劇団どくんご「ただちに犬 Deluxe」

 すでに報告したとおり、テント劇団「どくんご」の4年ぶりの全国ツアーが終わった。
 6ヶ月あまりをかけての全39ヶ所、67公演は、同劇団としても過去最長・最多のもののようである。
 私はそのうち九州内の全箇所と、山口・東京・埼玉(飯能および浦和)で、つまり計12ヶ所、18公演を観て、これまた劇団員以外では(ダントツで)最多らしい。

 83年に埼玉大の演劇部を母体として結成された「どくんご」は、88年から全国をテントで回る旅公演を開始、95年までは1、2年おきに、以後今回までは3、4年おきに全国ツアーをおこなってきた。
 来年からは、毎年、全国ツアーをおこなう予定であるとのことで、しかもとりあえず来年は、今回と同じく演目は「ただちに犬」らしいから、その内容を以下、具体的に紹介してしまうことには躊躇を覚えるが、今回あちこちで観劇した人たちのブログ等でも“ネタバレ”を含む言及がすでにたくさんおこなわれているし、多少“ネタバレ”したところで観る価値がなくなってしまうような作品でもないし、また、今回出演した役者が2人抜けて(1人はもともと客演)、新しく別の役者が2名もしくは3名加わるとのことでもあり、つまりそれに伴って内容的にもかなり変わるはずであるから、あまり気にせずに書くべきことを書くことにする。

 ブログやmixiの「日記」などで、とにかくダマされたと思って必ず観に行くようにと繰り返ししつこく書いて、実際に観に行ってくれた人たちの中には、「外山恒一がそれだけ絶賛するからにはさぞかし“政治的”な内容なのだろう」と“期待”して拍子抜け(?)した人もあったようだが、観に行った人には分かるとおり、実際まったくそんなことはない(一応、「少なくとも表層的にはまったく“政治的”な内容ではない」ということはブログ等でも断ってはおいたのだが)。

 テントは、非常にシンプルな構造である。
 ギュウ詰めになれば100人くらい収容できるらしいが、50人も入れば満杯の印象になる、階段状の客席と、3メートル四方くらいの狭い舞台を、鉄パイプを組んで天幕をかぶせただけのテントが覆っている。客席の左右にはヨシヅが立てかけてあり、つまり雨は防げるが風は通るようなものである。
 もちろん、これらの「テント劇場一式」を、劇団員たちは“持参”して全国を回っている。客席・舞台とテントだけでなく、当然、照明・音響の機材や大小の舞台装置、さらには滞在中の生活スペースでもある、劇場テントに併設された楽屋テント、食糧や劇団員の私物など、必要なものをすべてトラック2台とバン1台に満載して、旅をする。たいていは公演本番の前日に現地入りして、劇団員自身で楽屋と劇場をほぼ丸一日がかりで建設する。芝居が終わった翌日に、やはり自分たちでそれらを解体してトラックに積み込み、次の公演地に向けて出発する(公演地によっては、受け入れを担当した現地スタッフとの宴会となる場合もある)。

 舞台の周囲は、後方も含めて蚊帳や薄い布で囲ってあるだけで、つまり舞台の向こう側の景色が最初からうっすらと見えているし、芝居が進むにつれてそれらは少しずつ撤去され、後半はもう完全に丸見えになる。
 だからとくに後半は、都市部であれば通行人の様子も丸見えだし、もちろん通行人の側からも舞台は丸見えである。実際、立ち止まったり、場合によっては座り込んで、“タダ観”していく通行人も珍しくない。
 当然、公演地によってそういう“背景”は変わる。私が観たうちでも、駅のほぼ真ん前の空き地でおこなわれた大分県別府での公演や、風俗街のど真ん中の公園でおこなわれた福岡・中洲での公演では、背景は明るく賑やかな上に通行人も多かったし、やはり都心部で背景は明るいものの、場所の構造上、無関係な通行人はほぼありえない長崎県・佐世保の公演、そもそも劇団員・スタッフと観客以外には人っ子一人いないキャンプ場でおこなわれた熊本県・水俣での公演など、さまざまだ。
 また舞台のすぐ脇には照明と音響のオペ席が設けてあり、つまりその様子も客席から丸見えの状態である。

 役者たちは、開場の30分ほど前から、もう役柄の人物になりきって、喋り方がかなりおかしなことになっている。着ているものも、メイクも、かなりヘンである。そのキャラのままで、受付や客席への観客の誘導などをおこなう(前回までは、こうした作業は現地の受け入れ側スタッフがおこなう場合が多かったが、今回は、すべて役者が自らおこなっていた)。
 先に述べたとおり、その大半は芝居の半ばまでに撤去されるのだが、舞台には「とにかく赤いもの」がたくさんぶら下げられたり、くくりつけられたりしている。ちゃんとした(?)照明の他に、電球もいくつかぶら下がっていて、開場から開演までの間に流されている音楽も含めて、要するに総じて縁日のような雰囲気である。つまりハレの空間、非日常の異空間に身を置いている実感が、おそらく多くの観客には湧いてくるはずだ。
 開演までの間、役者の一人が、「お店」と大書された舞台端で、何やら絵葉書や携帯ストラップなど、劇団のオリジナル・グッズを商いしている様子である。もっとも何ら「営業」らしい「営業」もせず、ただニコニコして座っているだけなので、露骨な商売っ気は感じられない。
 別の役者は、「受付でお配りしたアンケート用紙に、お名前とご住所を書いていただければ次回公演の案内などを送付いたします」みたいなことを云っている。が、先にも述べたとおり、役作りしたキャラで喋っているので、妙ちくりんでオカしみがある。

 受付と「お店」が片付けられ、客入れの音楽が小さくなり、メインの照明も落とされて少し薄暗くなって、幕(最初、舞台全体を覆っている蚊帳の客席側の網)が上がると、いよいよ開演である。
