史上最悪のネット・ストーカー「F」

2010年2月5日 執筆

 「ストーカー」という言葉が嫌いだ。
 片想いのままこじれる場合であれ、いったん交際していたものが破綻して別れ話がもつれる場合であれ、恋愛にまつわる諸々は、誰もが恋愛に関しては最大級に真剣になってしまうものであるがゆえに、往々にしてこじれがちで、ややこしい深刻な事態に発展してしまうことも別に珍しくはない。
 珍しくないからこそ、そのテの話は「痴話」だの「痴情のもつれ」だの「犬も食わぬ」だのと侮蔑や揶揄の対象ですらあったのだ。
 それが「ストーカー」という言葉が定着するや、まるで常軌を逸した非道な犯罪であるかに認識され、社会悪のように扱われるようになった。
 そのことが特に世の男性に一種の恋愛恐怖を蔓延させ、「二次元サイコー」的な逃避の病を広げているのだから、政府は責任をとって打倒されるべきだ。

 もっとも、「ストーカー」という言葉はもともと現在のような意味で使われてはいなかったと私は記憶している。
 当初「ストーカー」という言葉は、芸能人やスポーツ選手などの有名人へのファン心理が嵩じて、異常な振る舞いに及ぶ人々を指す言葉だった。人気歌手などの元に「コンサートで私の方ばかり見るのはやめてください」みたいな“ファンレター”がたびたび舞い込むとか、自宅のドアノブにいつのまにかプレゼントみたいなものがぶら下げてあるとか、あるいは実際に強引に個別で会おうと押し掛けてくるとか、「なんかよく分からないけど、怖いんですよ」といった類の話は前々からあって、そういう“異常なファン”のことを「ストーカー」と呼んでいた。極端かつ最も有名なケースとしてジョン・レノンを射殺したマーク・チャップマンの例があるし、人気作家が“異常なファン”に監禁される恐怖体験を描いたフィクション『ミザリー』(スティーヴン・キングが87年に発表し、90年に映画化され、“異常なファン”を演じた女優がアカデミー賞を受賞)もそういう本来の意味での「ストーカー」をテーマとしていた。
 本来の意味での「ストーカー」問題の著しい特徴は、被害者と加害者の関係が著しく非対称的であることだった。被害に遭うのは不特定多数の人間の視線に自らの姿をさらしている者で、加害者である“異常なファン”は当然、被害者のことをよく知っているわけだが、被害者は加害者のことをまったく知らない(自分を見つめる“不特定多数”の中の一人にすぎない)。したがって「ストーカー」という言葉にはもともと、マス・コミュニケーション社会の病理、というニュアンスがあり、逆に現代社会に特有の現象であるからこそ、そのような「新しい言葉」が必要とされたのだとも云える。
 つまりもともと「ストーカー」というのは、「有名税」などと同じく、無名の一般庶民の生活とは縁遠い言葉だったのである。

 「不特定多数の人間の視線に自らの姿をさらしている者」は何も芸能人やスポーツ選手だけに限らない。『ミザリー』で描かれるように、作家もそうだし、政治家もそうだろう。また、その者が本当に「有名」であるかどうかというのも本質的には関係ない。「不特定多数の人間の視線に自らの姿をさらし」た結果、注目を浴びる者もいれば黙殺される者もいる。本質的なことは、そのことで有名になるかどうかにかかわらず、「不特定多数の人間の視線に自らの姿をさらし」た結果として、その「不特定多数」であったはずの中から「特定の個人」が一方的に立ち現れてきて、自らに対する理不尽な行動を継続的に展開しはじめるということである。
 だからおそらく一般的にはあまり知られていないネット・アイドルやローカル・タレント、あるいはまったくアマチュアのミュージシャンや劇団員などにもストーカーがつく(まさしく“憑く”感じである)ことはいくらでもあろうし、そういう者を「ストーカー」と呼ぶのは言葉の用法として正しい。

