公安調査局事件顛末記

未発表原稿

 7月14日夕方、ぼくは近くの弁当屋に行こうと、福岡県福岡市南区の自室アパートを出た。ついでに、階下の郵便受けを覗くと、何やら折りたたまれた紙きれが封筒にも入れられず裸のまま放りこまれているのに気がついた。「何だろう」と思い、鍵を開けてそれを取り出し、広げてみると……。
 「住民票写しの交付請求について」という一行がまず目にとびこんだ。
 どうやら公文書らしく、A4サイズの紙の上端に、割印がなされている。「九公調一発第364号」の文書番号と、「平成6年7月14日」との発行日付が入っている。7月14日。今日ではないか。

 福岡市南区長殿

                 九州公安調査局調査第―部長

    住民票写しの交付請求について

   執務上、必要につき、下記住所地に住民登録している者全員の住 民票の写し(転出の場合は除票)1通の交付方お願いします。 

 で、ぼくの住むアパートの部屋の住所が記入してあり、「以上」となっている。「九州公安調査局調査第―部長」の文字の後に、「九州公安調査局部長印」の判も押してある。
 何だこれは?
 イタズラではないか? と思った。88年5月に高校を自主退学したぼくは、89年の1月に自分の主宰する「反管理教育中高生ネットワーク・DPクラブ」の活動の拠点としてこの部屋を借りた。主に学校問題に関する文章を雑誌に発表したり、自身の活動記録を単行本化したり、あるいは自前のビラを印刷して街頭や付近の中学・高校の校門前などで配布したりして、そのどれもにこのアパートの住所を明記していたので、ぼくの活動に反感を待った人からの匿名のイヤがらせや脅迫の手紙が届くことは多かったし、「DPクラブ解散勧告書」なんていう怪文書が、郵便受けに直接放り込まれていることも何度かあった。今回も、少々手がこんでいるけれども、その種のイヤがらせだろうと考えたのである。
 「公安調査局」というのがどういう仕事を担当する部署なのか詳しくは知らないが、どうやら公安関係者か、ぼくの活動をチェックする目的で、福岡市南区長に住民票の写しを要求しているという内容の文書のようである。たしかに、そういうことをされる種類の活動は身に覚えがある。が、宛名は区長であり、ぼくではない。こんなものが、なぜぼくの郵便受けに放り込まれているのか? あるいはぼくの活動に共鳴する人が区役所にいて、偶然この文書がその人の手に渡り、こっそりとぼくのところヘ届けたのだろうか? そんなことがあったとしても、今日発行の文書が今日ぼくの手元に届くというのはあまりに早すぎる。
 やはりイタズラだろう。
 そう判断したが、万が一ということもある。弁当を買いに出たはずだったが、ぼくはそのまま近所の福岡市の女性市議のもとへ自転車を飛ばした。その市議はもともと市民運動家で、ぼくが前述のDPクラブの活動を始めた頃から付き合いがあった。市議なら、公文書もふだんから見慣れているだろう。
 「こんなものが郵便受けに入ってたんですけど」とぼくは市議にそれを見せた。「イタズラだろうとは思うんですが……」。すると市議、「これホンモノよ」と云って時計を見る。午後5時15分。「もう区役所は閉まっとおね。あんた、明日にでも区役所に行って、『これは何ですか』って訊いてみらんね。コピーを持っていったがいいよ。本物の方は渡したらいかんよ。そして『これはどういうことですか。こういう要請にはいつも応じているんですか』って問い糾しんしゃい。ばってん何でこれがあんたんとこの郵便受けに入っとったとかいな。暑かけんボーッとして落としたとかもしれんね。バカねえ」。ここ連日、九州の新聞は記録的な猛暑を書きたてている。
 ぼくは文書を持って、弁当も買わずにアパートに戻った。途中、市議の云ったとおり、近くのセブンイレブンで文書を数枚コピーした。
 さてどうしたものか。部屋に戻ってぼくは考えこんだ。市議はホンモノだと云ったが、ぼくはまだ半信半疑だった。DPクラブはすでに3年も前に解散していたが、去年の秋に友人と「反共左翼」を名乗る革命結社「日本破壊党」を新しく結成し、この数ヶ月のあいだに、「過激派になろう」とか「革命をやろう」とか「日本を印度にしてしまえ」とか題したビラを以前のDPクラブ同様、付近の高校前で登校中の生徒に配布したり、福岡市内で開催された寺山修司展の会場内で「同志」募集のビラをまいて警官に排除されたりしていた。ビラには時々「日本破壊党(過激派)」と連絡先を入れたりした。だから、公安関係にチェックされているだろうとはもともと思っていたし、実際に私服刑事が様子を探りにアパートを直接訪ねてきたこともあった。「公安調査局」から今回のような文書が出される可能性もあるだろう。しかし、それがぼくのアパートの郵便受けに放り込まれていたという点が解せない。さては何かの陰謀か? 
