『人民の敵』第5号(2015.2.1発行)


コンテンツ3
〈対談〉with 宮川敬一
〈正規版“購読”検討用・抜粋〉


外山 パラサイト・プロジェクトには結構な人数が参加してましたよね。
宮川 そうだね。あんまりよく覚えてないけど、“月に1回、街で何かやる”みたいなことで、とくに明確な目的意識があったわけでもないんだけど、ちょうどオウム事件の直後ぐらいで、なんか警察とかもうるさくて……。“街角美化運動”みたいなのがおこなわれてて、そういうところに、まあ何でもいいんだけど、“ゴミ”を街じゅうに置いて回って、どれぐらい生き残れるのかっていう“実験”だよね(笑)。だから目立っちゃいけないし、かといってまったく目立たないのもダメだよなあってことで、その“アンバイを探る”的な感じのプロジェクトだった。しかもそれを“アーティスト”であるとかないとか関係なしに、誰でも参加できる形で。
外山 1回だけのイベントではなく、毎月やってたんですね。
宮川 毎月、1年間。月イチでどこかに集まって、それぞれみんな、街なかにテープを貼るなり、“タギング”をするなり、っていう。
外山 タギング?
宮川 “落書き”だね。あと、書店に行って何かメッセージを書いた紙を本に挟んで回ったり、まあそんな感じで全部ゲリラ的に。イリーガルといえばイリーガルだけど、それほど大袈裟ではないというか……。
外山 “ものすごく大迷惑”でもない程度の……。
宮川 うん(笑)。気づいた人も「何これ?」ぐらいで、怒るほどのことではないというか。で、かつそういうことを“物理的に”展開したかった。というのも、ぼくらの前の世代にはやっぱりドデカいムーブメントが、美術にしても政治にしても存在してて、そういうものへの嫌悪感があったんだよ。そんなことやっても何も変わらなかったじゃん、という。だからぼくらは前の世代のような大仰なものではなく、“現代美術”とさえ呼べないぐらいの、単なる“イタズラ”に近いようなことをやろうって発想だった。
外山 その“毎月、街じゅうに何か置いて回る”っていうのが“パラサイト・プロジェクト”だったんですか?
宮川 そうそう。街に寄生していくようなイメージで、そういう名前にした。
外山 そのプロジェクトに参加してたのはどういう人たちなんですか?
宮川 “アーティスト”もいたけど、単に“友達の友達”みたいな人もたくさんいて、別に全員がぼくなんかの考えに同調してたわけでもないし、街なかで、そんなに大袈裟なことではない小さな“イタズラ”をやろうってことで何となく集まってた。20代の若い人たちが多かったね。
外山 宮川さん自身はその頃は30ちょっとぐらいですか?
宮川 33とかかな。ココを始めた時が35歳で、その2、3年前だから。当時はもう、美術館に飾る“作品”みたいなものはまったく想定してなくて、“都市空間でやるプロジェクト”のようなことを志向してたんだけど、福岡でやっぱりその頃から始まった“ミュージアムシティ天神”なんかの試みを、“都市空間に介入する”ってそういうことじゃないでしょって冷ややかに見ながら……。
外山 あれはまあ、商業イベントですからね。
宮川 商業イベントというか、行政や企業と組んで地域の活性化を図るという、当然何らイリーガルなものではなく……。ぼくも1回、出品してるんだ。臓器売買のショップを街に出した(笑)。
外山 あ、それも聞いたことある。
宮川 96年だったかな、パラサイトの頃だよ。パラサイトの発想の延長で、たまたまぼく個人が出品者に選ばれたんで個人名義で出たんだけど、結局“問題”になっちゃって。
外山 具体的には何をしたんですか?
宮川 臓器売買のテナント・ショップみたいなもの。もちろん本当に売買するわけじゃないけど(笑)、要は“フェイク”のお店だね。ヨド物置の大きめのプレハブみたいなのを親不孝通りの駐車場だか空き地に設置した。ショーウィンドウを作って……。
外山 臓器の模型とかが置いてあるのかな?
