名探偵・外山恒一の冒険

オフィスVADの秘密

ミニコミ『自由民権』より

    1.謎のビラ

 98年4月14日深夜、伊藤君と2人、原付でビラ貼りに出かけた。ビラの内容は単にぼくの新刊『ヒット曲を聴いてみた』の宣伝である。この日は福岡市城南区、南区全域の高校・大学周辺に貼ってまわった。
 城南区にある福岡大学の正門付近で、そのビラを発見した。
 つまり、ぼくらのビラを貼ろうと電柱に近づくと、別のビラが先に貼ってあることに気づいたのである。新歓の時期だから、大学周辺には他にもたくさんサークル部員募集のビラが貼ってあり、別に珍しいことではないのだが、チラッと見た瞬間、「おや、何かヘンなビラだぞ」と感じたのである。
 丁寧にはがして、街灯の下でよく読んでみる。
 B4のタテで、コピー機で印刷されたものである。
 一番上にまず、「万国の労働者&ダメ人間、団結せよ!」とある。可愛らしいレタリングを施してあるが、明らかにゲバ文字である。
 以下、全文引用。

§オリンピック番組やらエーベックスの馬鹿やらに腹を立てている君!
§学校、バイト、職場、予備校、くだらない毎日にあきて、耐えられない君!
§上司の横暴・セクハラ、教師の怠慢・セクハラに怒りをおぼえている君!
§基地に踏んぞりかえるアメリカの横暴を許せない君!
§腐敗しまくり政官財界ぶっつぶせ、橋龍やめろ(怒)と叫ばずにいられない君!
§自民党・社民党・さきがけ・自由党・民主党・公明・共産党…どこが政権をとっても何も社会は変わらないんじゃないかとあきらめている君!
§かといって“過激派”に入るのはキビシ〜としか思えない君!
§カードローン地獄にハマッて、どうしようもなくなっている君!
§天皇一家は働かなくていいなぁと思っている君!
§何かしなければならないと感じている君!
§何もする気がでなくてダメになっている君!
§俺達は君とともに斗うこと、語ること、知恵を授けること、を約束しよう!

 そしてビラの最後に「資料請求先および君の思いを投稿する先」として、「福岡市博多区住吉〜」と住所がある。団体名は「オフィスVAD〜Voice of Anarchist&Damenist」。さらに「協賛」として、「前衛音楽集団『敗北主義者』、交流雑誌『これでいいのだ』編集部、日本共産党(退廃的堕落派)、自由的共産主義者同盟(駄目人間派)、全福岡欲望充足労働組合総連合」の5団体の名前が並べられている。
 これは一体なんだ!?
 ひととおりこちらのビラ貼りを済ませ、アパートへ戻ってからじっくり分析を始める。ぼくらが見つけた1枚以外にもこの「VAD」のビラが付近に貼ってあるかどうかを確かめるのは忘れた。

