『人民の敵』第8号(2015.5.1発行)


コンテンツ5
〈インタビュー〉with 準

〈正規版“購読”検討用・抜粋〉


外山 学生運動っぽいことに関心を持ったのは、何かきっかけがあるの?
 成り行きですね……。
外山 「アナキズム研究会」を名乗るのは?(13年に外山がツイッターで現役学生フォロワーに「実体の有無に関わらず「○○大学アナキズム研究会」を名乗れと呼びかけ、全国約30大学にアナ研が存在するかのような状況が現出、やがて熊大にも準君による「アナキズム研究会」アカウントが登場した)
 面白そうだと思ったんです。もともと神戸にいる頃から、京大のHさんとは知り合ってたんですよ。
外山 ああ、「サークルクラッシュ同好会」(大学サークルをはじめとするさまざまな組織の崩壊現象を研究考察するグループ)を主宰してる人。こないだウチの“教養強化合宿”にも参加してくれたよ。
 東京の「りべるたん」(ノンセクト学生やOBたちのシェアハウス)はまだ知らなかったけど、そういうのに近いところとは熊大に入る前の時点ですでにつながってましたし、「アナキズム研究会」を立ち上げたらさらに広がるんじゃないかと思ったんですよ。だけど実際に何をすればいいのか分からないから、だんだん興味がなくなって、ほとんど“捨てアカ”(放置アカウント)みたいな状態になってたところに、あの有名なM君から……(笑)。
外山 西南大アナキズム研究会・議長の(笑)。
 彼からコンタクトがあって、実際に会ったんです。
外山 どっちで会ったの?
 M君が熊本に来ました。ツイッターのダイレクト・メールで連絡を取り合ってるうちに、私が福岡に行くか、彼が熊本に来るか、という話になって、彼から見ると私の側がどうも福岡行きに積極的ではないように見えたんでしょうね(笑)。だけど私はそれでもアナキズム研究会には……興味がなくなったわけではないんですが、限界を感じたんです。
外山 人を集めにくい?
 そうですね。もともとアナキズム研究会の前に、「サークルクラッシュ同好会」の“九州支部”を立ち上げようと思って、名乗ってた時期があるんですよ。だけど実際に名乗ってみると、これは京大だからやれるんだと気づきました。熊本大学で名乗ったら、それに対してマジで切れる人たちが多い(笑)。京大にも多いのかもしれないけど、逆に興味を持ってくれる人も少しはいる。
外山 たしかに熊大でそういうヒネったことをやるのは、まだ早すぎるかもしれないね(笑)。
 熊大もある程度の学力はある人たちだけど、やっぱり“一般人”が多い。東京や関西の学生たちがどういうことをやってるか、まったく知らないし興味もない人たちばっかりで、「サークルクラッシュ同好会」のことも全然知られてないんです。
外山 熊大生じゃなくても普通知らないよ(笑)。
 でももっと大きな、例えば「しばき隊」のこともほとんど誰も知らない。原発の問題も……。
外山 何か事故が起きたらしいことは知ってる(笑)。
 だけどやっぱり他人事なんです。反原発運動をやってる人たちが東京とかにいることは知ってても、そういうのはメンドくさい、鬱陶しいっていう感覚の人が多い。もちろん東日本から避難してきた人が熊大にもいて、彼らはかなり敏感ですけど、全体の中ではマイノリティですよね。


