京大シンポジウムでの(会場からの)発言

14年3月執筆

 もうだいぶ古い話になってしまったが、記録に残しておく価値はあると思うので、まだ記憶が鮮明なうちにまとめておく。
 先日の東京都知事選の半ばあたりで例の「ほめご(以下略)」活動から一時離脱して3日間ほど関西へ赴き、いくつかの集まりをハシゴしてきたうちの一つ、京都大学構内でおこなわれた“68年革命”がらみのスガ秀実氏系シンポジウムの話である。
 市田良彦氏が代表を務める「京都大学人文科学研究所・共同研究班『ヨーロッパ現代思想と政治』」の主催で、2月1日の午後、「公開シンポジウム『ポスト68年の思想と政治----〈階級闘争〉から〈社会運動〉へ?』」と題して開催された。
 スガ氏界隈でよく名前を見かける市田良彦、長原豊の両氏の司会で、長崎浩、ギャビン・ウォーカー、廣瀬純、そしてスガ秀実の四氏のそれぞれ短い講演の後、会場からの質疑を含めた“討議”がおこなわれるという形式で、13時から始まって18時までの、それなりの長丁場だった。
 みなさん、とってもインテリである。長崎浩氏以外は全員、大学の先生である(長崎浩氏も日本の新左翼運動史における屈指の理論家である)。四氏の講演はそれぞれ、欧米の最新の思想動向をふまえた、おそらく一般の人々にはおよそチンプンカンプンのかなり難解なものである。私の場合は、ここ数年その著作を熟読しているスガ氏の云うことはおよそ理解できるし、また20代をとおして笠井潔氏の完全な影響下にあったために笠井氏のいわば“師匠筋”にあたる長崎氏の問題意識も笠井氏経由でおぼろげには理解しているつもりなので、多少は有利なバックグラウンドを持って臨めたわけだが、例えば司会の市田良彦氏が書いた平凡社新書の『革命論 マルチチュードの政治哲学序説』(2012年)は、新書なのに難解すぎてまったく歯が立たなかったほどである。
 現代日本を代表する革命家である私は、実践に忙しい立場であるがゆえに理論面は耳学問で大雑把に済ませているので、ヘタなこと云ってボロを出してナメられちゃ常に上から目線を維持しなければならぬ革命家として面汚しだと大いに警戒して、質疑応答が始まってもしばらく黙って様子を見ていた。
 が、どうも様子がおかしいのである。コトによるとインテリさんなのは壇上の方々だけで、ざっと百数十は集まって大教室をギッシリ埋めている聴衆は無学文盲の人民の皆さんなのではないかと疑念を感じさせるようなトンチンカンな“質問”が相次いでいる。曰く、「全共闘がテーマだと新聞で読んで期待して来たのに、難しい話ばっかりで、ちっとも元気が出ない」(自分も当時“闘ってた”というオッサン)、曰く、「ギャビン・ウォーカーさんは日本語が大変お上手ですが、どんなふうに勉強されたんですか?」(老人)……。あまりの展開に壇上の方々も困惑気味で、もちろん客席には主催の「ヨーロッパ現代思想と政治」共同研究班に所属する大学教員や院生などモノホンのインテリの皆さんもいるので、司会者は何とかそっちに話を振って軌道修正を図るのだが、またさっきの老人が……。まあ、“全共闘がらみのシンポジウム”を新聞その他で大々的に宣伝すれば、そういう困ったオジサンたちが結集してしまうのは分かりきった話ではあるが。
 よし、これなら“教養のない教養主義者”を自認する私が発言する余地は充分以上にあると安心しきって発言を求めて挙手した次第である。

 四氏の講演を聴いていて、一番若く、私とほぼ同世代でもある71年生まれの廣瀬純氏の発言に私は大いに違和感を持ったので、そこに突っ込もうと思った。
 ちなみに今回、ひと月以上も前の話をわざわざ思い出して記録に残しておこうと考えたのは、私の発言の内容云々以上に、こういう場合の“切り込み方”の参考にしてほしいためである。我がファシスト党に結集している若者たちもそうなのだが、こういうのが“上手い”若手活動家を昨今ほとんど見ないことを私は常々もどかしく感じている。私は“喋り”そのものは元々あまり得意ではないのだが、「『高校生らしい』集会」(1990年)、「子ども自身による反『管理教育』運動なるものは、ほとんどゲロゲロである」(1991年)などを読めば分かるように、“対話”的な介入に限っては喋るのも昔から得意なのである。
 もちろん、実際に挙手する前に、“質問”をどう組み立てるか、アタマの中で延々“予行演習”した上での発言である。

