『人民の敵』第9号
2015.6.1発行)

内容
収録日
収録場所
400字詰原稿用紙換算
〈インタビュー〉伊能夏生&五月うか
2015.03.02
出水(鹿児島)J
約125枚
〈発掘インタビュー〉沢村真司(仮名)
1993.02.19
東京
約110枚
3ウ
〈発掘インタビュー〉久田康弘(仮名)
1999.08.19
福岡
約74枚

各コンテンツの内容と冒頭部分
(もともと一般公開を前提としていない内容で、コンテンツによってはサシサワリある発言も多く、3段組レイアウトの冒頭1段のみ掲載します)
(各コンテンツのタイトル部分をクリックすると、全体の約10分の1の“抜粋”を読めます)


コンテンツ1 〈インタビュー〉伊能夏生&五月うか

 伊能夏生は、外山がずっとイチオシしている「劇団どくんご」の創設(83年)メンバーであり、演出家である。五月うかは「どくんご」の女優で、やはりごく初期からのメンバー。09年以来、毎年(それ以前は3、4年おき)、全国約40ヶ所の旅公演を続けてきた「どくんご」だが、今年は丸1年間の“充電”ということで、09年以来の本拠地である鹿児島県出水市の郊外というより山間部(牧場跡)でウダウダしてるっぽいので、せっかくだから訪ねて、「どくんご」30余年の激動の歴史について根掘り葉掘り聞いてみた。


コンテンツ2 〈発掘インタビュー〉with 沢村真司(仮名)

 諸事情により仮名にしてあるが、“沢村”は外山のデビュー作『ぼくの高校退学宣言』(89年)にもさっそく登場していた、外山の反管理教育運動のごく初期からの同志である。このインタビューは93年2月に、80年代末から90年代初頭にかけて若いラジカリズムの突然の高揚期を担った「秋の嵐」(東京の反天皇制グループ)や「全国高校生会議」(外山もその一員だった、高校生活動家の全国ネットワーク)の当事者ら数名に対しておこなったものの1つ。中学生時代に“革命”に目覚め、以来数年間、同世代の仲間たちを発掘しまくってヨコにつなげていく(外山も発掘された1人である)ことにすべてを賭けた“沢村”の圧倒的なエネルギーに驚愕せよ!


コンテンツ3 〈発掘インタビュー〉with 久田康弘(仮名)

 秋好悌一は、80年前後に九州大学ノンセクトの中心人物でもあった福岡の新左翼系活動家で、運動内部にママ見られるさまざまの欺瞞にも厳しかったために孤立して運動シーンからパージされたという(80年代半ば頃のことか)、そういう側面でも外山の“師匠”格にあたる知られざる偉人である。持病の喘息発作によって94年に30代半ばで死去した。テント芝居の世界とも深く関わっており(秋好と接していた当時の外山はまだテント芝居にさほど関心ナシ)、久田(仮名)はその方面での秋好の“一番弟子”で、かつ外山の中学校での同級生でもある。いわば2人の“高弟”が亡き師についてその死の約5年後に語り合ったテープを今回16年ぶりに発掘して起こしたわけだが、この対話自体、外山と“久田”が数年ぶりに再会しておこなわれており、99年当時のお互いにかなりヒドい“近況”を述べ合うことから始まって、したがってここに掲載した冒頭部分では“本題”の“秋好の話”にはちっとも入っていない。