テレクラ、じゃまーる、ミスターチルドレン
革命家・外山恒一、「出会い産業」の「病理」を説く

(聞き手も外山恒一)
海鳥社刊『テレクラな日常』に掲載

 外山さん、テレクラとか行ったことあります?
 「ないねえ。テレクラに限らず、ソープとかイメクラとか、性風俗全般に対してあんまり興味がないんだよ。だいたいソープとヘルスが具体的にどう違うのかも知らないし」
 性方面が淡泊なんですか?
 「そういうわけじゃないよ。エロ本とかいっぱい持ってるし、アダルトビデオもよく借りる。スケベ心はたぶん人並以上にあるんだけど、なんか万単位でセックスに投資する気にはならないだけ。ま、そう云いつつもエロ本やアダルトビデオに総計10数万はつぎこんでるような気はするんだけど」
 じゃあテレクラに関しても特にこれといった見解は……。
 「ないよね(笑)。ただ、今回いろいろと資料に目を通したりしたんだけど、テレクラって別に『性風俗』産業ではないみたいだね」
 そうですよ。だいたい「テレクラ行ったことありますか?」って訊かれて、「性風俗には興味ないから」みたいなこと云うなんて、読者の誤解を招くじゃないですか。
 「悪い悪い。でも、ぼくだけじゃなく、世間一般のテレクラに対するイメージってそんなもんだと思うよ。だってマスメディアのレベルでテレクラが話題になる時って、だいたい女子高生の売春が問題になってるとか、そういう文脈でじゃん」
 みたいですね。いろいろ規制の動きが出てきたのも、やっぱり女子高生の「援助交際」とか、そこまで行かないにしてもパンツ売ったりとか、そういうことの温床になってるからっていう理由からでしょ。
 「『健全な青少年の育成を』みたいな話ね」
 そういう観点からだったら、かつて「反管理教育」の運動をやってた外山さんなら、いろいろと云いたいことがあるんじゃないですか?
 「まあね。テレクラやブルセラショップを規制しようとキャンペーン張ってる連中が、ぼくがかつて『反管理教育』の運動をやってた頃に敵対してた大人たちと、同じ手合いだってことは分かってるよ」
 そうでしょうそうでしょう。
 「だいたいあいつらうるさいんだよな。『君たちは権利ばかり主張して、義務をないがしろにしている』とか云ってさ」
 ありがちですね。
 「あいつらこそ『義務ばかり主張して権利をないがしろにしてる』んだよ。革命の暁には、全員ひっとらえて収容所にぶち込んでやりたいね。そうすれば奴ら、『義務ばかりの生活』を思う存分満喫できるだろうよ」
 いやいやそういう話じゃなくって。もっとまじめに考えてくださいよ。
 「まじめだよ。ああいう連中と議論してもラチあかないんだから。力で黙らせるしかないんだよ。現に奴らも、力でいろんなもん規制しようとしてんだろ。どっちみち戦争になるよ」
 そんなこと云わずに、ここはひとつ「言論戦」でお願いしますよ。
 「いいよ。どうせ今の段階では、こっちに戦争をやるだけの力量ないから」
 よかった。
 「しかしいずれそのうちなんとか……」
 (無視して)まず、テレクラそのものの問題は後回しにして、女子高生たちがパンツ売ったり、いわゆる「援助交際」でお金を稼いだりしてることをどう思いますか?
 「別に何とも。需要があるから『商売』として成り立つんでしょ。買う奴がいるかぎり、売る奴も出てくるよ。それだけの話じゃん。パンツ売る女子高生より、ミスチルなんかの歌に感動してる女子高生の方がよっぽど社会問題だ」
 外山さんが今もし女子高生だったら、売りますか?
 「パンツぐらいは迷わず売るね。だってそれで手っとりばやく稼げるんだから。『援助交際』となるとどうだか分からんけどね。いや、どうかな……。友達でヒモやってる人がいるんだよ。ぼくもこれまで何度かヒモ同然だった時期があるし。あれは考えてみれば一種の『援助交際』だな。しかし愛のない交際はやっぱり虚しいよ。最初は愛があっても、ふとしたきっかけで金銭が絡んでくると、だんだん想いが冷めちゃうもんなあ。やっぱ本当の恋ってのは……」
 (また無視して)社会学者の宮台真司さんがよく、「彼女たちに倫理を問えるほど、私たちの社会に確固とした倫理規範があるだろうか」というようなことを云ってますけど、同感ですか?