 まず、簡単に自己紹介をしなければならない。休憩時間に何人かに声をかけられたし、聴衆の中には私が何者であるか知っている人も一定いるようだが、もちろん知らない人もかなりいるだろう。半々のつもりで、壇上ではなくまずは客席を向いて話す。
 「福岡から来ました、外山恒一と申します。皆さんの中には、私のことをご存知の方もある程度いらっしゃるかと思います。というのも、今ちょうど東京都知事選をやっていますが、私は前々々回、7年前、2007年の都知事選に立候補して、テレビ演説、いわゆる政見放送で、選挙制度そのものを否定しつつ政府転覆を訴える過激な演説をやって、その動画がネットで広まり、それを観たことがあるという人が結構いるんです」
 この自己紹介は、もちろん続けておこなう広瀬氏への“質問”ともやがて関係してくるように意図してある。さらに関連づけるために補足する。
 「選挙がらみで云えば、私は原発反対派なんですが、一昨年の衆院選では、原発推進派の候補者たちの選挙カーを、“目の前を走ってる何々サンは原発推進派でーす”と道行く人に云いふらしながら街宣車で追い回したり、昨年の参院選では逆に原発推進の街宣車を作って、具体的には“こんな国もう滅ぼそう原発で”というスローガンを書いた街宣車で、主に自民党の候補者たちに“原発推進がんばってください、一緒にこんな国はもう滅ぼしましょう”と、まあいわゆるホメ殺しをやりました。実は今やってる都知事選でも舛添サンに対してホメ殺しをやっている真っ最中で、一時離脱してこのシンポジウムに参加しています。必ずしも選挙関連だけではないんですが、とにかくそういうちょっと変則的な手法でいろんな活動をやっています。そういう私の活動のあれこれについてある程度ご存知の方々には、私が一般の方々よりもいくぶんか、“出来事を生み出す力能”に恵まれた人間であることを認めていただけるのではないかと思うのですが……」
 と、ここで広瀬氏の講演内容に軽く結びつけているのだが、解説が必要だろう。

 シンポジウム終了後に少しスガ氏にレクチャーしてもらったのだが、今、欧米のインテリ左翼は、ネグリ派とバディウ派に分かれて論争しており、そこらへんがホットな話題なのだそうだ。
 ネグリはイタリア出身の思想家で、70年代後半のいわゆるアウトノミア運動の理論的支柱であり、80年代前半の日本のニューアカ・ブームの時点でもすでに(ブームの中でよく俎上に上げられたポストモダン思想の主要著作の一つである『アンチ・オイディプス』の著者ドゥルーズ&ガタリの片方の、ガタリとの共著『自由の新たな空間』などによって)名前がチラチラしていたようだし、2000年のマイケル・ハートとの共著『〈帝国〉』によってますます高名な存在になった。日本の左派界隈でも頻繁に聞かれるようになった「マルチチュード」も、もともとは(今の文脈では)ネグリ&ハートが多用し始めた用語のはずである。そもそも私の宿敵である矢部史郎の一派が、まだ私と同志的関係にあった90年代後半から“高円寺ネグリ派”などと自称し始めていたので、私にとってもだいぶ以前からなじみのある思想家ではある。
 対してバディウの方は、私はあんまりなじみがない。もちろん名前ぐらいは聞いたことはあったが、どういう主張をしている人なのか、さらには当然ながらネグリたちと“論敵”関係になっていることも知らなかった。
 で、この日のシンポジウムでは、ギャビン・ウォーカー氏がバディウ派で、廣瀬純氏がネグリ派なのだそうである。ただウォーカー氏の講演は、そりゃ仕方ないのだが、用意してきた原稿(日本語)を棒読みする形だったので、聞いていてちっともアタマに入らず、したがってバディウの何たるかをバディウ派のウォーカー氏の話から理解することは叶わなかった。が、廣瀬氏の講演は、ネグリ派の立場からバディウを徹底批判する内容で、失礼ながら多少メンヘラの気質を感じさせるようなハイテンションな語り口で、「バディウの野郎、こんな愚劣なこと云ってやがるんですよ」的にバディウの主張を紹介しながら貶めるという、それなりに痛快な感じだったから、難しげな話には飽き飽きしていた人民枠の来場者たちにも、廣瀬氏の少なくともキャラクターは大ウケだった。
 だが、私としては、廣瀬氏の“批判的な解説”を聞けば聞くほど、どうしてもバディウの方が正しいように思えてならなかったのである(バディウ派のウォーカー氏も、日本語で廣瀬氏に論争を挑むほど日本語が流暢なわけではないようで、ウォーカー氏による反論はほとんどなされなかった。なお以下紹介するバディウ像も、あくまで私がこの日、廣瀬氏の解説から想像して、廣瀬氏に批判的質問を発するために必要な範囲で造形したもので、実際にその理解で合ってるのかどうかには責任とれない)。

