『人民の敵』第4号(2015.1.1発行)


コンテンツ1
〈対談〉with 千坂恭二
〈正規版“購読”検討用・抜粋〉


千坂 結局は弾圧されて潰されるんだけど、戦前のアナキズム運動が崩壊して、戦後もしばらくはロクなアナキズム運動がなかったわけでしょ。
外山 戦前の運動を“回顧”してただけのような印象なんですが……。
千坂 うん。戦後のアナキズムは戦前の回想録を書いてるだけだったんだよ。戦後は最初に「日本アナキスト連盟」という組織が作られて(46年)、まあ戦前の回想ばっかりしてた。しかしやがてまたアナルコ・サンディカリズム系と純正アナキズム系に分かれる。
外山 日本アナキスト連盟はどっち系なんですか?
千坂 最初は両方が一緒になって組織を作ってるんだ。純正アナキスト系には岩佐作太郎というのがいて、やっぱり八太舟三の流れの人で、岩佐たちがやがてアナルコ・サンディカリズム系と分かれて「日本アナキスト・クラブ」を作る(51年)。例えば群馬の大島英三郎の黒色戦線社もその系統だね。
 とはいえ、アナルコ・サンディカリズム系だって労働運動に足場を失ってるんだし、啓蒙運動みたいなことしかできない。戦前のアナキストの生き残りが「大杉栄は偉かった」みたいな話をしてるだけだよ。で、マルクス主義者は権威主義者で反革命なんだ、とか云ってるんだけど、具体的な運動を伴わなかったら、そういうのは反共主義にも利用されてしまうでしょ。アナキストの反共主義は、共産主義者よりも左に位置してると自称してる人間が云ってる反共主義やから、それなりに説得力もあるし。
外山 いったん左傾した人を反共の陣営に取り込むために便利なんですね。
千坂 そういう人間には保守の反共主義より極左の反共主義の方が響くからね。運動せずにただ云うてるだけやったら、保守派に利用されるんや。
 “68年”の闘争というのは、あれは無自覚なアナキズム運動だったわけでしょ。それ以前のスターリン主義的な左翼運動に反発して、哲学的にも実存主義なんだ。べつに生活に困って運動を始めたわけでもないし、“起て飢えたる者よ”的に起ち上がったわけでもないしね。要はプチブルの学生が起ち上がった。何のために起ち上がったかと云えば、やっぱり“実存的な意味”を問うたわけだよね。そういう意味で、アナキズム的な要素を秘めてたと思うんだ。


千坂 アナキストはどういう組織を作ったらいいのか、イメージもないし理論もなかったわけでしょ。仕方ないからやっぱり「マルクス主義者は一体どういう組織を作ってるんだ」ということで、ブントや解放派の組織論を読んだり、あるいはレーニンの組織論とか、いろいろ読んでいく。どれがアナキストが組織を作るのに合ってて、使えるのか……。それを考えるためにも、そもそもアナキズムって何なのかを考えなきゃダメでしょ。我々はそもそも何をしようとしてるのか。なぜマルクス主義を批判してるのか。
 よく考えてみたらマルクス主義者だって最終的には“国家の死滅”を云ってる。マルクスの理論においても、共産主義が実現すればゆくゆくは国家も死滅するってことになってるんだから、“国家なき社会”というところではアナキズムと目的は一緒だよね。じゃあどこが違うかと云えば、マルクス主義者はその目的に到達するための過渡期に、目的とは正反対の、「党」が強権的に国家権力を運営する体制を考えてる。そんなことがうまく行くわけない、という証拠だってロシアをはじめたくさんあるわけだ。いったん国家権力を握ったマルクス主義者たちは、ひたすら強権的に反対者を弾圧していて、彼らが権力を手放して国家を死滅させるなんてことはいつまで待ってても起こりそうにない。
 それに対して我々アナキストは、将来の理想とする“国家なき社会”にふさわしい組織を作らなきゃいかんということで、それが例えば「自由連合」だったりするわけでしょ。理想の将来像が“絶対自由”の社会であるなら、それに見合った組織を作るべきだって話になる。たしかにそれは分かるし、一見もっともだ。しかし、どうしてそんな組織が例えば現存の国家権力と闘争できるんだろうか。
 例えば「自由連合」なら、組織への出入りは自由だよね。組織に加盟するための“資格”みたいなものは一切問われないわけだ。参加したい者が参加して、イヤになった者は自由に出ていけばいい。だけど結局それは“スパイの巣”になるんじゃないのか。そんな組織で武装蜂起なんかできるわけないよ(笑)。救世軍みたいなことをするんならいいよ。寄付でも募って貧しい人に炊き出しするような活動だったらそれでもいいかもしれん。しかしこっちは非合法闘争を考えてるわけでしょ。「自由連合」方式で非合法闘争なんかできるか、ってことになるよね。


