ドラゴン・アッシュ論

別冊宝島『音楽誌が書かないJポップ批評2』に掲載

 ぼくの持論に、「ムーブメントの10年周期説」というのがあって、長くなるからその詳細については書けないが、状況分析や数年単位の未来予測にそれを役立ててきた。ブルーハーツが活躍したのは80年代後半だが、80年代初頭にすでに一度、日本のパンクロックは黄金時代を築いており、それを体験した世代にはブルーハーツなど「今さら」感が否めないものだったに違いない。「DA.YO.NE」や「今夜はブギーバック」が売れた時、これは数年後にもう一度デカいのが来るぞ、それはアジテーションの度合いをもっと強めたものになるぞと、80年代の時代曲線からのアナロジーで予測し、「これからはラップだ」とか息巻いては周囲を呆れさせていたが、「どうだ見事に的中しただろう」と自慢したい。
 ドラゴン・アッシュのことである。
 ヒットチャートの常連に、久々にメッセージ色の濃いバンドが食い込んできていると聞いて、早速レンタル屋に走った。ドラゴン・アッシュ。名前は何度か耳にした覚えがあるが、曲は一つも知らない。そんなに売れているのか。ベストテンの半数がいわゆるビジュアル系のバンドで占められるのが常となり、「つまらん」と思って以来かれこれ2年近くヒット曲のチェックを怠っていた。
 ドラゴン・アッシュ、ドラゴン・アッシュ……あったあった。『Mustang!』『Buzz Songs』の2枚のアルバムが、10数枚ずつ並んでいたが、すべて「レンタル中」の札がかかっている。数枚ずつ並んでいたミニアルバムやマキシ・シングルも同様。ほんとに売れてるんだ。全曲ひととおり聴くために、数日レンタル屋へ通いつめるハメになった。
 むむむむむ。なんかブルーハーツの匂いがするぞ。自分がブルーハーツにこだわっているから過剰反応してるだけなんだろうかと自問自答してみたが、聴けば聴くほどその印象は強まる一方。“ピーターパンになりたくて過ちを犯し続けた”(「Chime」)は「チェインギャング」を、“One two step Basket Shoesはけたら部屋から抜け出し”(「陽はまたのぼりくりかえす」)は「少年の詩」を、「I ・ HIP HOP」に至っては曲の存在そのものが「パンクロック」を否応なく連想させる。後日、インタビューで「ブルーハーツとかコピーして」たと発言してるのを目にして、やっぱりぼくの妄想ではなかったと安心した。

 が、状況予測や連想ゲームが「当たった、当たった」と云って喜んでばかりもいられない。「80年代は不発だった」というのが90年代の(ぼく以外の)浅薄な若手論客たちの共通認識となっているようだが、不発に終わりそうなのは実は80年代ではなく90年代のほうで、ドラゴン・アッシュにはその90年代の停滞ぶりが確かに刻印されているからである。
 80年代後半、“何か変わりそうで眠れない夜”(「ブルーハーツのテーマ」)を幾度となく体験したぼくらでさえ、90年代の“退屈すぎた日々に”“倒れたまま死んだふりでもう眠りたい”(「Chime」)と感じてしまうのだ。たしかに“時代は今 僕を拒み毒づいている”(「SiVA」)。怒涛の勢いで冷戦終結と民主化へ向かう世界情勢を背景に、政治(反原発、反管理教育)と芸術(音楽ではブルーハーツ、タイマーズ)と学問(フェミニズム、エコロジー)とが連動しながらカウンター・カルチャー高揚のピークを形成しつつあった80年代後半の日本で、ブルーハーツは「街」という希望を歌った。正義をふりかざす軍事大国と不正義の弱小国家群との間に紛争が頻発する世界情勢、不況下で脚光を浴びる「だめ連」、たしかに盛り上がってはいるらしいヒップホップ・シーン、何やってんだか外からはよく見えないアカデミズムの世界、それらが連動することなく分断されっぱなしの90年代日本で、「Let yourself go,Let myself go」というかけ声の何と空しく響くことか。
 “周りには仲間がいる 共闘してくれるキミ達がいる”――ほんとかよ。