 政治活動家にも、ストーカーはつく。
 政治活動家も「不特定多数の人間」に向けて自らの主張を発し、その姿を公にさらしている。とくに左右両極の政治運動は、そもそもあまり「フツーじゃない」者に偏ってそのメッセージが伝わっていきやすい。そういうものが下火になった80年代半ば以降はとくにそうだろう。新著『ポスト学生運動史』の中でも、中川文人氏が、“敵の首領”松尾眞氏の「おれが全学連委員長をやっていた時は、全国から問題意識のある奴が結集してきた。が、最近は問題のある奴しか寄ってこない」という述懐を紹介している。当然、ストーカー体質の人間もたくさん引き寄せてしまう。鈴木邦男氏の文章でもそんな例はたくさん紹介されていたし、「政治活動家」とはちょっと違うかもしれないが浅羽通明氏も時々そういう話を書いている。
 当然、私にもよくストーカーがつく。これを読んでいる大半の諸君は07年の都知事選で初めて私を知ったのだろうと思うが、私はそれまでにも何度か(18歳の時から!)プチ・ブレイクしているので、一般の政治活動家よりもずっと多くそういう体験を重ねている。
 多いのは、最初やたらと熱狂して近づいてきて、何かのきっかけで(たいていそいつが勝手に思い描いていた私のイメージとズレるような振る舞いを私がした時だ)突然、「裏切られた!!」と感じ、だったらただ離れていけばいいものを、今度は執拗に私に対するさまざまの攻撃を仕掛け始めるタイプだ。あるいは、これも最近やたら多いし今も1人いるのだが、交流会やらイベントやらで、誰でも私と直接に話をする機会はいくらでも設けており、しかもその情報も公開しているというのに、自分だけは特別扱いされるべきだと思っているのか、個別の面談をしつこく要求してくるタイプ。
 もちろんたいていの場合は、長くても半年、多くは3ヶ月ぐらいで収まるから、私も「また来たよ」とうんざりしつつテキトーにあしらってやり過ごすのだが、稀にとんでもないのがいる。
 中でもとくにとんでもないのが、これから詳細に説明する「F」のケースである。なにしろこいつは、もうかれこれ10年以上、私に対する執拗なストーカー行為を繰り返しているのだ。被害も甚大で、さすがにこれ以上放置することは、時に「ホトケ」と呼ばれることさえある私にもできない相談だ。ホトケの顔も3万回までである。
 反撃を開始する。

          ※          ※          ※

 というわけでここからが本題である。

 Fは1976年1月生まれで、だから現在34歳である。
 私がFと初めて会ったのは、おそらく97年末のことで、Fは23歳だったことになる。
 当時、私は「だめ連・福岡」というグループを主宰しており、その影響圏を広げるべく、過激なものからヌルいものまで、地元のあらゆる大なり小なり“社会派”チックな集まりには顔を出すようにしており、その中のひとつ、「メンズリブ福岡」という要するに男性フェミニスト・グループの会合にFが来ていたのである。もっともFは同グループの常連ではなく、よく同じ公共施設の別の部屋を借りて会合をおこなっていた引きこもりの自助グループのメンバーで、「メンズリブ福岡」の会合にはその日たまたま紛れ込んできていただけらしい。
 ともかくそれをきっかけに、Fは「だめ連福岡」の本拠である私の自宅アパートへもちょくちょく顔を見せるようになり、ちょっと精神的に不安定な印象はあったものの、それほどヒドい壊れ方をしているようには見えず、むしろギャグ・センスの冴えた(地元のラジオへの云わゆる「ハガキ職人」であったようだ)、なかなかの逸材であるかに感じていた。
 もっとも本人が云うには、姉が重度の精神病をわずらっており、幼少時から地獄の家庭環境で、とくに高校時代にその姉に包丁で刺されるという経験をして以降はF自身も少しおかしくなり、佐賀県玄海町の実家を出て九州大学に進んだものの、すぐに引きこもり状態になって通えなくなり、現在(当時)は九大をやめて放送大学の学生であるとのことだった。あくまで本人の弁であり、真偽のほどは不明だ。
 で、99年3月の例の事件である。
 私が当時交際していた、「だめ連・福岡」の主要メンバーの1人でもあった女性を……これまで私は「別れ話がもつれて」みたいな説明をしていたような気がするが、よく考えたらこの時点ではまだ違うんだよな。彼女との交際はその時点で2年近く続いていたのだが、ある時、避妊に失敗して彼女が妊娠し、結局堕胎することになって実際に堕胎して、それから2ヶ月ぐらい経過していたという時期だ。その経緯に関して、本当に正確な経緯はよく知らないくせに東京の矢部史郎と山の手緑が「女性サベツだー」とか云って介入してきてますます話がややこしくなって、彼女とはほぼ毎日会っている(私が一方的に彼女のアパートを訪ねるのではなく、互いに行き来している)ものの関係はギクシャクしており、という状況の中で、私が彼女のちょっとした一言にキレて殴ってしまったのである(判決文では「拳や手刀で自らが殴り疲れるまで……」みたいな凶悪な感じになっているのだが、もちろんそれは私の裁判パフォーマンスにキレた裁判官どもの悪意を反映しているにすぎず、実際はつまり「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿」的な要は「ドラえもん殴り」である)。その後もしばらくお互いに別れるに別れられない状態が続き、当然「殴った」ということになればますます矢部・山の手の「糾弾」には拍車がかかり、事態はこじれていく一方だった。実際、後から思えばごくごく一面では矢部・山の手の主張にも百億分の一理ぐらいはあり、つまり私たちは確かに互いにマズい感じの依存関係には陥っていたのである。で、お互い「もう別れるしかないのかな」と思い始めてはおり、ただやはりうまく行かないもので、私がそう強く思う時期と彼女がそう強く思う時期が重ならず、結局どっちかが相手を引き止めて元のグジャグジャに引き戻されるようなことの繰り返しになる。
 こういう時はもう、どちらかに何かのきっかけで新しい交際相手もしくはその候補が事実として登場して、片方の気持ちが完全に相手から離れ、相手の引き止めについホダされてしまわなくならないと、終わらない。で、現実には彼女の方にそういう「新しい相手」が先にでき、つまりそれがFなのであった。彼女の側はそのことをずっと隠していたので、彼女の態度がそれまでと変わってきたことは感じていたが、鈍感な私は、それが単に彼女に「新しい男ができたから」であるとは思わず、したがってFのことは完全に視野の外だった。
 結局、私が彼女のことを思い切り、復縁を迫ることをやめたのは7月の終わりで、それまでの間は確かに私もかなりマズいことになって、彼女の新しいアパートの窓ガラスを投石して割るとか、言葉の間違った用法としての「ストーカー」行為めいたこともやったのだが、彼女の側にもさまざまのヒドい言動はあり、それらについては今でも「お互い様」だと思っている。正当化するわけではないが、つまり「みっともない」マネをたくさんやってしまったという反省や後悔はあるものの、それも「お互い様」で、よくある「別れ話のもつれ」でしかないと今でも思っている。
 ともかく、いろいろあったけれどももう全部おしまい、と私の側が完全にその泥沼から撤退したのが7月末のことで、彼女の側の気持ちもとっくに完全に私から離れているわけだし、本来なら話はこれで終了である。
 が、ほんとにややこしいことになるのは実はここからなのである。想像を絶する真の泥沼はここから始まる。

