いったん福岡に戻って、また近いうちに本格的に鹿児島入りするから」
 「それまでにもう1回、ギターを練習しておきます」
 と上機嫌で別れた。
 もう1軒、最近初めて反原発デモに参加したというマスターがやってるレゲエBARも訪ねたが、こちらはあまりピンときてもらえなかった。なにせ悪質なインボーだから、素朴で善良な人には理解されにくいのかもしれない。