脚本 『アリババが40人の盗賊』6

 (役者5人、舞台上にバラバラにいる)
 (近藤と里美がそれを高みから見下ろしている)
 (近藤・里美の「コメント」は役者側の耳には入っていない)

田中 何か面白いことをしたい。
里美 田中隆ね。
田中 芝居を選んだのはたまたまだ。音楽でも、他の何かでもよかったのかもしれない。
 とにかくおれは、他の誰もまだやってないような、何か新しいことをやりたいんだ。
 たまたま芝居を選んでしまったんだから、芝居というジャンルの可能性を追求してみたい。
近藤 話にならんな。
里美 内容ゼロ。
早水 芝居って、やっぱりナマだから面白いんだと思う。
里美 早水マリ。通称「ちゃん」。「マリちゃん」の「マリ」が抜けて「ちゃん」。
近藤 産湯と一緒に赤子を流したようなアダ名だな。
里美 ごめん、(その例え)分かんない。
早水 お客さんの反応がその場でじかに返ってくるところとか。
 ウケてると芝居も乗ってくるし、ウケてないと、なんとかしなきゃって思うし。
 テレビドラマや映画って、結局はすでに完成したものを見ることになるでしょう?
 それが悪いとは云わないけど、やっぱりナマでやる芝居とは、全然違うものだと思う。
里美 ジャンルの特徴を説明してるだけね。
近藤 それが何の役に立つんだという質問の答えにはなっていない。
中野 芝居とは多重的なコミュニケーションの実験です。
里美 これが中野祐也。
近藤 大学で演劇論をやってたという奴だな。
中野 まず芝居そのものの内容がある。
 これは主に脚本家の頭の中でおこなわれる、複数の登場人物を使ったコミュニケーションの実験です。
 この段階では、例えば小説家のおこなっている実験と大差はない。
 しかし、脚本はそれが生身の人間によって実際に上演されることを前提として書かれます。
 演出家、役者、スタッフといった複数の生身の人間が、
 ひとつの舞台を作り上げるために試行錯誤をおこなうことになります。脚本の変更もあり得ます。
 この過程で、劇団という現実の集団の内部で、
 さまざまのコミュニケーションがおこなわれることになるのは、わざわざ云うまでもありません。
 この二重のコミュニケーションの外側に、さらなる三つ目のコミュニケーションがあります。
 芝居がまさに上演される本番において、
 生身の劇団と、生身の観客とが直接に向かい合うことになります。
 役者の演技が観客に何らかの反応をもたらし、
 また観客の反応が役者の演技に何らかの影響を及ぼすということが、往々にして起こり得ます。
 一つの芝居を作るということは、こうした多重的なコミュニケーションの実験なのです。
近藤 だからその実験とやらの目的は何なんだよ。
里美 内容的にはさっきの女優と大差なし。
近藤 もっともらしいこと云いやがって。
前川 何のためにとか云われても、そんな難しいこと分かんないよ。
 ただ目立ちたいだけじゃいけないの?
里美 なるほど。
近藤 目的ははっきりしている。これは、前川綾香だな。
前川 私、顔とかスタイルとか自信あるし、有名になってチヤホヤされたいの。
 ただ可愛いだけじゃないのよ。こんなことだってできるんだから。(と、火吹きの芸をやる)
近藤 彼女は根本的な誤りを犯している。芸能人になってチヤホヤされたいならcc。
里美 劇団の選択が大間違いね。谷口のは完全にアングラ劇団よ。
近藤 「劇団あたまごなし」だぞ。名前で気づけよ。
里美 火吹きを仕込まれた段階で気づけよ。

 (秋山登場。畠野についてはテロリスト側と相互のやりとりになる)

里美 畠野翔です。
秋山 チラシに名前がないようだがcc。
里美 本番2週間前に交通事故に遭って出演できなくなった役者の代役だそうです。
近藤 なんだそれは。自己管理もできん役者を使おうとしてたのか。
秋山 いくら前衛をきどったところで、昨今の演劇シーンじゃろくな役者も集められんということだ。
 ところで畠野君か、君はどうして芝居なんかに関わっているんだね?
畠野 (云おうか云うまいか口をパクパクさせる)
秋山 どうしてだね?
畠野 あの……その……天……。
3人 テン?
畠野 天皇制を……打倒します!。
3人 (顔を見合わせる)
畠野 お国のために打倒します!
3人 (キョトンとする)
畠野 ……ダメですか?
秋山 (気をとり直し)いや悪かった。突然何を云い出すかと思ってビックリしたよ。
里美 いるんですねえ、やっぱり。
秋山 まあテント芝居の基本ではあるからな、反天皇制ってのは。
近藤 むしろほんとは普通なのかも。
秋山 なるほど畠野君は天皇制を打倒するために芝居をやっていると、そういうことでいいんだね。
畠野 いいですか?
秋山 こっちが訊いてるんだよ。
 君は天皇制を打倒するために芝居をやっている。さっきの言葉はそう理解して構わないんだね。
畠野 構わないのかな? 構わないんですね? 打倒していいんですね? いいんですかね?
里美 はっきりしなさいよ!
秋山 我々に迎合する必要はないんだ。君は君の信ずるところをありのままに述べればいい。
 むしろ我々は、強い者に安易に迎合する姿勢を憎む。付和雷同はいかんぞ。
近藤 そう、付和雷同はよくない!
里美 そう、付和雷同はよくない!
秋山 そう、付和雷同はよくない!(と、近藤・里美をはたく)
近藤 ちょっと面白いかなと思ったんだけじゃん。
畠野 (多少迷いながら最終的には決意して)天皇制を打倒するためにやっています!
秋山 ほほう、面白い。しかしなぜ天皇制がよくないんだね?
畠野 それはまあ、戦争責任とか……。
秋山 今の天皇は関係ないじゃないか。
畠野 でもまたいつ利用されるか分からないわけだし……。
秋山 戦争にか? 古いねえ君の認識も。戦争にはいろんな形があるんだ。
 ナショナリズムを露骨に煽る形の戦争が必然的だった時代はもうとっくに終わっている。
畠野 そうなんですか?
秋山 ちゃんと歴史を勉強しなきゃダメじゃないか。
近藤 昨今の左翼の不勉強ぶりときたらありませんよ。
秋山 昔は勉強できることが左翼の自慢だったがなあ。
里美 今ではよく勉強する若者ほど右翼になると云います。もちろんそれもごく少数ですが。
秋山 嘆かわしいなあ。我々は天皇制にとくに賛成だ反対だというわけでもないが、
 それでも最低限の教養は身につけているぞ。(近藤に)おい、あれを見せてやれ。
近藤 はい。(直立不動で)神武、綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安、孝霊、孝元、
 開化、崇神、垂仁、景行、成務、仲哀、応神、仁徳、履中、反正、允恭、安康、
 雄略、清寧、顕宗、仁賢、武烈、継体、安閑、宣化、欽明、敏達、用明、崇峻、
 推古、舒明、皇極、孝徳、斉明、天智、弘文、天武、持統、文武、元明、元正。 

