89年度高部連総会批判 89年12月末ごろ執筆

『ハイスクール「不良品」宣言』および『見えない銃』に収録

 先号(DPクラブの機関誌の前号のこと)に引きつづき、ぼくのDPクラブ方針変革構想を提示する。
 今回は、ぼく自身の最前線の思想を展開するので、もしかすると少し難しい話になるかもしれない。
 (89年)十二月十六日(土)、ぼくはこの会報でもおなじみの築城町の渡辺つむぎちゃん(当時DPクラブに出入りしていた高校生活動家)に声をかけられて、福岡県田川市で開催された福岡県高等学校部落解放研究連絡協議会(高部連)総会に参加した。
 高部達総会は、福岡県内の各高校の部落研の生徒数百人が集まり、活動報告その他を行なうものである。
 部落解放運動は、大きくほぼ二つ、つまり共産党系の全国部落解放運動連絡会(全解達)と社会党・部落解放同盟(解同)に分かれている。高校生の部落研運動も、おとなの運動に二つの流れがあることに決して無縁ではなく、その部落研の顧問の思想によってどちらかに属している。今年も共産党系の全国高校生部落問題研究集会というのが十一月三、四、五日に山口県徳山市で開かれ、ぼくも様子を見に行った。今回田川市で開かれたのは、共産党系の運動とは決定的に対立している解放同盟系の高校生の集会である。
 この二つを比較すれば、共産党系のほうが、お話にならないくらいブザマなものであり、その報告もまた近いうちにするつもりである。
 しかし、今回はその共産党系の話を持ち出してもDPクラブのこれからにとって何の糧にもならないので、田川市での高部連総会について、多少、批判的に検討してみたい(どーでもいいが、このごろ敵が増えて困っちゃってるんだよな。共産党のオッサンは先々号から会報の印刷させてくれなくなったし……。これだからおとなは嫌いだ)。
 誤解を恐れずに、今回の集会に参加しての感想を一言でいうならば、「古い!」ということである。もう一言付け加えるならば、「雰囲気に入っていけない」ということである。
 つむぎちゃんはこの集会で「特別活動報告」として十分か十五分くらい、前に出て話をしたのだが、正直なところその話にぼくは感動した。
 しかし、集会全体として見た時に、何か違う、ぼくの求めているものはこんなものではないんだ、と感じた。違和感を覚えた(すベての人間をさまざまな差別・人権侵害から解放するための運動の集会で「違和感」を覚えさせるということ自体がすでに矛盾している)。
 では、ぼくが感じたものは何だったのか。
 思いつくままあげてみれば、まず一つ目、発言者一人ひとりの発言内容についてである。「型」があるのだ。 一人ひとりが使用する言い回し、論理構成、それらがみなものの見事に似通っているのだ。一人ひとりに別々のクセがあるのはちっとも不思議ではないと思う(ぼくの言い回し、論理構成にもクセがあると思う)。しかし、全員が似通ったクセを持っているのは不気味だ。解放運動の「規格品」ができているような気がする(到達点は同じでもいい。過程の酷似がこわい)。
 それから、彼らには、自らを笑う、とうセンスがないのではないかと感じられたことだ。言うならばパロディ精神、「遊びの精神」の欠如ということだろうか。余裕が感じられないのだ。マジメすぎるのだ。――こういう言い方をすると、自分たちは深刻な差別や人権侵害に立ち向かっているのに「余裕」とか「遊び」とか、そんなものができるか、と怒られるかもしれない。でも、ぼくは、そういった深刻な問題に立ち向かっているからこそ、どこかに余裕が必要なんだと思う。