    2.名探偵外山恒一の推理

 この謎の団体が東京の「だめ連」の影響を受けていることは確かである。
 「だめ人間」を自称したり、「退廃」とか「堕落」を気取ったりするだけなら、別に「だめ連」を知らずともあり得る。だが、この「交流雑誌『これでいいのだ』編集部」は「だめ連」を知らなくては出てこないフレーズだ。「これでいいのだ」が、ではない。「これでいいのだ」は、おそらく筋肉少女帯の曲から拝借した言葉だろう。問題は、「交流雑誌」の方である。「だめ連」を知らずに、この言葉は出てこない。「交流」なんてダサい言葉を、シャレで連発する作風は“「だめ連」以後”のものだ。「だめ連」を知らずして、「交流雑誌」なんてフレーズは使わないし、そもそも思いつきもしないだろう。
 しかし、「だめ連」と直接関わりのあるグループ(もしくは個人)ではないだろう。第一に、福岡で「だめ連」とダイレクトにつながっているのはぼく一人だし、他にいれば「だめ連」周辺から少なくとも噂が聞こえてくるはずである。それに「だめ連」の影響が顕著なのは用語のみであり、ビラの文面全体から伝わってくる雰囲気は、「だめ連」的なバカバカしさやオカしみとは無縁のものである。おそらく直接の影響ではなく、マスコミ(最近「だめ連」はとにかくメディアに頻繁に露出している)経由の間接的、伝聞情報的な影響だと思われる。
 セクトではないか、という危惧もある。セクトとは、中核派、解放派などの新左翼諸党派のことである。
 怪しいのは、「かといって“過激派”に入るのはキビシ〜としか思えない君!」の一文である。「としか思えない」が怪しい。「ほんとはキビしくないんですよ」と云いたいのでは? ともとれるこの微妙なニュアンス。さらに、「知恵を授けること、を約束しよう!」という前衛的な態度。そう考えると、「政官財界ぶっつぶせ、橋龍やめろ(怒)」などというフレーズにも、セクトっぽいリズムを感じる。セクトが大衆にスリ寄ろうとソフトに装う時には、たいていこういう語感になる。「基地に踏んぞりかえるアメリカの横暴」まで怪しく思えてくる。
 だが一方で、どうしてもセクトとは思えない部分も多い。
 まず団体名「VAD」は「Voice of Anarchist&Damenist」の略らしい。セクトは共産主義者であることにプライドを持っている。共産主義者にとっては「バカ」と同義である「アナーキスト」を自称することは絶対にない。「だめ人間」だの「退廃的」、「堕落」だの、こういった「後ろ向き」な態度も嫌う。もちろん、セクトが正体を隠して大衆にスリ寄ろうと、さまざまの粉飾をほどこすことはある。だが、その粉飾は、絶対にこうした「後ろ向き」のものにはならない。それがセクトのプライドであり、限界でもある。
 さて、するとどういうことになるのだろう。
 元セクト・メンバー、元あるいは現セクト・シンパ(シンパならセクト的プライドや自尊心から比較的自由である)、あるいはセクト・ネタで冗談を云い合うような環境に身をおいた経験のある人間(具体的には、セクトが残ってるような大学でノンセクト活動に関わったとか)……などと見るのが妥当な線だろう。少なくとも、まったくの運動シロートということはあり得ない。「敗北主義者」をはじめ、「そのスジの人」でなければ知り得ないような「専門用語」もいくつか散りばめられている。
 首都圏か関西で学生運動をやっていた人間が、卒業してUターンし、福岡で活動を始めた、というのがぼくの推測である。とくに、文面から確実視される何らかの活動歴が、ノンセクト活動家経験だったとすれば、九州出身ではありえても、その経験は九州外でのものであるはずだ。ぼくの知るかぎり90年代に入って以降、九州のノンセクト左翼学生運動はほぼ壊滅と云っていい状態だからである。もっとも元セクトあるいはシンパなどの場合はこの推理の範囲外だが。「だめ連」の影響が間接的であると想像される点を考慮すれば、「だめ連」との接触が容易である首都圏ではなく、関西からのUターンという線が濃厚だ。「エーベックス」なんて言葉がポンと出てくるあたり、そんなにトシは食っていない。筋肉少女帯を参照していることからも、20代ぐらいだろう。せいぜいイッてて30代半ば。
 さらにこのビラは、少なくとも今年98年になって書かれたものであることも明らかだ。「自民党・社民党・さきがけ・自由党・民主党・公明・共産党…どこが政権をとっても云々」の箇所。新進党が解散して自由党が結成されたのは98年に入ってからのことだ。さらには長野冬季オリンピックも今年2月のことである。むしろ新歓の時期に合わせて、つい最近書かれたと見た方がいいだろう。
 引用では省略した「博多区住吉〜」の住所。実は何丁目何番地何号にあたる数字のあと、「602」とある。最低6階建てのマンションだと思われる。かなりの確率で学生ではない。
 文面から分析できるのは、そんなところか。

     3.VAD応答なし

 福岡で活動を始めて苦節10年、こんなことは初めて経験だ。
 同世代以下の運動体と遭遇することが、である。これまでぼくは常に同志を募り、連絡を乞う側だった。ビラをまいたり、ビラを貼ったり、あげくは『じゃまーる』にまで投稿したり……。これまで福岡に存在した「同志」は、ほぼすべてぼくが活動に勧誘し、この世界にデビューさせた者ばかりと云っていい。駅前にはぼくの「健康と幸せ」を祈ってあげましょうという若者はゴロゴロしていたが、共に闘いましょうと呼びかけてくれる若者は皆無だった。それが、10年の歳月を経て、初めて「連絡を乞われる側」に回れたのである。
 これで興奮しないわけがない。
 ぼくはその日の朝のうちに、速達で手紙を書いた。

 ところがなかなか返事がこない。
 1週間ほど後、ぼくはしびれを切らし、土産の酒瓶を手に、ビラにあった住所を訪ねてみることにした。
 住吉の住宅街を延々さまよったあげく、ついに目的の住所に到達した。
 なんと、想像以上の高級マンション。オートロック式で、建物に入ることすらできない。入り口で、「602」号室のチャイムを鳴らしてみたが、留守らしく反応はない。
 傍らの郵便受けを見ると、たしかに「VAD」と書いてある。それ以外には、入居者の名前も何もない。
 何日も戻っていないのか、中身が納まりきらずにはみ出しているものがいくつかある。
 怪しげな新聞が1部。ピンときてそっと抜き出してみると、やっぱり『赤旗』だ。共産党の機関紙である。