 いきなり芝居が始まるわけではない(もっともこれまで述べてきたとおり、開場前の時点からすでに芝居は始まっていたとも云える)。
 舞台には、楽器を持った出演者が7人(打楽器2、ギター1、マンドリン1、ベース1、クラリネット1、アコーディオン1)。ただし、公演地によっては、楽器のできる現地スタッフがゲスト参加して、舞台上に10人以上いることもある(私も最終日の水俣公演ではギターで参加した)。
 アコーディオンを持った女性の役者が、客席に向かって「こんばんは」と挨拶をすると、たいていは客席から「こんばんは」と唱和して返される。役者の挨拶は、「『劇団どくんご』です。まず始めに、短い音楽をお届けします」と続いて、実際、3分ほどのインストの楽曲が劇団員(たち)によって演奏される。
 演奏が終わると、マンドリンとギターを担当していた2人は、舞台を降りる。それぞれ、照明と音響の担当なのである。照明係は、実はこの舞台の演出家でもある。
 さっきと同じ役者が、「音楽が終わったので、次はお芝居をします。これからやるのは、『ささやく探偵』という出し物です」と短い口上を述べ、1つだけ点いていた電球のスイッチをひねって消して、いよいよ“芝居”が始まる。が、演目のタイトルどおり、役者たちは全員“ささやき声”なので、何を云っているのかよく聞き取れない。が、どうやらちょっとした“推理劇”のようなものが繰り広げられている様子である。
 舞台の真ん中に犬の形をした大きな人形が転がっていて、それが何らかの事件の“被害者”であるらしいことは伝わってくる。それを囲んで、5人の役者が、順番に何か“真相解明の推理”めいたことを喋っているようだ。1人が何事かを述べて“犯人はオマエだ!”的に他の1人を指さすと、指さされた役者はオーバー・アクションで固まる。が、次の瞬間、別の1人が何か別の“真相”を語りはじめ、その最後に別の1人を指さして、“犯人はオマエだ!”らしきことを云う。指さされた者はやはりオーバー・アクションで固まるが、そこへまた別の1人がさらに別の“真相”を語りはじめ……という具合に一巡、つまり5人全員が1回ずつ“探偵”役をやって、(正確にはその後さらに、ごく短いやはり「ささやき声」での2人の役者のやりとりがあって)「ささやく探偵」は終わる。前述のとおり、役者たちが何を云っているのかはほとんど聞き取れないわけだが、要はいかにもありがちな「どんでん返し、またどんでん返し」的な“推理劇”のワン・シーン(というかクライマックス・シーン)らしいことは分かるのである。つまり非常にバカバカしいわけで、始まるやいなや、会場のあちこちから笑いが起きる。
 やはり同じ役者が、さっき消した電球をまた点けて、「今のが、『ささやく探偵』という出し物でした。次は、『語る探偵』というのをやります。『語る探偵』は、『ささやく探偵』によく似ていますが、声が大きくなって賑やかになります」などと口上を述べる。観客は笑いっぱなしである。他の役者たちが舞台をととのえたりしている間に、口上役の役者は、その地その地でのアドリブの世間話をする。天候の話だとか、現地入りしてからのちょっとしたエピソードだとか。舞台の準備がととのうと、「『語る探偵』の後にもお芝居は続きますが、説明はこれでおしまいです」と最後の口上。演出家に聞いたところによると、「ストーリーを追うことを観客に早くあきらめてもらうための」口上なのだという。
 実際、「どくんご」の芝居には、ストーリーらしいストーリーはないのである。そのことは、“語る探偵”が始まればすぐに分かる。1人が“推理”を述べて“犯人”を指摘する。それに対して別の1人が別の“推理”を述べて別の“犯人”を指摘する。それに対してまた……という展開は、よくセリフが聞き取れなかった“ささやく探偵”からも想像できたとおりなのだが、それぞれが語る“事件”の内容はてんでバラバラである。よく注意して聞くと分かるのだが、実は真ん中の犬の形をした人形も、語り手によっては犬じゃなかったりするし、“被害者”であったりそうでなかったりもする。つまり、事件の内容だとか、真相だとか真犯人だとか、そんなことは徹底的に「どーでもいい」のである。観客に求められているのは、この後にさまざまのバリエーションで繰り返されるこの“推理劇ごっこ”全体のおおよその“しくみ”(“探偵”役が入れ替わりで順番にそれぞれの“推理”を述べて“犯人”を指摘すること、その際に使用されるいくつかのパターン化されたフレーズ)を頭に入れることだけであり、実際に観客はべつに意識しなくとも自然にそうできるように作られている。
 が、「どくんご」の芝居を初めて観る観客の多くは、やはりどうしても最初のうちはありもしない“ストーリー”を追う努力をしてしまう。ないものを追っているのだから、そういう観客の頭の中は“はてなマーク”でいっぱいになる。結局はおそらくよっぽど頭のカタい人でないかぎり、芝居の半ばあたりまでには、「あ、ストーリーとかテーマとか、ないんだ」ということにハタと思い当たるのだが、そういう人たちに私も何度か直接に「最初のうちはワケが分からなくてポカンとしていて、内容を理解することをあきらめたら、だんだん面白くなってきて、あとはもう夢中になって観た」といったような話を聞いた。
