ファシズム入門

序文


 とにかく、ただただ悪いファシストという種類の人がいる。この人は、常日頃から、戦争とか侵略とか少数民族抑圧とか管理社会化とか悪いことばかり考えている。何故悪いことばかり考えているかというと、それは当然、その人がファシストだからである。その人は何故ファシストなのかというと、決まってるじゃないか、悪いことを考えている人だからである。とにかくね、いるんです、悪いのが、ファシストっていう。(呉智英『封建主義者かく語りき』)

   「ファシスト」は常に他称

 私はファシストです。
 現在、ファシストあるいはファシズムという言葉は、ほとんどすべての場合、悪口としてしか使用されません。
 つまり、他人からファシスト呼ばわりされる人は無数にいるでしょうが、自分からファシストを名乗る人は(偽悪的あるいは自嘲的なニュアンスで云う場合は別として)まずいません。
 例えば小泉純一郎氏はファシストだと云う人がいますが、もちろん小泉氏自身はそうは思っていないでしょう。ブッシュ氏をファシストと呼ぶ人もいますが、やはりブッシュ氏自身はそれを否定するでしょう。そして小泉氏やブッシュ氏は、本当はファシストであるくせにその正体を隠そうとして「自分はファシストではない」と云うのではなく、彼ら自身、本気で「自分はファシストではない」と固く信じているはずです(石原慎太郎氏に関しては微妙ですが、話をいきなりややこしくしないために、ここでは触れずにおきます)。
 いわゆる右翼の活動をしている人々についても同じです。とくに左翼的な人々が彼らをファシスト呼ばわりする場面は多く見られますが、当の右翼活動家自身は、自らが「愛国者」「民族主義者」「ナショナリスト」等々であることは認めるとしても、自分はファシストであると考えている右翼活動家は一人もいないはずです。
 実際、100%のファシストである私は、小泉氏やブッシュ氏をファシストであるとは少しも思いませんし、ナショナリズムとファシズムとはまったく別のものであると考えています。

   トロツキズムは復権したのに

 ファシズムはとにかく評判が悪い。左から嫌われているのはもちろん、右からも嫌われている、少なくとも何かうさん臭いものであると見られています。
 現在ファシズムが置かれている立場は、要するにあれに似ています。
 トロツキズムです。
 左翼運動の世界における、一九五六年以前のトロツキズムです。
 トロツキーとは、レーニンと共にロシア革命を指導した、初期ソ連邦のナンバー2です。しかし、レーニンの死後まもなく、後継者争いでスターリンに敗れて失脚、その思想はスターリンによって徹底的に歪曲、貶められ、ついには亡命先のメキシコで暗殺されてしまいます。
 全世界の左翼の間でスターリンが神様のように崇められていた時代、ほとんど誰もトロツキーの著作など読んだこともないくせに、方針の違う相手を「トロツキスト」と呼んで非難することがその世界では当たり前におこなわれていました。そして、「トロツキスト」呼ばわりされた側も、これまたトロツキーの著作など読んだこともないくせに、自らが決して「トロツキスト」などではないことを必死になって弁明しました。
 ファシズムも同じです。
 トロツキズムの場合には、一九五六年にソ連において、スターリンの恐怖政治の実態がその後継者によって暴露され批判されるという大事件が勃発したために、それ以後、スターリンと対立したトロツキーを程度の差はあれ再評価する動きが左翼陣営内部から出て、いくらか復権しましたが、ファシズムはいまだにかつてのトロツキズムと同じように、ただただひたすら嫌われています。
 冒頭の、呉智英氏の名著からの引用が、まったく世間一般のファシズムのイメージでしょう(もちろん呉智英氏は、そのような思考停止した「認識」を嘲笑して書いているのです)。

   ファシストは大衆を欺く?