 (この歴代天皇暗誦の間、それまで動かずにいた他の4人も含めて、
 役者側が「あっ、あっ」とか「ちょっとそれは」とか云いつつソワソワする)

里美 聖武。孝謙、淳仁、称徳、光仁、桓武、平城、嵯峨、淳和、仁明、文徳、清和、
 陽成、光孝、宇多、醍醐、朱雀、村上、冷泉、円融、花山、一条、三条、後一条、
 後朱雀、後冷泉、後三条、白河、堀河、鳥羽、崇徳、近衛、後白河、二条、六条、
 高倉、安徳、後鳥羽、土御門、順徳、仲恭、後堀河、四条、後嵯峨。
秋山 後深草、亀山、後宇多、伏見、後伏見、後二条、花園、後醍醐、後村上、長慶、後亀山、
 後小松、称光、後花園、後土御門、後柏原、後奈良、正親町、後陽成、後水尾、
 明正、後光明、後西、霊元、東山、中御門、桜町、桃園、後桜町、後桃園、光格、仁孝、孝明、
 明治、大正、昭和、今上。

 (「シェーラザード」流れ始める)

秋山 なんだ、どうした。

 (舞台上もしくは舞台奥のどこかが動き出す。隠されていた財宝の山が現れる)

秋山 これはどういうことだ?
田中 歴代天皇の名前を全部云うと自動的に開く仕掛けになってるんです。
前川 「開けゴマ!」の代わりです。
近藤 脚本の意図が分からんよ。
中野 とってつけたようなツジツマ合わせはしてありましたが……。
早水 たぶん役者をいじめてみたかっただけだと思われます。
秋山 おいどうすれば元に戻るんだ。
田中 江戸幕府の歴代将軍です。
近藤 (ものすごい早口で)家康・秀忠・家光・家綱・綱吉・家宣・家継・吉宗、
 家重・家治・家斉・家慶・家定・家茂・慶喜!

 (扉ふたたび閉まり、「シェーラザード」も止まる)

近藤 とことんふざけた劇団だ。
畠野 すごい物知りなテロリストだ。
秋山 (落ち着いて)ずっと物陰から聞いてはいたが、
 さっきのようなレベルじゃ、我々の問いに応えたことにはならんぞ。
里美 あなたがたはせいぜい、芝居というジャンルの特徴を説明しているだけです。
近藤 我々が訊いているのは、おまえらが芝居をやる目的だ。
秋山 畠野君、君の天皇制云々だがな、それは確かに立派な目的だ。
 しかし、だったらなぜ政治活動をやらないんだ? 君のような若者は決して珍しいわけじゃない。
 天皇制云々はともかく、戦争反対とか、環境問題がどうとか、
 そういういわゆる社会派なテーマで芝居をやったり音楽をやったり、
 わけのわからんイベントを仕掛けたりしてる若者はいくらでもいる。
 しかしどういうわけか連中は99・9%、直接的な政治運動はやらないんだ。
 君もそうだということはとっくに調べ上げてある。私はそこを訊いてるんだよ。
 社会的な目的を掲げるんなら、まず政治運動・社会運動だろう?
 なぜそこをスッ飛ばして芝居や音楽なんだ?
 (対畠野モードからぬけて)他の者にはもっと分かりやすくこう訊こうか。
 諸君の芝居は、いったい世の中の何の役に立つんだね? 
 我々が、なるほど君らのやる芝居は社会的に有益だと納得すれば、処刑は中止してもよい。
近藤 しょせんおまえらには無理な注文だ。
里美 結局なーんにも考えてないのよ。
 遊び、道楽、自己満足。自分たちが楽しければそれでいいっていうレベル。
秋山 ま、そうだろうな。もう少し時間をやる。あまり期待せずに待つことにするよ。

 (テロリスト側3人、退場)
 (舞台上に役者5人が残される)

