断片集

ミニコミ『月刊外山恒一 創刊号』より
事実上、『最低ですかーっ!』にすべて収録

メモ程度の走り書き、途中で行き詰まって放棄した未完の文章などを集めたもの
(執筆時期は、大体95年から97年)

 さまざまな犯罪報道に触れた時、その被害者よりも加害者の方に感情移入してしまうような心性がぼくにはある。

 犯罪の被害者は、「フツーの人」であることが多い。それに対して加害者はたいてい屈折した心情を抱えている。性犯罪事件などではとくにそう。
 ぼくは、被害者意識の固まりだ。その場合の「加害者」は漠然と「世間一般」、「フツーの人たち」の集合体。
 被害者が加害者に転じ、加害者が被害者に転じた時、犯罪が構成される。

 加害者に感情移入してしまうことをそのまま肯定してしまうのもマズいと思うが、だからといって加害者を憎むように自分を強いるのも欺瞞だと思う。切通理作(註.当時の30代「若手」批評家の一人)はダメ。

 気心の知れない相手に、オウムについてどう思うか、自分の気持ちを表明する時は、ぼくは次のように云う。
 「善悪で云えば悪だが、好き嫌いで云えば好きだ」

 大学改革案。
 卒業するまで最低でも10年以上かかるようにする。卒業時には30ぐらいになってて、就職には圧倒的に不利。ほとんど修道院にでも入るような覚悟がなければ大学なんか行けない。
 医者や弁護士などの養成は大学以外の管轄に移す。
 これでバカ学生は一掃されるはずだ。

 革命や社会変革を語ることはもう古いとか、そんなことを云う奴はただのバカだと思う。
 どんな社会にもさまざまな抑圧があり、それに対する抵抗運動はいつでも起き得る。
 当たり前じゃないか。

 「社会派」という言葉は、どうにも「正義」の匂いがプンプンして使いづらい。人は必ずしも、正義感や使命感からのみ「革命」や「社会変革」の運動に自己投入するわけではない。ぼくは情熱的な人間ではあるが、正義感はあんまり持ち合わせていない。だから自分としてもあまり使いたい言葉ではないが、ここでは便宜的に「社会派」を使おう。
 全若者のうち何割ぐらいが「社会派」で、さらにその中で「ラジカル:リベラル」の比率はどれぐらいであるのが自然だろうか?
 ぼくのイメージする「当たり前の社会」では、若者の1割が「社会派」で、そのうち「ラジカル:リベラル」の比率は「1:9」である。
 全校生徒1000人の高校があったとする。このうち100人が「不満分子」である。もちろんその大半は、「もっと思いやりのある教育をしてほしい」だの「生徒一人一人の個性を尊重してほしい」だの「偏差値で人間の価値を測るのはやめてほしい」だのタワケたことを云う連中だ。小手先の校則改正運動や、よっぽどヒドい体罰事件など起きた時の抗議運動には、彼らも参加するだろう。しかし不満分子100人のうち10人ぐらいは、「制服廃止」を叫んだり、学校システムそのものを問う、なんてことを考えてたりする。高校生にもなれば、それぐらいのことを考えられる人間が100人に1人ぐらいいても不思議じゃない。100人に1人といえば、2クラスか3クラスに1人ってことだ。
 そんなふうに例えてみれば、ぼくの云う「1割」だとか「1:9」だとかいう数字も、あながちムチャクチャなものではないと分かってもらえるだろう。
 この数字をさらに敷衍してみよう。
 福岡市の人口は約130万人である。このうち、15歳以上30歳未満の「若者」が20万人ぐらいだとする(たぶんもっといるだろうが)。すると「社会派」の若者は2万人ぐらいおり、そのうち「ラジカル」な者も2000人ぐらいいて当たり前ということになる。
 ところが現状はどうか。
 100分の1以下、下手をすれば1000分の1である。
 これに危機感を抱かない人はどうかしてるとしか云いようがない。
 たとえばぼくだって、ロクでもない評論家が「若者の政治的無関心」を嘆いたりするのを目にすれば「うるせえ」と思う。そういう奴に限って、本当に若者が政治に目覚めたらすぐさまそれを弾圧する側に回るに決まっているからだ。
 若者の1割が「社会派」であるのが「当たり前」だというのは、逆に云えば、若者の9割はそんなことに関わりなく暮らしていて全然かまわないということでもある。みんながみんな「社会派」になっちゃうような社会はかなりマズい社会であるとぼくも思う。しかし「社会派」の若者がほとんど皆無に等しい社会も、やっぱりマズいのである。それこそ「通過儀礼」でも何でもかまわないから、若者の1割ぐらいは「社会派」になってくれないと、社会はうまく機能せず、停滞する。停滞するというのはつまり、自己啓発セミナーやマルチや「がんばれロック」が蔓延したり、「癒し」とか云い出す奴が増えたり、「えるがーら」だの「きゃなるしてぃ」だの建物に恥ずかしい名前をつけ始めたり、これほどまでに「いじめ」が深刻化したりすることを云う。