 ノックがあった。
 正直云ってちよっとビビった。
 おそるおそるドアを開けると、果たしてシャツにネクタイ姿の見慣れない男が2人、ドアの向こうに立っていた。ふだんこの部屋に出入りする汚ならしくてムサ苦しい路上ミュージシャンや、可愛らしい女の子や可愛らしくない女の子などとは全然違ったタイプの2人組だ。2人とも若い。猛暑の中、汗びっしょりの愛想笑いを浮かべながら話しかけてきた少し背が低めの男は、まだ20代に見える。暑いのに黒っぽい背広を着ているもう一人の男は、それよりもう少し年上に見えたが、無言でそっぽを向いて、少し離れて立っている。
 若い方の男が、口を開いた。
 「法務省の者なんですが、このアパートの前で書類を紛失しまして、下の大家さんに聞いたところ、こちらの住所が書いてあったので、おたく宛の郵便物だと思っておたくの郵便受けについさっき入れたところだということなんですよ。それで下の郵便受けを覗いたら──あ、無断で開けたりとかそういうことはしてませんから──もう書類はなかったもんですから、もしかしたらもうおたくが郵便受けから取って持っていらっしゃるんじゃないかと思ってお伺いしたんですが」
 来た!
 はい、おっしゃる通り、ここにこうして持っています。とは云えない。そんなことを云ったら、そのまま書類を持っていかれるだろう。そうしたら、それでこの―件はなかったことにされてしまう。どうやらこの書類はホンモノのようだという実感が、2人組の男の登場によって、ようやくぼくにも湧いてきた。公安調査局、つまり政府の―機関が、政府に批判的な者(実際にはぼくは積極的に政治的無関心を貫くことで逆にラジカルで過激な政治的立場に立とうという非常にややこしいことを考えているのだが)を監視しているということは、ちょっとでもそのテの運動をやったことのある人間なら誰でも知ってることだし、それをカマトトぶって「こんなにひどいことがおこなわれていたなんて信じられません。プライバシーの侵害も甚だしい。キ──ッ!」なんて凡庸で醜悪な市民運動家連中みたいに怒って見せたりする気は全然ないが、警察など公安関係者が具体的にどんな住民監視をおこなっているかを示す今回のような公文書が、表に出てくることは滅多にないのではないか。これはオイソレとこの2人に「はいどうぞ」と渡すわけにはいかない。
 「はあ、自分はまだ今日は郵便受けを見ていないので分かりません。ついさっき外出から戻ってきたばっかりで……」
 実はついさっきまでぐっすり寝ていたのだ。
 「ほんと気持ちの悪い話で申し訳ないんですが、実は10年ほど前にこちらの部屋に住んでいた方のことを調べていて、その方がまだこちらの部屋にいるかどうかを確かめようと、南区役所の方に住民票の写しを請求したんですよ」と男。 
 ウソつけ。公安に目をつけられるような奴が、続けて2人も同じアパートの同じ部屋に入るか。
 「で、結局、今はこの部屋にはどなたも住民登録されていないことが判明しまして、おたくにはほんとに気持ちの悪い話でしょうけど」
 ぼくの住民票は、隣りの市に住んでいる両親と―緒にしたままだ。もともとかつてのDPクラブの事務所として借りたアパートで、最初のうちこそこの部屋には毎日実家から通っていたのたが、しばらくするうちにズルズルと寝泊まりし始めて、今ではほぼここで生活している。
 それにしても向こうとしても、本人に無断で他人がその住民票を調べるというのは「気持ちの悪い話」であるという認識くらいはあるようである。
 「この部屋は人の出入りが激しいので、誰かがぼくの留守中に郵便受けから取って、部屋のどこかに置いているかもしれません。一応、探しときますんで、見つけたら連絡します。えっと、お名前をおうかがいしてよろしいですか?」
 男は、「山田です」と名乗った。何となく偽名っぽい。
 「法務局の山田さんに運絡すればいいんですね」
 「いえ、法務局ではなく公安局です」
 「電話番号はタウンページに載ってますよね」
 「はい。じゃあ、よろしくお願いします。ほんとに気持ち悪い話ですみません」
 ドアを閉めた。
 「山田」は実に低姿勢だった。かなり慌てている様子でもあった。これはたぶん、ぼくを何らかの陰謀で何らかのドス黒いワナに陥れようというのではなく、やっぱり本当に、単に公安局のドジでマヌケな奴(さては「山田」本人か?)が、探りを入れているその当人のアパートの真ん前に、そいつを探っているという証拠書類を落としてしまったということなのだろうという気がしてきた。とにかくこの夏の暑さはハンパじゃないのだ。