 Fから、私のところに頻繁に電話がかかり始めたのである。
 最初は、前述のガラスを割った件などについて、「ふざけるな!」とか何とか、一方的に怒鳴り散らすというのが6件ぐらい留守電に残っていた。彼女がFと交際していることは、6月半ばの時点で私の知るところとなってはいたが、私の特殊な恋愛観というか、「私と彼女の関係は私と彼女との関係。彼女とFとの関係は彼女とFとの関係。両者は互いにカンケーない」と思っていたので、それ以後の7月末までの間にも、私はFとまったく接触がなかった。
 が、もともとFを知らないわけではないし、残っていた留守電の様子があまりにも異常だった(まさに発狂してわめき散らしていた)ので、こちらからFに電話をかけ直して、もう私としては終わっているからあとは勝手にそっちはそっちでやってくれと伝えて安心させようとしたのだが、Fは電話に出るなり「このキチガイ!」とか叫んで切る。
 それから私はもう毎日24時間、ひっきりなしにかかってくる無言電話に悩まされ、さらにFは当時の私の実家や妹の家にまで電話して、それを受けた母や妹によれば「わけのわからないこと」をわめき散らし、それはこの後、1年以上にわたって続くのである。
 そのうちやむだろうと思って放っておいたら、やがておかしな話が頻繁に耳に入ってくるようになった。
 私と彼女が直接に会うことがなくなった99年7月以降も、「だめ連・福岡」のメンバーの中には、双方と関係が続いている者が何人かいて、彼らによれば、私がFに対して執拗な「ストーカー」行為を続けている(と彼女が云っている)というのだ。
 事実は逆なのである。
 後になって判明した話も含めて書いていけば、まずそのFによるとしか考えられない頻繁な無言電話は相変わらず続いていた。
 12月には、「若い女性を次々とアパートに連れ込んではクスリ漬けにしている」という通報が入ったと云って、半信半疑ながら(地元の警察は「政治犯罪」を起こしかねないタイプとして私をそもそも認知していたであろうし)事情を聴きにきたことがあった。これもどうやら、私がまだ彼女に復縁を迫り続けていた時期に、彼女にも実は少し精神的におかしな面があるのだが、彼女が興奮して話にならないと思った時に一度、とにかくこれを飲んで落ち着いてくれないかと私自身が処方されていた精神安定剤を勧めたことがあって、それをすでにその時点では私に不信感を抱いていた彼女が「何か変なものを飲まされる」とカン違いして拒否したという1件があり、そのことを針小棒大に(というよりまったく別の話の捏造だが)Fが警察にタレこんだようなのである。
 さらにやはり12月末、というかクリスマスだったが、クリスチャンでもあるらしいFから、「悔い改めよ」みたいな文面の電波な手紙が私のところへ届きもした。
 当時あった「だめ連・福岡」の掲示板や、私と直接関係のあるところもないところも含めたさまざまの“運動”系のサイトの掲示板などに、発信元不明の(よく知らないが「プロクシ」だとかを経由しているという)頻繁な「荒らし」の書き込みがあり、後述するようにそれは現在に至るまで続いていて、またその内容、手口、その他の特徴からこれもFの仕業であると私は確信している。
 また幾人かの友人知人から聞かされたとおり、Fは私による「ストーカー被害」をデッチ上げて、彼女や、その周囲に吹聴して回っていたのである。多くは、外出先で私に尾行された、といった作り話で、他にも自転車のカゴにビラを入れられていたとか、私がFに「殺してやる」と脅迫電話をかけたとか、駅ビルのトイレに入ったら後から私が入ってきて殴られたとか。念の入った小細工も弄していて、おそらく半同棲という状態になっていたのだろう彼女のアパートに自らチューインガムか何かでイタズラをして、「外山がやった(に違いない)」と主張したという事実も後に判明した。
 一番重要なのは、彼女がそのFの作り話や工作をすべてそのまま信じ込んでしまった点である。
 そして彼女は、「ストーカー被害」について、まず警察に駆け込む。つまり後で「傷害罪」として立件された99年3月の事件について警察に相談したのではないのである。「ストーカー」は完全な冤罪であるわけで、どうやら警察は一定捜査したらしいが、当然「証拠」などあるはずもなく、しかし私にとっては云わゆる「悪魔の証明」つまり「やっていないことの証明」も不可能で、もし本当に私がやっているとしてそれが後々さらなる重大事件に発展でもすれば警察としては大失態になってしまうという危惧が警察にはあり、そこで警察の方から、彼女にいろいろ経緯を聞いた上で、「では確実に外山のやった行為である99年3月の殴打事件について被害届を出してください」となったのである。つまり本件は冤罪の「ストーカー」事件で、(冤罪なんだから当然)証拠不十分でそれは立件できないから、「被害者」も当初は問題にしていなかった過去の「傷害」事件を警察が蒸し返したのである。私がこの事件について時々「ほぼ無実の罪で」と云うのにはそういう意味合いがある。
 で、殴打事件からちょうど1年ほど経った2000年3月に彼女は警察の指示に従い「傷害」について被害届を提出し、同日、Fも「ストーカー被害」について被害届を提出した(当然、Fのこの行為は刑法の「虚偽告訴」にあたるため、私はそのことを知った後に警察にこれを立件するよう求めたが、警察は被害届は結局受理していないとシラを切った)。
 5月23日、私は「傷害」事件について福岡中央署に任意出頭を求められ、応じた(すなわちこの瞬間まで、事態がここまで深刻なものになっているとは気づかなかったし、本当に全貌が分かったのはさらに後、実際に裁判になってからだ)。ちなみにこの日は稀代の悪法「ストーカー規制法」の公布前日であり、このあたりにも警察の、仮に後でさらに重大な事態に発展してしまった時の、「ストーカーの件を立件しなかったのはまだ法律がなかったからですよ」という予防線の工夫めいたものを感じる。
 ともかくその取り調べである。殴打事件について、型通りの訊問があり、私も当時は国家権力に対する認識が甘かったために黙秘はせず、事実経過を淡々と話して調書をとられたのであるが、それが終わるや、「ところで」という感じで刑事が私の目の前に1枚の紙切れを置いた。で、「これはおまえの仕業だろう」と。
 どこかのサイトからプリントアウトしたものらしい。それを見せられた時に感じたおぞましさを言葉で表現することは難しい。
 実は、当時とは部分的には違うようだが、ほぼ同じものが今でもネット上に(たくさん)ある。これにリンクを張るのはできれば避けたいのだが、仕方がない。その時の衝撃を少しでも理解してもらうには、実物を見てもらうしかない。

