新左翼某派に学ぶ

2020.1.1 外山恒一


 とくに『全共闘以後』を読んだ人などから、私はとにかく革マル派が大嫌いなんだと思われているフシがある。いやまあそう云えなくもないんだが、真意は誤解されている気がする(刊行直後の菅野完氏とのトーク・イベントでも菅野氏にそのように訊かれ、「いやいや、云うまでもなく革マル派より共産党のほうが一億倍嫌いです」的に応じた)。
 たしかに日本がこうなったのは革マル派のせいである。
 「こうなった」というのは、反体制運動とくに若者による反体制運動がほぼ壊滅した、ということである。そして日本が現在、スバ抜けた5流Fラン国家に堕ちているのは若者による反体制運動がほぼ存在しないためであり、そこまで含めて、すべて革マル派のせいだと私は考えている。したがって新左翼運動史もよく分かっていないくせに“安倍政権ガーッ”とか云ってる連中は、私にはちゃんちゃらおかしいというか、まあFラン国家にふさわしいFラン反体制どもであるとしか思えない。
 要するにいわゆる内ゲバが運動壊滅の主要因である(というか唯一の要因。内ゲバの常態化さえなければ、運動は時期によって盛り下がることはあっても完全に壊滅することはなかった)ことは、運動史をざっと眺めただけでも分かる。そして、他派の撲滅を最初から積極的な方針として掲げている革マル派さえ存在しなければ、内ゲバは起きるとしても突発的・事故的なもので終わっていたはずで、あのように悲惨な形で常態化したことなどあり得ない。
 しかし同時に、私は革マル派の振る舞いは(左翼としては)まったく正しいものと考えてもいる。自らを“普遍的正義”の担い手であると確信するところにこそ左翼の本質はあり、他派はすべて誤っていると見なさないようでは左翼の名に値しない。誤った左派は革命の障害なのだから、あらゆる手段を行使してそれらの撲滅を目指すことは、左翼としてはまったく正しい。とりあえず革マル派の掲げる正義が本当に正しいかどうかは措いて、左翼の振る舞いとしては当然そうなるということだ。
 そして思想的な内容面でも、革マル派は(マルクス主義としては)おそらく正しい。
 革マル派を悪く云う者は、彼らが革命を無限の未来へと追いやって、結局のところ現在は何もしないことこそが革命的であり、何かやるような連中は(余計なことをやって要らぬ弾圧を招くばかりなのだから)すべて反革命である、というようなトンデモ理論に凝り固まっていると見る。しかし実際、(マルクス主義的には)革命は“無限の”とまでは云わないとしても、かなり先の話であるはずではないか。(マルクス主義によれば)封建制が成立してから打倒されるまで軽く1000年は要している。封建制と違って資本制が“速い”システムではあるとしても、フランス革命からたかだか200年、300年ぐらいで共産制に移行しうると考えるほうが能天気というものだろう。たぶん革マル派は、革命は500年ぐらい先のことだと考えており、それまでは、その革命の瞬間に巨姿を鮮明にする予定の“正しい共産主義者の組織的結晶体”である自派を、次々と登場するニセの革命派組織をいちいち撲滅しつつ、ひたすら拡大していくことだけを考えている。いやー、まったく正しい。そんな、自分自身どころか孫の世代さえ享受することはできないだろう革命のために、一体どんなモチベーションで(敵対党派に殺害されたりさえしながら)献身的に頑張れるのか、現世にしか興味のない俗物の私などには理解不能だが、何かとてつもなく崇高なものは感じなくもない。
 このあたりはおそらく、私も大いに影響を受けているスガ秀実氏も認識していることで、例えば『吉本隆明の時代』など読んでも、吉本とクロカン(革マル派の“教祖”故・黒田寛一)の論争を再検証して、吉本は少しもクロカンを論駁しえていないではないかと指摘している。もちろんスガ氏は私以上に頑固な反・革マルで、革命を何百年も先の話だというそれなりに正しいマルクス主義解釈を前提とすれば革マル派が正しいが、そうではなく、革命を“今・ここ”に生起しうるものと見なす立場に立てば(というか立って初めて)、革マル派とは違う路線を選択しうると論じているのだと私は解釈している。そしてもちろん私もその立場であり、かつ、スガ氏の願望には反して、革命を“今・ここ”に生起しうるものと見なすことによって成立する革命論はマルクス主義的なものではなく、ファシズムでしかあり得ないと考えているわけである。
 したがって革マル派が、中核派をはじめとする、まるで“今・ここ”に革命が生起しうるかのように暴れまくる“68年”前後の他派を、マルクス主義からの逸脱であり、(マルクス主義の立場からすれば)反革命であると見なしたことも、まったく正しいと私は考えている。革マル派以外の新左翼党派は、無自覚にアナキズムへと逸脱していたのであり、アナキズムは(マジメにやってれば)必然的にファシズムに転化するのだから、そりゃあマルクス主義的には反革命であろう。
 ちなみに、毎年2回、現役学生を集めて新左翼運動史を“詰め込みキョーイク”している教養強化合宿でも、学生たちに立花隆の『中核vs革マル』を熟読してもらいつつ、理屈としては革マル派のほうが正しい、というコメントをしつこく挟む。おそらく『中核vs革マル』を1人で読むと、自然な人情として、中核派のほうが正しいと感じてしまうに違いないことを警戒して、そうではないと強調しているのである。もちろん、“マルクス主義を徹底すれば”革マル派が正しいことになってしまうので、マルクス主義はあまりお勧めできませんねえ、という含みがある。
 マスゴミが流布しているイメージでしか世の中を見ていない連中はまったく気づいていないだろうが、新左翼運動なんぞほぼ壊滅している現在、しかし革マル派だけはあまり勢力減退せず、70年代と大して変わらない規模で存在している(地道な組織活動つまり労組や学生自治会などへの影響力浸透の工作や、そうやって獲得した部分の内部での学習会とか、自派以外の諸運動や国家権力組織へのスパイ活動とか、そういったこと以外は基本的に“何もやらない”党派なので、目立たないだけだ)。その点でも、革マル派の正しさは証明されているとも云える。