 どうもバディウは、要するに千坂恭二氏も云ってるような「革命は電撃的に襲来する」的な立場の論客らしいのである。千坂氏は近年、一部の若者たちに大人気だから、そういう若者たちは「革命は電撃的に襲来する」を千坂氏のオリジナルだと思っているかもしれないし、実際に千坂氏は自力でその認識にたどり着いたのだとも思うが、実は私が強い影響を受けた笠井潔氏もほとんど同じ言葉で同じことを昔から云い続けており(どこかで「革命は電撃的に彼方より襲来する」だったか、ほんとにマンマ同じことを云っているのである。例えば78年にまだ活動家名の黒木龍思名義で参加した論集『全共闘 解体と現在』に収録された論考「ふたたび『革命の意味』を問うこと」にも、「叛乱はいつだってマルクス主義者の科学的説明の彼方から襲来したのだし」云々とある)、笠井氏の影響下に入った91年以来ずっと、私はそういう意識で“革命家”をやってきた。
 「革命は電撃的に襲来する」論は一種の運命論で、つまり人間の主体的努力を無意味にしてしまう面なきにしもあらずだから、これに反発したくなる気持ちは私にも分からないではない。だが事実、革命とはそういうものではないのか。人間の主体的努力など無に等しく、革命はこちらの意図とは無関係に、突然起きて、個々の人間などその大波に一方的に巻き込まれて右往左往するばかりなのではあるまいか。逆に、その人間の意志ではどうにもならないことを無理矢理にどうにかしようとするところに、ユートピアを求めてディストピアを実現してしまう“スターリニズム”の罠が口を開けているのではないのか。
 何かの拍子に“革命”なんてものに取り憑かれてしまって、それを渇望してしまう一部の特殊な人々にせいぜい可能なことは、すわ革命の激動が始まった時にすぐさまそれに反応しうるようにアンテナを磨き続けることぐらいだし、しかもその努力は必ずしも報われるとは限らないところに革命の偉大さと人間の卑小さがあるのではないか。私はいざ革命が始まった時に“革命の神様”に使っていただけるよう日々努力しているつもりだし、その努力が報われることを夢見ているが、一方で、私の努力の方向が実はトンチンカンで、いざ革命が起きても何の活躍もできないかもしれないことを覚悟してもいるのだ。
 あるいは、私のような「革命家」の存在そのものが、何ら私自身の主体的意志や努力・研鑽によって誕生するのではなく、偉大な革命がむしろ先行して勃発し、その渦に巻き込まれた無数の「ただの人」のうち、大多数はやがて革命の波が引いていく局面でまた日常に還っていくのに、幸か不幸か引き潮に乗り損ねて取り残されてしまったドジで“可哀想な人”たちであるにすぎず、なぐさめに「革命家」などと自称し始めるにすぎないのではないか。

 廣瀬氏によれば、バディウは、人は人知を超えた力によって歴史の舞台に上がる(上がらされる)にすぎないなどというニヒったことを云っており、そのくせバディウ自身も左翼の活動家ではあるから、近所の商店街で地道にビラまきをすることも歴史の舞台に上がる意味を持つのだとか強弁しており、しかし同時に諸個人のそんな主体的努力に大した意味はないとか云い、もう云ってることメチャクチャじゃん、なのだそうである。それに対してネグリは、グローバル資本主義の現実をマルクス理論によってきちんと分析し、そこから左翼活動家の主体的努力による革命の展望を見いだしているのであり、とっても素晴らしい、と。(これは別ルートでの私のネグリ理解も混じって云うのだが、具体的にはつまり)かつて資本主義の勃興期に貧乏人の群れが近代的工場労働者として組織される過程で、団結して組織的に行動する能力を身につけてそれを労働組合運動に応用したように、グローバル資本主義が労働者階級に要求するネオリベ的なさまざまのスキルアップは、この新段階の資本主義に対抗する新段階の労働運動を可能とするはずで、まさにマルクスの云うとおり、「資本主義は自らの墓堀人を自ら産み出すのだ」的なことを云いたいんだろうと思う。このグローバル資本主義に適応するために身につけさせられる諸々の「出来事を生み出す力能」は、(労働者側の意志によって)このグローバル資本主義を打倒する方向にも援用しうるのだ、みたいな話なんじゃなかろうか。

