日本フォーク&ニューミュージック史講義の実況中継03

革命家養成塾・黒色クートベにおける講義用ノートより
YouTube動画へのリンクは切れているようなので、自分で探すよーに!
もともと2006年に作成したノートなので、古い情報も含まれる


  3.後退戦としてのフォーク

 70年代前半というのは、全共闘的な学生運動の後退期にあたります。
 東大安田講堂の陥落がすでに69年1月のことです。もちろん安田講堂で全共闘が終わったわけではありません。東大闘争よりむしろ重要な日大闘争のバリケードは2月まで続きますし、5月にはいわゆる「神田カルチェラタン闘争」があります。京大闘争の有名な「最後の時計台放送」は9月のこと。さらに10・21国際反戦デーの新宿騒乱事件もあります。が、しかし全共闘運動に勢いがあるのはせいぜい69年いっぱいくらいです。前後しますが69年9月の全国全共闘結成は、むしろ後退の始まりだったことは別の回で勉強したとおりです。全共闘時代の終わりをはっきりと印象づけもした「よど号」事件が70年3月に起きていますし、ぼくがこの時期の最重要事件、全共闘が単に敗北するだけでなく、腐敗・堕落の方向へ転じたターニング・ポイントであると繰り返し強調している「華青闘告発」事件が70年7月7日ですね。また、死者の出るような本格的な内ゲバ事件が起こり始めるのも70年からです。70年代前半は、70年という年も含めて、全共闘的なものの後退期です。「70年安保」などという言葉に引っかかってはいけません。
 もちろん表層的な盛り上がりはまだ続いています。何千何万という規模の集会やデモもあります。こういう「政治の季節」が、誰の目にも明らかな形で終焉するのは、72年はじめの連合赤軍事件を経たあたりからです。
 今日のテーマとの関連で云えば、60年代後半から71年あたりまでの「政治の季節」に対応するのが、反戦フォークの時代、象徴的には岡林時代ということになります。そして、この「政治の季節」がはっきりと終わってしまった、後退期であることが、ごまかしきれないぐらいの現実として認識される71年に拓郎時代が始まったわけです。
 71年から、だいたい70年代半ばあたりに登場するフォーク、初期「ニュー・ミュージック」には、自分たちが後退期に生きているという認識が、はっきりと刻印されています。
 ここではその、「後退戦としてのフォーク」をテーマとして、代表的な作品を実際に聴いていきましょう。

 まず最初にもう1曲、吉田拓郎の曲を聴きます。
 さっき聴いた中の何曲かにも、自らが後退期を生き始めているという自覚が読みとれるものが含まれていたことに、勘のいい人は気づいていたと思います。「我が良き友よ」では、熱く語り明かしたりした学生時代が、過ぎ去った古き良き時代としてノスタルジックに歌われていました。直接にそういうことを歌っているわけではありませんが、「夏休み」のようなノスタルジックな雰囲気を持った作品が多いことも、後退期にあることと無関係ではないと思います。「我が良き友よ」は75年の曲ですが、そもそも71年のデビュー曲「イメージの詩」の、「戦い続ける人の心を誰もが分かってるなら戦い続ける人の心はあんなには燃えないだろう」というフレーズの背後にも、「戦い続ける人」が少数派に転じつつある現実があります。
 ここでは、もっとはっきりと後退期の認識をテーマとしている72年の、その名も「祭りのあと」という曲を聴きます。

  吉田拓郎「祭りのあと」
   

 拓郎と来たら次は陽水。
 陽水の初期のヒット曲、「傘がない」は、後退期の認識を歌った典型的な曲です。
 まずは聴いてみましょう。

  井上陽水「傘がない」
   

 分かりますね。「我が国の将来の問題」といった、云わば大文字の社会問題よりも、今の自分には恋人に会いに行くのに傘がないといったような個人的な、恋愛とか生活にまつわるあれこれの方が切実な問題だと云い切っているわけです。
 この歌は、闘争に疲れて個人の生活に回帰していく同時代の若者たちの圧倒的支持を得ます。
 一見、開き直っているかのようですが、そう単純でもなくて、やはりそこにはいくばくかの後ろめたさのような感じも漂っています。
 「傘がない」も、拓郎の「祭りのあと」と同じ72年の曲です。
 71年の遠藤賢司、「カレーライス」という曲も、「傘がない」とほぼ同じテーマを歌っています。

  遠藤賢司「カレーライス」
   

 恋人が台所でカレーライスを作っている、自分はその側でギターを弾いたり寝転んでテレビを見たりしている、そんな恋人と猫とで静かな同棲生活。ニュースで三島事件が報じられたのが、もはや遠い世界の出来事のように感じられる、そんな内容の歌です。
 70年代前半のフォーク、ニューミュージックの代表的なヒット曲の一つであるガロの「学生街の喫茶店」も、明らかにこの系統の作品です。そういうつもりで聴けばよく分かるはずです。73年の曲です。

  ガロ「学生街の喫茶店」
   

 かのユーミンにもそういう曲はあります。松任谷由実、当時は荒井由実ですが、バンバンというグループの「いちご白書をもう一度」は彼女の作詞・作曲です。
 「いちご白書」というのは、まあ知ってると思いますが、アメリカの60年代の学生運動を描いた青春映画ですね。
 「いちご白書をもう一度」は、誰でも知ってる有名な曲ですが、こういう背景をふまえた上で、一応、聴いておきましょう。75年の作品で、拓郎がかまやつひろしに提供した「我が良き友よ」と同じ年ですね。