 しかし少しでも自分のアタマで考える力があれば、「んん?」という疑問が多く生じるはずです。
 ファシズムがもしもただひたすら「悪い」だけの思想であるならば、誰が一体ファシストなんかになるものでしょうか?
 よしんば稀にとんでもない極悪人がいて、極悪人であるがゆえにファシストになるのだとしても、そんな極悪人をかき集めたって量的にはたかが知れているではありませんか? そうだとすればファシズムは、少なくともかつてイタリアやドイツでそれなりの政治勢力を形成することもできなかったはずではありませんか?(ムソリーニやヒトラーは、ファシズムを掲げる政治結社のリーダーですが、もちろんリーダーだけがファシストだったのではなく、その数十万の構成員全員がファシズムを信奉するファシストだったのです)
 それともあの時期、イタリアやドイツが突然変異的に極悪人だらけの社会になってしまったとでも云うのでしょうか?
 もっともこの点について、たいていは「ファシストは大衆を欺くのだ」と説明されます。ヒトラーには「悪魔的な」宣伝の才があったのだ、などと。こうなるともはやトホホとしか云いようがありません。
 たしかにヒトラーは演説の名手でしたし、ゲッペルスという「宣伝の天才」がナチスの幹部に名を連ねてもいましたが、実存主義哲学の巨匠・ハイデガーが熱心なナチス党員(幹部ではなく一般党員)であったこともまた有名な事実です。「愚かな大衆」とは程遠い「20世紀最大の哲学者」さえもが、ヒトラーに「だまされた」とでも云うのでしょうか?
 ファシズムが当時、何らかの積極的な価値を掲げ、それは多くの人に希望を与えるだけの内実を伴うものであったからこそ、少なくとも二つの西欧先進国で政権を樹立できるほどの一大勢力を成し得たのだと考える方が、合理的ではないでしょうか?

   ファシズムを再建すべし

 ファシズムが、ただただ悪い何かとんでもない悪魔的な思想だということになっているのは、ちょっと考えるアタマがあれば誰にでも分かるとおり、第二次大戦後に、勝者であるアメリカとソ連の双方がおこなった徹底的なプロパガンダが成功した結果にすぎません。
 近年、我が国でも「自由主義史観」とやらを掲げる歴史学者や教育者のリーダーシップによって「歴史の見直し」が盛んになり、それはそれで大いに結構なことだと思いますが、そろそろファシズムについても「戦勝国史観」の呪縛から解放された公正な目で眺めてみてはどうでしょうか?
 公平に見て、少なくともかつてのイタリアやドイツが、旧ソ連や旧東欧、そして現在の中国や北朝鮮よりもヒドい社会だったとは、私には思えません。
 ファシズム国家に多くの問題があったことは事実ですが、そんなことを云い出せば当時のアメリカ社会だってかなりヒドいものです。
 アメリカがその後、公民権運動などを経て、それなりにいくらかマシな社会へと自己変革を遂げたように、ファシズムも、過去の間違い(最大のそれはドイツの対ユダヤ人政策であることは云うまでもありません)を克服する形で再建が目指されてもよいではありませんか。
 そもそもソ連や東欧諸国などマルクス・レーニン主義の国家と違って、ファシズム国家はその内部から崩壊したわけではなく、単に戦争に負けて歴史から(一時)退場させられただけなのです。
 ファシズムの可能性は、まだ潰えていません。
 そしてもちろん、ファシストである私は、「グローバリズム」と呼ばれる新段階の資本主義の猛威に対して、有効な代案はファシズム以外にないと考えています。
 そのことを本書で、できるだけ分かりやすく説いていきましょう。

   私はなぜファシストを自称するのか

 私がこれから展開するファシズム思想は、主にその始祖・ムソリーニのファシズム思想に依拠しています。
 しかしムソリーニが、それまでの右翼思想とも左翼思想とも違う、まったく斬新な革命思想たるファシズムを打ち出すことができたのは、主としてその天才的な直観力、ひらたく云えば優れた「カン」によるもので、ムソリーニ自身がそれほど体系的な理論を提示したわけではありません。ムソリーニはかなりの読書家ではあったようですし、また文筆の才もあって多くの文章を書き残してもいますが、理論家肌のキャラクターではなかったようです。
 実はかくいう私も、理論的な作業はあまり得意な方ではなく、どちらかと云えばムソリーニ同様、「まず行動して、後から考える」タイプの人間ですが、それでも理論構築の能力に関してムソリーニよりは多少マシであろうという程度には自負しています。
 つまり私のファシズム思想は、ムソリーニの感覚的な発言と行動とを私なりに(時にはかなり強引に)解釈し整理した上で、さらに一九八〇年代後半から社会変革を志してそれなりの活動経験を積んできた私自身の思考を加味した、半ばオリジナルの思想です。
 ならばファシズムなどというすでに特定の色のついてしまった、「誤解」を招きやすい名称を避けてはどうかという忠告を、私に対し好意的に接してくださる数少ない友人・知人からこれまでに何度かいただいてはいますが、やはりそれでも現在の私の思想に最大の影響をもたらしたのが他ならぬムソリーニであることは否定できない事実なのです。歴史に関して、つまり出来事の因果関係に関してウソやゴマカシをしないというのがファシストのプライドであり、またプライドこそはファシストの最大の美徳なのですから、私は私の現在の思想をファシズムと称することに、いささかのためらいもないのです。

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