 で、シンポジウムでの廣瀬氏に対する私の“質問”の話に戻す。前述の簡単な自己紹介を終えて、私は聴衆から壇上へと向き直り、いよいよ廣瀬氏への“質問”に入る前に、少し遠回りするつもりだったので、しかしそれによって「なんだコイツも関係ない話を延々やるのか」と思われるとマズいので、“関係ある話をするんですよ”アピールを忘れないことが大事だ。
 「実は壇上のスガ秀実さんから、先日、“外山恒一は日本のバディウである”という、おそらくお褒めの言葉をいただいたんです。なぜ“おそらく”かと云うと、私、バディウってどういう人なのかよく知らないもので……」
 ギャグのつもりではなかったのだが、ここで少し会場に笑いが起きた。ちなみにスガ氏に“褒められた”というのは、昨年の参院選での「ほめごノ」に関連した、スガ氏のツイートを指している。
 “「情況」6月別冊・政治経済学批判。多くから刺激受ける。中で菅孝行が、思想でなく行動をと、おれ(含め)を批判。で、同誌でも問題になっているバディウの「資本?議会主義」批判を実践しているのは誰か。外山恒一の全国ツアーである。外山は日本のバディウである。w付けず、それを思想化せねば。” 2013年7月11日 09:45
 「で、さきほどの廣瀬さんによるバディウの批判的な紹介を聞いて、初めて“なるほどバディウというのはそういう人なのか”と教えていただいた次第なんですが、廣瀬さんがバディウに批判的であるのはよく分かった上で、しかし廣瀬さんの話を聞けば聞くほど、バディウの方が正しいじゃないかという気がしてならないんです」
 ……と前置きした上で遠回りへ。
 「というのも、今日のテーマは“68年革命”ですが、世間には“89年革命”という言葉もあります。云うまでもなく、冷戦終結に帰結した、80年代後半の民主化運動の世界的拡大のことで、中国の挫折した天安門事件も含め、いわゆる社会主義陣営での民主化運動が連鎖反応的に起きました。東側だけではなく、南北問題という時の南側の諸国でも、フィリピン、韓国、ビルマとやはり連鎖反応的な民主化運動の拡大が並行しておきました。それらをもって、“89年革命”は東側と南側で勃発したが、西側つまり日本を含めた資本主義先進諸国では何もそれらしいことは起きなかったという歴史観が流通していると思います。しかし、少なくとも日本には“89年革命”は起きていたじゃないかと私は考えています。“89年革命”が冷戦構造の終焉を結果するものだったとして、国内版の冷戦構造である“55年体制”のほころびは、まさに89年夏の参院選で当時の土井社会党が大勝して、参院では首班指名される事態から始まりました。たまたま参院選だったから土井首相の誕生ということにはなりませんでしたが、もしあれがたまたま衆院選であれば、89年夏の時点で自民党長期政権は終わり、いわば日本版の“民主化”が実現していたわけだし、実際、このことに衝撃を受けた自民党に内紛が生じ、それがどんどん加速して、日本版の冷戦構造たる55年体制の崩壊を伴いつつ、今に至るまで延々と続く“政界再編”の試行錯誤が始まったわけです。土井社会党ブームはそれ単独の現象ではなくて、80年代後半のさまざまな都市型の新しい社会運動、具体的には反原発や反管理教育などの運動の盛り上がりを背景とした、その氷山の一角的な現象で、そうした背景をなす諸運動の盛り上がりの総体を念頭にして、私は日本にも“89年革命”はあったと思うし、おそらく日本のことも日本で忘れられているぐらいですから、他の西側先進国にもあったかもしれません」
 ……というのが本題の“質問”に入るための前置きである。
 「そこでさきほど解説いただいたバディウの話と関係してくるんですが、私自身、どうして最初に少し自己紹介したようなさまざまの活動を続けているかといいますと、正直に自省してみれば、この“89年革命”の波に巻き込まれたからなんです。80年代後半、私はいわゆる管理教育に不満を持つただの高校生で、素朴な抵抗を繰り返しているうちに、次第にあれよあれよと当時盛り上がっていた反管理教育運動の波に飲み込まれて、無我夢中でやってました。やがて90年代に入ってまもなく、反管理教育も反原発も、土井社会党ブームも一斉に波が引いて、当時一緒にやってたはずの仲間たちの多くもいつのまにか日常に還っていきましたが、私はどうも還りそびれて、運動の世界に居残ってしまい、同時にやっぱり盛り上がっていた時期の熱気が忘れられなくて、またああいうことが起きるんじゃないかと妄想しながら、いろいろやってるだけです。かなり派手なことをいろいろやっていますが、要するに“89年革命”の熱に浮かされた、その余熱で動かされてるだけなんです。そういう自覚をふまえて、やはり主体はこちら側ではなくあちら側、いわば“革命の神様”みたいなものの側にあって、私個人の主体的努力なんてものは無に等しいし、多少あったとしても意味的にはやはり無に等しいんじゃないかと思うわけです。近所でビラをまくような地道なことも私はやってますし、それはバディウの云うとおり、ささやかながらも歴史に参加することでもあると思いますが、そういう場合にも主体的な意志として歴史に参加しているというより、まず歴史の側の何らかの力に掴まれたことがある結果の余熱で参加させられ続けているにすぎないのだという感じがするんです」
 ……と、それなりに企画主旨に関連づけて、いよいよ廣瀬氏への“質問”である。
 「プロフィールを拝見したところ、廣瀬さんも私とほぼ同い年で、同世代ですよね。ということは、廣瀬さん自身が、今のように左派的な立場に自己形成していくに際しても、あの“89年革命”の熱気に巻き込まれたか、あるいは89年以降にもいくつかの盛り上がりはありましたから、そういう別のムーブメントだったかもしれませんが、やはりその出発点に、廣瀬さん個人の意志を超えて、歴史なり何なりの大きな力によってまず“掴まれる”、“巻き込まれる”という過程があったんじゃないかと思えてならないんです。もしそうであれば、やはりバディウの云うことが正しいじゃないか、ということなんですが、どうでしょうか。廣瀬さんはどういう経緯で左傾したんですか」