宮川 そうそう。ぼくの全裸の写真が等身大で正面に貼ってあって、矢印みたいなので、ココは腎臓だとか肝臓だとか、ボタンを押すとショーウィンドウの対応する模型に照明が当たるとか、そういうバカバカしいやつ。チンコのところはプロペラを付けて隠してあるんだけどね(笑)。臓器売買が云々というより、たしかその全裸写真の方が問題になったんだよな。何でそっちなんだという。
外山 展示内容の方が問題だろう、と(笑)。
宮川 “臓器売買”ではなく、オレの裸、オレのチンコが問題なのかよっていう(笑)。


宮川 小川紳介の成田闘争シリーズも『辺田部落』っていうのが一番面白い。闘争のシーンは全然なくて、成田の農民の生活にフォーカスを当てた映像だけなんだ。派手で激しいシーンは一切ない。大袈裟なものではない日常的な映像に映り込む権力の構造を見ていくべきなんだよなあって思う。暴力的な闘争シーンを見せられちゃうと“どっちもどっち”って気分になるし、機動隊と派手に衝突する学生たちより本当は農民の方がヘビーな状況に置かれてるわけで。学生はその土地に根づいてるわけじゃないから、三里塚で暴れた後は今度は佐世保に行ったりすればいいけど、農民はずっとそこで暮らしながら闘争しなきゃいけなくて、まったく違う質を持ってる。炭坑なんかもそうだったんだろうけどね、三池闘争とか。そういうところに“アート”みたいなものが介在しようもないじゃんって思ってしまう。昔の人は、いろいろやってたみたいだけどさ、うまく介在できた例は少なくとも日本にはないような気がする。
外山 伝習館闘争にも美術グループが絡んだでしょ、柳川(福岡県南部)の。
宮川 うん。
外山 あれも美術パフォーマンスとして面白いかっていうと、そうでもない気がする。
宮川 森山(安英)さんっていう、伝習館で逮捕された「集団蜘蛛」の人がいるけど、罪状は猥褻物陳列罪とかだよね。
外山 伝習館高校の屋上で男女数人で全裸パフォーマンスをやったんじゃなかったかな。
宮川 男性器・女性器の絵を描いたムシロを持ってったり……。森山さんは、“パフォーマンス”ではなく“直接行動”って云ってたけど。この近くに山田弾薬庫ってのがあって、ベトナム戦争の時にそこから弾薬を積み出してるっていうんで、かなり大きな闘争の場になってたみたいなんだけど、そこに行ったらデモの主催者から排除されたらしい。訳のわからんない旗なんか持ち込んで、「ふざけんな」って(笑)。森山さんの言葉を借りると、「警察権力ではなく、デモ隊本体から排除された」ってことだよね。今のデモだったらそういうのもアリになっちゃうかもしれないけど、当時はやっぱりもうちょっとイデオロギー的なものを大事にしてただろうからね。
外山 局面としてもシビアな状況だったでしょうし。
宮川 うん。「ふざけんな」ってことになるのも分かる。もちろん、森山さんは、パフォーマンスの内容やイデオロギーに関係なく、何でもいいから公共空間、あるいは当時の言葉で云えば“風景”とか“状況”とか“時代”とかに、一時的に介入することだけが目的だったように思えるけど。その森山さんたちが天神の交差点で全裸になってセックスするパフォーマンスの記録写真を見ても、彼等の傍に米兵が映ってたりして、そういう、何気ない風景として映り込んでしまったものの方が本当は重要で、“本編”の路上セックスとかあまり意味もないし、どうでもいい気がする。たまたま映り込んだ米兵の姿によって、ごく日常的な都市の風景の中で“権力”とか“占領”とか“軍事”といったものが可視化されてしまうというのかな、そういうことの方に関心が行く。……もちろんそこまで大袈裟に考えた上でパラサイト・プロジェクトとかをやってたわけではないよ。
外山 おそらく当時の自覚の水準では、都市空間の管理に対するちょっとした悪意や反感の表明ってことでしょ?