 「ん? 宮台? 宮台の云うことなんかどうでもいいって感じだけどね。別にフツーのことしか云ってないじゃん。フツーのことしか云わない宮台が、なんか個性的に見える言論状況自体が異常だってことだな」
 それは「賛成」って意味にとっていいんでしょうか?
 「だから賛成もなにも、宮台はごく当たり前のことしか云ってないんだってば。ヒステリックな人たちに向かって、『冷静になりましょう』ってやってるだけでしょ。マスコミを含めて、テレクラやブルセラショップを規制しようというPTAや警察みたいな人たちがあまりにヒステリックだから、宮台のような単にフツーのことしか云わない人が、何かすごいこと云ってるかのように錯覚するんだよ。ま、個人的な好みとしては、ヒステリックな人たちには、こっちもヒステリックになって激突する方が面白いと思うけど。冷静なのは嫌いだな。やっぱ熱くならなきゃ」
 宮台には興味なし、と。
 「宮台言説そのものについては、いろいろと思うところがあるよ。それは後で時代状況の問題とからめてきっちり批判するよ」
 じゃあテレクラを規制しようという人たちについてもうちょっと。最近彼らは「『援助交際』は『売春』です」というスローガンで女子高生を「啓発」してましたが……。
 「あれは問題のあるスローガンだよね。怒りを覚えるよ」
 どういう意味で?
 「だって売春婦差別じゃん。『売春はいけません』って意味のスローガンでしょ。じゃあ売春婦の立場はどうなるの」
 でも売春は悪いことでしょう。
 「君、本気でそんなバカなこと思ってるんじゃないだろうね?」
 いやいや(苦笑)、話の行きがかり上、一応……。
 「そもそも売春はちっとも悪いことじゃないんだよ。麻薬についてもおんなじだけど、売春だって『被害者』が存在しないのに『犯罪』として禁止されてるなんて不当としか云いようがないね。麻薬と売春が解禁されたって、困るのは暴力団ぐらいだよ。なぜなら非合法化されてるからこそ、それらは暴力団の資金源になり得るわけでしょ。アメリカで禁酒法時代にギャングが栄えたようにね。麻薬と売春の禁止に賛成してる連中は、みんな暴力団の手先だと思って正解だよ。解禁すれば大麻はもっと安価なものになるし、売春ももっと安全な仕事になるのに」
 売春も57年以前は別に禁止されてなかったんですよね。
 「そうだよ。だから売春婦たちも労働組合を結成して待遇改善を要求できたし、完全に暴力団の支配下にあったわけじゃないんだよ。禁止されたって需要がある以上なくなるわけがないのに。今回みたいに、明らかに売春婦差別のスローガンで堂々とキャンペーン張られても、売春婦たちはその存在自体が非合法化されてるから、抗議行動ひとつできないじゃん。国家的陰謀だよ、そんなの」
 売春を禁止してると云っても、本気で取り締まってるわけじゃないですからね。適当に見逃してる。たしかに一種の差別構造維持の陰謀と云ってもいいかもしれませんね。
 「インボーと云えば、ブルセラショップだってそうだよ。『反管理教育』の運動が80年代からずっと要求してる『制服廃止』が実現すれば、ブルセラショップは大打撃でしょ。ところが今、ブルセラショップを取り締まろうとしてる連中ってのは、云うまでもなく『反管理教育』の運動と敵対してきた連中とおんなじ顔ぶれで、要は中高生には制服を着せたがるような手合いだ。制服がなけりゃ、制服を売る少女もいなくなるのに、そんな簡単なことにも思いいたらないフリをするなんて、インボーの香りがするじゃないか」
 しかしパンツは……。
 「パンツはあくまで『制服の下』だから意味があるの! パンツだけじゃ味気ないよ」
 ……。
 「……(赤面)」
 えーっと、話題を変えましょう。
 「そもそも脳死とは全脳の器質死をもってそう呼ばれるべきものなのであって……」
 極端に変えるな!(殴打) テレクラの話です。
 「はい」
 最初の方で、テレクラってのは別に「性風俗」の産業じゃないという話が出ましたが。
 「そうそう。そうなんだよ。世間ではそう誤解されてるし、ぼくも同じように誤解してたんだけど、どうも違うみたいなんだよね。今回、原稿依頼にあたって、担当の編集者からカードを2,3枚もらったんだけどさ」
 それはテレクラじゃなくて、ツーショット・ダイヤルのカードですね。
 「うん。でも、テレクラやってんのとおんなじ業者がやってるんだし、実際、要は自宅でテレクラやるだけの違いなんだから」
 それで、やってみたんですか?