早水 あの人たちの云ってること、根本的に間違ってるような気がするの。
前川 そんなこと最初から分かってるじゃん。あの人たちテロリストなんでしょう。暴力反対!
中野 おいおい前川クン。それ谷やんが聞いたら泣くぞ。
前川 どうして?
中野 若い頃は似たようなことやってたんだから。
前川 そうなの?
畠野 昔とった三里塚ってやつ。
前川 意味分かんない。でも谷やんって、ほんとは怖い人だったんだ。
田中 ともかく! 現にテロ遂行中の人に向かって暴力反対なんて云ってみても仕方ないだろう。
早水 芝居をやるのに、目的がいるの?
中野 連中が根本的に間違ってるんじゃないかって、そのこと?
早水 世の中のためになることしかやっちゃいけないの? 何かの役に立つことだけが大切なの?
畠野 おれは、できればそうありたいとは思ってるよ。
田中 そりゃ役に立たないよりは役に立つ方がいいのかなってぐらいにはおれも思うけど、
 それが絶対条件だとまでは思わないな。
畠野 まあそうだけど。
前川 お芝居って、面白いじゃない。
 面白いことして、人を楽しませたり、感動させたりするのも、人の役に立ってるんじゃないの?
早水 面白いか面白くないかよりも、善悪の方が優先するとか云ってた。
 そんな考え方っておかしいと思う。
田中 実はおれ、奴らの云うこともまったく分からないこともないんだよなあ。
 そう簡単に賛同もできない気はするけど。
早水 それどういうこと?
田中 おれはずっと、何か面白いことがやりたいと思い続けてきたんだ。
 芝居に関わりだした頃なんか、何でも面白かった。自分の芝居もそうだし、ひとの芝居観るのも。
前川 今は面白くないの?
田中 そういうわけじゃないんだけど……。
 ときどき考えるんだよねえ、それこそあいつらみたいなんだけど、
 こんなことやってて意味あんのかなあって。面白い芝居なんか、他にいくらでもあるじゃん。
畠野 何も自分でやらなくてもって?
田中 そんな感じかなあ。
 まあ鹿児島だとそんなに本格的な芝居を観る機会って滅多にないけど、
 福岡ぐらいだったら時々観に行けない距離でもないだろ。
 別に鹿児島に住むことを誰かに強制されてるわけでもなし、なんなら引っ越したっていいんだしさあ。
中野 やる側じゃなく単に観る側としての話ならな。
早水 タカシさんは、わざわざ自分がやる側に立ち続ける意味なんかあるのかなあって云ってるんでしょ。
田中 そう。福岡とか、たまには東京にまで芝居観に行くこともあるんだぜ、おれ。
 そしたら面白い劇団とか、うまい役者とかいっぱいいてさあ。
 別におれなんか演劇シーンにいてもいなくても、全然関係ないじゃん。
畠野 究極的には、仮にメチャクチャうまい役者だったとしても、あんまり変わらないような気はするな。
田中 そうそう、そうなんだよ。すげえ経験積んで、万が一おれが名優みたいになったとしてもさ、
 でも名優ったって他に何人もいるわけだろ。
 いりゃあいるで重宝されるだろうけど、別にいなかったからってなあ。
 そう、それからこんなふうにも考えたんだ。おれが役者じゃなくて、ミュージシャンだったとするだろ。
 おれはやっぱり、努力していい歌をいっぱい作ろうとすると思う。
 だけどさあ、いい歌なんか世の中にはいくらでもあるんだよ。
 例えば歴史に残る名曲みたいなのだって挙げればたぶん何千曲とかってあるはずだ。
 仮にまあ五千曲あったとして、おれがメチャクチャ頑張って、
 一生の間になんとか一曲だけそんな歌を作れたとしてさあ、
 五千曲が五千一曲になるだけじゃんって、ね。
畠野 おまえすげえネガティブだな。まあ、分かるけど。
早水 だから何か他の意味が欲しくなるの?
田中 そういうことかな。
前川 全然分かんない。たとえ五千一曲目だとしても、そんなすごい歌作れたら嬉しいじゃん。
田中 もちろん嬉しいよ、でも……。
中野 しょせん自己満足?
田中 違うかなあ。
前川 自己満足でいいじゃん。
田中 悪いとは云ってないよ。でも時々虚しくなるって話。
早水 でもあいつらはそれを悪いって云ってるのよね。
畠野 本来のあり方じゃないって意味じゃないの? まあだから悪いってことなんだろうけど。
 あいつらもなんか、昔は違ったみたいなこと云ってたけど、実際いろいろあったわけだよね。
 おれ、よく知らないだけで興味はあるんだ。谷やんからそういう話は断片的に聞いてるし。
 中野はそこらへん、おれなんかよりずっと詳しいだろ。
中野 多少はな。
早水 あいつらの云うことにも一理はあるの?
中野 たしかに今の演劇シーンが目的を見失ってるってのはそのとおりだと思うよ。
 だからどうすればいいかなんてことは分からないけど。
畠野 演劇が目的見失ったってのは、いつ頃からなんだよ。
中野 うーん……まあ一九八〇年ぐらいかな。
前川 私まだ生まれてなーい。
早水 私もー。
中野 ちゃんに前川クン、そういうことあっけらかんと云うとショックを受けるお客さんがいるよ。
 おれも生まれてないけど。

 (5人のうち田中だけがショックを受けている)

畠野 じゃあそれ以前は芝居には目的があったのかよ。
中野 芝居に限った話じゃないんだが……、
 例えば戦後すぐくらいの時期に、文学は社会の役に立たなきゃいけないのかって論争があった。
 当時社会の役に立つってのは、要するに革命運動に貢献するって意味なんだけどね。
田中 え、そうなの?
中野 当時……っていうか、70年代ぐらいまでは、
 文学とか演劇とかだけじゃなくて芸術文化全般そうなんだけど、ぶっちゃけほとんどみんな左翼だから。
畠野 で、その論争では、芸術は革命運動の役に立たなきゃいけないって方が優勢だったんだな。
中野 いや、逆。細かいことは全部ハショっちゃうけど、
 要するに窮屈だろ、芸術はおしなべて革命運動に貢献すべしなんてのは。
 芸術はもっと自由であるべきだって話に当然なるわけだよ。
畠野 だってその論争が戦後すぐあって、自由にやればいいって結論になったんなら、
 それから70年代までまだかなり時間があるじゃん。
中野 だから物事はそう急には進まないんだよ。

 (黒子が舞台にホワイトボードを運んでくる)
 (ボードには、「中野裕也先生のs基礎だけわかるt演劇史講座」とある)
 (ベートーベンのバイオリン・ソナタ「春」、流れはじめる。NHKの教養講座っぽいイメージ)