 手紙を書いて1ケ月以上経ってからのこと。ぼくの出したものが、そのままぼくの元に送り返されてきた。
 郵便受を見て、そんなこともあろうかとは思ったのだが、張り切ってこちら側のビラやミニコミ類などの活動資料をパンパンに詰め込んだために、封筒が分厚くなって受け口に入らなかったのだ。「郵便局で預かっております」的なメッセージを残して配達人は引き返したが、受取人がなかなか窓口に現れない。それで1ケ月以上を経て、ぼくの手元に戻ってきたというわけだ。
 そんなに長いことマンションに戻っていないのか、それともそれほどまでにメンドくさがりの「だめ人間」結社なのか……。
 実はあのあとも数回、マンションを訪ねてみたことがある。
 2回目に気づいたのが、すぐ隣の建物が、「日本共産党ナントカ闘争本部」なる看板をでかでかと掲げていたことだ。
 やはり共産党関係?
 単に『赤旗』を購読するぐらいなら、別に共産党支持者でなくても熱心な左翼活動家であれば考えられることだ。なんといっても共産党は、日本最大のマルクス主義左翼政党なのだから、その動向を一応チェックしている反日共(新左翼)活動家は結構いる。
 しかし共産党ナントカ本部の隣のマンションに部屋を借りているというのは……?
 いやいや、隣とは云わないまでも、ぼくが以前、活動の拠点に使っていたアパートの隣接する地区に、新左翼「革マル派」の福岡支部があった。さらには福岡の無党派市民運動の中心人物の一人も、歩いて5分ぐらいのところに事務所を構えていた。そもそも大家さんが『赤旗』をとっていた。そういうことは、ありうる偶然だ。いやしかしそれにしても隣のマンションってのは近すぎないか……。
 ビラの文面から、新左翼やその周辺にばかり想像が向いていたが、共産党関係というのもあり得る話だ。共産党あるいはその青年組織「日本民主青年同盟(民青)」の現役メンバーってことはないにしろ、さすが最大の左翼組織だけあってその周辺には時おり間違って変わり種のトンチンカン青年が寄ってくることがある。これまでに何人かそういう例を見たこともある。あるいは民青脱退組か、周辺の「ハネ上がり分子」か……。「元メンバー」なら、そもそも民青の活動家になるようなタイプの人間は生真面目な常識人が多いから、あんな高級マンションを借りられる収入や社会的信用があってもおかしくない。さては福岡の民青内に、路線対立から組織を割るような分裂事件でも起きたか? そして「共産党ナントカ本部」の隣に構えていた何かの共産党系事務所が、そのままその分裂組の手に落ちた、とか。東大駒場寮の例もある。
 否が応にも謎は深まるばかり。
 いっそゴミ袋を開けて捜査するか? などとまるで公安刑事の心境である。
 とりあえず新たに手紙を書き直し、今度は直接、VADの郵便受に放り込んでおいた。

 手紙を速達で書いたのが4月15日の朝。それが戻ってきて、手紙を出し直したのが5月の半ば。何ら音沙汰のないまま7月にも入ると、次第に興味も薄れてくる。
 やはり最初にちょっと危惧したとおり、セクトそのものだったのかもしれない。あるいは民青だったか。いや左翼以外にも、オウム残党だったという可能性もまるでなくはない。
 それら何らかの「組織」であれば、ぼくのようにすでにそれなりの活動歴がある人間を歓迎すまい。奴らはシロートをだます。シロートしかだませないとも云える。
 いや忘れていた。ぼくと一緒に、伊藤くんも手紙を書いたのだった。ぼくとは別口で、ぼくとの関係は隠して、いかにも運動シロートっぽい手紙を。
 しかし伊藤くんの方にも返事はないらしい。
 これはやはり相当のだめ人間と見た。返事が遅れているのも、だめ人間ゆえであろう。ならば、こちらも気長に待つしかない。あるいはビラを貼った時にはヤル気満々だったのが、数日を経ずして萎えてしまったという可能性もある。だめ人間ならなおさらそういうことはある。ぼく自身、ビラの反応が何ケ月も間をおいて返ってくると、すでにヤル気が失せていて素っ気ない対応をしてしまったというマズい経験が何度かある。それなら、またヤル気が回復してくれるのを待つしかない。どちらにしろ待つしかないのだ。あるいは何年も経てから、別ルートでばったり遭遇することもあるやもしれぬ。