 「いや、別にやっても話すことないし。だいたい顔も知らない人と電話で話すこと自体、苦手なのに、まして何の用事もないんじゃなおさらイヤだよ」
 ライターとして最低ですね。
 「でも、友達が家に遊びに来た時に代わりにやってもらったよ。ぼくの周囲でも異性にモテないことでは定評があって、彼女いない歴26年、人生も26年っていう、うってつけの奴でさ、フルショーっていうんだけど……」
 そんなことはどうでもいいですから。
 「よく知らない読者のために一応云っとくと、そのカードってのは、テレホンカード大の単なる厚紙なんだけど、1枚1枚にそれぞれ別々の4ケタの数字が打ってあるのね。で、ツーショットの男性用の番号に電話をかけると、まず案内のテープが流れる。そこで、暗証番号を訊かれるわけよ。例の4ケタの数字。ピッポッパッポッとやると、それでやっぱりどっかから女性用のダイヤルにかけてきてる女の人と会話できる回線に接続される。女性用の番号はフリーダイヤルだから何時間話してもタダなんだけど、男性の方は、テレホンカードの度数と一緒で、一つの暗証番号で30分とか60分とかの有効時間が決まってる。つまり男性客が買うこのカードの売り上げが、テレクラ会社の収益になるわけだ。よくできてるよね」
 感心してどうすんですか。
 「いやあ、そんなシステムよく思いつくなあと。これが自宅の電話じゃなくて、どっか店に行って、そこの電話を30分何千円とかで使わせてもらうのがテレクラね。要はテレクラ業者ってのは、見知らぬ男女が電話で話す機会を提供してるだけなんだよ」
 売春の斡旋をしてるわけじゃない、と。
 「そうそう。それで知り合った男女が、会話だけで満足するか、まずは単なるお友達から始めて、何度もデートを重ねるうちにすっかり意気投合した挙げ句つい結婚してしまうとか、それとも問題になってるような『援助交際』の契約を結ぶとか、そんなことまでは業者は関知してないんだよね。それは客同士が勝手にやってるだけのことで」
 見知らぬ男女が出会う場所や方法は他にもいっぱいありますよね。
 「テレクラが売春産業なら『ねるとんパーティ』だって売春産業だし、『花とゆめ』とか『りぼん』とか、『ロッキンオン・ジャパン』とかも文通欄があるから売春産業だよ」
 『じゃマール』とかはもう……。
 「エロエロだね。取り締まらなきゃ(笑)」
 情報掲載の手数料、女性より男性からのものの方を高く設定してあるとこなんか、すごく卑猥な感じですよ。
 「頼みもしないのに見合いの話とか持ってくるイナカの親戚とかってのは、もうその道のプロだ。最も悪質な部類だよ。高い仲人料とるつもりなんだから」
 英会話教室とかも、見知らぬ男女が出会うきっかけになりますよ。
 「それで行けば学校とか会社とか自体がそうだ。PTAは学校に反対すべきだよ。大変なことになるなあ」
 冗談はさておき。
 「つまりテレクラは、性風俗というよりも一種の『出会い産業』なんだな」
 まったくその通りだと思います。
 「だからたぶん、テレクラ業者にとっては、PTAとか警察の圧力よりも、『じゃマール』みたいな雑誌が幅をきかせ始めたことの方がずっと打撃になってんじゃないかなあ。規制したって需要がある限り大丈夫だけど、『じゃマール』とかはその需要そのものを横取りしてくわけだから」
 そういう業者の声も耳にしますね。
 「ぼくとしては、青少年条例がどうこうとか、規制云々の話より、なんで『出会い』なんてものが『産業』として成り立つのか、そっちの方により関心があるね。規制の話は、論じてもしょうがないもん。警察とかPTAとか、ああいう連中は議論の相手じゃなくて、単にぶつかる相手なんだから。物理的にやっつけよう、みたいな話にしかならん」
 なるほど。分かりました。
 「『病理』だと思わない?」
 何がですか?