 ストーリーはおろかテーマすらない芝居、というのをいきなり見せられてすんなりと入っていける人は本当に少ない。セリフすらない暗黒舞踏や、前衛芸術系のパフォーマンスを見慣れている人でもないかぎり、やはり“芝居”というものに対する先入観をいきなり脱却することは非常に難しいらしい。そこらへんを考慮して、前回のツアーまではやっていなかった「ストーリーを追うことを観客に早くあきらめてもらうための」口上が今回は挿入され、また私などは、「どくんご」の芝居は「できれば2回観た方がいい」と書いたりしてきた(つまり2回目は最初からストーリーを追わずに観るよう“教育”されているはずなので)のだが、「どくんご」がすごいのは、しかし結局、その1回の観劇のいずれかの時点で観客のほぼ全員にそのことを悟らせ、芝居が終わる頃には大満足させてしまうところである。私自身、8年前に初めて「どくんご」の芝居を観て、その最初からもう、面白くて仕方がなかったのである。
 さて肝心の芝居のその後の展開だが、“語る探偵”で5人の“探偵”役が一巡すると、また最初から、“語る探偵”が繰り返される。かに思われる。が、語り始めた最初の“探偵”役の“推理”は(一巡目と比べて)きわめて“いい加減”である。それでも、指さされた1人目の“犯人”役は、オーバー・アクションで固まる。そしてやはりそこへ2人目の“探偵”役が……とはならず、5人の登場人物たちの輪が解けて、うち2人の役者によっておもむろに別の芝居が始まる。
 別の芝居ではあるが、これまでの展開と重なってもおり、その2人は、最初は“ささやき声”で対話し、次にもう一度、同じ芝居を大声で繰り返す。そこへやがて別の1人が意味不明のセリフで介入して流れを寸断し、続けてまた自らの“推理”を語りだす。“語る探偵”が唐突に再開されるのである。が、さきほどの1人目と同じくやはりその内容はきわめて“いい加減”、同じように2人目の“犯人”役がオーバー・アクションで固まった後、また別の“2人芝居”が始まる。
 2回以上観た人には分かるのだが、この2つ目の“2人芝居”部分は実はほぼアドリブで演じられる。ここを演じるうちの1人は今回のみ出演した客演の役者で、だからこの部分は次回はまったく違うものになるはずだから完全に“ネタバレ”で説明すると、相手方の役者の役名(“セイタロウさん”)と小道具的に用いられる犬型人形の名前(“ショウタ”もしくは“ショウコ”)、そして役者2人が夫婦であることと犬型人形がその息子もしくは娘であること、そして“セイタロウさん”は自らの名前も含めてそれらの全体を(この2人芝居の冒頭では)まったく理解していないという設定だけが決められている。あとは完全なアドリブでのコントである。ツアーの最初の大分公演、山口公演の段階では、ぶらぶら歩いている“セイタロウさん”を、奥さんが呼び止めて、事態を理解できない“セイタロウさん”をアタフタさせる内容だったが、ツアー半ばあたりで、おそらくやはりアドリブでやったに違いない、“セイタロウさん”を「あんた、歩くの早いんですわ」と追いかけてきて「ちょっと休憩しましょ」と持ちかける奥さんが、おもむろに「あら、いいとこですやん。ほら見て、きれいな地球やなあ」(この客演の役者は京都の人で、“探偵”役の時も含めて芝居ちゅう一貫して京都弁である)と客席後方を指さすところから始まるナンセンスSFふうのコントを、役者たち自身が気に入ったらしく、熊本県水俣での最終公演までずっとそのパターンを踏襲していた。もちろん、それでも細部は毎回全部アドリブである。
 この2人芝居もやがて他の役者たちの介入によって打ち切られ、またまた“語る探偵”が再開されるかに思われたところ、やはりまたまた“いい加減”に中断されて、またまた別の2人芝居が……というふうにもちろん5回、つまり一巡する。そのうち、やはりその京都弁の客演者と先ほどのアドリブの相手方とは別の役者との2人芝居部分も、ほぼ完全なアドリブでのコントで、客演の役者は犬型人形を抱えてまず「ピンポーン、ピンポーン」と呼び鈴を鳴らす演技をする。相手役が対応に出てくると、「いつもお世話になっております。今日はお土産を持って参りました」と、人形を相手に渡しながら、「どうぞ冷やして食べてください」と云う冒頭部分だけが決まっている。それが一体どういう食べ物なのか、どう調理するのがよいのか、などに関する、後は完全なアドリブのコントである。
 それらアドリブ・コントを含めた5種類の2人芝居の内容は、互いにまったく関係がないし、“本編”の“推理劇”とも(さきほど述べたようなせいぜい形式上の相似程度にしか)関係がない。また、2人芝居が展開されている間、他の3人の役者たちは、舞台から完全に消えていることもあれば、セリフは喋らないがオーバー・アクションで喋る2人の役者と背後で同じ動きをしていたりと、場面ごとにさまざまである。
 2人芝居と中途半端な“推理劇”とが繰り返される段階が一巡して終了すると、今度は役者5人それぞれの“1人芝居の部”に移行する。
 最初の1人は、これはよっぽど教養のある人にしか分からないだろうが(もちろん私だって後で劇団員に聞いて知っただけである)、サミュエル・ベケットの戯曲(だか小説だか)にある長ゼリフを喋っているのだそうである。もちろん、それなりの長さがあるのだろう作品の中から一つのセリフだけを取り出しているのであるから、ただ喋っただけでは面白くもなんともないはずだ。さまざまの声色やアクション付きでそれは語られ、観客は、セリフの内容はおぼろげにしか理解できなくともその演技に釘付けになる。この役者は、前回の公演では、小麦粉料理に関する、レシピ的な部分も含んだ妙に衒学的な薀蓄をこねくりまわした小説だかエッセイだかのフレーズを、バカバカしいほど大仰に情熱的に暗誦する、という1人芝居をやった。