 ぼくは理系の学問はよく知らないから、原発が技術的にどうだというのはよく分からない。
 だが少なくとも、原子力の専門家どうしが原発の是非を議論して、推進派が勝った場面など一度も見たことがない。

 何かやろうとして人を集める。
 集められた人同士が色恋沙汰を演じて、集めた側はなぜかいつもそういう話に無縁なのにはムカつく。
 稀に集めた側にそういう話が持ち上がった時は、その集団の解体にすぐ結び付く。

 最後の最後に、分かっても分からなくても、どっちでもいいある一つのことを分かってしまう。
 そこまで来てしまったら、その先はもうない。
 その「ある一つのこと」の中身について、ぼくはうまく云えない。別に云えなくてもいいと思うし、云えたとしても、それに何の意味もない。そもそも説明できることではなく、各々がそこに辿りつかなければ分かりようもないことだ。しかも、辿りつけなかったからといって別にいけないわけでもない。
 ニーチェの「永劫回帰」、シモーヌ・ヴェーユの「不在の神」、親鸞の「悪人正機」、ブランキの革命思想……。他にもぼくの知らないものがいろいろ挙げられるだろうが、これらはその「ある一つのこと」を云わんとしている。そのことにある時突然ピンと来てしまえば、もうその先はない。つまり「悟り」なんだが、悟ったからといって別に何もいいことはなく、悟れないからといって別に何も悪いことはない。

 ヒット曲研究会という集まりをやっている。音楽でも映画でも文学でもその他の社会風俗現象でも、流行っているものは何らかの意味でその時代状況を反映しているわけで、ぼくはヒット・チャートから現在の状況を分析しようとこの研究会を主宰しているわけだ。
 ところが藤井良樹
(註.やはり当時の30代「若手」批評家の一人)が、ぼくらが出した『月刊ヒット曲』を見て、どこかで「こんなことはすでに80年代に中森明夫(註.外山より10歳上の「新人類」世代コラムニスト)なんかがやったことだ」と云っていたらしい(直接それを耳にしたわけではないから真偽のほどは知らない)。
 そうなのかもしれない。しかし、「だからどうした?」という感じだ。
 そもそもヒット曲研を始めるにあたって、ぼくの頭の中には吉本隆明(戦後もっとも偉大な革命思想家。吉本ばななの父ちゃん)の『マス・イメージ論』があった。読んだことはないが、吉本がその本でやろうとしたことは、たぶんぼくがヒット曲研でやろうとしていることと同じようなことだろう。だからといって、「すでに15年以上前に吉本がやったことだから、ぼくらがやる意味はない」とは考えなかった。
 反論するのもバカバカしい。「それがどうした?」で充分。