 http://plus-1.freehostia.com/readres-soc.cgi?bo=soc&vi=0001

 繰り返すように、こっちが本件だったのである。こんな濡れ衣を着せられたんじゃたまらない。私は断乎として否認した。刑事がそれをどう思ったか知らない。たぶん、「99%、シロ」とは思ったんじゃないかと思う。だが先述のとおり、「やってないことの証明」は不可能な「悪魔の証明」であり、万が一という時の警察の体面を考えれば、「やれることはやったんです」としておかなければならない。だから別件の「傷害」を立件する正式な手続きに入ったのだろう。まさか私が裁判官を徹底的にコケにするパフォーマンス戦術を採用して実刑判決を受けることになるとは刑事も予想していなかったはずだ。普通は百パーセント「執行猶予つき有罪判決」となるケースだし、そもそも逮捕もせず在宅扱いの立件だから、前科にはなるが、結局一度も拘束されずに形の上だけの不利益が私に生じるにすぎない。とにかくそういうことで丸く収まってくれれば、というのが警察の正直な立場だったろうと思う。
 でまあ、裁判になる。彼女は全国的に有名なフェミニスト弁護士事務所の弁護士をつけて、民事でも私を告訴してきた。むろんこの弁護士に正式な立件を強く迫られた結果として、そもそも警察は当初は重かったらしい腰を上げたのだという印象を私は持ったし、たぶん実際そうである。
 両方の裁判で、彼女の側の供述調書や陳述書、Fの供述調書などさまざまの「証拠」が出てきて、私はようやく本当に、ここに書いたような事件の「全貌」を知ることができたのである。
 おそらく彼女の側も、裁判にしてみて初めて、一連の行為が私ではなくFの仕業であることに思い至ったと思われるが、もちろんそのことについて何の謝罪もなければ、その部分に限っての主張の撤回すらない。「人権派」であるはずのフェミニスト弁護士も同様だ。それどころかフェミ弁護士は、その裁判について詳細にレポートする私のサイトに、自らへの誹謗中傷があるとしてさらに「名誉毀損」の罪で私を刑事告訴し、私はすでにもう福岡地裁そのものをを敵に回していたし、「被害者」は単に全国的に有名な弁護士であるばかりか地元法曹界の重鎮(県弁護士会副会長)でもあるしということで、「名誉毀損」事件には珍しいほとんど求刑どおりの実刑判決を云い渡されて、私は「傷害」と「名誉毀損」で丸々2年間も不当な拘束を受けることになった。

 読者の中には、なかなか信じられないという向きも多かろう。
 私と彼女との関係がすでに破綻局面に入っていた時期のこととはいえ、交際相手を「寝取られた」のは私であり、Fは「勝者」のはずである。私がFを恨んでさまざまのイヤがらせをやる、という展開ならありそうな話だが、その逆はどうにも考えにくい、と。おそらく刑事もそう考えて、私への疑念を百パーセントはぬぐい切れなかったのではないかと思う。
 真性のキチガイが何を考えているのか私にも分からないが、「こういうことかな」という推測はある。
 つまり、彼女とFの交際が始まったのは、おそらく私も彼女もどちらもお互いへの未練を断ち切れず、片方が「別れよう」と決意を告げると他方が引き止める、というのを繰り返していた時期のことである。引き止められる側に回った時には相手が今で云う間違った用法としての「ストーカー」にも感じられ、彼女が引き止められる立場に回った時には私を避けて友人・知人のアパートを転々とする局面もあり、その「避難先」の一つとしてFの存在があり、それがやがて交際へ、という流れだったらしい。
