『人民の敵』第2号
2014.11.1発行)

内容
収録日
収録場所
400字詰原稿用紙換算
〈対談〉亀井純太郎
2014.10.08
熊本
約89枚
〈対談〉藤村修
2014.10.22
福岡
約71枚
〈発掘インタビュー〉佐藤悟志
1993.02.26
東京
約79枚
〈貴重文書発掘〉01年1月〜2月の日記
-
約57枚

各コンテンツの内容と冒頭部分
(もともと一般公開を前提としていない内容で、コンテンツによってはサシサワリある発言も多く、3段組レイアウトの冒頭1段のみ掲載します)
(各コンテンツのタイトル部分をクリックすると、全体の約10分の1の“抜粋”を読めます)


コンテンツ1 〈対談〉with 亀井純太郎

 2012年に第2回・外山恒一賞を受賞した熊本の演劇人で、「劇団第七インターチェンジ」主宰の亀井氏。学生運動がまだあるものと期待して入学した熊本大学は、その前年・前々年に学生運動が壊滅したばかりだった。構内のあちこちに貼り残されたビラなど、学生運動の残り香だけある熊大で演劇部に入り、やがて現在の社会派ナンセンス・コメディとも云うべき独特の作風に至る亀井氏だが、そもそも九州からほとんど出たこともない亀井氏が、なぜこんなにまで“こじれた人”になってしまったのか、福岡県の郡部で過ごした幼少時にまでさかのぼって根掘り葉掘り訊く。



コンテンツ2 〈対談〉with 藤村修

 創刊号に登場した大石規雄氏と共に、外山の“異端的極左活動家時代からの2人の右翼の友人”の1人である藤村氏。“右から九電前抗議”を毎週主催する反原発派なんだから、原発問題について語り合ってもよかったし、そもそも立場が左右に分かれていた頃から、外山にとって藤村氏は“同世代で最も問題意識が重なる相手”だったのだから何の話をしてもいいはずなのだが、なぜかよりにもよって今回のテーマは“アイドル”。近年急に福岡のローカル・アイドルにハマって大変なことになっているらしい藤村氏に思う存分語ってもらったのだが、日本歌謡史を踏まえたアイドル論は、それ単体でも充分面白いし、日々“スキルアップ”を求められるグローバル資本主義下の雇用形態と、現在の“アイドル業”とを重ね合わせる分析には、深く考えさせられることウケアイ。



コンテンツ3 〈発掘インタビュー〉with 佐藤悟志

 “日本の89年革命”たる88〜90年の“青いムーブメント”において、その最左派部分を担った首都圏の若者グループ「反天皇制全国個人共闘〈秋の嵐〉」の主要活動家4人に、彼ら当事者たちにもその強烈な体験がまだ冷めやらなかっただろう93年時点で、外山はインタビューを敢行し、その内容はどこにも公表されぬまま、何十本ものテープだけが残されていた。見津毅・太田リョウ・鹿島拾市・佐藤悟志の4氏へのインタビュー・テープのうち、佐藤氏のものを実に21年ぶりに書き起こした、わが国の反体制運動史の貴重極まりない史料である。外山による「〈秋の嵐〉不完全年表」付き。


コンテンツ4 〈貴重文書発掘〉外山恒一の01年1月〜2月の日記

 “2年間の獄中生活”を結果する裁判闘争の直前期の心境を綴った日記。獄中でのファシズム転向以前の、“異端的極左活動家”時代の最末期の文章でもある。福岡の左翼シーンで孤立し、孤独な裁判闘争に追い込まれて、精神をすり減らしつつ、この少し前に縁ができた鹿児島へ“内省と傷心の旅”に出る。ほとんど誰も出入りしない居候先(選挙戦を手伝った友人の仮事務所)で、それまで敬遠していた右翼系・保守系の書物に耽溺してその左翼批判に溜飲を下げ、しかしそれでもあえて左派にとどまろうと決意する様子など、これを読めば外山のファシズム転向を、何か奇をてらっての、いかにも“サブカル”的な振る舞いと解釈するような物云いが、いかに薄っぺらいものであるかが思い知らされよう。