外山 準君は熊大には昨年入学したんだよね?
 はい。
外山 今は2年生になったところか。最初は「サークルクラッシュ同好会」をやろうとして、次に「アナキズム研究会」をやろうとして、いったん行き詰まったあたりで、熊大学生運動の歴史を調べ始めた、と。
 それ以前に、文学部には入門的な講義で、歴史学科の先生が熊大の五高時代のことを話してくれる授業があるんですよ。だから旧制高校の頃の話はそれで知ることができるんですが、新制大学になってからの話はないんです。先生たちもあまり興味がないみたいで、東大や京大なら新制大学になってからのことを研究してる先生も少しはいるみたいなんですが、熊大にはそういう人がいなくて、五高の歴史といっても“過去の栄光”みたいな話だし、まして新制大学になってからとなると、まとまった資料が何もない。熊大はもともと歴史的にはそれなりの地位にあった大学だし、今の九州では九州大学に次ぐ2番手の大学だけど、昔は“九州の東大”と云われてたぐらいだから、それなりに学生運動も盛んだったんじゃないかと、調べてみたいと思い始めてた。私は演劇部に入ってますが、ある時、演劇部の部室に、かなり古そうで、演劇とかとはまったく関係なさそうな文書が埋もれてたのを発見したんです。
外山 古文書が……(笑)。そもそも演劇部に入ったのはどうして?
 それも偶然です。高校の時には文芸部の部長だったし、文章を書くのが好きなので、熊大でも文芸部に入るつもりだったんですけど、ちょうど文芸部の部室が移動した時で、看板だけ残ってる元の部室を訪ねたら誰もいなくて、仕方がないから、他にどんなサークルがあるんだろうとサークル棟をウロウロして、演劇部の部室も覗いて、せっかく大学に入ったんだし、新しいことを始めるのもいいかと思って入部することにした。演劇が伝統的にアングラ的なものと関係が深いことは、演劇部に入ってから初めて知りました。私は運命とか信じない人ですが、だから演劇部に入ったことは運命だったのかもしれないと思ったりもします(笑)。とにかく、演劇部室に埋もれてた文書を発見したわけです。すでに熊大学生運動の歴史を知りたいと思っていて、だけどどこを調べても何も資料がない。黒髪祭の歴史をまとめたサイトはありますけど、その範囲のことしか載ってないし、他にも資料がないのかと、文化部会の部屋を探したけど何もなかったし、大学図書館にもそういうものは保管されてないし、どうすればいいのか困ってたところに、演劇部室から貴重な資料の山が出てきた(笑)。……あ、そうそう、それ以前にまず私が思いついたのは、古本屋を探すことだったんです。昔の“部誌”とかも古本屋に置いてあることがあったし、何かあるかもしれないと思って、熊本の古本屋を片っ端から調べた。そしたら、体育会が昔発行していた『黒髪』という冊子が1号から5号まで、それだけ見つけることができました。でもそれでおしまいで、これ以上は無理だなあと諦めていたところに、山南さん(山南純平氏。熊本の老舗アングラ劇団「夢桟敷」の座長で、熊大演劇部とも交流が深い)のこととかあるし、もしかしたら演劇部にも何か古い資料が残ってるんじゃないかなあって、ちょっと漁ってみたらすぐ、どう見ても古い脚本とかではない、めっちゃ何か……。
外山 怪しい感じの……(笑)。
 そうなんですよ(笑)。幅50センチ分ぐらいの怪しいファイルが出てきて、「えっ?」と思って開いてみると、要するにまさに“当たり”だったんです。時代順はバラバラだし、抜けてる時期もあるんですけど、60年代、70年代の文書がいっぱい入ってて、“医薬分業”について議論してる様子とか、楽友会(当局と敵対的な文化部会から離脱した音楽サークルの連合体。『デルクイ02』での、外山による脇元寛之氏へのインタビューによれば、90年頃の時点で、オーケストラやブラスバンド部などが楽友会に属し、ロック研・フォーク研・ジャズ研などは文化部会に属していたという)を作ろうって話だとか、当時の文化部会の資料とか、かの有名な(笑)黒髪祭の資料とか……これは“当たり”だ、って。それでいろんなことが分かり始めて、もっと他に調べる方法はないかと、今度は熊本大学新聞社(新聞部)に目をつけた。サークルとしてはまだ残ってて、崩壊寸前なんですけど。
外山 新聞はまだ出てるの?
 昨年は2回出ました。今年も一応、すでに2回出してます。
外山 ん? 準君は新聞部にも入ってるんだっけ?
 副部長です(笑)。10月ぐらいにコンタクトをとって、エスペラント研究会の資料とか、昔の学生運動の資料とか……。
外山 バックナンバーを調べようと思ったんだ。
 それで入部したわけです。で、紛失してる号もあるけど、ある程度はバックナンバーが残ってました。それらは全部、81年以降のものですけどね。あと、さすが“新聞社”だなと思ったのは、『ノイエ・ツァイト(Neue Zeit)』というノートがあって、ドイツ語で“新しい時代”っていう意味ですけど、要するに80年代はまだケータイもないし、このノートにこまごまと連絡事項を書いてるんです。
外山 “伝言ノート”なんだ。
 そうです。これを読めば、何となくですが、その時その時に何が起きてたのか、おおよそ分かるんですよ。赤門(正門)に車が入れないようにする規制をめぐって議論してたり、構内に犬の散歩で立ち入らせないようにしようという当局の動きだとか、楽友会や文化部会の当局交渉とか、黒髪祭公認問題とか、いろんなものが出てくるんです。これも“当たり”でしたね。……あと、やっぱり私も演劇部に入ってるし、60年代、70年代に熊大演劇部にいた人ならきっと“普通の人”ではないだろうってことで(笑)、もちろん演劇部に限らなくていいんですが、当時の文化系サークルにいた人で今でも熊本に残ってる人がいるなら、例えば楽友会が作られた時の初代の委員長・副委員長・書記とかの名前ももう分かってたし、とりあえずそういう人たちの名前をグーグルで検索したりしてます。とくにNさんという、熊大に2012年まで残ってたらしい人が気になったんですけど、検索では引っかからなくて、次に山南さんに訊いてみました。そしたら、Tさんなら分かるかもって云われて、Tさんというのは、法文学部の出身で、今は医学部の近くで電気屋をやってる人ですけど、70年代の熊大でブント系のセクトで活動してた人です。それでTさんに話を聞きに行ったり、あと、ちょっと勇気を出して“黒髪祭25年史”のサイトを運営してる人に「何か資料が残ってたら譲ってくれないか」ってメールを出したら、わりとあっさり了承してくれて……とにかくまあ、そんなふうにして研究を続けてるところですね。