中野 戦後すぐの頃の革命運動の中心には、共産党がいた(「共産党」と書く)。
 他のジャンルのことは省いて、演劇の世界はこの当時、新劇一色だ(「新劇」と書く)。
前川 新劇って何?
田中 考えてみなよ。日本オリジナルの古い演劇って何だ?
前川 うーん……、あ、歌舞伎とか?
田中 そうだね。
早水 幕末維新以降の近代化の動きの中で、演劇も近代化しなくてはいけないということで、
 坪内逍遥、島村抱月、小山内薫といった人たちが、
 明治時代に西洋の演劇をお手本にした新しい演劇を始めます。これが新劇です。
前川 そんなことどこで習ったの?
早水 高校の日本史に出てきます。
中野 話を戻すよ。
 今ちゃんが説明してくれた明治以来の新劇ってのが長らく演劇シーンの中心にあって、
 とくに戦後の新劇は共産党と一心同体(「共産党」と「新劇」を二重線で結ぶ)。
 ところがさっき云った論争があった一九五〇年代半ば頃から、
 狭い意味での左翼運動の世界でもいろいろ内輪もめとか分裂が始まって、
 その過程で堅っ苦しい共産党に反発した連中が、新左翼運動っていう、
 新しい流れを作ってくんだな(「共産党」から矢印を引っ張って、「新左翼」と書く)。
 「激動の昭和史」とかって時々テレビでやってる、60年代の学生運動ってのはこっちの流れ。
畠野 谷やんがやってたやつだ。
中野 谷やんの学生時代はもう70年代入ってからだから、ほとんど最後の方の世代だと思うけど。
田中 それで演劇シーンの話はどうなったんだよ。
中野 そうそう。
 だからいくら自由にやりたいっつっても、そもそもみんな左翼なんだから、
 すぐに政治色が消えてなくなるわけじゃなくて、
 新しいことやりたい連中は、みんなこの新左翼運動の方に一緒にくっついていく。
 演劇シーンでも、旧態依然たる新劇に反発した連中が、
 そこから飛び出していわゆるアングラ劇団を作り始める(「アングラ」と書く)。
 唐十郎とか、寺山修司とか。
早水 私、寺山修司大好き!
前川 誰それ。
畠野 後で川上さんに教えてもらうといいよ。万が一生きてたら(合掌)。
中野 一昨年だか鹿児島にも来た黒テントもこの頃登場した代表的なアングラ劇団だ。
 共産党・新劇に対して、新左翼とアングラが、
 互いに強い影響関係を持つ時代になるんだね(「新左翼」と「アングラ」を二重線で結ぶ)。
畠野 そんで、学生運動とか下火になって、芝居も今みたいになんの?
中野 そこらへん微妙なんだ。
 学生運動が下火になるっていっても、やっぱりある日急になくなるわけじゃないから。
 70年代をとおして徐々に徐々にそうなる。
 シラケ・ムードみたいなのが学生の間に急速に広がりはじめて、
 その時期に大ブレイクしたのがつかこうへいの芝居。
 こう説明くさいセリフをただ延々続けるのも芸がないので、趣向を変えよう。

 (黒子が舞台中央に布団を一組運んでくる)
 (同時に中野はホワイトボードを舞台の隅に移動させる)
 (早水と前川は中野についていく)
 (畠野が「父」として布団に臥せる。そばに田中が「男」として座る)
 (中野の説明セリフは早水と前川に解説するように)

男(田中) ところでどうです、この足は。
 この足ですよ。思い出の足ですよ。過去の古傷ですよ(と、ストップモーション)。

中野 つかこうへいの初期の代表作の一つ、「初級革命講座 飛龍伝」のワン・シーンです。
 初演は一九七三年。学生運動の衰退を決定的にした連合赤軍事件が前の年に起きています。
 いま喋っている彼は元機動隊員で、この劇中では、挫折した元活動家の家を定期的に巡回して、
 ほんとに挫折しておとなしくしているかを監視する、「監査員」という仕事をしています。
 そっちに(と「父」を指して)寝ている男は、もちろん元活動家。
 かつては「戦闘的かつ革命的戦士だった」と、この前のシーンで説明されています。

 (「春」、止まる)

男 (再び動き出し)冬になると、さぞかしあたしが憎いことでしょうな。ズキズキ、ズキズキ痛むんでしょ。この足ですよ。

 (男、打つ)

父(畠野) あいたっ。痛いなあ。
男 背中はどうですかな。背中ですよ(打つ)。
父 痛いなあ。
男 痛いなあって、そんなんじゃないだろう。そんな蚊に刺されたような「痛い」じゃないだろう。
 「権力にこづかれた所が痛い。三里塚で、憎っくき機動隊になぐられた所が痛い」だろ。
 何だよ、「あいたっ」てのは。その足は憎しみがこもっているんだろう。怨念がたまっているんだろ。
 だったら憎悪の眼差しで俺を見据えろ。キョトンとした目をして、もう。恥ずかしくないのか。
 さっきから聞いてりゃあ、おまえ、ちょっと、いいかげんだよ。……ほう、読書しておられますね。
父 いいえ。
男 マルクス全集の三巻と四巻のほこりのたまり具合が、少々、不自然のようで、
 読んでいらっしゃるんでしょう。
父 いいえ、とんでもありません。
男 『反デューリング論』でしたかな、商品論でしたかな、三巻は。
父 眼が悪くなっているものですから、とんと本など、手が届きません。
男 だったら、どうして、とりたててここだけほこりが少ないんでしょうかね。
 本読まなかったら、一体、何したっていうの。
父 娘が昼寝の枕にしたんでしょう、娘はよく寝ますから。
男 娘はよく寝ますから。
 先行き頼もしい娘さんですな、お昼寝の枕にね、奨学金でも出してあげたいところですな、と、監査員。
 先々月号の『月刊挫折』特集、監査員に対するQアンドA。
 Q「本のほこりのたまり具合が少ないようですな」。
 A「娘が昼寝の枕にしたんでしょう、娘はよく寝ますから」。
 カッコ、この「娘はよく寝ますから」というフレーズを付け加えることによって、リアリティが増す。
 群馬A男、三十五歳、挫折後、チリ紙交換業。
父 もう、国家権力の手先に渡っていたのか、むー。
男 『月刊挫折』って何だよ。
父 同人誌です。挫折した人どうしで、『友の会』作ってるんです。
男 『友の会』ね、もう、俺いやだよ。その、なんだ、個的闘争ってのは、どうなってんの。
 日和ったやつ、ガン首そろえて何しけこもうってんだよ。
 ほっときゃ何やらかすかわかんねえよ、こいつら。ひけめはないのかよ。

 (と、劇中劇終わり、畠野と田中は立ち上がって一礼し、布団を外へ運び出してまた戻ってくる)。
 (ビバルディ「四季・秋」が流れはじめる)