宮川 そうだね。


宮川 プロパガンダと広告宣伝ってものすごく似てるというか、ほぼ同じものだと云ってもいいぐらいだよね。プロパガンダ研究はアメリカでもドイツや日本でも戦前に進んで、その成果がとくに戦後アメリカでは広告宣伝の技術として応用されていく。で、ディズニーランドのスローガンは、「THE HAPPIEST PLACE ON EARTH」で、この時は、このタイトルを各国の言語に翻訳して、上海から重慶に行く途中で撮影した空の映像に編集した作品も発表したけんだけど、“世界で1番素晴らしい場所”みたいな感じで、それは北朝鮮への帰国事業の時に云われてたのとほとんど同じだったりするでしょ(笑)。
外山 “地上の楽園”、と(笑)。
宮川 モノを売るのにも人を動かすにもまったく同じスローガンで、大衆はそれを信じてしまう。そのスローガンを補完するためにスペクタクルな空間が作られて、それがディズニーランドであったり……。
外山 ディズニーランドのエレクトリカル・パレードであったり、北朝鮮のマスゲームであったり(笑)。
宮川 あるいは北朝鮮なら“テポドンを撃つぞ!”っていう……。
外山 それも一種の“政治的スペクタクル”ですね。
宮川 そういった“スペクタクルなもの”への嫌悪というのもあって、それはパラサイト・プロジェクトで“ショボいこと”をやるという志向にもつながってるんだけど、“スペクタクルなもの”からどれだけ距離を置きながらさまざまなことをやっていけるか。そんなものは“こけおどし”であって、ヨーロッパの教会のステンドグラスと一緒なんだ。なんか荘厳な雰囲気で、神様っているんだなという気がしてくるんだけど、そんなもんいないじゃん(笑)。雰囲気にダマされてるだけじゃん(笑)。逆に教会もディズニーランドと一緒だってふうにも云える。だから“表現”としてもそういうものを嫌悪しながら、違う可能性を追求していくと、必然的に“ショボい”ものになっていく。ただ、そういう時にもやっぱり考えながらやらないと……いや、単にショボい、意図のないようなものが本当は面白いのかもしれないけどね。みんな“デカいもの”“スゴいもの”“強いもの”に帰依してしまう。帰依してしまえば気持ちがいいし、自分で責任をとらなくてもいいから、何か起きた時にはそれによって1つの方向に流されてしまう。それがファシズムってものの常套手段であって、スペクタクル的なものをいつでも必要以上に疑ってないと、あっというまにそっちに絡めとられる。まあ外山はファシズムを掲げてるけど……。
外山 宮川さんの云わんとすることをぼくなりに云い直すと、要するにポピュリズム的な全体主義ってことですよね、政治的な左右は問わず。
宮川 うん。みんなが“いい”っていうものはまず疑うようにしないと(笑)。


宮川 “国民国家”的なものが崩壊していくと云われてた時期があったけど、最近はどうもそういう価値を大事だと考える若い人が増えてる気がするし、増えてるというか……。
外山 顕在化してる。
宮川 うん。昔からそういう人はいたのかもしれないけど、ネット環境のせいもあるのか、顕在化してる。
外山 そういう側面もあるし、一方でやっぱり“国民国家”は解体期にあって、だからこそそれに危機感を持つ人たちがヒステリー的に声を上げ始めたんだと思う。文字どおりの“反動”ですよね。一昨日ココのイベントの後に例によってロックバーを何軒か飲み歩いたんだけど、初めて行ったバーのカウンターで典型的なネトウヨに遭遇しましたよ。ついつい議論になっちゃったんだけど、ほんとに分っかりやすいネトウヨで、こういうことを云うとこう反論してくるだろうなって予想どおりの反応ばっかり返ってくる(笑)。そもそもそのバーに入ってすぐの時点で、マスターとそのネトウヨが話し込んでるのをしばらく横で聞いてて、マスターが片岡鶴太郎とかジミー大西とかの絵について、ピカソみたいに正規の美術教育を受けて基礎のしっかりした人があえて常識を踏み外していくのはいいけど、単に“天然”な人が芸能人の知名度とかによって不当に高く評価されすぎなんじゃないかと云ってたのを、ネトウヨが「“養護”とかの絵もそうだ」って返すのを聞いて……。
宮川 ヨウゴ?