 次の役者の1人芝居は、「人魚姫」である。と書いて、「あれ? もしかすると“推理劇”の中で別の役者が“探偵”として言及する“グリム童話”と関連づけてあるのかな?」と思って調べてみると、「人魚姫」の作者はアンデルセンで、やっぱり“本筋”とはまったくもって無関係のようだ。内容そのものは、主人公の人魚姫自身によるオーソドックスな“身の上話”ふうの作りになっている。ただし、この人魚姫は青森か秋田の人(人魚?)らしく、東北弁丸出しである。表情から声色からしぐさから何から、細かいところまですべて完璧に役作りされていて、かつ細かいギャグが随所に散りばめられていて、さらに同時にこの上なく切なくて、油断すると笑いながら泣いてしまいそうになる、今回の舞台で私が一番好きなシーンである(観た人にしか分からないが、私は彼女が「2回振り向く」しぐさがナカンズクお気に入りである)。
 次の役者は、これも後で劇団員に聞いて知ったのだが、元ネタは宮沢賢治の童話らしい。それを、落語ふうというか何というか、3人1役の1人芝居に仕立てて演じる。この役者は前回の公演では、逆に落語をまったく落語ふうにではなく(悲劇っぽく?)演じるという1人芝居をやっていて、もしかしたらそのあたりを追求しているのかもしれない。おどろおどろしいというか、妖しいというか、やはり絶妙な役作りがされている。さらに、致命的な“ネタバレ”は避けたいので具体的には云わないが、このシーンには観客を巻き込む趣向が含まれている。
 最初にベケットをやった役者がまた登場する。つまりこの役者のみ、今回、1人芝居のシーンが2回ある。もっとも、この2回目は、“役作り”こそおこなわれているものの、純粋な“芝居”ではない。この役者は来年の公演には参加しないとのことで、だからこのシーンはなくなるだろうから“ネタバレ”をやってしまうが、このシーンでおこなわれるのは「紙鉄砲」に関するちょっとしたレクチャーである。さまざまの素材(オーソドックスな新聞紙から模造紙、ケント紙など)で作った紙鉄砲を、実際に鳴らしてみせながら、観客の反応との掛け合いで“講義”が進む。何十回と“講義”をこなすうちに熟練したらしく、ツアーの最後の方では、観客の度肝を抜くぐらい大きな音で鳴らすべき時にはそのとおりに鳴らすことができるようにまで「紙鉄砲」を極めていた(もっともそうなる以前も、それはそれで失敗を笑いに変えていた)。
 次に登場する例の京都弁の役者の1人芝居は、どうやら実際に見た夢を元にしたらしい幻想譚めいた内容。住んでいる家の窓から不思議な光景を目撃した少女が、同居しているらしい親戚のおじさんか誰かにそのことを語りかけるが、「おっちゃんは壁一面に貼られた茶色い昔の写真にしか興味がな」く、反応してくれない。やがて彼女は、「明日の朝、朝顔が庭いっぱいに咲いていたら、この家を出ていく」決心をする。私の執拗な誘いに応じて福岡公演を観に来てくれたフリーター労組の小野君は、この1人芝居に何か革命的な意味を嗅ぎとったようでいたく感激していたが、たしかにそういうふうにもとれなくはないとも思うが、やはり“意味”にとらわれすぎな気がする(さすが現役の左翼活動家だなと、これはもちろんホメて云っているのである。左翼活動家のくせに意味とか理屈にこだわらない奴は最悪だと思うし、近年の左翼シーンにはそういう最悪な奴らばっかりなのである)。これまた次回公演には参加しないことが決まっている役者のことだから“ネタバレ”をやるが、このシーンの最後、役者は舞台の向こう側に飛び降りて(といっても舞台の高さは30センチぐらいである)締めのセリフを喋る。着地した瞬間、彼女の周りに、つまり舞台の向こう側にバーッと照明が当たるのだが、多くの観客はこの瞬間に初めて、この芝居が野外でおこなわれていることをはっきりと意識する。実際にはそのかなり以前の段階で、舞台を覆っていた幕の類はほとんど撤去されていて、外の光景が丸出しになっていたはずなのだが、しかもこの幻想譚の最中、遠くの方で別の役者たちが大道芸のようなことをやっている様子も目に入っていたはずなのだが、どういうわけか(前のシーンまでは、役者たちの演技に目が釘付けになっていたからだろう。遠くでおこなわれていた大道芸は、目の前で語られる幻想譚とよくマッチして、自然に受け入れてしまったのかもしれない)、なかなかそのことに意識が向かないのである。そしてアカラサマに露呈した背景に向かって、少女は火吹きの芸を披露しながら駆け出してゆく。かつて私が脚本を書いて鹿児島で上演された芝居でも役者の1人に火吹きをさせたが、「どくんご」のこの演出をマノアタリにして、私は心底恥ずかしい思いをした。もちろん恥じるべきは脚本を書いたにすぎない私ではなくてそれを料理した演出家なのだが、私たちの芝居では、役者は舞台の真ん中で単に1回だけ火を吹いてみせるだけだった。「どくんご」では、背景に向かって舞うように走り去りながら、何度も何度も火を吹いてみせた。なるほど火吹きの芸とはこうやるものなのかと目からウロコが落ちまくった。
 最後の役者は、「海に行こう」と自らを鼓舞するように語る引きこもりふうの若者を演じた。アフロのカツラをかぶった頭を左右に揺するアクションがコミカルだ。すっかり観客に意識された背景を、他の役者たちがまたそれぞれオカしなことをやりながら横切っていく。