 実際には以上まとめたものから印象されるだろうほどスラスラと流暢に発言したわけではないが、前述のとおり実際に発言する前にアタマの中で何度も話の組み立て方を試行錯誤した上での発言なので、おおよそほぼこのとおりのことをこの順序で云ったはずである。けっこう長々と話したのも、他のトンチンカンかつ長ったらしい“質問”が続出した状況をふまえて、これぐらいなら許されるだろうと“空気を読んだ”上でのことである。
 これに対する廣瀬氏の回答は、肩すかしのものだった。たぶんわざとはぐらかしたのだと思う。つまり、「私の短い話からバディウの思想をそこまで正確に理解されたとは驚きです」、「いやあ、説得されてしまいましたよ」的なリップサービスで、左傾した経緯についてもちゃんとは答えてもらえず、司会に「なんで左傾したのかってことについてはどうなの?」と再度突っ込まれても、「勉強の結果だと思います。勉強すればみんな左傾するはずですよ」とやはりはぐらかしていたように見えた。
 先にリンクを張ったように、若い頃の私ならそういう“逃げ”を許さず、ここぞとばかりに徹底追及モードに移行していたかもしれないが、もういい年こいたオトナだし、どっちかというと企画をかき回すのではなく、スガ氏以外の、私を未だ“キワモノ”扱いしているだろうアンテナの鈍いインテリ聴衆諸君に「外山って意外とデキルじゃん」と印象づける“営業”目的の発言だったので、おとなしく引き下がった。
 大杉栄なんかも“演説会もらい”と称して盛んにやってたらしい、会場からの批判的質問を突破口にして主催側の意図を超えて集会を活性化(?)させる技術は、リッパな活動家を志すならそれこそ身につけた方がよい“スキル”だと思うので、(まあここまでインテリ度の高い企画でそれをやるのは一朝一夕にはムリだろうが、もうちょっと難易度の低い場はいくらでもあろう。ちなみにこのスキルを身につけるに際して基盤となるのは決して喋りの技術ではなく、何より相手の発言意図を正確に読み取る云わば“現代文読解”的な能力である)若い世代への参考のために供した次第である。