中野 (二人が戻ってくるのを待たずに)見てお分かりのように、
 当時の学生運動が徹底的に茶化されています。
 つかこうへいのこうした姿勢は、当然、退潮していく学生運動といまだ強く結び付いていた、
 アングラ演劇シーンでは、猛烈な反感を呼び起こしますが、
 学生運動にしらけつつあった若い世代には圧倒的な支持を受け、演劇シーンが確実に変化し始めます。
早水 でも、半分しらけながらでも、学生運動に対する未練っていうか、
 関心の持続みたいなのが観客の側にないと、成立しにくい感じですね。
中野 そのとおりです。たぶんこれをこのまま今やっても、誰も共感しないでしょう。
 同じころ、音楽の世界では、いわゆる反戦フォークみたいなものが古臭く感じられるようになって、
 吉田拓郎や井上陽水の時代になります。
 しかし彼らの初期の作品も、学生運動に対する独特の挫折感のようなものがない、
 もっと後の世代にはそのニュアンスが正確に伝わらない。それと同じです。
前川 川上さんは拓郎・陽水とか大好きだけどcciと早水にj。
早水 i前川にj分かって聴いてるとは思えません。
中野  70年代前半に登場した若者文化の担い手たちには、学生運動への距離感や違和感と同時に、
 そこから身を引くことに対する負い目とが相俟ったアンビバレントな感覚が広く共有されています。
 この負い目の部分をいよいよ断ち切ろうとするのが、
 70年代末から80年代初頭のサブカルチャー運動で、演劇でいうと、野田秀樹や鴻上尚史です。
 例えば八一年の野田秀樹「ゼンダ城の虜」の中に、こんなやりとりがあります。

 (早水と畠野、並んで立ち、早水が何かをのぞき込む仕草)

中野 (早水を指し)この少年は、「覗きからくり」を見ています。要するに電気式の紙芝居です。
畠野 何を見てるんだ。
早水 ゼンダ城の虜。
畠野 テーマは。
早水 ない。
畠野 ストーリーは。
早水 ない。
畠野 感動も。
早水 ない。
畠野 般若心経だな、どれどれ(と早水を押しのけて代わる仕草をして、ストップ)。

中野 確かに当時の野田秀樹の芝居には、古典的な意味でのストーリーはありません。
 内容は荒唐無稽、セリフの多くは、ダジャレのような言葉遊びの応酬で占められています。
 同じ「ゼンダ城の虜」の中に次のようなシーンもあります。
 舞台は中世ですが、このシーンでは「二十世紀フェア」というお祭りがおこなわれています。
 少年たちと、露天商とのやりとりです。

 (「四季・秋」、止まる)
 (二十世紀フェア」ということで、20世紀の何か代表的な曲をBGMとして静かに流す。ビートルズか)

露天商1(田中) 僕達、食べていかないかい?
少年1(前川) なにさ。
露天商1 軽薄どんぶり。
少年2(早水) あん?
露天商1 二十世紀では、これを食べて二十四時間浮かれるっていうから大変だ。
露天商2(畠野) よしな僕達、買うならこれだ。
少年2 なんだい(と見れば風船)。
少年1 風船なら今だってあるよ。
露天商2 いやこれは、中世の風船とは見た目は同じでも中身も同じ、全てが同じ。
少年2 どこが二十世紀だ。
露天商2 この語り口だよ、云ってるようで何も云わない、云えない、云わせない、
 流れるコトバに実のない話、無芸大食、軽佻浮薄。
少年2 いらねえや、そんなもの。
露天商1 それならこいつはどうだ。
少年2 なんだい。
露天商1 (レコードを出して)二十世紀のおせんべい。
少年1 食べるのかい?
露天商1 食べるけれども食前の楽しみがある。
少年1 どうするの?
露天商1 (レコードをパキンと割る)この割れる音に聞きいるのが二十世紀最大の趣味レコード鑑賞だ。
 ほら聞き比べてくれ、これが二十世紀でも古い「えんか」が割れる音。パキン!(レコードを割る)
 こちらが「ニューミュージック」だ。パキッ!(レコードを割る)
 どれほどの違いもないが、めりはりが違う。二十世紀になればその差が出てくる。
露天商2 そんなものにだまされちゃいけない。
少年1 なんだい?
露天商2 買うならこれだ、二十世紀最大の乗り物、
 サラリーマンだ(と、客席の方へ行き、いかにもサラリーマン風の客を選んで指し示す)。
少年1 なんだ、人間じゃないか。
露天商2 同じ人間でも目が違う。
少年2 目が?
露天商2 愚鈍の目だ。こいつが朝になると目を開けて子供の代わりに電車を背負って、
 長いわりばしの上を走っては煙を出すというから二十世紀も訳のわからない時代だ。
露天商1 そんな共産主義者の社会風刺に惑わされちゃいけない。
少年2 それなんだい?
露天商1 ビニール本。
少年1 それなら知ってる。
露天商1 え?
少年1 (ペララララとめくる)なんだ。ドフトエフスキーじゃないか。
露天商1 いやお風呂でも読めるように、ビニールがはってあるだけだ。
少年1 詐欺だ。
露天商1 二十世紀になると人前じゃ恥ずかしくてドフトエフスキーが読めなくなる。
 そこで普段はファンシーケースの下に隠して、お風呂場でこそこそと原稿用紙にマスをかく。

 (4人、ストップ)

中野 分かりますね。
 上演された80年代初頭の軽薄な状況がシニカルに肯定され、
 深刻ぶったもの、マジメくさったものが笑い飛ばされます。
 当時の「ニューミュージック」、さだまさしや松山千春、長渕といったあたりでしょうが、
 多少メリハリがあるだけの演歌にすぎないとバカにされ、
 お客さんをいじりながらおこなわれるありがちな社会風刺も、
 次の瞬間、左翼のいつものやり口だと否定されます。
 ドフトエフスキーのような十九世紀的深刻さは時代遅れだとされます。
 実は、こういう比較的にテーマが前面に出たシーンを、
 あえて抜き出すような行為そのものが、否定されているとも云えます。
 実際、全体の中でこのシーンはさして重要ではありません。

 (4人、再び生徒役に戻る)

