日本フォーク&ニューミュージック史講義の実況中継04

革命家養成塾・黒色クートベにおける講義用ノートより
YouTube動画へのリンクは切れているようなので、自分で探すよーに!
もともと2006年に作成したノートなので、古い情報も含まれる


   4.井上陽水

 陽水については、リアルタイムで聴いていたわけではないぼくなんかより、陽水の聴きすぎで難聴になったとまで云っている竹田青嗣の『陽水の快楽』などを読む方がいいでしょうから、ここではとにかく代表的な曲をざっと聴いていくだけにします。

 まずは陽水のデビュー曲です。
 正確には69年に、アンドレ・カンドレという名前で出した「カンドレ・マンドレ」という曲がデビュー曲なんですが、まったく売れていませんし、あんまり重要というわけでもありませんから、改名して井上陽水として再デビューする72年3月の「人生が二度あれば」という曲をまず聴いてもらいます。

  「人生が二度あれば」
   

 このシングルのB面は「断絶」で、まもなく発売されるファースト・アルバムのタイトル曲でもあります。

  「断絶」
   

 この72年5月のファースト・アルバム『断絶』の中には、さっき聴いてもらった「傘がない」も収録されています。
 同じ72年12月に発売されたセカンド・アルバム『陽水II・センチメンタル』収録の曲をいくつか聴いてみましょう。
 まずは「東へ西へ」。頭がおかしいとしか思えない歌いだしの歌詞がすごいです。

  「東へ西へ」
   

 セカンド・アルバムに収録されている中に、ぼくのストリート・ミュージシャンとしての経験上、やると非常に喜ばれるものが1曲あります。つまりファン好みの曲ということですね。「能古島の片想い」。能古島は博多湾に浮かぶ島なんですが、みなさんまあ福岡で学んでいるわけだし、一種のご当地ソングとして、せっかくだから覚えておきましょう。

  「能古島の片想い」
   

 次は誰でも知ってる曲です。73年3月発売のシングル「夢の中へ」。陽水の最初のヒット曲です。歌詞の中で云う「探し物」とは大麻のことであるというのが、なんか定説のようになっていて、ぼくもそれが本当かどうかよく知らないまま、まあ「定説」なんで「そういうものか」と深く考えずに受け入れていたんですが、ある時やっと分かりました。これ、つまり家宅捜索の歌なんですね。「大麻を探している」のは、陽水じゃなくて刑事さんたちだったんです。何度も聴いたことのある歌でしょうが、今回はそのつもりで改めて聴いてみてください。とんでもないです。
 ちなみに陽水は77年に大麻で逮捕されています。

  「夢の中へ」
   

 2つ目のヒット曲が同じ73年9月の「心もよう」。

  「心もよう」
   

 このシングルのB面が、「帰れない二人」という曲で、これはRCサクセションの忌野清志郎との共作です。作詞が清志郎、作曲が陽水。もちろん当時、RCサクセションはまだほとんど売れていません。

  「帰れない二人」
   ※だいぶ後の時期の、忌野清志郎との共演映像。
   

 そして73年12月、アルバム『氷の世界』が出ます。これは日本で最初のミリオン・セラーです。当時アルバムが100万枚も売れるというのは、まったく考えられないほどの大事件です。
 まずタイトル曲の「氷の世界」を聴きます。これもさっきの「東へ西へ」と並び称される、頭のおかしい歌詞がすごい曲です。

  「氷の世界」
   

 アルバム『氷の世界』には、他に有名な曲が2つあります。
 「白い一日」と「小春おばさん」です。「白い一日」は、小椋佳が作詞しています。「小春おばさん」の方を聴いてみましょう。

  「小春おばさん」
   

 74年にはシングル「闇夜の国から」、「夕立」、アルバム『二色の独楽』が出ています。このアルバムには「なんにもないけど水でもどうです?」なんて歌ってる「御免」とか、「ロンドン急行」という曲の「口笛の出ない音のため汽笛を鳴らしておくれ」とか、やっぱりどこか狂ってるとしか思えない曲が入っています。あんまり律義に全部聴いていくと時間がなくなってしまいますので、アルバム収録曲で、「夕立」のB面でもある「ゼンマイじかけのカブト虫」という曲を聴きます。ぼくにはまったく意味不明の曲ですが、竹田青嗣がこの曲についていろいろ書いているので、読んでみるといいでしょう。たしか「青年期のロマン主義が挫折するさまを云々」と評していたような気がします。

  「ゼンマイじかけのカブト虫」
   

 ここから先は、特に重要な曲だけおさえていきましょう。
 拓郎らとともに設立したフォーライフ・レコードからの第1弾シングル、75年の「青空、ひとりきり」なんかも、「傘がない」と共に、さっきまとめて扱った「後退戦としてのフォーク」というテーマで聴くことのできる曲でしょう。

  「青空、ひとりきり」
   

 さっき陽水は77年に大麻で捕まったと云いましたが、ちょうどそのあたりを境にして、シングル、アルバムとも売り上げ的にはパッとしない時期が続きます。オリコンのチャートでも100位にすら入れなかったり、1万枚も売れないという状態です。この不振は、たぶん捕まったこととはあんまり関係ないと思います。

 次のヒット曲は81年の「ジェラシー」で、この後さらにたくさんのヒット曲を出しますが、ここから先は今日のテーマであるフォーク、ニューミュージックの歴史を学習するという意味ではあまり重要ではありませんから、参考までに何曲か聴いておく程度にします。
 データとして挙げると、82年の「リバーサイド・ホテル」、84年の「いっそセレナーデ」、86年の安全地帯との「夏の終わりのハーモニー」、89年の「最後のニュース」、90年の「少年時代」、93年の「Make-up Shadow」、97年の奥田民生との「ありがとう」などが80年代以降の代表的なヒット曲です。他に高木澪「ダンスはうまく踊れない」、沢田研二「背中まで45分」、中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」なんかが、陽水が他人に提供してヒットした曲です。作詞のみでは、安全地帯の「ワインレッドの心」や「恋の予感」、Puffy「アジアの純真」、「渚にまつわるエトセトラ」などもあります。
 では「リバーサイド・ホテル」、「いっそセレナーデ」、「少年時代」の3曲を聴いて、陽水についての学習を終わります。

  「リバーサイド・ホテル」
   

  「いっそセレナーデ」
   

  「少年時代」