 さあどうしよう。鍵を閉めて6畳の部屋にヘタりこんで考え始めたところに、またもやノックが……。
 ドアを開けると、さっきの2人組だ。それに、大家のオバサン。以前9ケ月も家賃を滞納した時にさえもぼくを追い出さなかった、とても優しい、思いやりの心に満ちた、素晴らしい方だ。現在ようやく滞納分を4ケ月にまで減らした。
 「たしかにあんたんとこの郵便受けに入れたとやけどねえ」と大家のオバサンが首をひねる。いつもお世話になっている、実に情け深くて頼もしい大家さんには誠に申し訳ないが、さっき「山田」に対して云ったのと同じことをぼくは繰り返した。
 「山田」は相変わらず低姿勢で、「気持ち悪い」を連発しながら、やはりさっきと同じように、「10年前に住んでいた人を調べていてどーのこーの」と云っている。
 人間味豊かな大家さんが、「10年くらい前ていうたら、Hさんという夫婦が入ってましたけどねえ」とつぶやくと、「山田」が、「はあ……そうですか」と、言葉を濁していたのがおかしかった。おめ―はその夫婦を探っていたとゆ―ことにしとるんだろーが!
 「山田」は、自分の名前(「山田」)と法務省公安局の電話番号を書いた紙片をぼくに渡すと、心の広い大家さんと連れだって階段を下りていった。
 また鍵をかけて部屋に閉じこもる。
 だんだん焦ってきた。やばい。このままでは家宅捜索で身体検査で24時間尾行されて当局の厳重な監視下に置かれるかもしれない。うかつに外出すると、突然ラチされたり2キロぐらい向こうからゴルゴ13に狙撃される可能性もある。やばい。とにかくこの書類をどこかへ隠さなければ。
 さっき数枚とったコピーをブルーハーツの『TRAIN-TRAIN』のアルバム・ジャケットの中に隠し、ホンモノの方を折りたたんで、自分の履いている靴下の中に隠し入れた。
 ギター・ケースと大きなバッグを持って、そっとドアを開け、外に出る。と、階段のところに「山田」がいた。
 「そこまでだ」
 とは云われずに「お出かけですか?」と訊かれた。
 「いや、その、自分は音楽をやっていまして、それでそのバンドが今から中洲の方であるんでその」
 自分でも何を云ってるんだかよく分からない。今にも「山田」がニヤリと笑って、「ズボンの裾のそのふくらみを何と説明する?」とか何とか云い出しそうで、冷や汗が出る。
 結局、深く追及されず、「今日は帰りは遅いんですか?」とだけ訊かれた。「ええ、夜中になると思います」と答えた。
 階段を下りて表へ出ると、さっき「山田」と一緒に部屋を訪ねてきた黒っぽい背広の男と、その他に1、2名の公安局職員と思われる男たちが、道端を覗き込むようにして消えた書類を探しているようだった。
 ぼくは素早く自転車に乗って、最初に書類を見てもらった女性市議のところヘ飛ばした。自転車に乗る時、ズボンの裾がめくれて白いものがチラリと見えたりしないかとヒヤヒヤした。自転車で移動すれば、尾行もやりにくいだろう。
 公安当局の鉄壁の監視網を頭脳戦で打ち破り、市議のところへたどり着いた。「これを預かってもらえませんか」と事情を説明すると、「コピーの方はどうしたね?」と市議が訊くので、「あ、レコード・ジャケットの中に隠してきました」と答えた。「バッカねえ」と市議は云った。「ガサ(家宅捜索)の時はそういうとこを真っ先に捜されるとばい」。スパイ映画さながらのぼくの決死の行動にも、ミスがあったようだ。
 市議に文書を預けた後、ぼくは実際に中洲という福岡市の繁華街に出て、路上でギターの弾き語りをした。執筆業だけで食っていけないぼくの、もう一つの「仕事」だ。通行人の投げ銭は、結構な額になるのだ。
 路上ライブを早めに終えて、ぼくは公衆電話から、東京の友人に連絡をとった。公安警察ヘの対応法や法律的なことにある程度詳しい、2つほど年上の相手だ。友人は、「こんなヤバい話は久しぶりだ」と興奮して、いろいろ対策を練ってくれた。「とにかく明日の朝にでも弁護士と連絡を取った方がいい」と彼は云った。
 夜中の1暗過ぎにアパートに戻った。外でキョロキョロと辺りを見回したが、見張られている様子はなかった。もちろん、相手も、ぼくのような素人に見破られるような見張り方はしないだろうが。
 この日はすぐに寝て、翌日の朝、以前から「何かあったらこの弁護士に相談するといい」と聞いていたその事務所へ電話をかけた。
 弁護士は、「他人の住民票を無断で請求すること自体は違法でも何でもないし、家宅捜索なんかも心配するほどのことはないでしょう」というようなことを云った。ぼくは拍子抜けして、フタことミこと言葉を交わした後、電話を切り、また眠ってしまった。