千坂 アナキズムを理解したいと思った時に多くの人が手にとるような本、例えばジョージ・ウドコックの『アナキズム』(62年刊・68年訳刊)なんかは今でもアマゾンとかで買えると思うし、そういうのに書いてあるようなことがアナキズムの教科書的な“通史”だと思うけど……。
 それは具体的には、まずアナキズムの“先駆者”としてウィリアム・ゴドウィンなんかがいて、その上でプルードンが史上初めて未来の理想社会について「アナーキー」という言葉を使って、「アナキズム」を自分たちの思想を指すものとして称した、というような記述になってる。だからプルードンが「アナキズム」のルーツであり、ゴドウィンは「アナキズム」とは称してなかったけれども、内容的にはプルードンと似たようなことを云ってたから、“無自覚なるアナキスト”で、“先駆者”にあたるんだ、と。まあゴドウィンは“洗礼者ヨハネ”みたいな位置づけだね。プルードンが“イエス・キリスト”みたいなものでしょう。
 それで云ったらバクーニンが“聖パウロ”みたいなもので、つまり“運動体”を作った。で、それらを継承したのがクロポトキンである、ということになってる。さらにそれらの周辺にはシュティルナーというちょっと変わった奴とか、トルストイみたいな人もいて……という形でたぶん、「アナキズム」というものが理解されてるわけだよね。
 で、じゃあ「アナキズム」とそれ以外のいろんな……例えばマルクス主義との違いは何かと云えば、さっきも云ったように、アナキズムは理想社会に至る“過渡期的な権力”の存在も認めない、逆にそれを認めるような思想は「アナキズム」ではないのだ、と。マルクス主義の場合も“プロレタリア独裁”とか云って“過渡期の権力”を認めてるわけだから、「アナキズム」ではないんだ、ということになる。とにかく“プルードン、バクーニン、クロポトキン”という「アナキズム」の基本線があって、ブランキとかマルクスとか、そういうのはみんな排除されるという……そういうのがおよそアナキズムの“通史”に書かれている内容だよ。
 しかし本当にそうなのか、と。プルードンの時代と、バクーニンの時代と、クロポトキンの時代とでは、それぞれ「アナキズム」がどういうものであったか、実は全然違うんだよ。そのことはぼくも調べてみて、いかにそういう“通史”がデタラメというか、恣意的なものであるか分かった。それはある特定の時代状況の中で、ある特定の人物によって作られたものでしかなかったんだ。