 とまあ、こうして「役者それぞれの1人芝居の部」が一巡すると、またもや「そんなこんなはまあとりあえず置いといて」という感じで唐突に“本編”の“推理劇”が再開される。今回は、“探偵”役、“犯人”役は一巡どころではなく三巡か四巡以上する。もちろん、そのたびに違うバリエーションになる。それぞれの“推理”のフォーマットは同じまま、細部がバカバカしく変更されているし、新たに“探偵”役の“推理”を途中でさえぎって質問を浴びせる役が登場するし(もっともその“質問”の内容もそれに対する“探偵”役の返答も、語られている最中の“推理”とさえまったく関係のないナンセンスきわまりないもので、意味はゼロである)、全員が何語ともつかぬ、あるいは何語かに似た架空の言語で対話するバリエーションや、ほんの一言二言ずつで一巡してしまうバリエーションなど。最後のほうは“ちびくろサンボ”のラストのような高速回転で、結局、何も解決しないまま“推理劇”はバターになって消失してしまう。
 そのまま、役者全員による、ダンス(!)。ここ数年、流行歌に疎い私は知らなかったが、もちろん知ってる人は知ってただろう、パヒュームの歌と振り付けの“完全コピー”であるらしい。複雑極まりないダンスを、役者たちは一糸乱れずやり通す(ビデオを何百回も途中で止めては巻き戻し再生して解析し、それを再現する猛訓練を重ねたとのことだ。一説によれば、このシーンの練習量が一番多いとも。うーん、素晴らしくバカバカしい!)。
 ごく短い、“推理劇”の無言のラストシーン(らしきもの)を挟んで、照明と音響の2人を含めて、劇団員7名全員が(やはり公演地によってはさらに現地スタッフ数名が)楽器を持って舞台に立つ。短い前奏に続けて、演出家兼照明係の劇団員によるマンドリンの弾き語りが始まる。やたらと迫力のあるボーカルに、ぎょっとさせられる。サビの部分からは全楽器での大合奏および男性メンバー全員での大合唱に。演っているのは、私にもなんとなく聞き覚えのあった、「悲しき天使」という曲だとのこと。ビートルズが設立した、かのアップル・レコードから68年に発表されてヒットした、メリー・ホプキンという人のフォーク・ナンバーで、そのメロディだけを借用して、中原中也の詩を乗せてみたのだそうだ。

 ざっと以上が「劇団どくんご」の今回の全国ツアーでの演目「ただちに犬Deluxe」の概要である。
 最初と最後を劇団員全員での演奏で挟むこと、ラスト近くで練習しまくりの成果を見せつけるダンスを披露すること、また冒頭では覆っていた舞台を徐々に背景丸出しの状態にしていくこと、などは前回のツアーで確立され今回も踏襲されている形式で、「劇団どくんご」が長年追求してきたテント劇、野外劇の一種の“到達点”なのかもしれない。
 何だかんだと云いながら“ネタバレ”させまくりじゃないかと怒られそうだが、先に断ったとおり、役者が何人か入れ替わることによって、来年おこなわれる「ただちに犬、ナントカ」はかなり違う内容になるはずである。1人芝居のところだけでなく、“本編”の“推理劇”の部分も、である。
 そもそも、説明した内容から容易に想像されるように、今回の作品「ただちに犬」には「脚本」というのが存在しない。1人芝居の部分は、それぞれの役者がそれぞれに自分で考えて作ってきたものを、演出家が、あるいは全員で修正・加工していくものである。“推理劇”の部分も、詳しく聞いたわけではないが、想像するに、一種のゲームのようにして、それぞれが“探偵”役となってそれらしい“推理”を述べ、“犯人”役を指さす(ある役者が“探偵”役の時、最後に誰を“犯人”として指さすかという組み合わせだけは決まっているようだ)というのを、おそらく何百回もアドリブで繰り返し、その過程で偶然飛び出した「これは!」というフレーズを書きとめてセリフ化していった末にほぼ完成させられたものだ(「ほぼ」というのは、ツアー最終日の本番でさえまだアドリブ部分が断片的に残っており、またツアー開始当初は毎回変わっていたように思う箇所が、ツアー終盤では決まったセリフと化していることもあったような気がするからである)。アドリブ主体でない2人芝居の部分はどうやって作っているのか分からないが、つまり役者が入れ替われば、“本筋”の“推理劇”の部分も新たにアドリブ主体での練習をやり直すことによって、かなり変わるんだろうなと予想している次第である。
 全体の構成そのものはおそらく変わらないものの、最初と最後に演奏する曲目や、ダンス・シーンで使用される曲目も変わる可能性が高い。
 ある程度の“ネタバレ”もやむなしとして、あえてかなり詳細に芝居の内容を記述してきたのは、この芝居が、表面的には、本当に「ストーリーも何もない」、「ストーリーどころかテーマさえない」、「しかしなおかつ面白い」ということを一度はちゃんと説明してみたかったからである。「抜群に前衛的で、なおかつ抜群にエンタテインメントである」ということを、「とにかく観てみろ」というだけでなしに具体的に説明してみたかったのである。それに、ここで説明した程度のことは事前に分かっていたとしても、「実際に観ればどうせ面白いから」とそれでもなお自信を持って会場へ足を運ぶことをオススメできるというのが「どくんご」の最大の強みである。芝居のおおよその内容は説明してしまったが、「どくんご」の芝居は、ストーリーやテーマのみならず、“内容”さえ“どーでもいい”のだから。
 だって、例えば今回、宮沢賢治の童話や人魚姫を演じた役者は、次回も基本的には同じ演目で舞台に立つだろうが、ここで説明してきた程度のことでは、その具体的なイメージはほとんどチンプンカンプンであるはずだ。そもそも、あの面白さは説明のしようがない。「どくんご」の芝居の何が凄いかといって、仮にさらに進んで全編をテキストに起こして「こういう内容です」というところまでやったとしても、それを読んでもきっとまったく面白くもなんともないはずだということ! 結局、目の前で役者たちがやってみせてくれるそのパフォーマンスが、すべてなのである。私は、「どくんご」と出会うことで、書き言葉と話し言葉とはまるで違うものなのだということを改めて強く認識させられ、そのことがなければあの都知事選での演説パフォーマンスもなし得なかったのであるが、それでも私のアレは、テキスト自体がすでに充分に面白いのである。対して「どくんご」のパフォーマンスは、テキスト自体は面白くもなんともないのである。そして、まあ私のアレと「どくんご」のコレとを単純に比較してもしょうがないのだが、生身の身体を伴っておこなうパフォーマンスとしては、テキストにまったく依存しない「どくんご」のそれの方が数倍も難しいことだと私は思うのだ。
