脚本 『アリババが40人の盗賊』7

 (第一案)
 (BGMが流れはじめる。セリフが聞こえるか聞こえないかギリギリになるくらいの大きめの音量)
 (ドボルザーク「新世界より」第四楽章、もしくは「アランフェス協奏曲、もしくは中島みゆき「異国」)
 (曲の長さ的ににはどれもこのシーンいっぱい流し続けるに充分だが、
 右の3ついずれを選ぶかによってこのシーンの雰囲気は全然違ってくる)
 (「新世界」なら勇壮な、「アランフェス」なら哀愁をおびた、「異国」なら滑稽かつ悲愴な感じになる)
 (あるいは3回公演でそれぞれ変えるのもよい)
 (照明がつくと、舞台上に、バラバラにテロリスト3人)

 (第二案は役者側の提起によるものである)
 (8場のセリフの伏線にもなるので、可能ならこちらの方がいい)
 (照明がつくと、舞台上に、バラバラにテロリスト3人)
 (3人は滝に打たれながらセリフを吐く。ものすごい水量で客を圧倒する。以後当然、舞台はぬかるむ)

秋山 同志近藤。芸術の目的とは何だね?
近藤 戦争の勃発を阻止することです。
里美 その答えでは不充分です。
 戦争の勃発を阻止することはもちろん、平和の到来を阻止することもまた、芸術の目的です。
秋山 そのとおりだ同志里美。では戦争と平和の共通点は何だ。
里美 本当は存在する多種多様な矛盾や対立が、何らかの不当な力によって覆い隠されてしまうことです。
近藤 平和とは一つの欺瞞です。
 この世の中には、深刻な対立をはらんだ未解決の問題が数多く存在しているにもかかわらず、
 それらが顕在化せず、一見平穏が保たれているとすれば、
 そこには必ず何らかの欺瞞が存在しているのです。
里美 戦争もまた一つの欺瞞です。
 戦争とは、国家と国家とが武力を行使しあうことです。
 そして近代以降の戦争はいわゆる総力戦であり、それぞれの国家の指導者は戦争を開始するに先立って、
 国民を扇動し国論の統一を図らなければなりません。
 開戦の後も、戦争が続けられているかぎり、国論が統一された状態もまた持続されなければなりません。
 つまり戦争においてもまた、国内の多種多様な矛盾や対立は覆い隠されるのです。
秋山 それでは、戦争でも平和でもない、本来あるべき状態とはどのようなものだ。
里美 世の中に存在するさまざまの矛盾や対立がそのままの形で噴出し、混乱を極めている状態こそ、
 本来あるべき健全な状態であると云えます。
 芸術は戦争の勃発と平和の到来を阻止し、健全な混乱状態を持続させることを目的とします。
近藤 したがって逆に、欺瞞的な戦争や平和の状態においては、
 一刻も早くそれを終わらせることが芸術家の使命となります。
 すなわち、平和状態にあってはさまざまの矛盾を顕在化させ、
 ことさらに対立を煽り、本来あるべき混乱をもたらすこと。
 戦争状態にあっては、自国にも敵国にもくみしない多種多様な立場を顕在化させ、
 国論の統一を乱し、戦争の継続を不可能にすること。
秋山 そう。これまではそれでよかった。
 しかし現在おこなわれている戦争において、この話は成り立たない。
 その点は二人とも充分理解しているな。
近藤 分かっています。
 これまでの戦争は、国家の単位で敵味方に分かれ相争うものでした。
 しかし現在おこなわれている戦争はそうではない。
 従来の戦争の定義からすれば、今回の戦争は戦争ではない。
秋山 だからこそ彼らは、今回の戦争を「まったく新しい戦争」と呼んだ。
 そして彼らがそう口にした瞬間、この本来戦争であるはずのないものが、
 確かに戦争以外の何物でもなくなってしまったのだ。
里美 アメリカはアフガンやイラクと戦争しているのではありません。
 彼らの戦争の相手は特定の国家ではなく、
 彼らが云うところの、「テロリストの国際ネットワーク」です。
 しかしテロ対策は本来警察の仕事です。