 『現代思想』97年5月号に、若い左翼運動の最新動向が特集されている。カラカラ、だめ連、メンズリブ東京、きんじハウス、岡画郎……。もちろん、ぼくや鹿島くんも登場する。
 しかし、まず特集タイトル「ストリート・カルチャー」がマズい。しかもたいてい(ぼくと鹿島くんのも)編集部によるインタビュー記事で、まるで傾向の違う雑多な運動が、ぜんぶ「ドゥルーズ=ガタリ
(註.ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリ。現代フランスの革命思想家。どちらも90年代に自殺)ふう」の文脈に強引に引き寄せられ、解釈されている。ぼくなんか、「ノイズ」なんて恥ずかしい言葉を使ったことになっている。たぶんインタビュアーが、喋りが苦手なぼくの舌足らずな発言を補うつもりで、テープ起こしの際に書き加えたのだろうが、「ノイズ」だけはやめてほしかった。面白いのは、インタビュー記事以外の、当事者が自分で書いた文章だけだ。
 誤解と偏見にはもはや慣れっこのぼくだが、今回の特集には、これで初めて一般メディアに登場することになる運動も多く含まれている。そういう人たちが可哀想だ。
 活字メディア方面での当面の敵である宮台勢力と浅羽勢力
(註.宮台真司と浅羽通明。外山より10歳上の世代に特徴的な二つの思想潮流を当時それぞれ象徴していた人物)。今回の特集に登場した若い左翼たちは、現実において連中の言説の無効を証明しているのに、これじゃあ、なあ。ドゥルーズ=ガタリについては、宮台なんかの方がよっぽど詳しいだろうし、こんなまとめ方をしたんじゃナメられておしまいだよ。もっと連中を、恐怖させなきゃ。

 マルクスを持ち上げる人はどうも信用ならない。
 彼らが決まって引用するのは、『ドイツ・イデオロギー』にある「共産主義とは到達すべき何らかの社会形態ではなく、運動である」とかいう箇所である。この部分だけを読めば、ぼくだって「へえ。マルクスも結構いいこと云ってるじゃん」と思う。しかしあれだけ膨大な著作のある人なんだから、たまにはいいことも云ってるだろうし、もちろんマズい箇所もいっぱいあるはずなのだ。きっとスターリンの著作の中にだって、一部分だけ取り出せばいくらか「いいこと」も書いてあるに違いない。
 ぼくが信用できないのは、件の箇所を取り出してマルクスを肯定するやり方は、最近(80年代あたり)になって流行りはじめたもののような気がするからだ(ぼくは研究者じゃないので実際のところは知らないが、どうもそんな気がする)。いわゆる反スタや反ソのマルクス主義者が、少なくとも50年代ぐらいからこの一節を何かというと引用していたのなら、まだ彼らの主張にも耳を傾けてみようかという気にもなるのだが。

 宮台真司他の共著『サブカルチャー解体新書』。
 80年代前半までの分析は非常に面白い。宮台自身が、70年代末から80年代初頭にかけて高揚したムーブメントの渦中に身を置いていたためだろう、反革命的な革命運動(宮台の言葉では「反サブカルチャー的なサブカルチャー」)の基底にあった感性をよく表現していると思う。当時まだ小学生だったぼくが断片的にしか知らなかった出来事が、一貫した視点で整理されている。断片的知識を元にしたぼくのいわゆる「80年安保」理解のイメージとも整合する。
 ところが、80年代後半以降の現象についての記述が始まると、とたんに居心地の悪さを感じてしまう。「全然違います」と云いたくなる。
 宮台は、たしかに80年前後のムーブメントを担った若者たちの最前衛部分を形成していた優秀な運動家の一人だったろう。そしてぼくは、90年前後の若者ムーブメントの最前衛部分を担った一人である。
 80年のムーブメントは、戦後革命、60年安保、全共闘……と連綿と続いてきた戦後革命運動の最後の高揚である。ゆえに敗戦から、80年ムーブメントの解体期である80年代前半までの約40年間については、一貫した視点での整理・記述が可能である(この40年間は、マルクス主義が知識人世界の主流である状況との格闘が、さまざまのムーブメントを生んだ時代であり、その意味では実は40年間ではなく、日本にマルクス主義が輸入された20年代からの約60年間について、一貫した記述が可能であると云えるかもしれない)。
 90年のムーブメントは、マルクス主義が解体・風化して以後の、最初(そして現在のところ最後の)の青年運動の高揚である。若い世代の、世界に対する違和感の表明は、まったくの最初から手探りで開始される以外になかった。40年、もしくは60年の思想言語の積み上げと切れたところで語り始めるしかなかったということである。ゆえに、草創期から数えてもわずか10年あまりのこの世代の思想言語は、それ以前の各世代のそれと比べて極端に貧弱だ。それでも、80年代後半以後の現象については、この世代がその貧弱な言葉で語り始めるより他にないのだ。
 というのが、『サブカルチャー解体新書』や、その他の宮台言説についての感想である。