 ここまで具体的にそのパフォーマンスの内容を明らかにした上でなお、しかし結局は「いいからとにかく観てみろ」と云うしかないのが「どくんご」の「芝居」である。

 私は、これまでにとくにテントでのそれを主に、フツーの人よりは多く芝居を観てきた人間だと思うが、べつに芝居が好きなわけではない。私がかつて身を置いていた左翼的な政治運動のシーンとテント芝居のシーンとには密接なつながりがあって、半ば成り行きでいろいろ観ることになったにすぎない。
 もちろん個別には面白いなあと思う作品もあるにはあったが、それが「芝居」という形式に落とし込まれていることの必然性を納得したことは、「どくんご」を初めて観るまでは一度もなかったし、以後現在に至るまでも、「どくんご」の舞台以外では一度もない。
 思うに、「どくんご」は、「芝居でなければやれないこと」、とくに「テント芝居でなければやれないこと」以外の要素を、長い試行錯誤の過程で徹底的に捨ててきたのだ。
 「どくんご」以外でこれまでに観た「面白い芝居」は、結局、ストーリーが面白かったり、テーマに共感できたりしたにすぎない。そういうものは、別に小説や映画の形式に落とし込んだって面白いはずだ。場合によっては、論文やエッセイにすればいいじゃないかとさえ思う。
 今回、「どくんご」の福岡公演の受け入れ先になっていたのは、「上海素麺工場」という地元のテント劇団で、そこの座長の支那海東さんは、「もともとは映画をやりたかった。しかし映画はカネがかかる。だから芝居を始めた」と話していた。彼が自分の劇団を立ち上げた30年前には確かにそのとおりだっただろうし、その限りでは「芝居」という選択に必然性はあったのだろうと思うが、現在では、多くの人がデジタルビデオで映画を撮っているように、やりようによっては芝居よりも映画の方がよっぽど安上がりだし、手間だってかからない。「上海素麺工場」の芝居が面白いとか面白くないとかの話ではなくて(今年、「どくんご」のメンバー2人と一緒に観に行った「上海素麺工場」の「セカンド・ハネムーン」は、「どくんご」の2人は面白がっていたが、私にはあまりピンとこなかった。10年ほど前に観た「遠眼鏡の春」という作品はすごく面白かった)、純粋に形式の必然性の問題として、私はそういうことを考えてしまう。
 芝居は、あまりにも原始的なジャンルである。その原始性の理由は、複製がきかない、ということに尽きる。それを上演する日時と場所を決めて、役者・スタッフの全員が、当日その場所へ出向かなければならない。観客も、観たければやはり当日そこへ出向かなければならない。撮影すればビデオでも観られるが、ビデオで観る時点でそれは演劇作品ではなく別の何か、まあ一種のドキュメンタリー映像作品のようなものである。そして、ビデオで観たって現場で観るのと(そりゃまあ迫力みたいな点で多少は落ちるかもしれないが)そう大差ないぐらい面白いのであれば、わざわざナマで上演する必然性なんかないじゃないかと思う。とりあえずセットを組んで、そこで1回演じるのを撮影して、映像作品として流布させればいいじゃないかと思う。撮り直しが利くから1時間ぶんも2時間ぶんもセリフを丸暗記して撮影に臨む必要もないし、何日かに分けて撮影すれば、役者やスタッフ全員を一同に集めるために日程を調整する必要もない。
 膨大な練習時間と、濃密な集団行動をあえてしてまで「芝居」という形式で発表しなければならなかったような演劇作品が、そうそうあるとも、(とくに動画作品を安く手軽に製作できるようになって以降)これまでにあったとも私には思えない。
 しかも、結局これまた「複製がきかない」形式であるがゆえであるが、「芝居」は他のジャンルに比べれば圧倒的に少数の受け手をしか獲得できない。ある種の商業演劇(劇団四季だとか宝塚だとか)のように同じ作品を何ヶ月も何年もロングランするような場合ならともかく、たいていの演劇作品は数日か、せいぜい1、2週間ぐらいしか上演しないものだし、その限られたごくごく貴重な機会に会場に足を運ばなければ観ることができないのだから、受け手の都合に合わせていつでも享受できる動画や音楽や、あるいは小説やマンガのようなジャンルとは、そもそも受け手の数を比べようとするのもバカバカしいほどだ。映画なら、100年近く前に作られたかなりマニアックな作品であっても今でも簡単に観られるのに、芝居は、わずか30年ほど前の寺山修司や唐十郎といった大御所たちの作品ですら、“記録映像”としてさえほとんど観ることができない。
 かくも非効率な、労多くして実り少ないジャンルに、あえて挑む必然性を、本当に考え抜いているんだなと感じさせられるような「芝居」集団を、私は今のところ「どくんご」以外に知らない。

 「どくんご」の芝居は、先にざっと説明したとおり、少なくとも表層的には、まったく“政治的”ではない。
 が、ある意味では、「どくんご」の芝居は非常に“政治的”である。