 自らを笑うセンス、というのは、あらゆる権威を否定することにもつながってくると思う。自分たちのやっていることに対して抱いている疑問(これがない奴はサイテーの活動家だ)を突いて、自分らの権威をも否定してしまうこと、これが自らを笑うセンスだと思う。手前味唯で恐縮だが、前号の拙出から引例する。前号掲載の「組織化報告その1」でぼくは「学校変革のエリート集団」という表現を使用した。こういう言い方は差別的だと思う。しかしぼくは、もしかするとオレはものすごいエリート意識を持って活動しているんじゃないだろうか、という疑念が湧いて、それを自戒する意味を込めて、あえて自分たちを「エリート集団」という言葉で呼んだ。
 他にも例えば、DPクラブは正しいことを主張している団体だと思うが、しかしそれは多くの中高生の目には今のところ「アブない団体」に映っているだろう。それを逆手にとって自らを笑うことだってできるはずだ。
 また、自らを笑うセンスというのは、時には不謹慎なジョークになることもあるだろう。不謹慎なジョークを受け入れる余裕が、高部連総会に参加した高校生にはあるのだろうか。たとえば死刑廃止を喜劇で訴えるのならば、そこにはたぶん、死刑囚が聞いたらゾッとするようなジョークが必然的に出てくるだろう。
 今回の高部連総会の参加者に、「いつも一方的に差別落書ばかりされていてはたまらないと思うので、運動の一環として、『被差別部落民以外はみんな差別者だ!』といった『逆差別落書き』の推進をしてはいかがでしょうか?」とジョークで提案したら、彼らは本気で単純に激怒しそうな気がする。DPクラブのスペースの壁には、「日の丸」や天皇の写真、「君が代」の楽譜、ぼくが記入した自衛隊入隊志願書などがただ単に貼ってあるのだが、彼らはこういう「遊び」を理解してくれるのだろうか? (ジョークのレベルが低いことを自己批判します。――97年の筆者)
 DPクラブという組織は、自らを笑う精神、活動の中の「余裕」、そういったものを持っていなければならない。
 昨晩、つむぎちゃんとTELで話をしたのだが、最近、種々の事情でぼくは彼女に嫌われているので、どうしてぼくを拒絶するのかときいてみたところ、彼女は、
 「外山くんは、壊そうとしている」
 とつぶやいた。そこで、
 「ぼくが何を壊そうとしていると言うの?」
 ときいてみると、彼女は、
 「運動を」
 と答えた。だからぼくは少し悲しくなった。
 彼女は、「運動」を守っている。部落の人たちの「人権」を守るとか、自分らの「人間性」を守るとか言うならわかるが、「運動」を守るというのは本末転倒だ。だからぼくは悲しくなったのだ。
 これはいったい、どういうことなのか?
 ぼくは、彼女が過去に目を向けているからだと思う。自分たちの積み上げてきた、築き上げてきた運動の成果に目を向けて、それを守ろうとし、それを批判する者を受け入れないようになっているのではないかと思う。だいたい、ぼくみたいな若僧がうろちょろしたくらいで壊れるような脆い運動ならば、いっそのこと今すぐにでもつぶしてしまえばいいんだ。
 ある行為が実って、説得力を持ち得たならば、次の瞬間には別の場所に移っているべきだと思う。
 今回参加した高部連総会にも、それがなかったと思う。すでに過去のある時点で説得力を持ち得て成果をあげた、過去「新しかった」やり方にいつまでも目を向けて、それに依拠し、未来ヘの模索をしていないから、運動が硬直し、古くさくなって、ぼくのような「ナウなヤング」(こーゆーダサいタイトルの本が岩波から出てるぞ。関係ないけど。面白いらしい)を惹きつけられないのだ(でも共産党系のやつはもっとすごいぞ。五十年代に依拠しているからな)。「『運動を破壊する』者を排除する」というのは悪い考え方であって、こういう考え方こそ排除されなくてはならない。運動を防衛すると、組織優先の感覚になって、これが七十年代学生運動末期のようなセクト主義を生み出すのだ。ぼくも好きな女の子に自分のあやまちを指摘されたりするとよく守りの姿勢に入ってしまうが、何の問題でも守りに入るのは好ましくないことだ。
 組織としてのDPクラブは、過去にしがみつくようなマネはすべきではないし、ムリをして運動を守ろうとすべきではない。DPクラブの活動を妨害する者がいつか出てくるかもしれないが、それでつぶれるような脆い運動をする側にも責任があるのだ。このことを忘れない組織でありたい。