 近田春夫も週刊文春の連載で、「共闘はネェだろ、いくら何でも」とシビレをきらしている。「このレベルの手垢のついたいい回しが、けっこう目立つ」「何だか大昔の新宿JR西口“反戦フォーク集会”みたい」「大体、敵って誰なの? 共闘って何をたたかうの?」……と相当苛立っている様子。
 だが、ぼくの見方は逆だ。「共闘」だの「敵」だのという言葉は現在ほぼ禁止されている。禁止しているのは、自分たちのやった「共闘」の悲惨な末路を反省しすぎた全共闘世代(の実は比較的良質な部分)と、ニヒルでシニカルな態度こそがラジカルなのだとカン違いしたサブカル世代の大人たちである。今時の若者が何かのはずみで「共闘」なんて口に出せば、「なんだか大昔のナントカカントカみてえだな」などとそれこそ「手垢のついたいい回し」でもって冷や水を浴びせられる決まりになっている。全共闘から30年を経てなお、近田が今回露呈したような全共闘コンプレックスが、とくにメディア空間には充満しているのだ。先行2世代による「共闘とか敵とか云うの禁止」共闘の監視の目をかいくぐり、彼らにマインド・コントロールされた同世代を洗脳外しして、共闘を実現し敵とあいまみえるのは極めて困難な状況。
 誰かと何かで共闘したい、(いなけりゃ捏造してでも)敵とたたかいたい、という欲求は健全なものだと思う。実際それは、現在では困難だが、原理的にはいつの時代にも実現し得る。誰だってさまざまな不満や苛立ちを抱えており、その中には個人の資質や性格に由来する部分もあれば、社会や時代の状況に由来する部分もある。後者は他人と共有可能だ。

 ぼくが「ほんとかよ」と疑念を持ったのは、それがすでに実現しているかのような口ぶりに対してだ。虚勢ならまだ救いがあるが、本気で「周りには仲間が」いて「共闘してくれるキミ達」もいると思い込んでいるならアホである。いや、ことによるとそれが「90年代的」なのかもしれない。まるで『じゃまーる』の見出しのように「〇〇族」「××族」と分断され、その閉鎖社会の内側は「仲間」、外側は「敵」。ヒップホップ族だかクラブ族だか知らないが、一種の民族主義だ。
 編著『ヒット曲を聴いてみた』(98年・駒草出版)所収のブルーハーツ論で詳述したが、メッセージ・ソングがメッセージ・ソングたり得るにはいくつかの条件がある。歌詞がはっきり聞きとれること、伴奏なしで(例えば警備のバイトで一人路上につったってる時とかに)簡単に口ずさめること、音楽に関してまったくの素人が「これならおれにもできる」と思えること……等々。ドラゴン・アッシュのベクトルはことごとく正反対に向いている。方法論が未だ確立していないがゆえのことなら今後に期待するが、彼らのメッセージが「ヒップホップ族」の内側にのみ向けられたものだとしたらそれは必然的で最悪の結果だ。
 ブルーハーツの「街」は、“いつか見るだろう 同じ拳を握りしめて立つ人を”と歌われた。現在の自分の周りに仲間はいない、しかし「外」の未知の世界にきっと仲間はいるはずだ、というわけだ。前述したとおり、80年代末には、ジャンルを横断する問題意識や試行錯誤の連鎖反応があった。
 90年代はあまりに長い闇だ。夜が明ける気配もない。
 ハルマゲドン希望。

付記. 政治界ではだめ連やメンズリブがブレイク中。他に銭湯利用者協議会や法政の貧乏くささを守る会も見逃せない。共通する志向性は「反マッチョ」だが、そっち側から見るとヒップホップ・シーンのマッチョさは気にかかる。

プロフィール とやま・こういち 70年生。福岡在住。自称ではなく客観的に革命家。時代に取り残されているのではなく時代を取り残している。頑固。