宮本顕治「敗北の文学」

 新聞をとってないし(たいていの時期は『朝日新聞』を購読しているのだが単にモノグサでまだ熊本に身を落ち着けてからは手続きをしていないだけ。ちなみに断固として『朝日』を購読するのは本の広告が一番充実しているからで、内容的には『朝日』のみならず全マスコミはもはや「まったく新しい戦争」の推進勢力であり一切読む価値なしと思う)、テレビも見ないので、世の中で何が起きているのかほとんど分からない。せいぜい、毎週買って読んでいる『SPA!』と『プレイボーイ』でしかニュースに接していない。さすがにいかがなものかと自分でも思う。
 ブログ更新のついでに、今回の参院選関連の記事をざっとチェックしていて、ついさっき、宮本顕治が先日亡くなっていたことを知った。
 ちょっと感慨深い。
 というのも、こないだの獄中で宮本顕治のことを考えていたからだ。
 別に彼の戦前の獄中非転向のことではない。
 訃報を伝える記事に、「東大在学中の(19)29年に芥川龍之介を批判した『敗北の文学』で雑誌『改造』の懸賞文芸評論1等になり、以降プロレタリア文学運動の理論的担い手になった」とあるが、このことについて考えていたのだ。
 私は教養のない教養主義者なので、この宮本の有名な論文を読んだことがないのだが、私は天才なので、たいていのものは読まなくても読んだ人よりその内容を理解している。
 東浩紀とかを念頭に云うのだが、近年の若手論客は、どうも頭の良い人ほど袋小路の、どーでもいい議論に熱中していく印象がある。状況の停滞を作り出している責任のかなりの部分は、そういう優等生インテリたちにあると私はかなり以前から確信している。
 で、おそらく昭和のはじめにも似たような状況があって、宮本顕治はそれを突破する「野蛮な情熱」が必要だと件の論文で吠えたのだろうなと、読んでないからそれに関するいろんな人の言及を聞きかじった上でそんな気がしている。読んだ人、たぶんこの理解で正しいでしょ?
 私も昨今の優等生インテリたちの議論を眺めていて、今必要なのは当時の宮本顕治みたいな存在なんだよなあと獄中でむにゃむにゃ考えていたのだ。
 もちろん宮本顕治のいう「野蛮な情熱」はマルクス主義者のそれであるはずで、私はファシストだし、実際「野蛮な情熱」はマルクス主義よりもファシズムに親和的だとも思っているわけだが。
 ともかくこれで日本共産党はますます社民化し、左派の大同団結が急速に現実味を帯びてくるだろう。
 ファシストはナショナリストとの連帯を急ぎ、これに対抗しなければならない。