 「『出会い産業』なんてものの存在そのものだよ。何じゃそれって思うじゃん」
 でも、流行ってますよね。
 「多少はあっても不思議じゃないよ。日本には元々『お見合い』なんてヘンな制度もあるぐらいなんだから。でも最近の、『じゃマール』とかの様子を見てると、かなり不気味なものを感じるよ」
 たしかに『じゃマール』には「病理」を感じます。
 「じゃあとりあえず『じゃマール』について考えてみよう。これまたよく知らない読者がいると思うんで、ちょっと君、説明してみてよ」
 「個人情報誌」ってやつですね。その代表格。いろんな雑誌に「売ります・買います」欄とか、文通欄とか、友達募集とか、あるいは音楽雑誌なら「バンドメンバー募集」欄とか、あるじゃないですか。そういう欄だけで丸々一冊埋めつくされた雑誌と云えば想像つくでしょう。
 「ま、たいていどこの本屋でも置いてるから、実際に見てみるのが一番早いよ。コンビニにもあるし」
 まず95年に首都圏で創刊されました。発行元はリクルート社。
 「ぼくは基本的には福岡に住んでるけど、東京とは頻繁に往復する生活形態だから、『じゃマール』の存在は創刊直後から知ってたよ」
 どう思われました?
 「世も末だと思ったね。ぼくは革命家だから、『こんなもので運動の仲間を集めるようになったらおしまいだ』と自分に云い聞かせたよ。とにかくもう『時代の病理』って言葉がこれほど似合う雑誌もないよね」
 売上げは順調だったようで……。
 「首都圏ではその後、競合誌がいっぱい出たんだよ。『WANTED』とか『ぼらんたーる』とか、他にも何かあったな、ほとんど同じコンセプトの個人情報誌。つまり二番煎じ三番煎じが続々出るほど『じゃマール』は売れたってことだろう。ま、結局『じゃマール』以外はパッとしないけどね。こないだ東京いったら、『じゃマール』しか見あたらなかったもん。他はもう潰れたのかもしれないけど、次々と創刊されてる当時は、何かこう、『時代の病理』がじわじわ拡大してる雰囲気が漂ってた」
 で、その『じゃマール』ですが、当初はさっきも云ったとおり、首都圏でのみの雑誌だったわけですが、97年2月、ついにさらに4種類の「地方版」が創刊されるまでになりました。「九州版」も出たじゃないですか。
 「出ましたねえ。ついに来たかと思ったよ。東京で創刊されてからもうずいぶん時間たってたわけじゃん。正直ぼくもすっかり『じゃマール』のことなんか忘れてて、不意打ちだったね。恐怖したよ」
 他に「北海道版」、「関西版」、「東海版」が同時に創刊されたんですよね。
 「『病理』が全国化したってことだね」
 最初は月刊だったんですけど、約半年経た10月から、月2回刊に発行ペースを上げましたね。
 「やっぱ九州でもそれだけバカ売れしたってことだ。創刊号とか、完売したからね。まあそれは売る戦略として、わざと発行部数を押さえて『完売』させる話題作りだったんだと思うけど、でもこの出版業界不振のご時世、そういう戦略を実際に成功させられる雑誌は他にないよ」
 もうちょっと説明しとくと、つまり『じゃマール』はさっきも云った「売ります・買います」とか「友達・恋人募集」とか、バンドやサークルの「仲間募集」とか、そういう読者からの投稿で成り立ってるわけですが、それが毎号何千件も載ってる。それだけの分量になるとランダムに並べていっても読みにくいから、ちゃんとジャンル別に分類してあるんですよね。
 「ファッション系、音楽系、スポーツ系、エンタテインメント系、アート系……」
 まずそういう18の「系」に大分類されて、その一つ一つがさらに例えば「音楽系」ならロック族、レゲエ族、ヒップホップ族、ジャズ族、クラシック族……、いくつかの「族」に小分類されてます。
 「分量的に一番多いのは、そのものズバリ『出会い系』。共通の趣味云々じゃなくて、とにかく友達大募集してる」
 「じゃマール有名人」とかいますよね。
 「詩人の竹生竜とか(笑)。詩集買ってくださいって毎号何通も投書してる奴。世間では知られてないが、『じゃマール』通のあいだでは超有名なの。他にも何人かいるよね、そういう人。ま、ぼくももしかしたら他人のこと云えないのかもしれないけど」
 やっぱ使っとるんか!