早水 でもやっぱり、意外と根はマジメっぽい気がする。
中野 ちゃん、鋭い。
田中 どういうこと?
早水 どう云えばいいのかなあ……マジメにふざけてる、みたいな?
中野 つかこうへいなんかの登場があったにせよ、
 八〇年頃までは文学も演劇も、まだ大きくは左翼運動の引力圏の中にあったからね。
 サブカルチャーってのは、その引力圏から本当に脱却しようっていう一種の文化運動なんだよ。
 要するに、自分たちは何か政治的社会的な目的に奉仕してるんじゃない、
 面白いことは面白いで何が悪いんだって開き直るのには、かなりの決意が必要だったんだ。
 負い目とか罪悪感みたいなものもあるだろうしさ。
 そこをぐっと堪えて、あえて開き直る。
 そういう積極的な政治脱却の試みが、他のジャンルでも同時多発する。
 音楽で云えばユーミンとかサザンの時代になるし、小説だと……。
早水 村上春樹とか?
中野 そうね。そういう変化がもうあらゆるジャンルで並行して進む。
 で、まあ、うーん……(ちょっと考えて)今に至る。
畠野 じゃあそのサブカルチャーの連中が悪いんだな。
中野 悪いってわけじゃないよ。その世代の人たちはやっぱり、
 政治的なテーマ主義の縛りっていうか、そういうのほんとに息苦しかったんだろうしさ。
田中 なんとなく分かってきたぞ。
 つまり今みたいな、とにかく面白けりゃなんでもいいだろって芝居を最初に始めた連中には、
 逆に強烈な動機や目的があったんだな。
 面白けりゃいいってもんじゃねえだろって空気がまず前提として濃厚にあって、
 それをぶち壊すって目的が実はちゃんとあった。
中野 そういうことになるかな。
前川 あ、こういう感じ? (眉間にシワを寄せて)絶対頑張らないぞ!
中野 おっ、前川クンもちゃんと分かってるじゃん。
前川 (得意の表情)
早水 でもそれが主流になっちゃったら……、
 目的を持たないってこと自体が目的、みたいなヒネった感じじゃなくて、
 目的がないのが前提っていうか、フツーのノリとして定着しちゃったら……、
 ほんとに何もなくなっちゃうね。
田中 だから現在に至る、だよ。
中野 この二、三十年の間にはその後もたくさん新世代の演劇人がブレイクしたけど、
 野田秀樹、鴻上尚史の登場以降、本質的な変化はほとんどゼロだね。
 あえて云えば、ちゃんの云ったとおり、
 目的がないことがわざとじゃなくて、当たり前みたいになったってことは、まあ重要な変化かも。
畠野 じゃあどうすりゃいいんだ?
中野 そんなことおれにも分からんよ。
 おれにできるのは、どうしてこうなったかっていう経緯の説明だけ。
早水 でもでも……仮にそういうのが私たちの生まれた頃に主流になっていったとしても、
 それはあくまで主流ってことで、全部が全部そうなったわけじゃないんでしょ?
 その流れに乗らないで、そういうのもう古いとか云われながら、
 目的のある芝居みたいなのをやり続けた人たちもいるんじゃないの?
中野 そりゃいっぱいいるよ。
畠野 そういう人たちはどうなったんだ?
中野 手近に見本がいるだろ。
田中 あ、谷やんみたいになったんだ。
早水・畠野 (深く)そうかあ……。
前川 谷やん何だか可哀想(涙ぐむ)。
左衛門の声 (舞台裏から)喝ーっ!

 (ギターを抱えた和服の男が舞台に転がり出てくる)
 (川上だが、ここでは「川上」ではなく「昇時郎」という役)
 (川上のストラップは白帯)

昇時郎 ひえーっ、師匠、お手柔らかに、お手柔らかに!

 (左衛門、登場。やはり和服。ギターは持っておらず、黒帯を締め、手に数本の弦を握っている)

左衛門 甘い甘い甘ーい! なっとらーん! 
 その腐りきった性根、今こそ叩き直してくれる!(と、手にした弦の「ムチ」で昇時郎をピシピシやる)
昇時郎 (ギターを抱えたまま舞台にしゃがみこんで打たれ続ける)
前川 あ、川上さんだ。

 (役者一同、「え?」と注目し、ざわざわする)
 (師弟は気づかずピシピシを続ける。昇時郎、「6弦はやめてください」などと悲鳴を上げている)

中野 川上さん! 川上さん! 
田中 おまえ無事だったのか。ケガは?

 (左衛門、気づいてピシピシをやめる)
 (師弟、顔を見合わせる)

左衛門 おやおや、いつのまに何やら賑やかなところへ出ておる。
 稽古に身を入れていたとはいえ気がつかなかったは不覚。
中野 あなたは何者です?
畠野 川上に一体何をしているんです?
左衛門 川上? はて、何か人違いをされているようですな。
 ソレガシ、音無之音流師範、名を堀左衛門と申す。

 (「音無之音」すなわち「サウンド・オブ・サイレンス」である)