 「どくんご」は、上演する芝居の“内容”ではなく“形式”で、その“政治性”を表現しようとしているらしい。演出家をはじめとする何人かの劇団員や元劇団員たちに聞いた話を総合して私なりに翻訳すると、大枠以下のようなことになる。
 「どくんご」は、初めての土地で公演場所を探す時、可能なかぎり公共の、つまり県や市の管理する公園などの使用許可を得ることを追求するらしい。それが叶わなかった場合に、改めて私有の空き地やなんかを当たり始めるのだという。
 日本では、“公共の空間”は、特定の個人や集団が独自の目的で使用するべきものではない、という発想が一般的である。“フツーの先進国”では逆に、“公共の空間”は誰のものでもないがゆえに誰もがさまざまの目的のために使用してよいのだという発想が一般的であるようだ。日本では、公共空間を誰かが私的に使用すればすぐに公権力が介入してきてそれをやめさせようとするが、“フツーの先進国”では、何かモメゴトが起きた時に初めてそれを解決するために公権力が介入する。あくまで“傾向”的な話だが、「どくんご」が問題にしているのはこの日本の“公共”感覚なのだと思う。
 どんなヘンテコな集団や個人にも、公共の場所を、とくに大きな問題でも起きない限り、自由に使用する権利がある。そのことを身をもって表現するためには、その内容は、ワケの分からない怪しげで意味不明なものであるほどよい。したがって、「どくんご」の芝居の内容は、どこまでも前衛的な方向を志向していくことになる。しかし、ワケが分からないことが災いして、そこに誰も寄りつかないようでは、「あ、こんなところでこんなことをやったっていいんだ!」と多くの人に“目からウロコ”な体験をしてもらえない。したがって「どくんご」の芝居は、一方で徹底的にエンタテインメントであることを志向することになる。結果として、かぎりなく前衛的でありながら、かぎりなくエンタテインメントである稀有な、衝撃的でありなおかつ面白すぎる「芝居」作品が上演されることにしかなりようがない(ここで私の、例えばコレとかの“ファシズム芸術論”を想起してもらってもよい。今、本当に“面白い”ことをやるためには、その動機が、そのジャンルの外部から注入される必要があるということの、ひとつの具体例が「どくんご」であるとも云えなくもない。むろん、「どくんご」の芝居が“ファシズム芸術”だと云っているわけではない)。
 私が初めて「どくんご」の芝居を観たのは何度も云うように前々回、8年前のツアーでのことだが、その時には、「どくんご」の舞台は最初から背景に向けて完全に開かれていた。つまり芝居冒頭から舞台の向こうの背景は丸出しだった。ところが、前回は、まず冒頭では舞台を最小限に覆い、芝居が進むにつれて徐々に覆いを取ってゆく、という形式を採用し、今回もそれを踏襲していたということはすでに述べたとおり。演出家によれば、その方がむしろ、「ああ、この芝居は外でおこなわれているんだ」ということを、より強烈に観客に印象づけられることに気づいたからだという。
 演出家は、自分たちの芝居を観た観客たちの中から、「この公園で芝居ができるんだ。だったら今度は自分たちで芝居なり何か他のイベントなりにこの公園を、あるいは他の公園を使わせてくれるよう交渉してみよう」という反応がある(実際によくあるらしい)ことをことのほか喜んでいるようである。その内容は何だっていいのだ。いろんな人が、いろんな目的で、公共の場所に出現しはじめることを何よりも期待しているのだ。
 作品の「内容」の外部に実は強力に存在する、「どくんご」の“政治性”とはそういうものだと私は解釈している。

 話は少し脇にそれるが、私は「どくんご」には強烈に同世代性を感じさせられている。
 拙著『青いムーブメント』でも言及したように、80年代半ばから末にかけて、テント芝居のムーブメントの第二のピークが存在する。
 “第一のピーク”は云うまでもなく、赤テントやら黒テントやら、あるいは寺山修司の「天井桟敷」やら、といった一群のテント劇団、野外劇団が次々と登場し、盛んに活動を繰り広げた70年代初頭である。
 80年代の“第二のピーク”はこれとはいったん切断されている。“第一のピーク”の渦中で旗揚げされたとは云える、72年結成の「曲馬館」という非常に左翼的な政治性の強いテント劇団が、80年代に入ってまもなく3つのやはりそれぞれテント劇団に分裂する。うち最も知名度が高いのは「風の旅団」であろうが、他の「夢一族」と「驪団(りだん)」も含め、この3劇団は、80年代をとおして全国を回るテントでの旅公演を波状的に何度も何度もおこなった。
 私が初めて観たテント芝居は、88年の「夢一族」の広島公演で、以後まもなく、その福岡公演の受け入れ先となっていた集団と深いつながりができて、以来、90年代後半により主体的にそのシーンに関係するようになるまでの間にも、時折、テント芝居を観る機会があった。「風の旅団」の芝居も2回か3回、観たはずだ。「驪団」は結局、1度も観てはいないが、それぞれ作風は少しずつ異なるのだろうが、もともと同じ1つの劇団から分かれたものだし、「夢一族」も「風の旅団」もそうだったように、「驪団」も含めていずれも左翼的な政治性の濃厚な芝居をやっていたのだろうと思う。
 振り返れば、80年代いっぱいまで、志を持続する全共闘世代の活動家や表現者たちは血気盛んだった。「驪団」もそうだったんじゃないかと思うが、「夢一族」も「風の旅団」も、全共闘体験者、あるいはそのちょっと下の、まだ全共闘時代の空気が濃厚に残存している時期に自己形成した世代が中心となった劇団だった。