 「いやいやいやいや、さっき云ったでしょ、こんなんで仲間集め始めたら革命運動もおしまいだって。つまり日本の革命戦線はついにそのレベルまで後退しきってるってことですよ。ぼくが悪いんじゃない。社会が悪い」
 それで反応はどうですか。
 「結構いいよ。ぼくの場合、ちゃんと住所載せてるってことも効いてると思うけど」
 「ダイレクトアクセス」ってやつですね。そうそう。それも説明しとかなきゃ。普通、雑誌の文通欄とかには、その人の住所とか載ってるもんだけど、『じゃマール』に「友達募集」とか出す時、必ずしも自分の連絡先を載せる必要はないんですよ。
 「『じゃメール』『じゃマッテル』のシステムね」
 前者は、編集部経由の手紙のやりとり、後者は、やっぱり編集部が設置した伝言ダイヤルみたいなシステム。実際、連絡先を公開してる人よりも、そういうシステムを使ってる人の方が圧倒的に多い。
 「『じゃマール』が売れたのは、そのシステムに負う部分が大きいと思う。そこなんだよ、ぼくが『病理』を感じる最大の理由も」
 まあ「プライバシー保護」ってことなんでしょうけど……。
 「よく云えばね。本当のところは、『友達は欲しい。でもそのためのリスクは負いたくない』ってムシのいい欲求に、ストレートに応えたってことでしょ」
 そう思います。
 「とにかく『トラブル回避』って方針が、誌面に貫徹されてる」
 これこれをやると罰せられます、みたいな「警告」がとにかくあっちこっちにあります。「個人売買トラブル回避ガイド」とか「じゃマール法律メモ」とか、何ページも割いて。書いてある内容そのものは常識的なことなんだけど、これだけしつこいと確かに「トラブルいやです」って雰囲気の方が強くなっちゃってる気はします。
 「イタズラ電話とかについてさ、『残念ながらたまにかかってくるものなら罪にはならない』とか、却って逆効果だろってことまで書いてあるのがオカしいよね」
 トラブルを避けようとするあまり……。
 「『しかし常識を越えるものは罪になる』とかって。おいおい『常識的なイタズラ電話』って何だ(笑)」
 「じゃマールご掲載の掟」ってページもありますよね。革命家の外山さんとしては、ここにも腹立たしいことがあるでしょう。
 「『宗教関連、思想関連、政治関連、暴力団関連』の情報は載せませんってやつね。暴力団は分かるよ、まさに犯罪組織なんだから。しかし政治や宗教は別に……」
 それ自体、犯罪でも何でもないですからね。
 「一千万歩ぐらい譲って、ごくごく稀に政治運動や宗教活動が犯罪に走ることはあるとしよう」
 オウムとか、新左翼のテロとかですね。
 「しかし思想は……(苦笑)」
 どう転んでも犯罪にはなりませんよねえ。なりようがない。
 「戦前じゃないんだから(笑)」
 気持ちは分かりますけど。
 「要するに『アブな〜い』ってことでしょ。法的にどうかってことは云い訳にすぎなくて、結局『アブな〜い』ものは全部排除ってことだ。友達は欲しいんだけど、『アブな〜い』人はお断りっていう。典型的に表れてるのはやっぱり編集部経由の連絡システムってことになるけど、警告云々、政治や宗教云々ってことも含めて、とにかく全体として本来の『出会い』の対極にある『出会い雑誌』」
 「出会い」を不可能にする「出会い雑誌」。
 「まあ、『じゃマール』そのものの評価としてはそんなところだけど、本当に重要な、考えるべきテーマってのは別にある」
 何ですか?
 「なんか強迫神経症的じゃん、『出会い』に対する欲求が。『出会い』なんて、普通に社会生活を営んでれば、いくらでもあるはずでしょ。しかしそれに満足できずに、もっと何か違う『出会い』が欲しいって人が、そのための産業を出現させるほど増大してる。これは一体どういうことだ? 時代の、あるいは社会の何が、『出会い産業』拡大の根拠になってるのか……」
 確かにそれは魅力的なテーマだと思います。
 「考えられる理由は、大ざっぱに2つだ。社会構造の変化に根拠があるとするか、人々の精神構造の方の変化に根拠を求めるか。実際には両方の要素が混在してるんだと思うけどね」
 もうちょっと噛み砕いて云ってもらえますか。つまり社会構造の変化ってのは……。
 「『出会い』を妨げるような社会構造が形成されてるんじゃないかってことだね。それは実際あると思うよ。人々は階層や資質やその他さまざまの要素によって分断されてる。例えば学校一つとってもそうだよ。『反管理教育』時代から云い続けてきたことだけど、高校生なんか、モロに学校単位で分断支配されてるじゃん。凡庸なこと云っちゃうけど、やっぱり偏差値が分断の最大の要素だよね。街自体もそう。人が集まる場所ってのはたいていガチガチに管理した上で、『集まる場所』ってことにされてる。本当にぶらぶらと、無秩序に人々が出会う場所なんてないんだよ。ぼくがやってる『街頭ライブ』、路上での弾き語りのことだけど、当初はそういう、管理された空間の外に『出会い』の場を創り出すって狙いもあったんだけどね」
 なるほど。
 「天神(註.福岡市の繁華街)の地下街も、夜中シャッター閉めたりしないで、開放すればいいんだよ。すごく怪しい『出会い』の空間になると思うけどな。でも実際には、公園のベンチに寝っころがってるだけで、管理人に注意されたりする。地下街開放なんて夢のまた夢だね。とにかくスリリングな『出会い』は極力排除する社会ができてることは間違いない。しかもそういうところに『出会い』を標榜する……」
 「反『出会い』雑誌」が……(笑)。
 「そういうこと。だから社会構造自体にも、人々が強迫神経症的に『出会い』を欲求しはじめる根拠はある。しかし本当に重要なのはさっきチラッと云いかけた、その人々の側の精神、感性の変化だろうね」
 というと?