早水 でもその一緒にいるギター侍みたいな人、川上さんですよね。
左衛門 これか? これはわしが以前つるんでおった甲斐判九郎という者の弟子でな、名を昇時郎という。
 判九郎がどこぞで拾ってきたんじゃが、先年流行りの病で判九郎の奴めポックリ逝きよったゆえ、
 不憫に思うたわしが引き取り、こうして修行を続けさせておる。
 それにしてもいくら教えても教えても飲み込みの悪い男でな、
 判九郎もこんな男のどこが気にいったものやら合点がいかぬが、
 まあ奴はむしろ謡が専門であったゆえ……。(ピシッ)おい昇時郎、おまえも立って挨拶せんか。
昇時郎 (よろよろと立ち上がって)昇時郎でござる。
田中 うそー、川上だろ?
昇時郎 人違いでござる。あっ(と前川に目がいって)すげー可愛い。おれ好み。ねえねえ何カップ?
前川 (顔をそむけ)絶対川上さんだ。
左衛門 (ピシッとやって)邪念を払え!
中野 しかし修行だ弟子だって、一体何を教えているんです?
左衛門 見て分からぬか。それとも薩摩の方にてはまだ見慣れぬものであるか、
 西洋から伝わった楽器の一種でな、ギターという。
中野 見りゃ分かりますよ。
左衛門 ならばわざわざ問うな。
田中 それにしてもその昇時郎さんのストラップ、ずいぶん質素なデザインですね。
昇時郎 これは白帯でござる。
左衛門 この男はまだギター7級じゃ。
前川 ギターに級とか段とかあるの?
左衛門 むろん、少なくとも我が音無之音流にはある。
 7級というのはつまりまあそうよの、アルペッジオ奏法がなんとかこなせるようになったという程度じゃ。
畠野 おれFは押さえられますよ。
左衛門 それは基本中の基本じゃ。10級で入門、Fの壁をクリヤーしたところで9級に上がる。
畠野 なかなか厳しいなあ。
左衛門 (やたらとカッコつけてFの運指ポーズを決める)
田中 (気づいて)あ、この人黒帯だ。
早水 でもなんでこの先生の方はギター持ってないの?
左衛門 ギター道にギターは要らぬ。
田中 それ聞いたことあります。
 「剣道に剣は要らぬ」とかって、なんか剣道の達人みたいな人が云ってました。
 左衛門先生、よっぽどギター巧いんですね。
左衛門 ほっほっ、巧いとか巧くないとか、
 そのようなことにとらわれておるようではまだまだ修行が……。
前川 (さえぎるように)何か一曲やって。
早水 私も聞いてみたい。
左衛門 可愛らしいお嬢さん方の頼み、
 聞いてあげたい気持ちは山々じゃが、相方の判九郎を失うた今となってはな。
 しかしわしらの名はさすがに遠く薩摩にまでは伝わっておらなんだか。
 これでも都ではいささか評判をとっておったものじゃが。
昇時郎 頭が高い、頭が高い! 控えい控えい!
 ここにおわすをどなたと心得る。このお方こそかの堀左衛門、
 一世を風靡した、「左衛門と甲斐判九郎」の堀左衛門先生にあらせられるぞ!

 (「サウンド・オブ・サイレンス」、流れる)

役者一同 サイモンとガーファンクル!?
昇時郎 違う!(「サウンド・オブ・サイレンス」、止まる)、左衛門と甲斐判九郎!
中野 (左衛門を指し)ポール・サイモン?
昇時郎 堀左衛門!
役者一同 (口々に)じゃあ知らなーい。
左衛門 (苦々しい表情)
昇時郎 (左衛門に)お気になさらず。しょせんは薩摩の田舎もんでございますよ。
前川 そんなのどうでもいいからさっさと一曲やってよ。
左衛門 仕方がない。昇時郎、この者どもに何か聞かせておあげなさい。
昇時郎 はっ、お任せを。

 (昇時郎、いったん引っ込み、ギターケースを持って戻ってくる)
 (ケースを開けると、大きく「おひねり歓迎」とある)
 (それより小さい字で、「スマイル0円」、「お得なバリュー・セットありマス」、
 「『粉雪』はじめました」などの貼り紙がある)
 (昇時郎の口調もいきなり現代ふうに)

昇時郎 いらっしゃいませ、ご注文をお伺いいたしまーす。
役者一同 (口々に「え、リクエストしていいの」「リクエストだってよ」など)
前川 どういうのできるの?
昇時郎 (「MENU」と書かれたファイルを取り出し)こちらお品書きとなっておりまーす。
前川 わー、いっぱいあるー。
畠野 やたらシステマチックだな。
昇時郎 (メニュー表をテキトーにを示し)ただ今の時間セットの方お安くなっておりまーす。
田中 そんなのあるのかよ。
中野 え、うそ、平井堅とかできるんだ。
昇時郎 よろこんでー。
早水 げっ、BoAとかある。似合わねー。
畠野 かと思えば加川良まで。
前川 誰それ知らなーい。
田中 ケツメイシとかもやんのかよ。
昇時郎 よろこんでー。
中野 なんでもいいから早く決めようぜ。
早水 ZAZEN BOYSがいい。
前川 何それヘンな名前。あ、私これがいい!
役者一同 (覗きこんで「マジかよー」、「前川クン趣味わりぃー」、
 「いいよ別に前川クンがそれがいいんなら」などと云い合う)
前川 これにするー、これやってえ(と、昇時郎に示す)。
昇時郎 「北の国から」セットお一つでございますね。かしこまりました。
 店内でお聞きになりますか、それともお持ち帰りになさいますかあ?
田中 どうやって持ち帰るんだよ!
昇時郎 ……(黙って首をひねる)。お支払いは現金で?
田中 他にあり得ねえだろ。
昇時郎 消費税込みで399円になりまーす。
中野 (千円札を出す)
昇時郎 では千円から。おつりの方601円になりまーす。(小銭を渡しながら)お確かめくださーい。
 あとこちらお得なポイント・カードとなっておりまして、
 ポイント10コたまりますと、ただ今無料で「乾杯」の方一曲おつけしておりまーす。
田中 いらねー。
昇時郎 (左衛門に)「北の国から」セット、ワン、プリーズ!
左衛門 「北の国から」セット、ワン、サンキュー。
昇時郎 (「北の国から」のイントロ弾き始める)
早水 今のやりとりには何の意味が……?