外山 養護学校。つまり障害者が描いた絵を褒めそやすのもいかがなものかっていう。
宮川 いわゆるアウトサイダー・アートね。
外山 うん。もちろん会話の文脈としてはそうズレてるわけじゃないんですよ。だけどそいつの「“養護”が……」って云った時の吐き捨てるような口調というか、ぼくも長年左翼をやってましたから“差別センサー”は発達してるんで(笑)、ピピピッとアンテナが反応して、もちろんその時点ではそいつがネトウヨだってことはまだ分かってないし、単に小倉の人は品がないからそういう差別的なことをついポロッと云っちゃうのかなとも思ったんですけど(笑)、横で聞き流しつつ、「もしかしたら……」って警戒はしてたんです。しばらくして原発がらみで反原発派のマスターとぼくが話し始めたら、そいつが割り込んできて、案の定ネトウヨだった(笑)。支那人・朝鮮人への罵詈雑言はもちろん、原発から出る核のゴミについても「後の世代のことなんか知ったことか」って、そこまで云うかってぐらいの、ネトウヨとしてもかなり悪質な部類でした(笑)。初めて行った店だし、あまり露骨に喧嘩みたいになるのはマズいと思って、マスターもそういう議論自体が迷惑って感じでもなかったし、なるべく相手の云いぶんを脱臼させるような混ぜっ返し方で延々と食い下がって2時間ぐらい白熱したんですけどね。まあそのテの若者は増えてるし、よく遭遇します。
宮川 そうなんよ。まだ実家に住んでるようなタイプの若い子が、そういうことをポロッと云っちゃうんだ。97年からこの店をやってるけど、始めた当初の時期はそんな奴は皆無だったよ。だけど最近はそういうのが1人2人じゃなくて、意外に多くて唖然とする。
外山 一昨日の奴はネトウヨとしても悪質な、ふざけきった奴だったけど、よく出会うのはそこまでヒドくはなくて、むしろいろんなことをマジメに考えてるタイプだったりするんです。マジメであるがゆえに、ネトウヨ的な言説にスルッとハマってしまう。


宮川 足立正生さんの上映会とトークショーって、福岡でもテトラ(福岡市にある“アートスペース”)でやったんだけど、やっぱり若い人があんまり来てないんだよ。足立さんはもう80歳ぐらいだけど、ああいう人たちがもっと20代とかの若い連中と喋って、機能すべきだと思う。足立さんがかつてやったことの良し悪しはともかく……。
外山 少なくとも何かを成そうとした人ではあるわけですしね。
宮川 アラブに渡ってパレスチナ・ゲリラと共闘したり、「よど号」を乗っ取って北朝鮮に渡ったり、そんなことをやってきた人たちが何を考えてるのか、あるいは右翼のジイサンでもいいし、今ならまだ彼らに直接会って話を聞けるんだから。残念ながら人を殺したりもしてきたんだろうけど、でもその経験値って、ぼくらにとってもある種の財産だと思うんだよ。その財産は有効に使いたい(笑)。だけど若い連中が来ないんだよなあ。やっぱり“オシャレ”じゃないからね。
外山 今や70歳、80歳になろうとしてる彼らが自力で若い世代と接点を作るのは難しいと思うんで、ぼくや宮川さんのような、両方と接点を持ってる中間世代の人間が仲介するしかないんです。
宮川 そう思うからこそ、今年もそういう試みを続けていこうとしてるんですけどね。自分が年をとったからかもしれないけど、若い頃はクソだと思ってた“歴史”なんかが気になってきて、足立さんみたいにドエラい体験をしてきた人たちがまだ生きてるんだから、そんな大袈裟なことじゃなくても、要は単にそいつらと飲んで話せばいいと思うんだよ。若い奴を連れてホームレスのオッサンと飲みに行ってたのと同じような感じでいいんじゃないかと。ぼくらが知識としてはともかく経験としてはまったく知らない何かをたくさん持ってて、しかも幸か不幸か生き残った人たちがいて、彼らはもっと若い連中と交わるべきだし、それは彼らの責任でもあると思うよ。そういう場は東京なんかにはあるのかもしれないけど、こっちにはないじゃん。
外山 東京にも本当の意味であるかどうか疑問ですけどね。
宮川 それによって何かが生まれるかどうかは分からないけど、長いスパンで例えば4年間ぐらい定期的にやってみるとか、必要なんじゃないか。あるいは足立さんは国外に出られないし、ぼくが代わりに行って中国の人たちに足立さんの作品を見せるとか。オーガナイズって意味でも、ヘンな“アート・プロジェクト”なんかに関わるより、そっちの方がずっと有効だって気がするんだよ。


宮川 最近、ストリート・ライターの人たちもあんまり見ないね。落書きの子たち。
店員 取り締まりも厳しいから。
外山 いわゆる“グラフィティ”の……。
宮川 うん。
外山 小倉は結構盛んだったんですか?