 「いくら社会構造がおかしくなっても、まったく『出会い』がないって生活は普通、ないじゃん。少なくとも5,6人の友達は、誰だって持ってるでしょ。もちろん多くの場合、それは学校や職場でできた友人かもしれないけど、それで満足したってほんとはおかしくないんだよ。現にぼくのお母さんはそれで満足してる。『出会い』とか欲しがったりしてないよ(笑)。ところが、特に若い世代を中心として、それで満足できない人がどんどん増えてるってこと」
 「出会い」はあるが、人々がそれを「出会い」とは感受しなくなってるんじゃないか、って意味に解釈していいんですか?
 「そうも云える」
 どうしてそうなったと思いますか?
 「そこで宮台批判なんだけど……」
 なんと唐突に。
 「歴史認識が全然間違ってるんだよ。80年代半ばにある歴史の断絶点が、宮台には全然見えてない。宮台の一連の言説、『終わりなき日常を生きろ』って本にまとめられたオウム論にしても、ピースボートや反原発、最近では神戸の震災ボランティアとか薬害エイズ追及とか、80年代後半以降の一連の若者ムーブメントに終始冷淡であることも、何かそれが重大な問題を象徴しているかのようにカン違いしてブルセラ女子高生の尻を追っかけまわすハメになってんのも、全部原因はそこにあるわけ。宮台に限らず、ここ数年の言論や批評はもう99%そうなんだけど、一番マシな宮台でさえそうなの。ま、だからこそ状況が見えてるのはぼくら一握りの人間だけだってことで、どんなに不遇でもこんなに自信たっぷりに偉そうにしてられるんだけど(笑)」
 確かに外山さんは態度が偉そうですね。なんか無根拠に威張ってる感じがしてたんですけど、根拠があるわけですね。その「断絶点」ってのは何ですか?
 「それまでいろんなムーブメントがあったわけじゃん。戦後まもない頃の民主化運動があり、60年安保があり、全共闘があり、80年前後には宮台なんかもその渦中にいたであろうサブカルチャーのムーブメントがあった。その時々の若い世代が中心となって盛り上げていったそれらのムーブメントは、全部継承関係があるんだよ。前の世代の若者たちの問題意識を、批判的に継承しながら、どのムーブメントも形成されていった。戦後最初の民主化運動ってのも、どうしてあんな無茶な戦争をやったんだろうってテーマが出発点だから、戦前からずっと継承の糸は断ち切られてなかったとも云える。それが……」
 80年代半ばに断ち切られた?