 最近、秋好のじじい(外山の師匠。92年、喘息発作のため35歳で急死)に『ぼくの高校退学宣言』を批判された(「批判」というわけでもないのだが、『退学宣言』ヘの絶対的自信を崩壊させられた)。『退学宣言』発売後、ぼくに手紙をくれた人は約二百人で、そのうちほとんどが賛同・激励・ファンレター・ラブレター(はなかったけど)に類するもので、批判の手紙はたったの二通だった。その二通も、まったく相手にするのもバカバカしい論理性のカケラもないような(そして共通していわゆる「一流」高校の「エリート」なんだわ)くだらない内容だった(けど相手にしたんだ、えらいでしょ?)。だから、ぼくは初めて、納得のいく『退学宣言』批判を受けたことになる。
 秋好は『退学宣言』について、
 「理屈だけで説得力を持たせるだけの力量が君になかったから、個人的な体験を語ることによって説得力を持たせている」
 と評した(秋好は、それが悪いことだと言っているわけではない)。
 じっさい言われてみればそのとおりなのだ。「今の学校はおかしいんだ」という主張を理論だけでは説明できずに、ぼくの個人的体験としてこういうことがありたんだ、な、今の学校おかしいだろ? という説得力の持たせ方をしている。
 これは何も、個人的体験を語ることを否定しているわけではない。理論ははじめから存在しているわけではないのだ。最初は抽象的な理屈としてではなく、具体的な現象・感情として問題を認識するところから始まる。これは、近代中国のケザワヒガシ(仮名)という革命家も主著などで、「認識は低い段階では感性的なものとしてあらわれ、高い段階では論理的なものとしてあらわれる」と言っている。
 だから、ぼくが「管理教育の悪」をぼくの個人的な体験に基づいて認識し、それを『退学宣言』に結実させたのは言わば当然のことであって、それなりの意義はある。
 しかし、『退学宣言』がある程度の説得力を持ったからといって、ぼくはいつまでもそこにしがみつき、それを守っていてはいけないのだ。毛沢――いやいやケザワヒガシの言葉を使えばさらに「高い段階」の説得力を持つように、階段を一つ登らなくてはならないのだ。
 つまり、理念だけで説得力を持ったものを提示しなければならない。
 長い年月を経ても説得力を持ち続けている文章、例えば、部落解放運動では「水平社宣言」(一八二二年三月三日)、社会主義運動ではマルクス、エンゲルスの「共産党宣言」(一八四八年三月十八日)などは、多くの人びとのそれぞれの個人的な体験を基盤とし、それに立脚しながら、それらに一言も言及してない。純粋な理念だけで説得力を持ち得ているのだ。
 ぼくは、これからそういったものに挑戦しなければならないと考えている。
 そしてもしそれに成功したならば、また新しい位置へと移動を開始しなければならない。ある行為が説得力を持ち得た次の瞬間には別の場所へ移っていなければならない。もちろん、その次の段階とは何かということは、そこへたどりついてからでなければわからないが、ぼくは死ぬまでにできるだけ遠くへ行きたいと思う。
 ぼくは今までにたくさんの中高生の運動の「現在」を見てきた。青生舎をはじめ、京都の「春討」、鹿児島の高校生集会、共産党系の部落研集会、今回の高部連総会、名古屋の高校生活動研究会、岡崎の高校生連絡会議、山口のストップ・ザ原発ティーンエイジャーネットワーク、高校生新聞編集会譲、などなど(あ、それからキンコンカンクラブもね)。そして、中高生運動の「最前線」を行く集団が、ぼくの知る限りでは今、二つある。
 DPクラブと高校生会議である。
 両者の問題意識や運動の方法、方向には若干の違いがあるけども、どちらも古いものを捨て(乗り越え)、つねに前を向いている。
 これからも前進を続けよう。