私はこうして福岡県知事になった
          外山恒一(福岡県知事)
市民感情を逆撫でしそうな部分が削除されたものが『信濃毎日新聞』に掲載

 さきの統一地方選で、私は「前衛芸術党・棄権分子」の公認候補として福岡県知事選に出馬した。無届立候補なので、仮に誰かがこれを真に受けて、投票用紙に私の名前を書いて投じたら当然、無効票になる。
 告示(三月二五日)から数日間、「棄権せよ!」「一票の軽み」「めざせ投票率ゼロ%」「私は大人です。私は、行かない」などと大書した数種類のビラを、福岡市内の電柱等に、深夜こっそり大量に貼ってまわった。
 一度、刑事がアパートへやってきた。他の陣営(?)から苦情が出ていると言う。とはいえ無断ビラ貼りは軽犯罪だし、しかも現行犯でなければ逮捕できないので、警察としても取り締まりようがないようだ。とにかくやめるようにと言い残して帰っていった。
 選挙戦も終盤にさしかかった四月八日の朝、ハンドマイクを手に繁華街の路上へ。「投票日まであと三日となりました。みなさんはもう態度をお決めでしょうか。はっきり申し上げて、みなさんの一票は木の葉よりも軽い。誰にその一票を投じようとも、選挙結果には何の影響もありません。この苛立ちを、どうすれば表現できるのか、その模範をお見せしましょう」と演説し、自宅に送られてきた選挙ハガキ(投票所入場整理券)を火吹きの芸で焼き捨てるパフォーマンスをやった。
 さて投票日。もちろん私は行ってない。
 翌朝、繁華街に特大の号外新聞が貼り出された。「新人・外山氏が初当選」「棄権を呼びかけ圧勝」「相乗り無風選挙に有権者の審判」などの見出しが踊る。にっこり笑って当選ダルマに目を入れている私の写真。相乗り候補・麻生氏の得票は約百五十三万票。対して棄権は約百九十四万票。これを私への支持とみなし、四十万票の差をつけて新知事就任というわけだ。投票率五一%で惜しくも過半数は制しきれなかったが、有権者とは名ばかりの有権者のみなさん、どうもありがとう。
 ――以上がこの春、福岡で展開した「投票率ダウン・キャンペーン」の全容である。
 私はなにも、知事になりたかったわけではない。前回の参院選(九五年)以来、選挙のたびに行政とメディアが一体となって繰り広げる投票率アップ・キャンペーンに異議をとなえたかったのだ。まるで棄権する奴は非国民だとでも言わんばかりのキャンペーンには、オウム事件や酒鬼薔薇事件であらわになってきたマス・ヒステリー状況とどこかで通じている印象を受ける。また、今回は地方選だから直接関係はないが、少数派の票をますます死票化するような制度改革(小選挙区制)をやりながら、それでも投票には行けという傲慢さにも腹が立つ。
 私の行動を「実は棄権者への皮肉では」と誤解する向きも多かろうが、そうではない。やはり今回の統一地方選に際して関西のある老アナキストが表明していたという、選挙とは「おまえの意見もふまえた上で決まったことだ」と少数派に対しても現体制を承認させる手続きにすぎない、という見方に私も賛成である。政治的意思を表現する方法は投票以外にいくらでも考えられるし、とくに少数派にとって投票など最もバカバカしい部類の手段だ。私はもともと選挙に興味がないし、投票率など高くても低くても、どちらでもいい。なりふりかまわぬアップ・キャンペーンさえなければ、私は単に黙って棄権していた。
 付け加えておけば、今回の行動には、現実の社会状況と関わりを持つことを忘れ、一部の好事家だけの閉鎖空間へと堕落した現代美術シーンへの批判、というモチーフもある。
 ともあれ気がつけば私が知事。「想像力が権力を奪う」とはこのことだ。さっそく「大麻解放」「原発推進派に破防法適用」など、選挙戦に際して掲げていた公約を実行に移さなければ。決定権はあるが執行力がない、理想的な権力の誕生というわけだ。敗れたはずの麻生氏はなぜかまだ豪華知事公舎に居座っているが、民主主義を踏みにじるおつもりか。