 ノックの音で起こされたのは午後3時過ぎだった。
 「山田」だった。もう一人、昨日とは別の男と2人だった。
 「見つかりませんか?」
 「はあ、まだあんまりよく探したわけじゃないんですが……。ごめんなさい。よく探しときます。そっちでもまだ見つかりませんか」とトボけてみる。
 「こっちも南警察署の方に紛失の届けも出して探してるんですが」と「山田」。ガサもあり得るぞという含みを持たせて云っているのだろうか。
 「山田」らはまもなく階段を下りていった。
 鍵を閉めて、また昨日の興奮が蘇ってきた。そうだ。以前もう一人、弁護士を紹介されていた。今度はそちらの事務所にかけた。「4時半に来てください」と云われた。アパートを出て、辺りを見まわしたが、やはり公安関係者を判別することはできなかった。ぼくは4時半にその弁護士事務所を訪れた。親身になって話を聞いてもらうことはできたが、やはり「そんなに心配するほどのことではない。もっと差し迫った状況なのかと思っていた」と拍子抜けされてしまった。弁護士は、参考までに持参した「日本破壊党」のビラを面白がって読んだ。相談科を5千円も取られた。
 ──なんかアパートにいると、次はいつ「山田」が来るかと、しじゅうビクビクしていなければいけない。早いとこ手を打って、文書を公表してしまった方がいい。
 ぼくはアパートに戻ると、前に何度かぼくの活動を取材してくれたことのある新聞記者に連絡をとった。記者は、「すぐそっちへ向かいます」と返事をした。
 近くのファミリー・レストランで待ち合わせて、取材を受けた。