近藤 だからこそ米軍は「世界の警察」としてふるまうことになるのです。
 相手が国境を越えたとらえどころのないネットワークであるために、
 本来警察がやるべき仕事を、軍隊が肩代わりしなければならなくなったのです。
 国外の軍事活動は、かぎりなく警察活動に近づきます。
里美 そして同時に、国内の警察活動はかぎりなく軍事活動に近づくのです。
 これもまた、相手が国境を越えて世界中に遍在するネットワークであるがためです。
 敵が必ずしも国境の向こう側にいるとは限らないのです。
 国外で軍隊が相手にしているのと同じものを、国内では警察が相手にしなくてはならなくなります。
 国外では警察活動と見まごうばかりの軍事活動が展開され、
 国内では軍事活動と見まごうばかりの警察活動が展開され、
 両者が一体となってひとつの戦争状態を形成します。
 すなわち「まったく新しい戦争」です。
近藤 この戦争には、戦闘地域と非戦闘地域の区別などありません。
 戦場でない場所など、もはや地球上のどこにも存在しないのです。
 第一次世界大戦、第二次世界大戦。
 しかしながらかつては、中立国というものもまた数多く存在しました。
 2001年9月11日。あの日に開戦した「まったく新しい戦争」こそは、
 真に世界大戦の名に値する文字どおり地球規模の戦争です。
秋山 世界が戦争状態に突入したのは確かにあの日だ。
 しかし我々はそうなってみて初めて気がついた。
 世界に冠たるわが日本国は、
 すでにとうの昔にこの「まったく新しい戦争」に突入していたのだということに。95年3月20日……。
里美 イスラム原理主義者に先駆けること6年、
 わが日本国では、仏教原理主義を掲げる武装集団による、首都中枢への攻撃がおこなわれていました。
秋山 あの日以降急速に進行した日本社会の変質の意味を、我々はずっと計りかねていた。
 ただそれが我々にとって決して好ましくない変化であるということだけは直観できた。
 戦争が始まるのではないかと考えたことはあった。
 しかしまさか、戦争はすでに始まっているとまでは発想が及ばなかった。
 これまでの戦争概念を越えた、「まったく新しい戦争」が。
里美 従来のテロや騒乱の範疇を越えた、ある決定的な武力行使が突然におこなわれ、
 当局は、それをおこなった特定の集団を非和解的な完全なる敵として設定します。
 監視と摘発の技術が飛躍的に高まり、
 当初敵とした集団以外にも、新たな「社会の敵」が次々と発見・摘発されます。
 最終的にはこうした監視社会化を支持しない者自体が敵とみなされます。
近藤 2001年9月11日以降、世界中あらゆる国で顕著になってきた傾向です。
 わが日本国は、世界に6年ほど先駆けていただけだったのです。
秋山 この状況で、芸術家にできることは何だ?
近藤 何もありません。
里美 芸術家の使命、すなわち健全なる混乱状態を作り出し持続させること、
 それ自体が彼らへの敵対行為となります。
 芸術家もまた、この戦争の一方の当事者たらざるを得ないのです。
近藤 戦争の当事者であるということは、芸術家ではないということです。
 今回の戦争は、いわば多種多様な矛盾や対立が覆い隠された欺瞞的な平和を維持するための戦争です。
 本来あるべき混乱を顕在化させる芸術活動は、
 イコール彼らの敵側としてのこの戦争への主体的参加であり、
 つまりもはやそれは芸術活動たり得ません。
 もはや芸術は不可能。芸術家は、芸術を断念しなければなりません。
里美 要するに我々はただ単に、敵の兵士です。
秋山 我々のスローガンを覚えているな。
近藤 もちろんです。
全員 すべての楽器を武器に!

 (テロリストたちがここで掲げるスローガンは、
 現在、ブッシュの戦争に反対する日本の左翼が掲げている喜納昌吉・作のスローガン、
 「すべての武器を楽器に」への批判的パロディである)
 (全員退場)

アリババが40人の盗賊