千坂 「アナキスト」という言葉は、当時は仮に使ってたとしても、後の時代にそうイメージされるようになったような“ナントカ主義者”みたいな言葉としてではなく、もっと一般的な形容として、“こういうタイプの人間”みたいなニュアンスで使われてたんだと思うよ。当時のバクーニンたちが自分たちの立場を指す言葉としては、「革命的社会主義者」と云ってた。
外山 今の用語法に慣れてる人は混乱するかもしれないけど、当時はまだ、“社会主義、共産主義”イコール“マルクス派”ではありませんしね。
千坂 ともかく、具体的な運動としての“アナキズム”を作ったのはバクーニンなんだよ。自分たちの組織を作り、インターナショナル(第一インター。1864年設立)にも加盟し、さらにインターナショナルでの活動をとおして自分の影響力を各地に浸透させることまでした。イタリアやスペインのインターナショナルの支部は最初からバクーニン派だったし、それらが後の“アナキズム運動”のルーツにもなるわけでしょ。だから“アナキズム”の“通史”からバクーニンを落としてしまうと……。
外山 マルクス派と張り合えるぐらいの運動実績そのものがなくなってしまうんですね(笑)。
千坂 そう。そういうものを最初に作ったのはバクーニンだった。さらにバクーニンは第一インターの時にマルクスと論争してるでしょ。しかもそれでバクーニンの方が勝ってるんだ(笑)。マルクス派にはマルクス思想の“師範代”みたいなのがいっぱいいるよね。バクーニンはそいつらと論争して、みんな論破して潰していったんだ。バクーニンはかなり弁の立つ人間だったらしいし、しかも一応はヘーゲル哲学をきちんと勉強して、理論的基盤もしっかりしてたわけだからね。弁証法的な論理展開も操れるわけだし、その上さらにドスが利くというか、弁舌の迫力もあったらしいよ。それでマルクスの“師範代”みたいな連中をみんな論駁して、マルクス派が提出した議案を潰してる(笑)。ところがもちろん、バクーニンはべつに「アナキスト」という自己規定はしてなくて、単にせいぜいバクーニン派として行動してるだけなんだ。
外山 マルクス派の側も当時は自らをべつに“マルクス主義者”だとは思ってませんよね。
千坂 うん。彼らも単に“マルクス派”なんだよ。自己規定としては、どっちも「社会主義者」とかだね。
 じゃあ、第一インターにおいて、マルクス派とバクーニン派は何をめぐって揉めたのか。もちろん例の“独裁”が云々という問題はあったよ。バクーニンはマルクスの“プロレタリア独裁”論を批判してたでしょ。マルクスは“国家なき社会”を目指すと云いながら、一方で過渡的に必要不可欠なものとして“プロレタリア独裁”を提起してるんだけど、それは結局“プロレタリアートによる独裁”ではなく、“プロレタリア階級の代表”と称する一部の職業革命家が“プロレタリアートに対しておこなう独裁”になってしまうことは目に見えてるんだ、と批判した。この批判はまあ、正しいわけだ。だけどじゃあバクーニンの云う、革命の“参謀”たちによる“見えない独裁”は、それと同じことにならないのか(笑)。バクーニン派は、我々は革命の“指揮官”ではなく“参謀”なんだと云ってる。しかしそれだったらマルクス主義者の“プロレタリア独裁”とは違う、もっと理想的な結果を生み出すのか、という疑問は解決されてないわけだ。
 さらには、そういう将来の“革命後”の話ではなく、革命を目指すためにすでにバクーニンが作って率いてる組織とは、どういうものだったのかという問題も重要だ。これはマルクスが自分の配下の者をバクーニン派に潜入させて、文書とか盗ませて資料を集めて、それが実は“恐るべき中央集権的な組織”であることを暴露してるんだ。
外山 “ウチよりヒドい”とマルクスに云われてる(笑)。
千坂 個々の構成員の“自由”なんてないんだ(笑)。バクーニンがトップに君臨していて、中央集権的に上から命令をくだして、“下からの批判”なんか一切出ないし、認めてない(笑)。バクーニンはローマ教皇みたいなもんで、“ジェスイット(イエズス会)的”な組織だとマルクスに批判されてる。「インターナショナルのいわゆる分裂」という、マルクス派が発行したバクーニン派批判の文書があって、マルクス全集にも収録されてるけど、それ読んだら面白いよ。バクーニンってこんなにエゲツないんか、と思う(笑)。そのエゲツなさは、既存の、“自由”がどうこう云うてる甘っちょろい“アナキズム”とは違って……。
外山 その文書に書いてある内容もやっぱり、“教科書的アナキスト”たちは、マルクス派による単なる誹謗中傷にすぎないと見なしてるんですか?
千坂 だけど読んでると、マルクスが誹謗中傷して書いたバクーニン派組織の“エゲツない実態”の方がリアリティが感じられるんだ。実際ここまでやらんと運動なんかできないだろう、と(笑)。“自由”がない、“中央集権的”である、批判を認めない……。たしかにぼくらのやってたARFもそういう運動だったな、と思うてしまうんよ(笑)。
 マルクス派とバクーニン派の論争を調べ直してて気づいたのは、両者の違いはむしろそういうところではなくて、議会に進出するかどうかってところなんだ。マルクス派は、政治組織を作って、“政党”にまで成長させて、議会に進出するんだ、と。バクーニン派は、議会進出なんてどうだっていいんだ、とにかく国家権力を粉砕することなんだ、と云ってる。マルクス派はとにかく議会に進出するための政治組織を作れという路線で、バクーニン派は武装蜂起のための組織を作れという路線。