 今回の公安調査局の調査行為は、おそらくこの文書が発行された7月14日から4日前にあたる7月10日午後に、福岡市内の公園で開かれた集会での「日本破壊党」の行動をきっかけとして起きたものだろうとぼく自身は考えている。その日は、全国各地で起きている朝鮮人学校の生徒ヘのイヤがらせ事件に抗議する集会が、「チマ・チョゴリの子どもたちへの暴力と民族差別を許さない市民の会」主催でおこなわれていたのである。ぼくを含む「日本破壊党」メンバー数名はその集会へ駆けつけ、そこに来ていた市民運動家の一部を批判するビラをまき、主催者側の一人とその場で怒鳴り合いのケンカを演じたのである。たぶん、地元の警察の方は、高校前ビラまきなどですでに「日本破壊党」をチェック済みだったのだろうが、警察とは別組織である公安調査局は、この集会でおそらく初めて「日本破壊党」なるグループの存在を知ったのである。公安調査庁、公安調査局と云えば、破壊防止法の対象団体の監視をおこなう調査機関で、日本共産党、中核派などと並んで朝鮮総連も破防法対象団体とされている。件の集会には朝鮮総連の関係者も参加していたろうし、ということは公安調査局が監視に来ていた可能性も高い。するとそこへ「日本破壊党」を名乗る怪しげなグループが現れてビラをまき、別グループの活動家と口論した様子である。
 既成の運動を批判しつつ既成の運動に入りこんでくる、というのはいかにも新左翼党派が好んで使いそうな行動パターンである。さてはこの「日本破壊党」なる妙な連中は、新しい「過激派」のセクトではないか。これは背後関係を調べてみる必要がある。とりあえずはビラに出ているこの住所からあたってみよう。
 というわけで今回の文書発行という次第になったのではないかとぼくは見ている。他に最近、破防法対象団体が関係していそうな集会の類いには参加した覚えはないし、東京の友人に電話した時に、「さてはついにわが党にも破防法適用か」と云ったら笑い飛ばされた。失敬な。こうみえてもわが党は現在の左翼勢力の最先端をゆく過激派なのに。
 前述したとおり、過激派を自認するぼくは、今さら公安当局にマークされていた事実が発覚したからといって、「ひどいひどい」とカマトトぶって騒ぐつもりはない。ただ、ぼくらに保証されている(という云い方はあまり好きではないが)「表現の自由」(という云い方もあまり好きではないが)というものが、こうした監視の下での「自由」にすぎず、高校時代のぼくが学校批判をくりかえして教師たちから目の敵にされたのとまったく同じように、現状を批判することがイコール社会の管理者たちに敵視され、監視されることになるという、これもぼくなんかにとっては今さら声高に叫ぶほどのことではないのだが、こういった社会のしくみを実に分かりやすい形で教えてくれるこのような文書が公表されることはまずないから、今回の「棚からボタモチ」的なぼくの体験談をこうした形で発表することには意味があると考えている。それに、ふだんぼくらの無断ビラまきや無届集会を「許可をとってからやれ」と邪魔ばかりしてくる警察を含めた公安関係者のドジをあげつらって笑いものにすることは、個人的にも楽しい。
 こんなラッキーなこと滅多にないだろう。この際だから、この文書を公安局に返す時にも、いろいろ策を練って楽しませてもらおうと思ってニヤニヤしている。
 しかしそれにしても今日も福岡は相変わらず暑い。