 60年代末の全共闘には、若者たちの自己解放運動の側面が強かったが、70年代に入ると同時に、“より抑圧されている”諸々のマイノリティの運動に滅私奉公する路線が、全共闘の流れを汲む左翼運動の主流となった。『青いムーブメント』で詳しく解説したとおり、80年代半ばあたりからこれに代わる新世代の若者たちの自己解放運動としての左翼運動が復活してくるが、80年代後半というのは両者が混在する過渡期でもある。
 私たち、80年代後半に自己形成した左翼活動家(の一部)は、“非転向”の全共闘世代や、その直系の自分たちよりちょっと上のお兄さん世代の活動家たちの、滅私奉公型の言動に一方で強い影響をこうむりつつ、主には新たに登場してきた自己解放型の運動に足場を置きながら、自らの方向性を模索した。逆に云うと、ちょっと上の世代までの活動家たちの言動に猛烈な違和感を抱きつつ、といってそれを完全には否定もできずに、云わば斜め上を見るような目線で意識しながら活動家生活を送っていた感じである。
 「風の旅団」や「夢一族」の芝居の“政治性”も、私が印象に残しているかぎりでは、要は「天皇制は打倒しなければならない」、「虐げられたマイノリティたちを先頭とした革命の勃発は近い」という2つのことを、実際にさまざまの具体的な運動体と協力関係を築きながら、手を変え品を変えひたすら訴え続けているような、典型的な70年代的“ポスト全共闘”のそれで、当初こそそれなりの衝撃を受けもしたが、こういう“政治的主張(テーマ)に拠りかかった芝居”は、私の政治的立場がそれと離れてゆくにつれて当然くだらなく感じられるようになる。もっともそれは私にとっても90年代に入って以降の話で、80年代いっぱい、ぎりぎり90年代初頭くらいまでは、勢いのあったこれら旧「曲馬館」系3劇団の盛んな活動に刺激を受けて、私たちの世代からもそれらの劇団やその周辺のテント劇団に加盟したり、独自のテント劇団を立ち上げたりする者も少なくはなかった。3劇団の活動も、それらが導火線となって生じたちょっとした“テント芝居熱”も、左翼政治運動シーンにおける私たちの“青いムーブメント”と同様、一般に流布されているデタラメな、演劇史を含む“正史”からは抹殺されているが、それは確かにあの時代、存在したのである。
 「どくんご」も、そもそもはこうした時代状況の渦中で結成されたテント劇団である。初期には、露骨に政治的な内容の芝居をやってもいたらしい。「舞台にベルリンの壁を模したものを作って、それを壊したりしてたよ」と劇団員の1人は、照れ笑いを浮かべながら云って、「まあそういうのにはすぐに飽きちゃったんだけど」と付け加えた。
 具体的な経緯は知らないが、「どくんご」の人たちも、自分たちの自己形成に深く影響を与えたそれら先行劇団の実践を、“斜め上”に見ながら、つまり違和感と共感とをない交ぜにした感覚を持ち、かつその感覚を直視しながら、自身の試行錯誤を続けてきたのだろうと私には確信されるのであり、そうでなければ、「どくんご」の芝居はこうはならなかっただろうと思うのである。

 私が「どくんご」に対して抱く熱烈なシンパシーをあえて言葉にすれば、ざっと以上のようなことである。
 この一文を読んでくれた諸君が、必ずしもそれを共有までしてくれるとは思わない。
 が、要はそんなこんなで「どくんご」の芝居は「必ず面白い」のである。
 今回は、もしかしたら私のこういう説明の不足もあって、行こうかどうしようかと迷って結局行かなかったような諸君にも、これまで4年おきなどと焦らされていたことを思えばまるで夢のようなことに、もう半年も経たないうちに始まってしまうという次回の旅公演こそはぜひぜひ実体験してほしいと心から願う。

 最後にさらに“ダメ押し”で、どこかで言及しようと思いつつ、うっかり言及しそびれたエピソードを紹介しておこう。
 私はくり返しあちこちで云ったり書いたりしてきたとおり、95年のオウム事件に極限的な恐怖を覚えた。“やっぱり宗教は怖いなあ”などと思ったのではもちろんなく、これをきっかけに、もともと変わり者や偏屈者にとって生きづらかったこの日本社会が、オウムの信者を手始めに、ありとあらゆる“なんか怪しい奴”、“何を考えているのかよく分からない奴”が、それまで以上に不審の目で見られ、警戒され、ちょっとしたことで拘束されたりもするような、ますますもって強力に急速に生きづらい社会になっていくだろうということが、ヒシヒシと感じられたからだ。世間の大半の人にとっては、私なんか“不審人物”の最たるものだろうし。実際、当時はただそれまでと同じようにストリート・ミュージシャン活動やヒッチハイク旅行をしているだけで、「オウム信者じゃないのか」と云われた。
 で、その後の日本社会はまさに、いや当時想像しえた最悪の未来予想図より以上に数段ヒドくそういう方向に進んで、現在に至るもなおさらにそれは進行途上なわけだが、当時、だから私が彼らと出会う前のこと、彼らもやはり私と同じように、ただ何となく怪しげだというだけで人が迫害される時代がくるぞという強い危機感を抱いたようで、芝居を通じてその流れに抵抗すべきだと考えた。
 結果、全員がスキンヘッドにしなくちゃいけない芝居を作って全国ツアーに出ることになった。舞台本番のみならずその旅の間の全期間、“怪しまれる側”の存在であり続けよう、というのが彼らなりの“抵抗”だった。実際、まんまと(?)方々で不審がられたらしいが、女性の役者たちは尼さんだと思われて逆にあちこちで老人たちに拝まれることもあったそうだ。
 ちなみにその時の芝居の中身は、“ハゲの国の話”だそうで、バカバカしいことこの上ない。“内容”なんかどーでもよく、“形式”で闘う「どくんご」の面目躍如たる痛快な話だと思う。はずだ、諸君も。