 そういう「くっつき方」となると、Fの不安は、私が彼女をしつこく追いかけなくなってしまえば、自分は「用無し」になってしまう、というものだったのではないか。実際、そのとおりだったろうと私も思う。そこでFが選んだのは、彼女に対する「ストーカー」行為は終わったが、今度は自分が標的になっている、つまり外山との闘いはまだ終わっていないと彼女に思い込ませることだった。時には前述のチューインガムの例のように、彼女自身もまた引き続き標的となっているという偽装工作もおこなった。
 にしてもさきほどリンクを張ったあのおぞましい文書は、いくらなんでもと思われるだろう。私でさえそう思う。現在進行形で付き合っている相手を、いくら「敵」を捏造して相手の気持ちを自分に引き止めるためとはいえ、あんなふうに書くか、と私でさえ思うのである。しかし、私がやっていない以上、犯人はF以外にありえないのである。むしろ例えば私だけが標的となっている中傷記事であれば、たまたま時期が一致しただけで、冒頭の方で述べたとおり私には時折ストーカーがつくから、私はそれについて、Fである可能性は高いがそうでない可能性も捨てきれないと考えただろう。しかしよく読まずとも(あんなものを平気で熟読できるような根性は不要である)、一目瞭然、あの文書には私に対してのみならず、彼女に対する強い執着がヒシヒシと感じられる。
 裁判で提出されたさまざまの「証拠」類を突き合わせると、件の文書がネット上に出回り始めたのは2000年4月中旬ごろであるらしい。それを「発見」して彼女に伝えたのは、Fではなく別の、私と彼女の共通の知人であるらしい。時系列を思い出してもらうと、すでにこの時点で彼女とFは警察に相談に行き、「被害届」も提出済みである。が、私はまだ出頭の要請も受けておらず、おそらくこのかんにも彼女らは警察に何度も「どうなっているか」と問い合わせただろうが、表面的には何の動きもなく、警察も「捜査中である」としか答えなかっただろう。Fは焦ったのではなかろうか。さらに事態がエスカレートしなければ、警察は結局動かず、曖昧に決着してしまうのではないかと。そして裁判で出てきた彼女のメモによれば、まさにアレがネット上に出回り始めたとされる時期、「4月10日」から「5月12日」にかけて、Fは「大学の実習のため」福岡を離れ、つまり彼女のもとを離れて単身東京に滞在しているのである。
 当然、やがて彼女とFは別れている。
 それがいつ頃のことなのかは私はよく知らないが、2001年2月にいよいよ裁判が始まった時点では、すでに別れていると共通の知人に聞いたような気がする。たしか刑事裁判の第一審が続いている最中のことだったと思うから、少なくとも2001年夏ぐらいまでのどこかの時点で、私の目の前で、最初に私を取り調べた刑事が、Fに電話をかけたことがある。自らにかけられた濡れ衣を晴らす一環として、ネット上に(その時点でもまだ。今でも増え続けているのだから当然か)出回っている例の悪質な文書についてちゃんと捜査しろ、しかも真犯人はF以外にありえないんだからFを事情聴取せよと強く要求した結果である。その時、すでに彼女とは別れているらしいから、連絡先は変わっていると思うが、佐賀県玄海町の○○という店が実家らしいから、とりあえずそこに問い合わせてFの居所をまず掴んでほしい、と私はそのFの実家の店の電話番号を調べて持参していた。刑事も実際、やはりFが真犯人であるとの心証を得たのだろう、私を誤って犯罪者に仕立て上げてしまったという負い目もあってか、私の目の前でその番号にかけてくれたのだ。すると、なんとF本人が出たようだ。刑事はかなり執拗にFを追及したが(それを私の目の前でやってくれた)、Fは最後までシラを切り通したという。ともかく、その時点でFはたしかにすでにとうに彼女とは別れ、佐賀の実家で今で云うニートをやっているらしいことが分かった。おそらく、34歳になる現在もそうである。