     4.謎は解かれた

 「別ルート」は、以外に早く開けた。
 8月上旬、伊藤くんが、東京に「武者修行」に出かけたのである。
 東京の若者グループをいくつか訪ねた中に、“「だめ連」系飲み屋”の「あかね」もあった。そこの雑記帳に、“福岡で活動しています”といった内容の書き込みを発見したと云うのだ。2人組で、連絡先の電話番号も記されていた。
 福岡に戻った伊藤くんが早速コンタクトをとり、8月19日、先方2名とラジカル九州の外山・伊藤・日高の計5名で会うことになった。
 博多駅近くの居酒屋で交流したのだが、席上、この名探偵外山恒一が、ついに決定的な一言を発した。
 「もしや、君たちが“VAD”では?」
 話の流れと無関係に突然発されたこの言葉に、2人は一瞬ハッと虚をつかれたようなキョトンとした表情を浮かべた後、互いに顔を見合わせて爆笑した。
 「どこでその名前を?」
 ぼくらは経緯を説明した。

 今やすべての謎は解かれた。
 VADの正体はやはりこの日交流したS氏とH氏であった。
 連絡先となっていたマンションはH氏の住まい。共産党の建物の隣だったのはやはり単なる偶然。返事がなかったのは、ここ数ケ月マンションに戻らず、S氏のアパートに転がり込んでいたせい。その後マンションは引き払ったが、郵便物の整理などすべて親任せにしたので、ぼくらの手紙は結局見ていないと云う。ぼくらの他に反応があったのかどうかも不明。
 ビラの連絡先に設定しておきながらそのフォローを欠くとはまさしくだめ人間。ぼくらは感心するやら呆れるやらである。
 さて、ビラの文面から導き出されたぼくの推理、どれくらい当たっていたのか、その判断は読者諸君に任せる。
 S氏は30歳。「だめ連」の中心人物・ペペ長谷川と同期の早稲田大学ノンセクト活動家である。卒業後まもなく仕事の関係で首都圏を離れたため、「だめ連」の形成過程には直接関わってはいない。昨年秋、転勤で今度は福岡へ赴任した。仕事というのは共産党系の、一種の労働運動の専従である。
 その福岡の赴任先にいたのが23歳のH氏。基地の街で生まれ育ち、左傾するも九州には本来H氏が関わりたいノンセクト学生運動の存在はなし。新左翼セクトの集会やデモに足を運びつつ、一方で民青の運動にも参加。行き場のない潜在ノンセクトは、怖そうな新左翼よりもむしろソフトな民青の周辺に寄ってくるのではと考えたのだ。共産党系の職場で働いていたのもその延長だ。
 この2人が意気投合して昨年暮れにVADを結成、とりあえずは団体をデッチ上げただけの段階とのこと。

     5.福岡の夜明けは近い

 「ラジカル九州」はもちろんVADと合流(合併)するつもりはない。それは向こうも同じ考えだろう。ぼくはむしろ逆に、VADとは一定距離をおいて付き合おうと考えている。
 理由の第一は、双方の運動イメージにかなりの開きがあることだ。批判的な云い方になってしまうが、ビラの文面からも想像されるように、あまりにも既成の左翼的発想から自由でないように思う。
 理由の第二は、作風の違う若い政治運動が、福岡に複数あった方がよいという判断だ。これは長いことぼくの悩みでもあったのだが、福岡で若い奴が運動を始めるとなると、これまではまずぼくの強い影響下に入るしかなかった。そのことが「外山コピー問題」にもつながったし、ぼくのコピーになりきれない者は(ぼく自身がぼくのコピーを望んでいるわけではないのだが、力学的にはどうしようもなくそういう傾向は強くなる)、じゃあ自分流の運動を別個に立ち上げようと発想することはほとんどなく、運動そのものから離れていった。ところが外山系以外の運動体が福岡にあれば、「外山流」は相対化されるし、「外山流」でやっていけないとなれば「自分流」を始めればいいんだという発想も生じやすくなる。これは大変な状況の変化だと思う。
 とはいえ狭い世界であるから、合同企画的な展開は避けられないし、ぼくとしてもやっていきたい。とりあえずは2ケ月おきペースで、福岡の若い活動家&その周辺の大交流会を開催していくつもりだ。
 他の報告でも触れることになると思うが、最近、「ラジカル九州界隈」はつとに賑やかになってきた。かつてさまざまの運動グループが乱立し、あっちがそんなことをやるならこっちはもっとすごいことをやってやる、何を、こっちこそ、という具合にライバル意識を互いに燃やして、「自由競争の原理」で運動市場が活性化するというビジョンを冗談で提出したことがある(92年「革命的オレ様戦線」)。福岡にもついに「政治の季節」が実現し、冗談が現実化するのか? まずは「ラジカル九州」周辺の盛り上がりを交流会の席などでこれ見よがしに見せつけて、VAD諸君が歯がみしながら発奮することに期待しよう。

<完>