宮川 いや、小倉に限らず全国的に減ってる気がする。上手い奴は絡めとられちゃったりもするしね、“アーティスト”みたいにされて。
外山 バンクシーみたいな。
宮川 バンクシーはまた別物だけど、ちょっと上手い人たちにはオファーが来たりして、“壁画家”みたいになっちゃうんだ。お金をもらって描いたりする。
外山 落書きしてるのを見つかって、通報されて警察も来たりするんだけど、人だかりの中から誰かが「あなたはもしかして放浪画家の山下清先生じゃないですか」みたいな(笑)。
宮川 “街おこし”みたいなことに使われたりするんだ。博多でもやってたよ。行政だか商店街だかが、頼んでグラフィティを描いてもらうっていう。それはもう“飼い殺し”になっちゃうよね。
店員 ピントがズレてきてしまう。
宮川 タギングみたいな文化はなくなってきた。
外山 さっきもその言葉に引っかかったんだけど、最近は“グラフィティ”じゃなく“タギング”って云うようになってるんですか?
宮川 いや、“タギング”ってのは、“サイン”みたいなものなんだよ。動物の“マーキング”みたいな。“オレはココに来たぜ”っていう。だから絵のクオリティは一切問わない。とにかくそこらじゅう、世界中に“外山”“外山”“外山”って書いて回るような。
外山 “何々参上”みたいなノリだ。
宮川 それには彼らなりのロジックがあって、丁寧に描いてたら捕まっちゃうし、さらに云えば“いい絵”を描こうとしてる連中とは違って自分たちは“都市に介入”しようとしてるんだ、と。やろうと思えば2秒で“オキュパイ”できちゃうんだっていう。そういう連中が、“ちゃんと絵を描かなきゃ”って連中から分岐してきた。
外山 へー。まさにぼくが考えてたことに近いな。まだ実行には移してないんだけど、10年前に“ファシスト党”を獄中で構想してた最初の段階から、ナチスの“鈎十字”みたいな……。
宮川 アイコンね。
外山 うん。そういうものが必要だと思ってた。パッと描いて逃げられるような簡単なやつで、それが街のあちこちに目立つようになれば、“ここにもファシスト党が……”って不穏な空気を醸成できるんじゃないかって(笑)。獄中段階でもう具体的な図像も完成してて、要は“存在しない漢字”。ベタだけど、“情熱”みたいなニュアンスで、「火」と「心」を1文字のように上下に並べたやつ。簡単な“漢字”だし(笑)、ペンキでもスプレーでも、ササッと描いて逃げられるでしょ。ハーケンクロイツも当初はそうだったと聞くけど、多少ダサくて禍々しいぐらいの方がいいと思って。
宮川 なるほどね。発想としてはタギングの子たちもそんな感じだよ。“漢字”の奴もいるし。
店員 見る人が見れば……。
宮川 分かるような一種の符牒。
店員 “あ、ココにもある”って。