 「そう。大きく見れば、きっと冷戦構造の崩壊とか、55年体制の終焉とかとも絡んでるんだけど……」
 でも冷戦崩壊は89年、55年体制の終焉は93年じゃないですか。
 「現実化したのはね。80年代半ばに、すでに無きに等しいものと化してたのが、最終的に目に見える形で崩れたったことだよ。まあ、冷戦云々、55年体制云々というより、戦前からの継承ってことも視野に入れれば、20世紀の終焉ってことかもしれない。この世紀を通して継承されていた営みが、断絶したんだよ」
 かなり妄想じみてきましたね(笑)。
 「いいのいいの。でっかくかまさなきゃ」
 続きを。
 「80年前後の若者ムーブメントでは、『私は私だ』というようなアイデンティティ、『本当の何々とは』みたいな本質主義、それらを否定するところにまで先鋭化してた」
 表層的には「軽薄短小」なんてバカにされてるけど、そういう批判意識が前提になってたってことですよね。日本だけじゃなく、パンクのムーブメントにもそういう要素はあった気がします。
 「日本の場合、それは前の世代のムーブメントである全共闘を批判的に乗り越えるような側面があったわけよ。世界的にも、ポストモダン思想の流行は、やっぱり60年代末のラジカリズムを総括する中から出てきてるしね。ところが!」
 80年代後半のムーブメントは(笑)。
 「ここから先は日本のことしかぼくは分からないんだけど、日本のことすらあまり知られてないぐらいだから、世界的にも、たぶんよく知られてないだけで、似たようなことが起きてたと思うよ。つまり前の世代までの営みを、全部台無しにしたところから、80年代後半のムーブメントは形成されてくるわけだ」
 ピースボートや反原発運動ですね。
 「分かりやすくするために、80年代後半のムーブメントの中でも一番メジャーだと思われるブルーハーツを例にとろう。あのムーブメントに充満してた感性を、初期ブルーハーツはよく象徴してるよ。素朴な本質主義と呼んでもいいけど……」
 「本当の瞬間」、「真実を握りしめたい」、「ありのままでいい」、「カラッポの言葉は聞き飽きた」……これでもかっていうぐらい本質主義が(笑)。
 「尾崎豊にもその萌芽はあるけどね。まだあまり洗練されてない。でも、尾崎が登場した時、YMOとかで勝利を謳歌してたサブカルチャー世代は、ほんとにウンザリしたんじゃないかと思うよ(笑)。それぐらい彼らの試行錯誤は全部オシャカ。一番知られてる例だから音楽の話を持ち出してるけど……」
 そういう気分がその他の80年代後半のムーブメントには蔓延してたと。
 「ぼくなんかも関わった『反管理教育』の運動もその一つだけど、とにかく声高に叫んでたからね、『本当』を」
 「本当の自由」とか(笑)。
 「『本当の仲間』とかね。要するに、今現在、自分が置かれている状況ってのは、『本当』じゃないわけよ。いま自分がいる『ここ』ではないどこかに、『本当の自分』『本当の世界』『本当の生き方』があるはずだっていう感受。宮台が怒るのも当然だよ(笑)。これまでおれたちがやってきたことは一体何だったんだって気にもなるだろう。ところがそこをグッとこらえて、それこそ『冷静になって』(笑)、その意味を考えないと、状況をとらえそこなうんだよね。少なくとも、ただそれらを全否定してもダメでしょう。しかし宮台は全否定する。『本当の何々』なんて探すのはやめて、凡庸で退屈な『終わりなき日常を生きろ』って説教を始める。で、宮台の理想とする、ある意味ニヒった生き方を体現してるように見えるブルセラ女子高生に期待を寄せてみたりするわけだ。宮台の目には、彼女たちが自分たちの長年の営為を継承してるかのように移ってんじゃないの? そんなことないんだって。誰も継承してない。単なるカン違い」
 なるほど。話がつながってきた。
 「ぼくだって、『本当の何々』という本質主義を全肯定してるわけじゃないよ。だが少なくとも、『本当の何々』をまったく夢想しないでいられるほど、人間ってのは強くないだろうと思う」
 「人間」ですか……。
 「『本当の人間』は(笑)。茶化さないでくれ。つまり『本当の何々』を夢想してみたり、あきらめたり、また夢想しはじめたり……、そういうことばっかり繰り返す存在だと思うわけよ。当たり前じゃん。すべての人間が満足できる完璧な社会なんてあり得ないんだから。20世紀の営みをすべてオシャカにして、またぞろ『本質』が叫ばれるのはそのいい証拠だよ。人間の、『本当』や『本質』をついつい求めてしまう側面を、完全に根絶やしにはできないってこと」
 話の流れから行くと、なんか「本質主義肯定」みたいな結論になりそうですが……。
 「だから全肯定はしてないって。『じゃマール』は『時代の病理』だって云ってるじゃん。だけどあれも、80年代後半に始まる新たな本質主義の一つの現れなんだよ。『病理』としての現れ。要するに人々は、日々の凡庸な『出会い』ではなく、『本当の出会い』を求めてるわけじゃん。『じゃマール』を含めて、『出会い産業』全体を支えているのは、やっぱり人々のそういう本質主義なんだよ」
 そういう意味ではテレクラも「病理」である、と?
 「『じゃマール』より症状軽いと思うけどね。やっぱテレクラよりも『じゃマール』を規制した方が世のため人のためだと思うよ」
 『じゃマール』はどんなふうに症状が重いわけですか?
