鹿児島交通違反裁判
控訴審 判決公判
(2008年3月27日)
法廷レポート「思いやり判決」

 本日午前11時半、福岡高裁宮崎支部で控訴審判決が云い渡された。
 私はスタッフS嬢および福岡から昨夜鹿児島入りした我々団員の同志I(今回の市議選では選挙カーの運転手を務める予定)とともに宮崎入りし、判決を聞いた。選挙準備が忙しく、昨日はネットカフェに寄る時間もなく、ファシズム入門の更新もできなかったくらいで、今日もとにかく判決を聞き届けた上で、急いで鹿児島に戻ってきたところ。

 で、肝心の判決である。

  原判決破棄!!

 もちろんというか意外にもというか、原判決より重くなったわけではなく、減軽されたのである。
 具体的には、「罰金3万円」という判決だった。
 さらに、「未決勾留期間を1日5千円換算で、その罰金額に満つるまで算入」という但し書きつきで、つまり簡単に云うと、「この件で逮捕された際に、けっこう長いこと獄中に留めおかれたようなんで、すでにある程度は処罰が事実上おこなわれたとみなし、判決は罰金3万円だが、そのぶん全額チャラってことにします」ということ。
 もひとつオマケに、原判決にあった「訴訟費用は被告人の負担とする」という部分も除かれた。ただしこれは閉廷後に弁護士に訊き忘れ、今回の控訴審についてのみのことなのか、それとも原審・控訴審いずれの分もってことなのか未確認。

 たいへん思いやりに満ちた判決である。
 まず、大幅に減額されたとはいってもやはり求刑の倍という「異例の判決」である点は変わらない。さすがに「8倍」はやりすぎだけど、厳しく罰するべしと考えた判断そのものを否定するわけではありませんよという、鹿児島地裁・渡部市郎への「思いやり」。
 そして、「原判決の4分の1」であるから、表面的には通常ありえないくらいの減軽を勝ち取った大勝利ということになる国選弁護人への「思いやり」。
 さらにもちろん、実質オトガメなしの結果となる私、被告人への「思いやり」。
 検察官だけは相変わらずおいてけぼりだが、各方面に目配り・気配りのある名判決といえなくもない。
 この裁判長、いつも私の選挙ポスターの印刷を請け負ってくれる中川文人氏が選定する「有徳者会議」のメンバーに推薦したくなるほどの徳の高いお方と見える。

 が、徳が高いことと正しいこととは必ずしもイコールではない。
 判決内容は、相変わらず大間違いなのである。
 基本的には、職業不詳・鹿児島地裁の裁判官席になぜか頻繁に出没する渡部市郎の判決文スタイルの出来の悪い文芸作品と大差のない内容で、例の一方通行違反について、検察側の主張を丸呑みし、こちらの主張をすべて斥けている。
 つまり警察官の「とにかく違反の事実を見たのだ」と強弁した証言を丸ごと採用、それと矛盾する私の主張は全部却下なのである。
 私は、アーケードを原付を押して通行し、アーケードを出たところでエンジンをかけ、まずは違反にならない方向へ走り出し、まもなく道を間違えていることに気づいてUターン、以後は一方通行道路を逆走する形になったが、Uターン地点が一方通行標識の手前であったためにそれを確認しようがなく、したがって標識確認という注意義務を怠ったことにはならず、無罪であると主張している。
 しかし警察官は、アーケードから原付を押して出てきた者などいなかった、アーケードを出た地点でエンジンをかけて走り出した原付もなかった、Uターンした原付もなかった、と云う。一方で、「一方向ばかり注視しているわけではない」、「規制に違反する形で通行していない車両の動きについてはとくに注目していないし、そういう車両のことを後々まで全部正確に記憶しているということもない」などとも云っている。だから警察官の、「しかしそんな原付はなかった」という証言は、自らの別の部分での証言と矛盾する、しかも内容的には後者の「さすがに全部はいちいちチェックしてないし、覚えてもいませんよ」という証言の方が自然であり、「そんな原付はなかった」証言は、裁判で検察側を有利に導くためにする強弁であることは明らかだ。
 さらに実際、問題の道路には警察官の立っていた位置からは死角となる部分が一部あることも指摘されており(判決文中でもそのことを認めてさえいる)、途中でUターンしたのだという私の主張は「充分ありうること」として認めなければならない。少なくとも、私の主張するとおりであった可能性を完全には排除できないのであって、「疑わしきは被告人の利益に」の刑事裁判の大原則に基づいた判断をすべきである。しかし、そうすると、実際これは有罪にしにくいケースになってしまうので、「とにかく被告人の主張は全部嘘だ、云いわけだ」と一方的に決めつけることによって有罪の結論を支えているのである。

 ひどい。

 というわけで、上告する。
 当初、「しょーもないことで私を摘発すると、メンドーである上に税金を無駄づかいすることになって、割りに合わない」ということを思い知らせるために、どんな判決であろうと最高裁まで持っていく、という方針であったが、内心、「少なくとも一方通行だけでも無罪と認定してくれれば、今回に限り大目に見てやろうかな」と決心が揺らぎ始めてもいた。
 が、以上のように相変わらず裁判官どもには反省の態度がミジンもなく、その情状は極めて悪質である。よって上告処分を選択しなければ、著しく正義に反するのである。

 そもそも繰り返すように相変わらず「求刑の倍」なのである。
 反則金の納付要求に不服があれば正式裁判を求めてもよいということになっているのに、実際にそれを実行すると1ヶ月も拘束されるわ、罰金の額は上がるわでは、アメリカ様による押し付け憲法で保障された「裁判を受ける権利」が不当に侵害されているという他ない。

 ま、上告したって同じなんだけど。
 しょせん裁判や選挙でものごとが変わると思ったら大間違いで、もはや政府転覆しかない!のは明らかなのである。