  バンバン「いちご白書をもう一度」
   

 ここまで露骨ではありませんが、ユーミン自身が歌ってヒットした曲にも、この文脈で聴くことのできるものはいくつかあります。例としてやはり75年の「卒業写真」を聴いておきます。

  荒井由実「卒業写真」
   

 浜田省吾は今ではロック系に分類した方がいいんでしょうが、さっきも話したように元々は拓郎の「広島フォーク村」から出てきた、フォーク系のミュージシャンです。フォーク・バンド「愛奴」のボーカルとして75年にデビューするんですが、76年のソロ・デビュー・シングル「路地裏の少年」を聴いてみましょう。

  浜田省吾「路地裏の少年」
   

 それぞれがそれぞれの立場、感性で過ぎ去ってしまった季節を歌っていることが分かると思いますが、ここで真打ちに登場してもらいましょう。
 もちろん中島みゆき大先生です。
 中島みゆきには、70年代のものに限らず、学生運動の敗北という経験を色濃く反映した作品がいくつもあり、それらは別の回に徹底的に聴いてもらうことになりますから、ここでは1曲だけにしておきます。同じテーマを扱っていても、中島みゆきの作品はこれまでに聴いてもらった他のミュージシャンのそれをはるかに凌駕する、群を抜いた水準にありますから、70年代半ばまでのフォーク、ニューミュージック全体に反映された時代性というここでのテーマがボケてしまう危険がありますが、仕方ありません。
 聴いてもらうのは、77年の「まつりばやし」という曲です。あえて云うまでもないことですが、「まつりばやし」という言葉は、学生運動の高揚を象徴的に云ったものです。そのつもりでじっくりと聴いてみてください。

  中島みゆき「まつりばやし」
   

 これまでに聴いてもらった曲は、後退期の中で挫折して、それを内面の傷としながら生活へと回帰していく、云わば大多数の大衆活動家の側に立ったものですが、もちろん闘争を持続しようという、一部過激派とも云うべき人々も存在します。
 狭義の政治運動の世界でも、大多数の大衆活動家が波が引くように姿を消していくのを横目に、赤軍派や反日武装戦線が突出していくように、70年代初頭、両極分解が起きるわけですが、文化運動の世界も同じです。特にそもそもが同時代の中でも先鋭的な部分が結集している演劇シーンは、シーン全体が過激に突出していきます。
 音楽シーンでは、むしろフォークよりロック系にそういう動きが目立って、その最たるものが頭脳警察というバンドです。頭脳警察についてはもちろん、日本ロック史でもっと詳しくやりますが、70年代前半の、後退期において生活回帰を指向する大多数と突出する少数派、というテーマを浮き彫りにするために、1曲だけ聴いておきましょう。
 72年の「銃を取れ!」です。

  頭脳警察「銃を取れ!」
   
※たぶん90年頃の再結成時の映像。途中から別の曲になります。
   

 RCサクセションは後にロックに転向しますが、70年のデビュー当時はフォーク・グループでした。そして、ほとんど売れていません。たぶん知名度としては、当時は頭脳警察以下だったと思われます。ですから、陽水・拓郎などと比較すれば、圧倒的にマイナーな動きです。
 72年の「言論の自由」という曲を聴いてもらいましょう。

  RCサクセション「言論の自由」
   ※88年の映像。
   

 狭い意味でのフォークとしては、泉谷しげるがいます。
 泉谷は、先に話したとおり75年、拓郎、陽水、小室等らとともにフォーライフ・レコードを設立したぐらいですから、存在としてはメジャーですが、作風はかなりコアです。
 72年に「春夏秋冬」がヒットしていますが、ここでは同じ72年の「黒いカバン」という、存在だけは有名な曲を聴いてみます。

  泉谷しげる「黒いカバン」
   

 70年代初頭に出てきたコアでマニアックなフォーク・ミュージシャンには他に友部正人、三上寛、南正人などがいますが、ここでは最後にその中から三上寛を聴いてみましょう。
 三上寛も71年、最後の全日本フォーク・ジャンボリーの頃から注目され始めた人です。せっかくですから2曲ほど聴いてもらいますが、まずは72年の「誰を恨めばいいのでございましょうか」。かなり強烈な歌です。内容もさることながら、歌いっぷりが強烈です。

  三上寛「誰を恨めばいいのでございましょうか」
   

 次にこの人の歌をライブ版で。さきほど話した71年のフォーク・ジャンボリーでのものです。「夢は夜ひらく」という曲ですが、これは藤圭子の大ヒット曲「圭子の夢は夜ひらく」の替え歌です。藤圭子は宇多田ヒカルのお母さんですね。60年代末から70年代初頭にかけて、独特の暗い演歌で活躍した人で、この藤圭子の原曲も素晴らしい名曲です。

  三上寛「夢は夜ひらく」
   ※講義ではライブ・バージョンを聴いてもらったが、ネット上に見当たらないのでスタジオ録音版で。
   

 ここで休憩を挟んで、次は拓郎と並ぶ70年代フォークの大御所・井上陽水をざっと勉強します。