ぼくたちの「寺山修司展」粉砕全記録

『クイック・ジャパン』創刊号に掲載

 1993年11月3日早朝、われわれ日本破壊党の戦士3名は、「過激派になろう」と題したビラの束を胸に抱いて、福岡市のはずれにある高校前へと進撃を開始した。1時間以上かけてようやく攻撃目標が視界に入る地点まで到達し、ビラまき闘争の妨害を図るであろう反革命教師どもとの熾烈な戦闘の予感に全身を緊張させながら歩みを早めた。
 今日は生徒の姿が意外と少ないな、と思った次の瞬間、気がついた。
 「今日は文化の日だ。学校は休みだ」
 「マジ?」
 「ちょっとカンベンしてよ」
 とおたがいグチの応酬がはじまる。破壊党員はみな、いわゆる「プータロー」だ。曜日や日付の感覚がない。
 われわれの意識が人民大衆のそれから乖離していたことを率直に自己批判したのち、われわれは同地区から速やかにに撤退した。

 ぼくの住居でもある1DKの日本破壊党本部へ戻ってからもグチリ合いは続いた。
 「なんか気がおさまらないなあ」
 「どっか他にビラ配れるとこないの?」
 タウン誌『シティ情報ふくおか』をパラパラとめくって、ここはどうか、と同志Aに提起した。福岡市の中心街・天神にあるイムズビル6階のアート・ギヤラリー「三菱アルティウム」で、「テラヤマ・ワールド」と題したイベントが開催されており、今日がその最終日であるらしいのだ。
 「ここにしよう」
 同志Aはぼくの提案を受け入れた。ちょうど、寺山修司の芸術論をふまえ、「風景を変えよう」と題して以前つくったビラが大量に余っていた。
 「もう今日はビラまきはイヤだ。寝る」などと日和見的な態度で階級的裏切りを決めこんだもうひとりは放っといて、ぼくと同志Aはふたたびビラの束を抱えて拠点をあとにした。

 10時開場と同時になかへ入ると、薄暗い室内にさまざまなオブジェが所狭しと並べられていた。寺山にゆかりのある各方面のアーティストが作品を寄せているのであった。
 しかし、これは違う、とぼくは反射的に感じた。パンフレットには「廃墟のイメージでどーたら」とソレラシイことが書いてあるが、こんな、室内に行儀よく並べられるようなものが寺山的であるはずがない。
 ポツポツと入りはじめる客に、われわれはビラを配りはじめた。抑圧的な室内の雰囲気に負け「どうぞ、読んでください」とボソッと呟きながらというつまらないビラまきになってしまう。
 主催者が「ビラまきを中止してください」と制止しはじめたのは、午後1時ごろのことだった。入口の受付にいたために、連中は3時間ものあいだわれわれのビラまきに気がつかなかったのだ。
 「どうしてですか?」とぼくは訊ねた。
 「規則なんです」と主催者。
 デパートのなかなんだからそれも当然だろう。そんなことはこっちだってわかってやっているのだ。ぼくはさらに訊いた。
 「やめなければ、どうなりますか?」
 事務所の奥からほかの職員も2、3人出てくる。やがてイムズビル自体の責任者だとか、警備員だとかもゾロゾロやってくる。
 「やめなければ警察を呼びますよ」
 「べつにそれでも構いませんが、過激な表現で何度も警察沙汰を起こした寺山修司にからんだイベントをやってる人聞が、警察を呼ぶぞと言うのもおかしな話です」
 ――こんなやりとりを、数十人の客たちは遠まきに見ているか、あるいはなにも起きていないかのように反寺山的な作品展示に見入っている。誰ひとりとして、このやりとりに介入してこようとはしない。
 やがて2名の制服警官が現われて、事情を聴くから来るように、とわれわれを促した。
 「みなさん。主催者側のこの反寺山的な対応をなんとも思いませんか? あ、それともみんな、寺山は嫌いなのかな」
 とかなんとか挑発してみたが客からはなんの反応もない。われわれは警官に連れられて警備員室で住所と名前を訊かれ、次に同じことをやったら不退去罪て逮捕もありうる、と言われて従業員用の通用口から外に出された。

 「さてどうしたものか」
 「新聞社でも回ってみるか」
 しかし、顔見知りの記者と連絡がつかない。
 「よし。こうなったら逮捕覚悟で再突入するか」
 「異議ナシ」
 というわけて閉店まぎわの午後7時過ぎ、われわれはふたたび福岡イムズ・ビルヘと進撃、職員のいない出口から会場内へ突入した。
 「こんばんはー、日本破壊党でーす!」
 「われわれは今日の午前中に――」
 昼間の出来事を大声で解説しながらビラまきをはじめた。また、主催者が出てくる。
 「何度言ったらわかるんですか。ビラまきをやめてください」
 なぜ違法な表現をくりかえした寺山についてのイベントで違法なビラまきをやっちゃいけないのか、と問うても、
 「ビラまきをやめてください」の―点張り。「まるでオウムと喋ってるみたいだ」と皮肉を言っても、「ビラまきをやめてください」。
 すると横から若い女の客が割りこんでくる。すわ、味方か!?
 「せっかく寺山の作品にハマって見ているのにビラまきで騒がれると迷惑です」
 敵だった。まったく。寺山が死んで死人に口ナシだからといって勝手なことを言いやがって。表現の受け手という立場に自己限定して「ハマる」なんて態度を寺山が見たらなんと言うか。だいたい今回のイベントにもっとも寺山的な「作品」を出品しているのは、われわれ日本破壊党なのだ。そんなこともわからない愚劣な大衆が口を出すなバカ。
 「寺山が反社会的な表現をおこなったときにも、それを制止する人間はいたはずです」などと主催者がとんでもないトンチンカンを言い出した。これでは自分たちは寺山側の人間ではなく、寺山の表現に敵対する側の人間だと自分で認めたようなものではないか。
 「いいですか。また警察を呼びますよ。遼捕されたら前科つきますよ。それでもいいんですね」
 主催者は続けて卑劣な恫喝をかけてきたが、思想的に訓練されたわれわれ日本破壊党の戦士にそんな脅しは通用しない。われわれは勇猛果敢な革命家であるからして、実刑がつかない程度になら平然とブルジョア法を踏みにじる覚悟と用意がある。
 「呼びたければ呼ぶがよい」
 しかし、連中は警察を呼ぼなかった。どうやら、再突入直前に連絡のとれた新聞記者が、すでに主催者側に取材に入っていたらしいのだ。警察沙汰の不祥事を恐れているのは、われわれであるよりもむしろ向こう側だった。
 結局、主催者は、静かに配るなら構わないと妥協してきた。逮捕されるつもりで景気づけにほか弁でいつもは買わない天丼とステーキ丼を食った上でやってきていたわれわれは拍子抜けする以外になかった。われわれは撤退を決めた。
 「寺山は、観客が表現に参加する主体へと生まれ変わることを望んでいました。あなた方はまだ観客です」
 そう愚民どもに言い残して。
 あーあ。いいチャンス逃がした。「初逮捕は寺山修司展」なんて自慢になったのになあ。