 「テレクラより症状重いのは、『じゃマール』だけじゃないけどね。他にもいっぱいある。最近もしかしたら一時期よりは下火になったのかもしれないけど、自己啓発セミナーとか。あれもつまり『本当の自分』という本質主義の『病理』的な現れじゃん。そうそう。『自分探し』は『病理』だよね。そういう意味では、よい本質主義の感性を象徴するものとして初期ブルーハーツ、マズい本質主義の感性を象徴するものとしてミスター・チルドレンってイメージで正解なんじゃないかな。とにかく90年代に入ってからは、マズい本質主義のオンパレードなんだよ。『ゴーマニズム宣言』なんかもそうだ。小林よしのりも中心的な役割を担ってるけど、最近『自由主義史観』なんてのが流行ってるじゃん」
 『教科書が教えない歴史』ってやつですね、藤岡ナントカっていう東大の教授の。
 「そうそう。従軍慰安婦なんて存在しなかった、みたいな話。まるでかつての、南京大虐殺はなかった、の焼き直しなんだけど。あれも実は単なる焼き直しじゃなくて、若い世代のマズい本質主義と結合してるところがかつてのものとは違うんだよね。結構若者があの運動には参加してるじゃん。だけど、若者にとって従軍慰安婦なんて問題はどうでもいいはずだ。実際、『自由主義史観』運動の『本質』は、従軍慰安婦問題なんかには実はない。あれも『自分探し』なんだよね。藤岡がどういうつもりかは別として、一部の若者がそこに吸収されてるのはそこだよ。『自分に誇りを持ちたい』ってのが、『自分の国に誇りを持ちたい』ってことにスリ替えられてる。まあ、まったくバカはしょうがねえなあと云ってしまってもいいんだけど(笑)」
 なるほど。自由主義史観の問題に対するそういう解釈は初めて聞きました。
 「あとまだ自分の中でよく整理できてないんだけど、震災とかオウムとか、もっと最近の酒鬼薔薇事件もそうだけど、ああいう事件が起きるたびに『住民の心のケアが』とか云い出すじゃん、メディアが。そういうことにも、同じ『病根』があるんじゃないかと思うんだよね。これは単に直感でそう思うだけなんだけど」
 ちょっと話を戻しますが、まだ外山さんの云う「よい本質主義」と「マズい本質主義」の違いがよく分からないんですけど。
 「そうかもしれない。テキトーに云ってるだけってところもあるから(笑)。えーっと、どう云えばいいのかな。つまり内省へ内省へって方向はマズいんだよ。そっちは出口なしで、こじれるばっかりだから」
 はあ……。
 「例えば『出会い』の話ね。『本当の出会い』が欲しい。なぜそう思ってしまうかってとこで、それが人間の宿命だからって部分もかなり大きいんだけど、そういうことで納得してしまったら出口がないわけよ。もう一つ、さっき云ったように、現実に今の社会が『出会い』を阻害するような機能を持っているって側面もあるわけでしょ。こじらせて『病理』化させないためには、そっちの方向に出ていくしかない。つまり天神地下街を夜中も開放させる、公園のベンチに人を寝かせないための『仕切り』の手摺りを作らせない、ビラを貼らせないための電柱のブツブツをやめさせる、高校生を学校単位で分断支配する『管理教育』をやめさせる、管理社会の象徴とも云える原子力発電所を止めさせる……」
 「本当の出会い」への欲求を、「出会い」を阻害する管理社会を解体する方向に注ぎこむってことですね。
 「そういうこと。『出会い』に関してもそう思うし、たぶん他のいろんな本質主義についても似たような結論になるよ。『本当の自分』なんてのも、単に自分のアタマの中で『本当の自分って何だろう』とかウジウジ悩んでてもこじらせるばっかりで、やっぱりいろんな状況の中に自らを投げ込んでみることによってしか見つからない」
 結局やっぱり最後は「革命」の話か。
 「当たり前だよ。ぼくは日々、革命のことしか考えてないんだから。ぼくの話を聞きにきた時点で、結論は分かってるでしょ。きっと編集者も覚悟してる」
 まあ、「出会い」なんてテーマはいかにも「革命」の話に持ってかれそうな気はしてたんですけどね。
 「『出会い』を阻害する社会をどうにか変革していこうという過程には、当然、その社会のヒビ割れの部分に身をさらす瞬間がある。実はそここそが、そこでしか求めていた『本当の出会い』は得られないという、まさにその『場』なんだよね」
 テレクラの話からはだいぶ遠ざかったような不安もあるんですが……。
 「だって『出会い』とは何かって考察を抜きに、個別の『出会い産業』を論じてみても仕方ないじゃないか」
 そうなんですけどね。
 「だから結局革命なんだよ、革命」
 はいはい。そんじゃそういうことで。
 「待て。せっかくの我々の『出会い』……」
 もう結構。ありがとうございました。

                         <完>