 私は20代の時期、つまり90年代、恥ずかしながら“21世紀の吉本隆明”となることを夢見て、論客としての不遇を耐え忍んでいた。アカデミズム・シーンのクズどもから完全に独立した“在野の革命思想家”として、いずれ脚光を浴びる日も来るに違いないと確信していたのである。吉本はアカデミズムではなくジャーナリズムに足場を置いた思想家だったわけだが、つまり私は日本のFラン・ジャーナリズムのFランぶりを甘く見ていたと云える。
 そしていつしか、私はむしろ自分が“21世紀の黒田寛一”と化しつつあることに気づき始めていた。思想内容の話ではなく、日本の“思想地図”におけるポジションの話である。一流の思想家であることには私自身まったく疑いはないが、アカデミズムからもジャーナリズムからもほぼ完全に黙殺され、しかし知名度はそれなりにあり、ごくごく少数の若者たちから、恥ずかしながら一種のカリスマ視されている。まるで50年代後半の黒田寛一そのものである。
 そして私は現在もはや開き直りつつある。
 クロカンで結構。世間がそれほどまで私を無視するなら、もうグレてやる。“21世紀の黒田寛一”になってやる。
 革マル派はもともと、黒田寛一を囲むごく小規模な学習会サークルとして始まっている。ものの本によれば、革マル派の直接の前身である革共同全国委員会が結成された時、そのアクティブなメンバーは10名ほどであったという。なんだ、今の私の周囲に形成されているのとほぼ変わらないというか、むしろ私の周囲のほうが多いぐらいじゃん。
 そしてまた聞くところによれば、革マル派の人たちは、「黒田さんがハンガリア革命の衝撃から独力で革命的マルクス主義を創出した苦難を思え」と口癖のように云い合いながら、日々研鑽を積んでいるのだそうだ。いい話である。諸君もまた、私があの栄光のマイ・マジェスティ闘争の渦中で、しかも酷寒の(というほどでもないが)刑務所の独房で、偉大な先達である千坂恭二氏の言説などまだ知らないまま、独力でファシズム思想に到達した苦難に思いを馳せながら、日々研鑽を積むべきである。
 考えてみれば、学習会を基礎に組織拡大していくという初期革マル派の方式は、現在の状況に合っているとも云える。右も左もとにかく知的劣化が著しく、まず勉強しなきゃ何も始まらんだろうと思わざるをえないところがある。
 もちろん我々は革マル派と違ってマルクス主義ではなくファシズムに立脚しているわけで、つまり革命は無限の未来ではなく“今・ここ”に生起しうるものだという立場だから、勉強だけしていればいいというものではないとしても、である。
 我々団の新しい活動方針に、まるで革マル派ではないか、という反応も予想されるので、ええ、実はそうなんです、という先回りの意味もあって白状しておいた。「我々は革マル派ではないけれども、革マル派の組織論を参考にしたことは認める」とか云うと、まるで『全共闘以後』に書いた某NPOのようだが、我々はファシストなので、革マル派や某NPOと違って開けっぴろげであり、いかにも“秘密結社”っぽい、陰湿の感じとは程遠いはずである。まあ、目指せ“明るい革マル”、とでも云ったところか。
 革命が実際のところ何百年も先の話なのか、明日明後日とは云わずとも数年以内ぐらいに起きるのか、そんなことは実際どーだっていいとも云える。いつでも乗れるよう準備は怠るまいというだけの話だ。我々ファシストも革マル派を(反面教師として)見習って、コツコツと準備=党建設に励もうではないか。