 その後、2002年5月から04年5月まで、私は殺されていた(獄中にいた)わけだが、その間にも、件の文書はネット上に増殖し続け、またそこにリンクを張ったさまざまの掲示板への「荒らし」的な書き込みも続いていたようである。そのため少なくともこの件に関しては、私の無実は証明された形ではあるが、ちなみに福岡地裁民事法廷のバカ判事どもはこれらの書き込みやFへの「ストーカー」行為について、私がやったという証拠がないことを認めつつ、「しかし原告(彼女)がそれを被告(私)の仕業だと確信した『遠因』は被告にある」だのという類のレトリックで、基本的には私の云いぶんをほとんど全て退けていたことも付け加えておこう。

 で、さらにその後である。
 もしかしたらこれを読んでくれている読者の中も直接に経験した者がけっこういるのではないか。
 ブログなどで、一言「外山恒一」と記述すると、数日を経ずして悪質な書き込みがあり、たいていそれは件の文書やそれに類したサイトへのリンクが張ってある、という体験を。
 一時期まで、というか要は都知事選以前、「外山恒一」で検索をかけると、Fが作成したいくつかのおぞましいサイトが上位(少なくとも10位以内)にヒットして、それは私にとってかなり苦痛であった。初めて会った人が、その後、私の名前で検索して件のページを発見して、「あれは何ですか」と問いつめてきたことも何度かあるし、問いつめられれば釈明できるからまだよい方で、おそらくそのまま「外山ってこんなこと書くような奴だったんだ」と誤解したっきりの人間もいるだろう。まあアレを見て「これは外山が書いたのだろう」と思い込むようなアンポンタンとなど付き合わなくていいという気もするが、とにかくそういう実害はあったのだ。
 実害と云えば、これは投獄以前の、つまりまさにそうしたネット上での悪質な書き込みの数々が私の仕業であるかに彼女を「支援」するクソ左翼ども(従軍慰安婦裁判とかやってた連中ね)やクソフェミ弁護士どもがわめき散らしていた時期からのことなのだが、私と何らかの友好的、少なくとも非敵対的な関係にあると思われる人物について、要は例によってアレにリンクを張った上で、「こんな男と仲良くしているコイツも同罪だ」的なもちろん実名入りの「告発」がやはりあちこちに書き込まれて(その多くは今でも残っているはずだ)、これだけとっても私が犯人でないことは分かりそうなものなのだが、例えばその時に標的にされた1人である鹿児島市議の野口英一郎氏はどうもこの一件もあって(もちろん私を疑ってではなく、私と関わっているとメンドくさいことに巻き込まれると思って)、Fの思惑どおり私と距離をとり始めた印象がある。ま、だとしたら離れていってもらって結構、というやはりFの所業は私にとってリトマス的なプラスの役目を果たしてくれているような気もするが、一般的にはこれは深刻な実害だろう。
 先述の、「外山恒一」と書くとほぼ必ず現れる「荒らし」書き込みについてだが、この1、2年、それはほとんどの場合、「ウェルダン穂積」の名前でおこなわれているはずだ。同名の芸人は実在しており、どころかウェルダン氏は都知事選以後、私のイベントに頻繁に来てくれたり、自らのブログで私に言及してくれたりしているまあ一種の「ファン」でもある。本人にも確かめたし、そもそも確かめるまでもないことだが、もちろんそれらはすべてウェルダン氏本人によるものではなく、Fがウェルダン氏の名前をカタって書き込んでいるのである。というのも、この手口も2000年頃からのものなのだ。私の周囲に存在がチラつくその時々の、まあウェルダン氏には悪いがぶっちゃけて云うとちょっと……いやぶっちゃけずにボカすとまあ要は「独特のキャラ」が感じられるタイプの人物をカタるのがFの一貫した手口の一つなのだ。その選択が常に絶妙というか(例えば他にはこれも知ってる人は知ってる「葦原骸吉」君とか)、この点だけは私も心底感心してしまうぐらいもうとにかく絶妙なのだ。