 80年代半ばごろから上昇曲線を描きはじめた90年のムーブメントにつきまとっていたのは、「本質主義」的な傾向である。
 「本当の言葉」「本当の声」「本当の自由」「本当の生き方」……。
 「本当の××」なんて云い回しを忌避するのが、それ以前の世代による試行錯誤の総決算である80年のムーブメントがたどり着いた地平だった。だが、「本当の××」を求めることが禁止された場所から、あえて(というよりも、すでに禁止されたことを知らずに)それを求める欲求・衝動が、90年のムーブメントの原動力となったように思える。

 「高校生会議系」──つまりぼく、水戸、浜村、矢部、イトケン等々の人間関係に、違和感、反感を表明する人はかなり多い。とくに、高校生会議解体以後に知り合った新しい仲間たちから、そういうニュアンスの発言をよく聞く。これまでにぼくが記憶している範囲でも、山の手、大石、野比らから出た。
 気持ちは分かるが、どうしようもない。
 「同志的関係」を結んで、それが一定成功を収めた場合、それは否応なく発生するものだと思う。
 甲子園の優勝チームのナインは、卒業後、たとえ二度と会うことがなかったとしても、互いに他からはうかがい知れない独特の精神的な絆を感じ続けるだろう。『ドカベン』の「プロ野球編」は、たしかに気持ち悪いと思う。
 しかし、革命運動には、甲子園と違って「卒業」がない。
 何度でも新しいムーブメントを、新しい仲間と共同で創り上げることができる可能性があるのだ。
 その時に、彼らの側もきっと、ぼくらの間の「感じ」を分かってくれるだろう。
 ぼくも彼らを「彼ら」と呼ばなくなるだろう。

 ヒマを持て余すと『ドカベン』を読んでしまう。
 非常に健全で体制的なマンガだが、読み出すと止まらない。
 そして「運動甲子園」をやりたいなどと妄想をふくらませてしまうのだ。もちろん、「スポーツ」の「運動」ではなく、「ムーブメント」の「運動」である。
 全国各地で運動している若者が、年に1回(2回でもいいけど)、一堂に会する。各地に小グループがあるわけだが、それぞれにやっぱりツワモノ、クセモノ、モサがいる。“鳴門の牙”とか呼ばれてたり。全国から集まるんだから、当然、方言が飛び交う。ヅラヅラ云う奴とか、タイタイ云う奴とか、ダッチャダッチャ云う奴がいる。
 そういうのがやりたい。
 そういえば昔、反管理教育をやってた頃には“壱岐の暴れん坊”の異名を持つ男がいて、玄界灘の荒海を越え、時々福岡を訪ねてきた。手紙のやりとりだけだったが、“土佐のバクーニン”ってのもいたなあ。
 一応ぼく、主人公なんで、そのためにはまず何としても福岡のグループを「明訓」のような強力メンバーで固めなくちゃいかん。