 (昇時郎、「北の国から」に続き、尾崎豊「アイ・ラブ・ユー」、
 長渕剛「西新宿の親父の唄」をひととおり歌う)
 (役者一同拍手)
 (客の拍手など続くようなら、左衛門が頃合いを見て「静まれ!」)

左衛門 昇時郎!
昇時郎 はい!
左衛門 今ギターを弾いたのは誰だ!
昇時郎 え? ぼくが弾きましたけど……。
左衛門 喝ーっ!(また昇時郎をピシピシやり始める)
昇時郎 師匠、何をなさいます、おやめください、師匠……(と逃げ回る)。
左衛門 (追いかけながら)ええい、いつまで経っても修行の進まぬ大バカ者じゃ!
 ギターは弾くものではない、ギターはギター自身が自然に曲を奏でるものとなぜ悟らぬのじゃ!
 おまえは無にならんか! 無にならんかーっ!
昇時郎 (逃げ回りながら)申し訳ございません! 修行が足りませんでしたー!
 私が間違っておりましたー! 私が間違っておりましたー!
左衛門 誰が間違っておったかーっ!
昇時郎 私が間違っておりましたー! 私が間違っておりましたー!
左衛門 まだ云うかーっ! 間違ったというその己はどこにあるんじゃーっ!
 まだ無にならんかーっ! まだ無にならんかーっ!
昇時郎 私が間違っておりましたー!
左衛門 まだ分からんかーっ! まだ分からんかーっ!
 その口が云うかーっ! その口はおまえの口かーっ、
 それともただ口であるだけの口かーっ!(などと騒ぎながら何処へともなく師弟退場)

 (取り残された役者一同、しばらく唖然としている)

早水 なんだかよく分からないけど大変そうな人たちね。
畠野 だいたいあいつら何か芝居と関係あんの?
中野 ただの通りすがりみたいだったな。
田中 芝居の邪魔しやがって。
前川 邪魔ばっか入る芝居ね。
早水 そうよ問題はテロリストの方よ。
中野 どこまで話したんだっけ?
前川 えっと……谷やん可哀想。
田中 そうだった。谷やんがいかに時代に取り残されているかって……話?
畠野 なんで演劇は目的を見失ったかって話だろ。
中野 でもなあ、そんなこと云ったって、おれらが物心ついた時にはすでにそうなってたんだもんなあ。
 おれだって後追いでいろいろ勉強して知ってるだけだし。
早水 田中君が目的が欲しいって気持ちは分からなくもないけど、
 でも目的って持とうと思って持つものじゃないでしょ。
 理屈は分かるし気持ちも分かるけど、でもやっぱり正直ピンとこないなあ。
畠野 なんか行き詰まっちゃったな。
前川 これ以上進まないっぽいことは私にも雰囲気で分かる。

 (ゆっくりとした足取りで昇時郎が再び登場。ギターはなく、黒帯になっている)

早水 川上さんだ。
畠野 違うよ、昇時郎さんだ。
早水 でもギター持ってないよ。
田中 ほんとだ。あれ? 黒帯してる……。
昇時郎 (無言でゆっくりと前川に近づく)
前川 え、何? 何?(と身をすくめる)
昇時郎 (無言のまま前川の胸を凝視)
前川 やっぱりセクハラだよお、気持ち悪いよお、誰かやめさせてよお。
昇時郎 (間をおいて、フッと笑う)やはり何とも思わない。

 (NHK「映像の世紀」メインタイトル、流れはじめる)
 (この後の昇時郎の長ゼリフ中、そのバカバカして内容に反比例して音楽はむやみに深刻に盛り上がる)
 (曲の長さ的に、最後の「豁然大悟」のくだりで、ちょうどキリよく曲が終わる可能性が高い)

全員 え?
昇時郎 つい今しがたまでかくもつまらぬものに心を乱されていたとは、
 はは、我ながら恥ずかしいかぎりだ。
前川 そういう云い方はそれはそれでなんかムカつく。
早水 でもさっきとは何だか雰囲気違うよ。
中野 昇時郎さん、何かあったんですか?
畠野 先生に追っかけられて、転んで頭でも打ったんじゃないか?
昇時郎 外れずといえども近からず。70点。たしかに私はあの後、すべって転んで頭を強く打ちました。
畠野 やっぱり。
昇時郎 死ぬかと思いました。薄れゆく意識の中で、堀左衛門先生、そして甲斐判九郎先生と過ごした、厳しい修行の日々が、走馬灯のように私の脳裏をかけめぐりました。ああ、私はこのまま死んでしまうのだなあ、あれだけ頑張ってやっと7級か、しょせん私のような者には、音無之音流、深遠な弦の道の奥義を究めるなど大それた望みであったなあ、しかしそれが私の人生だったのだ、無意味といえば無意味、それでも私は満足だ、無意味な人生にも意味があり、だが意味ある人生だったと云ってもしょせんは無意味、私ときたらもう死ぬという時に及んでまたおかしなことを考えている、やはり私は愚かなのだなと気づくとたまらなく愉快な気持ちになってきて、思わず吹き出してしまい、いつしか大声を上げてバカ笑いをしておりました。そして己の笑い声に驚いて、あっと意識が戻ったような次第です。ふと気づくと私は上から下まで桜島の火山灰まみれ、転んだ拍子に放っぽりだしてしまったのでしょう、私のギターは、ネックの折れた無残なありさまで、錦江湾の波間にへなへなと漂っているのが見えました。その情けなーい様子が、また妙に愉快に感じられて、私はふたたび笑いを押さえられなくなりました。それはもうこのまま笑い死にしてしまうんじゃないかというくらいで、せっかく死なずにすんだのに、今度は笑い死にしてしまうというのでは、命がいくつあっても足りない、まっこと私はつくづく救いようのない大バカ者であることよと、もう笑いの種が次々に生じてきて、とにかく大変なことでした。
早水 ハタから見ると単なるアブない人ね。
昇時郎 そこへ左衛門先生が後ろから私に声をかけられたのです。
左衛門の声 無事か、昇時郎、どうした、気でも狂ったか。
昇時郎 (バカ笑いしながら)気が狂ったかですって? 先生らしくもない。狂ったり狂わなかったりする己の心というものが一体どこにありますか(しばらく笑い続け、やめる)。
左衛門の声 昇時郎、これを置いてゆく。
昇時郎 振り返ると、もう先生の姿はありませんでした。砂浜の上に無造作に、この黒帯が放り捨ててありました。
田中 それでは昇時郎さんは……。
昇時郎 (改まり、正座してお辞儀をする)弦の道に仕え幾星霜、昇時郎、ここに豁然大悟いたしました!

 (照明、消える)
 (曲も長さ的にちょうどキリのよいところへさしかかっている可能性が高いので、そこで止める)
 (以下は退場しながら、ザワザワと雑談しつつ遠ざかっていくような調子で)

前川の声 じゃあギターもすごく巧くなったの?
昇時郎の声 そのようなことにとらわれておるようでは……。

アリババが40人の盗賊