 それはさておきFは、最近ではウェルダン氏の名をカタって、そういう悪質なコメント欄「荒らし」を繰り返している。おそらく一日中パソコンに向かって、頻繁に「外山恒一」で検索しては、引っかかってきたブログのコメント欄を荒らし、また件のおぞましい文書をあちこちの掲示板の類に書き込み、ということをそれこそ「ライフワーク」のように続けているのだろう。
 Fの悪業は他にいくらでも挙げられて、例えばウィキペディアに初期、掲載されていた「外山恒一」の記事はFが執筆したものである。ここにもちょっと感心するのだが、いかにもファン的な人物が書いたかに装った、一見好意的であるように読めてしかしその実かなり悪意がちりばめてあるような、やはり絶妙な書きっぷりなのである。どうしてそれをFの仕業と断定できるかというと、私の活動経歴上、もはや覚えている人もほとんどいないようなどーでもいい些細なある出来事について、何か重大な出来事であるかに言及されていたのである。それは、1989年に私が地元のある若者向け人気ラジオ番組に小ネタを投稿して、それが読まれた(というかカセットテープの投稿なのでそれが流された)という、徹頭徹尾まったくどーでもいい「事件」である。実は先にも少しだけ触れたとおり、Fはもともとラジオへの投稿マニア、いわゆる「ハガキ職人」で、中でもFの最大のお気に入り番組がその言及されている番組なのである。
 都知事線の直前でもそのFの書いた悪意ある巧妙な記事が掲載されていたので、都知事選の告示と同時にそれを読む人が急速に増えるだろうから、こんなものを放置されていたんじゃたまらないと思って、私が急遽、自分で全面的に書き改めたという経緯がある。
 もっと悪質なものもある。某極右組織に実在する数人の活動家から、私宛に頻繁にメールが届いた時期があった。「連帯しましょう」的なものもあったし、「ウチの組織は根本的に腐っています」みたいな“内部告発”もあった。当初、私はメールの送信元を偽造できることを知らなかったし、それら発信元になっている人々は、少なくとも実際に存在する活動家であることは知っている範囲の名前だったので、あやうく信用しそうになった。信用して、私がそれにマジ対応し、混乱させるのがFの狙いだったろう。しかしどうにも怪しい文面が多かったので、こういう文面のメールが届いたが、事実あなたが送信したものかと問い合わせて、偽メールだと判明した。発信元になっているアドレスは、彼らの活動上の必要から、すべてネット上で公開されているものだった。
 当然、私のメールアドレスも公開してあるので、私をカタった偽メールもたくさん発信されているのだろうが、それらについては問い合わせがないから分からない。ただ一点、気づいたのは、私自身の使っているメール・ソフトで「迷惑メール」に分類されている中に、ある時期(昨年の夏ぐらいだったか)、私のアドレスが発信元となっているスパム・メールが大量に入っていることに気づいた。
 すべてがFによるものだという証拠はなく、とくに偽メール問題についてはもはや私が「この種のものはすべてFの仕業である」と決めつけることにしている側面もあるのだが、少なくとも例のおぞましい文書や、そこにリンクしてある場合が多い最近ではたいてい「ウェルダン穂積」名義で書き込まれるコメント欄荒らしについては、手口が私が都知事線で一定有名になる以前からずっと一貫しているものであり、Fの仕業であるという判断には確信がある。ちなみに技術のある人はやってみると分かるが、それらの「コメント」のIPアドレスを特定しようとすると、必ず「プロクシ」なるものを経由しており、海外の大学のサーバなどにたどり着いてその先は特定できなくなるとのことだ。そしてこの手口も、都知事選以前、つまりネット上の一連の悪業の最初から一貫している。