 今こっそりとマルクスを読み返す

 この息苦しい社会を変えたいと思う。そして、そのための仲間がほしい。
 ぼくの云いたいのは、結局そういうことだ。

 現在、どのような本が求められているか。
 はっきり云って、「革命とか運動とか云うのはもう古い」だの「そんな一発逆転みたいなことを期待しないで、終わりなき日常を生き抜く方途を確立せよ」だのといった言説にはもういい加減うんざりである。
 そんなことをいくら云ってみたって、現実にぼくらが抱えている不全感や苛立ちはいっこうに解消されやしないのである。必要なのは、不全感や苛立ちとうまく折り合いをつけることではなく、それを形にして表明することなのだ。
 実際に、それは求められている。だからこそ、「猿岩石」はあんなにヒットしたのだし、「田園」や「イエロー・イエロー・ハッピー」は支持されたのだ。鈍感なのは、出版業界だけ。人々が、日常に耐え切れず窒息しそうな気分を抱えているというのに、「終わりなき日常を生きろ」とはいい気なもんだ。「ソフィーの世界」や「脳内革命」ていどのクスリしか調合できないのか。状況認識が15年ほど遅れている。このままでは、人々の不全感は、依拠すべきモデルを発見できず、ファシズムに収斂しかねない。
 不全感をより解放的な方向で表明する技術や、最低限、ヒントにし得るような実践例を、活字メディアは提示すべきなのだ。

 地方性失語症。
 左翼の会話には、さまざまの前提がある。
 東京の友人と、たとえばマルクス主義をめぐって意見を戦わせる。友人はマルクス主義者で、ぼくは「反共左翼」である。だが当然、こういう議論が成立するためには、評価を異にしているにせよ、双方が「マルクス主義の何たるか」についてある程度はイメージを共有している必要がある。マルクスのマの字も知らない相手や、「え? 共産主義? アブな〜い」なんて相手に、「マルクス主義はおかしい」なんて話をしてもあんまり意味がないし、そもそも会話が成立しない。「反共」のぼくとしては、実はマルクス主義に誰も興味を持っていない状況を本来歓迎すべきであって、「反共の理念を展開することができなくなるから、みんなマルクス主義について知っておいてほしい」なんて感じは、明らかに転倒しているような気もする。まさに柄谷行人が云うような、米ソや自・社の二元的対立あってこその「第三の道」、その対立が崩れたら同時に自らも崩れざるを得ないように限界づけられた立場でしかないことを、自己暴露しているだけのような……。
 若い左翼運動が壊滅している地方都市に身を置いていると、ぼくのような若い左翼は失語症に陥ってしまう。

 うすうす気づいている人も多いと思うが、学校というのは軍事施設である。制服が軍服に由来し、また「教師−生徒」関係、「先輩−後輩」関係が軍隊における人間関係と同種のものであることは、従来の反管理教育市民運動の水準ですら指摘されてきたとおりである。
 だが一方で、従来の反戦運動には、「軍事費を削って教育・福祉に予算を」との主張や、米軍基地や自衛隊施設の撤去要求や監視行動には取り組んでも学校施設に対しては一言もふれない、などに見られるような誤りや不徹底がまかりとおってきた。
 我々は、イリイチの次の言葉を今こそ深くかみしめるべきだ。
 「学校の拡充は軍備の拡張と同じくらい破壊的であるが、軍備のそれほどには目立たないのである」(『脱学校の社会』)
 考えてみれば、学校の敷地総面積が日本の国土全体に占める割合は、学校以外の軍事施設のそれを圧倒的に上回る。従来の反戦運動がこれを見落としてきた怠慢にはただ驚く他にない。我々は断固として主張しなければならない。「日本に学校はいらない、平和憲法を守れ」と。

 ビラまきなどやると、どんなにトーンを弱めたものでも、必ずイタズラ電話をかけてくる奴がいる。不条理な悪意は世の中に充満しているんだなといつも感じる。

 「一匹狼」なんて冗談じゃない。
 ぼくは「群れ」をなしたいのだ。