千坂 バクーニン派もだんだん齢をとるし、世代交代が進むでしょ。それはマルクス派も同じで、やっぱり世代交代が進むんだけど、このマルクス派の新しい世代が“第二インター”を作ろうとする。第二インターの主なメンバーとして名前が挙がるのは、カウツキーとかベーベルとか……。
外山 第二インター創設(1889年)の時点ではまだエンゲルスも生きてますよね?
千坂 生きてる。だからこそエンゲルスは、第一インターがバクーニン派との対立で潰れた経緯をよく知ってるし、最初から武装闘争路線の排除を図るんだ。武装闘争をしようとしてるような連中は創設の段階で排除しろ、とエンゲルスが指導する。まっさきに排除されるのは、やっぱりバクーニン主義の系統だよね。もちろんバクーニン系の連中も、加入してこようとするよ。それをゲバルトで排除した。そんなわけだから、第二インターというのはアタマから“社民(社会民主主義。議会政治をとおして社会主義の実現を目指す立場)”のインターになる。
 そしたら今度は排除されたバクーニン派の方も、対抗して自分たちのインターを作るんだけど、そのあたりでアナキストの世代交代も並行して起きてたんだね。要するにクロポトキンの世代が主導権を握ってるわけよ。
外山 マルクスも死んでるはずだけど、バクーニンももう死んでますよね?
千坂 そうそう。死んでるわけだ。だからクロポトキンがヘゲモニーをとって、アナキストは“黒色インター”を作る(すでに1881年段階で第一インターのバクーニン派の残党によって結成されていた模様)。そしてこの時に初めて、“マルクス主義vsアナキズム”の対立構図が生まれたんだと思うんだ。
 つまりマルクス主義の側も、第二インターを作っていく過程で、エンゲルスの主導で“マルクス主義”というある種の枠組が作られたんじゃないかな。マルクスが生きてるうちは、本人が生きてるんだし、まだ“マルクス主義”ではないわけでしょ。アナキズムの側も、単にバクーニンが主導する組織と運動があっただけで、彼らも自分たちを“バクーニン主義者”であるとか、“アナキスト”であるとは規定してなかったはずなんだ。ところが代替わりをする時に、ルーツが“教典”化するんだと思うよ。“弟子”筋はどうしても、それまでの経緯をまとめて“教典”化していくことになるからね。
 第二インターもマルクスの“次の世代”だし、黒色インターもバクーニンの“次の世代”でしょ。第二インターの創設を実際に主導したのはマルクスと同世代のエンゲルスだけど、だからそこで確立された俗に云う“マルクス主義”というものは実は“エンゲルス主義”なんだ。
外山 じゃあ同様に“アナキズム”と一般に見なされてるものも実は……。
千坂 “クロポトキン主義”なんだよ。つまり我々が“マルクス主義vsアナキズム”として聞かされて、そう思い込まされてきたものは、実は“エンゲルス主義vsクロポトキン主義”の対立なんだ。


千坂 ヘーゲル左派の行きつけの酒場があって、そこにみんな集まって議論してたと云うし、マルクスもシュティルナーも来てたらしいんだ。だけどぼくが読んだ限りでは、ニアミスはしてるんだけど、1回も会ってないみたい。
外山 少なくとも同じような人間関係の中にはいたんだ。
千坂 そうそう。マルクスは『ドイツ・イデオロギー』(執筆は1845〜46年)に「聖マックス」(註.マックス・シュティルナーのこと)という章があって、延々とシュティルナーへの罵倒、中傷をしてるんだけど……。
外山 あ、批判してるんですか。
千坂 『ドイツ・イデオロギー』の中でもその部分が一番長い章なんだ。バカにしたり、茶化したり、ムチャクチャに批判してるんだよ。
外山 じゃあやっぱり直接のつながりはないとしても、“論敵”の1人ではあったんだ。
千坂 うん、マルクスは毒舌しまくってる。どうしてそこまで口汚なく批判してるのかっていうぐらい。『ドイツ・イデオロギー』ってかなりぶ厚い本だけど、その半分以上がシュティルナー批判なんだよ。
外山 そうなのか。ぼくは例によって読んじゃいないから……(笑)。
千坂 ほとんどシュティルナー批判なんだ。さらに云うなら“批判”というより“罵倒・中傷”の類(笑)。
外山 マルクスの周囲にもシュティルナーを評価する人がいっぱいいて“これは批判せねば!”ってことにでもなったのかな。
千坂 仮にマルクス側に好意的に読むなら……マルクスにとってシュティルナーはどういう存在だったかと考えると、つまりシュティルナーというのは先駆的に現れたニーチェ的精神の持ち主なんだ。当時はみんなまだ“本質”を問うてるわけでしょ。ところがシュティルナーは初めて“実存”を問うたわけだよね。
外山 そうか。よく考えたらニーチェの方が後の時代の人ですね。あんまりイメージが近いから、シュティルナーがニーチェの影響を受けてるかに錯覚してました。
千坂 マルクスの前にいきなり、“実存”を問う人間が現れた。現代の廣松渉の“物象化論”というのもやっぱりハイデガー哲学を問題にしてるわけでしょ。マルクス主義者にとってハイデガー的な“存在論”は、どうにかしてアウフヘーベン(註.弁証法哲学用語。対立物を摂取して自らをより高次の存在に高めること)しなきゃと思わせるものなんだよ。マルクス自身にとってハイデガーに相当する存在がシュティルナーだったんじゃないかと思う。