 で、先にも少し触れたように、さすがに反権力を看板に掲げる私といえども、この件に関してだけは過去に何度も警察に相談しているのだ。先述のとおり、刑事が一度だけFをちょっと「脅かした」以外は、まったく相手にしてもらえない。
 理由はもう簡単で、私が前科者だからである。そもそも前科者になったのだって、元を辿ればFの陰謀が原因なのだが、しかもややこしいことに、その前科と一連の現象は完全につながった出来事で、そして警察は一度は私を真犯人と疑ったのであって、その失態と私が前科持ちになった経緯とは密接な関連があり、仮にFがどうやら確かに怪しいということまでは内心思ってくれたにしても、いざ立件するとなるとかつてまさにその件で私に濡れ衣を着せ、その結果として私は投獄されているという、そういう警察としてはあんまり蒸し返したくない話が全部関連して蒸し返されてしまう結果になるのである。おそらくそれもあって、警察はまったく相手にしてくれない。
 では民事で、と思っても、ここに書いてきたようにFはかぎりなくクロなのだがしょせんはかぎりなく心証に近いせいぜい状況証拠なのであって、だからこそ捜査権限のある警察が動いて、Fのパソコンでも押収してくれないことにはどうにもしがたいのである。
 といって実力行使をするには相手が小物すぎて、大義のない「私怨」みたいになってしまう。私もこんなくだらない男を相手にまた刑務所入りを覚悟する気にはなれない。
 普通は(?)ヤクザにでも報復を依頼するしかないようなケースなのだが、仮にそうしてちょっとボコボコにしてもらった程度では気がすまないぐらいの怒りが積もり積もっている。

 今回、今さらのようにこんな話を長々と書いたのは、また実害があったからだ。
 数日前、2月5日に熊本のFMラジオに出演予定、という告知をした。
 その番組のパーソナリティを務めている人物のブログにも、同様の告知があった。
 すると案の定、そのパーソナリティ氏のブログのコメント欄に、例によって例の文書へのリンクを張った「ウェルダン穂積」の書き込みがあり、またそのFM局にも、おそらくメールでだろう、「こんな奴をラジオに出すな」という意見が大量に(発信元は偽装できるわけだ)届き、「こんな奴」というのはつまりおそらく「リンク先を見れば分かるように」ということであり、パーソナリティ氏もプロデューサー氏も私が出演することには何の問題もないと判断していたにも関わらず、「上層部」から「件の文書を見た」という理由でストップがかかったのである。

 こんなことを書くとますますFを増長させそうだ。
 それもあって、今回書いたように過去にもさまざまの実害を被ってもそのことに言及せずにきたし、「警察に相談しているのだが相手にしてもらえない」という事実も伏せてきた。
 だがもう許さない。
 Fは今後、徹底的に追い込む。
 もちろんそう書くからにはその具体的な方法についてすでにおおまかなプラン(ただし準備に1年ぐらいかかるかも)があるのだが、それはそれで実行に移していくとして、読者諸君からも何か知恵があれば借りたいと思う。
 どーすればいいですかね、私。


 追記.一連の経緯を読んで、このケースはたしかに「ストーカー」問題だろうが、私の云うような本来の意味の「ストーカー」ではなくて、私が非難する今ふうの定義での「ストーカー」、つまり態様は特異であるにしても、結局ありふれた恋愛がらみのそれではないかと思う読者も多かろう。しかしFは、私がそもそもの発端の時点でも現在でも不特定多数に向けて自らをさらしていくしかない立場にあり、自らはまったくそんな必要のない(匿名性を保てる)単なるダメ・ニートであるという非対称性を最大限に活用して私への攻撃を続けているのであり、やはりこういうのを本来「ストーカー」と呼ぶのだと私は思う。